かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

天皇陵の調査は皇室に対する尊崇の念をより増すのではないか、と思うのです。

2007-03-02 23:56:08 | Weblog
 昨日に続き、眠気の醒めない一日となっております。まあ明日は休みですので、多少の無理もがんばれるというところではありますが、さすがに一日しゃかりきになって仕事してますと、暗くなるころには、気力がいかに猛ろうとも身体がついていかなくなるのを実感させられます。調子が落ちてきているときというのはそういうものかもしれません。幸い仕事が一段落したのをきっかけに、今日も早々に帰宅することにいたしました。まあそれでも、何かというとすぐ体調を崩した昨年同時期のことを思えば、随分ましには違いありません。とっとと寝てとっとと起きることが出来れば、寝込むまでいかずに復調することが期待されるくらい、今年はとりあえず元気に過ごしております。

 さて、大阪府高槻市にある今城塚古墳という前方後円墳で、横穴式石室を示すコの字型の巨大な石組の基盤が見つかり、真の継体天皇陵という仮説が著しく補強されたとのニュースがありました。継体天皇というと、大和の天皇家に跡継ぎがいなくなったとき、朝廷の大臣達が遠く越前まで天皇家の血筋を捜し求めて見つけ出し、連れて帰って即位させたという謎の多い天皇陛下で、伝説と歴史との狭間にある御柱です。学説の中には、それ以前の天皇家とは異なる血筋、すなわち別の王朝で、群臣に懇願されて迎え入れられたのではなく、大和へ攻め込んで征服したのだ、という話もある、「万世一系」を根本から危うくするようなスリルある歴史ロマンを体現している大王でもあります。
 宮内庁では、継体天皇陵は西に1.5キロほど離れた大阪府茨木市にある太田茶臼山古墳としておりますが、こちらは出土する埴輪が、5世紀中頃の特徴を示しているとのことで、527年 (古事記) あるいは534年 (日本書紀) に御隠れになったとされる継体天皇とは時期がずれ、今城塚古墳の方が文献記載の年代と合い、規模からしても大王陵にふさわしく、研究者の間では真の継体天皇陵とされているのだそうです。最近、宮内庁もかたくなに拒んでいた天皇陵の調査を一部解禁することを明文化して示したそうですが、今、サイトで公開している小説は、そんな宮内庁の秘密主義をベースにしておりますので、いろいろな意味でこういった話題には興味がそそられます。それにしても皇室の静謐と安寧を護るためと称して、実はどこの誰の墓とも知れぬものを後生大事に抱え込んで誰にも手を出させない態度というのは、端から見ておりますといかにも幼児的な頑迷さに見えます。その理屈から言うなら、今城塚古墳などは真の天皇陵である可能性が高いのですから、当然立ち入り禁止にしてしかるべきですのに、自分達が天皇陵と認めないからということで、こうして発掘調査もできてしまうというのは、それこそ天皇家に対する不敬に値するのではないか、と思うのですが、宮内庁という不思議な役所を律している論理というのは、法学や経済学以上に、私には理解不可能な独特の世界観を有しているのでしょう。まあその方が色々創作のしがいもあって私などには帰ってありがたかったりするのですが(笑)。

コメント
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