かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

歴史を教える・教わるというのはタイヘン難しいことだと思いますが、キホン位は押さえてほしいものです。

2007-03-30 23:18:49 | Weblog
 今朝未明、短い時間でしたが、空恐ろしくなるほどの豪雨が大和の地を洗ったんだそうです。雷鳴こそならなかったものの、稲光が何度も瞬いたとのことで、今朝の職場では「おはよう」の後決まって「今朝の雨はすごかったねー」とか「5時ごろだっけ? 雨音で目が覚めたよ」でした。そんな中、私はただ一人「?」を頭の上にちらつかせつつ話題から取り残されていました。実はそんな雨が降っていたとは全く気づかず、目覚ましに叩き起こされるまで、ひたすらぐっすり眠り込んでいたのです。朝、外を眺めて、ああ、雨が降ったんだな、とは理解しましたが、よもやそんな大雨になっていようとは想定外でした。それでも半信半疑だったもので、気象庁のサイトで30分おきに降水状況を表示する地図を出し、今朝の状況をトレースしてみたところ、確かに皆が言うとおりの大雨が、わが頭上を足早に通り過ぎていく様子が見て取れました。ううむ、このところ少々寝不足気味でしたけど、皆がそれほど言い募る大雨に何故自分は気づかなかったのか。少々不満と不安がよぎらないでもないです。

 さて、来春から使われる高校の日本史教科書で、太平洋戦争末期の沖縄戦の際、沖縄県民が日本軍により強制的に集団自決させられたという記述すべてに検定意見が付き、出版社がそれぞれ内容を書き換えたのだそうです。私はその辺りをどう習ったか、日本史を選択していたというのに実はあまり記憶しておらず、ひょっとして時間切れでそこまで授業が進まなかったのではないか、などと疑いつつ、やっていたとしたら多分集団自決強要説で習ったような気もいたします。何せ当時は今ならオタクと呼ばれるだろう海軍カブレでしたから、旧帝国海軍は紳士的で理性的、対する陸軍は能無し頑固な精神主義者で、そんな暴挙もやりかねない、と信じていたに違いないと思います。今にして思えば、それもまた当時を知らない者の思い込み、というべきもので、海軍は言うほど理性的でもなかったようですし、陸軍も単純というわけでもなかったようですが、ただ、歴史というのは科学などよりもはるかに判りにくく、真実が見えてこないもので、そもそも客観的な事実、なるものが歴史にあるのか? というのも常々疑問に思うところでもあるのです。同じ一つの出来事でも、立場や見方でその評価は全然異なってきますし、その出来事自体が本当にあったことなのか、それとも憶測や捏造の類なのか、あったとしてその起こった事件の規模はどれくらいなのか、などなどが、かなり不分明なまま、なんとなくあったような認識がなされているように感じられるのです。もちろん大きな流れとしては、たとえば大東亜戦争が6、70年前にあって、アメリカやイギリスといった国々と日本が戦争した、という事実は間違いなくあるのですが、更に詳しい中身を見ていくと、まさに「藪の中」としか言いようの無い話が出てきたりして、正しい認識が困難になってきます。歴史というのは人の営みの積み重ねそのものであり、そのヒト自身が、己の主観世界の中でしか物事を見ることが出来ない以上、「藪の中」になるのは当然でもあります。このニュースをもって「歴史を歪曲する」云々という意見もまた多々出るのでしょうけど、歴史なんてのは語るヒトの主観によって必ず歪曲されるもの。その上、当時の人々がおかれていた環境、考え方、リアルタイムに感じていた気持ち、それによって惹起された行動などなどを、今の我々が理解したり、ましてやその是非を判断する、なんてのは不可能でしょう。そんなあやふやなものを教える、というのもどうかと思うのですが、奈良時代と平安時代の区別が付かなかったり、12月8日や9月2日が何の日かわからなかったりするのだけは無いようにしてもらえたら、と思います。

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