ガラス窓一枚を隔てた向こう側は、時折奇怪に風景がゆがむ、一種の地獄だった。
殺人光線と形容しうる灼熱の太陽が、アスファルトや白い機体に容赦なく降り注ぎ、大口径のエンジンが、熱い吐息をそこここで大量に吐き出している。
気象庁発表の予想最高気温は33度C。だが、まだ午前九時だというのに、数センチ向こう側の世界は、体感温度なら50度C近いかも知れなかった。
鬼童海丸は、イタリアの名匠レンゾ・ピアノが設計したという建物の一角で、一人テーブルに付いてアイスコーヒーを味わっていた。
もうすぐそのイタリアのミラノ空港から、遠路12時間25分をかけて一機のジャンボジェットが到着する。その機に乗り込んでいるはずの友人達を迎えるため、鬼童ははるばる東京から、ここ大阪泉州沖合5キロに生まれた面積510ヘクタールの人工島、関西国際空港にやって来たのである。もっともこちらは、羽田空港を飛び立ってから一時間足らずでここに降り立ち、こうしてゆっくり暇つぶしに外を眺めているのだが。
そうしているうちに、また一機、鬼童の視界に巨大な翼が降り立ってきた。その豪快な躍動感溢れる光景に、しばし鬼童は目を奪われる。頭の端に、離着陸時の航空機が一番不安定で危ない、という、あまり健全とは言えない思いがよぎっていくが、それは別として、科学技術文明の象徴とも言うべきその姿が鬼童は好きだった。人に言えば子供っぽいと思われるかも知れないが、こうして少し早めに来て見晴らしのいいところから飽かず眺めているのも、鬼童の心の片隅に宿るそんな少年が望んだことであった。
しばらくしておもむろに腕時計を見た鬼童は、そろそろ降りてくる頃合いだが、と窓から見える限りの青空を見上げた。さっき確認したフライト状況を見る限り、JL5555便は定刻通り運行しているはずだ。到着予定時刻は9時15分。過密な空域と言うだけあって、見上げる視界にはぽつぽつと旋回するジェット旅客機の姿が写る。長大な主翼の下に四基のエンジンを誇らしげに吊す巨大機があれば、鬼童も乗ってきたエンジン二基だけのエアバス、機体末端に両側から挟み込むようにエンジンが付いている機体など、遠目でも色々な機体が乱舞している。ひょっとしてあれかな? と思うものもあるが、遠く音もなく飛ぶシルエットだけで、それが目的の便かどうかまでは、さすがの鬼童でも判別できなかった。
(そろそろ到着ゲートに行くか)
鬼童はテーブルの端で申し訳なさそうに鎮座する請求書を手にすると、背広の内ポケットから財布を取りだして立ち上がった。
ここ関西空港で優美な外観を見せる旅客ターミナルビルは、機能性という点でもなかなか洗練された美しさを醸し出している。国際線と国内線の乗り継ぎも、92台設置されたエレベーターや、88台が稼働するエスカレーターを使って上下に移動するだけで簡単にできるのだ。鬼童はそのうちの下りエスカレーター一基に乗って、すっと一階へと下りていった。国際線の到着口は一階にある。巨大な温室のような、ガラス張りの天井が見える吹き抜けの下を進みながら、フライト状況を表示する電光掲示板に視線を送る。大丈夫だ、予定通り定刻に飛行機が到着している。鬼童はゲート前で待ちかまえる大勢の出迎え客の一人となって、ゲートと反対側の壁にそっともたれかかった。
待つこと五分。重々しく閉ざされていたゲートが以外な軽さで開き、その向こうから、大きな荷物を手に色とりどりの衣装に身を包む人々が吐き出されてきた。
鬼童はその幸せそうな笑顔で満たされた老若男女の顔を眺めながら、ふと、かなわなかった逢瀬の無念を思い起こした。本当はこの場に、大事な人と二人で立っている予定だったのだ。それが急な所用で相手の到着が遅れ、鬼童は一人出迎えることになってしまったのだった。
鬼童は人知れず小さな溜息をつくと、落ち込みかけた気を引き上げた。
今日はこれからまだいくらでもチャンスはある。どこにいるかは判らないが、恐らくこの関西にはライバルの円光はいないだろう。それに意中の人だって、いくらエスコート役を頼んだからと言って、24時間お客様に付きっきりと言うこともあるまい。大阪で開かれるバイオテクニクス学会が閉幕するまで、自分達にはいくらでも二人きりになる機会が巡ってくるはずなのだ。
思わずほくそ笑んだ鬼童の目に、数カ月ぶりに見る親友の姿が映った。ややおさまりの悪いウェーブのかかった栗色の髪の下で、太枠のメガネが輝いて見える。
その分厚いレンズの向こうにある青い目が、鬼童の姿を捉えて明るくきらめいてみせた。
殺人光線と形容しうる灼熱の太陽が、アスファルトや白い機体に容赦なく降り注ぎ、大口径のエンジンが、熱い吐息をそこここで大量に吐き出している。
気象庁発表の予想最高気温は33度C。だが、まだ午前九時だというのに、数センチ向こう側の世界は、体感温度なら50度C近いかも知れなかった。
鬼童海丸は、イタリアの名匠レンゾ・ピアノが設計したという建物の一角で、一人テーブルに付いてアイスコーヒーを味わっていた。
もうすぐそのイタリアのミラノ空港から、遠路12時間25分をかけて一機のジャンボジェットが到着する。その機に乗り込んでいるはずの友人達を迎えるため、鬼童ははるばる東京から、ここ大阪泉州沖合5キロに生まれた面積510ヘクタールの人工島、関西国際空港にやって来たのである。もっともこちらは、羽田空港を飛び立ってから一時間足らずでここに降り立ち、こうしてゆっくり暇つぶしに外を眺めているのだが。
そうしているうちに、また一機、鬼童の視界に巨大な翼が降り立ってきた。その豪快な躍動感溢れる光景に、しばし鬼童は目を奪われる。頭の端に、離着陸時の航空機が一番不安定で危ない、という、あまり健全とは言えない思いがよぎっていくが、それは別として、科学技術文明の象徴とも言うべきその姿が鬼童は好きだった。人に言えば子供っぽいと思われるかも知れないが、こうして少し早めに来て見晴らしのいいところから飽かず眺めているのも、鬼童の心の片隅に宿るそんな少年が望んだことであった。
しばらくしておもむろに腕時計を見た鬼童は、そろそろ降りてくる頃合いだが、と窓から見える限りの青空を見上げた。さっき確認したフライト状況を見る限り、JL5555便は定刻通り運行しているはずだ。到着予定時刻は9時15分。過密な空域と言うだけあって、見上げる視界にはぽつぽつと旋回するジェット旅客機の姿が写る。長大な主翼の下に四基のエンジンを誇らしげに吊す巨大機があれば、鬼童も乗ってきたエンジン二基だけのエアバス、機体末端に両側から挟み込むようにエンジンが付いている機体など、遠目でも色々な機体が乱舞している。ひょっとしてあれかな? と思うものもあるが、遠く音もなく飛ぶシルエットだけで、それが目的の便かどうかまでは、さすがの鬼童でも判別できなかった。
(そろそろ到着ゲートに行くか)
鬼童はテーブルの端で申し訳なさそうに鎮座する請求書を手にすると、背広の内ポケットから財布を取りだして立ち上がった。
ここ関西空港で優美な外観を見せる旅客ターミナルビルは、機能性という点でもなかなか洗練された美しさを醸し出している。国際線と国内線の乗り継ぎも、92台設置されたエレベーターや、88台が稼働するエスカレーターを使って上下に移動するだけで簡単にできるのだ。鬼童はそのうちの下りエスカレーター一基に乗って、すっと一階へと下りていった。国際線の到着口は一階にある。巨大な温室のような、ガラス張りの天井が見える吹き抜けの下を進みながら、フライト状況を表示する電光掲示板に視線を送る。大丈夫だ、予定通り定刻に飛行機が到着している。鬼童はゲート前で待ちかまえる大勢の出迎え客の一人となって、ゲートと反対側の壁にそっともたれかかった。
待つこと五分。重々しく閉ざされていたゲートが以外な軽さで開き、その向こうから、大きな荷物を手に色とりどりの衣装に身を包む人々が吐き出されてきた。
鬼童はその幸せそうな笑顔で満たされた老若男女の顔を眺めながら、ふと、かなわなかった逢瀬の無念を思い起こした。本当はこの場に、大事な人と二人で立っている予定だったのだ。それが急な所用で相手の到着が遅れ、鬼童は一人出迎えることになってしまったのだった。
鬼童は人知れず小さな溜息をつくと、落ち込みかけた気を引き上げた。
今日はこれからまだいくらでもチャンスはある。どこにいるかは判らないが、恐らくこの関西にはライバルの円光はいないだろう。それに意中の人だって、いくらエスコート役を頼んだからと言って、24時間お客様に付きっきりと言うこともあるまい。大阪で開かれるバイオテクニクス学会が閉幕するまで、自分達にはいくらでも二人きりになる機会が巡ってくるはずなのだ。
思わずほくそ笑んだ鬼童の目に、数カ月ぶりに見る親友の姿が映った。ややおさまりの悪いウェーブのかかった栗色の髪の下で、太枠のメガネが輝いて見える。
その分厚いレンズの向こうにある青い目が、鬼童の姿を捉えて明るくきらめいてみせた。