「鬼童!」
鬼童も軽く手を挙げて、背中を壁から離した。
「やあ、ヴィクター! 遠路はるばるようこそ・・・」
小走りに歩み寄り、握手の右手を差し出そうとした鬼童の動きが、ふと止まった。ヴィクターの傍らに寄り添うようにしてやってくる、可愛らしい姿が目に入ったからである。
「グーテンタッグ、フロイライン」
「こんにちわ、鬼童さん」
金髪をパステルグリーンのリボンでツインテールにまとめた頭が、ちょこんと鬼童にお辞儀した。夏らしく、ノースリーブの白のブラウスに同色の薄いカーディガンを羽織り、膝まで隠れるモノトーンの花柄スカートの前に両手を揃え、小さなバックを提げている。鬼童はやや虚を突かれて、そのきれいに渦を巻くつむじに目を見張った。
「こ、こんにちわ、フロイライン・ケンプ。驚いたな、何時の間に日本語を勉強したんだい?」
再び顔を上げた少女は、辺りがぱっと華やぐような笑顔をほころばせて、鬼童に言った。
「日本に行くと決まってから、一所懸命頑張りました」
よどみない流暢な言葉が、その可憐な唇から流れ出す。横でにこにこしていたヴィクターが口を添えた。
「麗夢さんと日本語でお話しするんだって張り切ってね。三ヶ月ほどで大体の会話が出来るようになったよ」
「それは凄いな、フロイライン・・・」
「私のことは、シェリーって呼んで下さい。鬼童さん」
「わ、判った、シェリーちゃん」
にっこりとしたあどけない笑顔に、鬼童は素直に感服した。確か年は10か11のはずだ。その幼さでもう欧州の言葉とこの極東の小難しい言葉を操れるようになるとは、これは一種の天才かも知れない。
「もちろん、ただ努力しただけでもないんだけどね」
悪戯っぽく笑うヴィクターに、鬼童はあることを思い出した。フランケンシュタイン公国から日本に帰国する直前、鬼童は目の前の少女の目の手術に立ち会っている。その時、執刀責任者のヴィクターが、細胞分裂によって生まれた本来のタンパク構造以外のものを、少女の身体に埋め込んだのを見ていたのだ。それは、極小のシリコンチップだった。1才の時に事故で失明したシェリーの視神経を復活させるため、ヴィクターが自身の研究成果を、その眠れる神経叢に応用したのである。
「そのチップの空き容量を使って、一種の翻訳辞書を彼女の記憶にマッチングさせたんだ。彼女本来の才能とも相まって飛躍的に学習が進み、今では日本語やドイツ語を初め、七カ国語で日常会話をこなせるまでになったよ」
それは、人工生命体デルタやジュリアンで既に確立した技術でもある。鬼童は素直に感心して、ヴィクターに言った。
「そうか、さすがだなヴィクター。今から君の発表が楽しみになってきたよ」
「ハハハ、それは明後日までのお楽しみさ。それよりも・・・」
ヴィクターはきょろきょろと辺りを見回した。
「鬼童、麗夢さんは?」
そうか、二人はまだ知らないんだった。
鬼童はさっきまでの妄想を思いおこし、わずかに耳を赤く染めた。
「ああ、麗夢さんは、ちょっと抜けられない用事があって到着が遅れているんだ。午後には合流できるはずだから、それまでは僕が案内するよ。まずはホテルに行こうか?」
「えーっ、折角麗夢さんも驚かせてあげようと思ったのに・・・」
軽く落胆するシェリーの肩をぽんぽんと叩きながら、ヴィクターは鬼童に言った。
「麗夢さんがまだなら仕方ないな。じゃあ鬼童、早速で済まないんだが、行きたいところがあるんだが」
「え? 荷物は大丈夫かい?」
「かさばるものは航空便でホテルに送りつけてあるし、日本なら大抵のものは買えるだろう?」
そう言えば、二人の荷物は本当に手提げバック一つづつという軽装だった。
「行きたいところは判っているよ。でもシェリーちゃんは?」
「あたしは大丈夫です。麗夢さんが来てくれるまで、大人しくしています」
再びシェリーは明るい笑顔で鬼童に返した。
「仕方ないな。じゃあ車を用意してあるから」
鬼童は先頭に立って、長旅の疲れも見せない二人を、駐車場へと案内していった。
鬼童も軽く手を挙げて、背中を壁から離した。
「やあ、ヴィクター! 遠路はるばるようこそ・・・」
小走りに歩み寄り、握手の右手を差し出そうとした鬼童の動きが、ふと止まった。ヴィクターの傍らに寄り添うようにしてやってくる、可愛らしい姿が目に入ったからである。
「グーテンタッグ、フロイライン」
「こんにちわ、鬼童さん」
金髪をパステルグリーンのリボンでツインテールにまとめた頭が、ちょこんと鬼童にお辞儀した。夏らしく、ノースリーブの白のブラウスに同色の薄いカーディガンを羽織り、膝まで隠れるモノトーンの花柄スカートの前に両手を揃え、小さなバックを提げている。鬼童はやや虚を突かれて、そのきれいに渦を巻くつむじに目を見張った。
「こ、こんにちわ、フロイライン・ケンプ。驚いたな、何時の間に日本語を勉強したんだい?」
再び顔を上げた少女は、辺りがぱっと華やぐような笑顔をほころばせて、鬼童に言った。
「日本に行くと決まってから、一所懸命頑張りました」
よどみない流暢な言葉が、その可憐な唇から流れ出す。横でにこにこしていたヴィクターが口を添えた。
「麗夢さんと日本語でお話しするんだって張り切ってね。三ヶ月ほどで大体の会話が出来るようになったよ」
「それは凄いな、フロイライン・・・」
「私のことは、シェリーって呼んで下さい。鬼童さん」
「わ、判った、シェリーちゃん」
にっこりとしたあどけない笑顔に、鬼童は素直に感服した。確か年は10か11のはずだ。その幼さでもう欧州の言葉とこの極東の小難しい言葉を操れるようになるとは、これは一種の天才かも知れない。
「もちろん、ただ努力しただけでもないんだけどね」
悪戯っぽく笑うヴィクターに、鬼童はあることを思い出した。フランケンシュタイン公国から日本に帰国する直前、鬼童は目の前の少女の目の手術に立ち会っている。その時、執刀責任者のヴィクターが、細胞分裂によって生まれた本来のタンパク構造以外のものを、少女の身体に埋め込んだのを見ていたのだ。それは、極小のシリコンチップだった。1才の時に事故で失明したシェリーの視神経を復活させるため、ヴィクターが自身の研究成果を、その眠れる神経叢に応用したのである。
「そのチップの空き容量を使って、一種の翻訳辞書を彼女の記憶にマッチングさせたんだ。彼女本来の才能とも相まって飛躍的に学習が進み、今では日本語やドイツ語を初め、七カ国語で日常会話をこなせるまでになったよ」
それは、人工生命体デルタやジュリアンで既に確立した技術でもある。鬼童は素直に感心して、ヴィクターに言った。
「そうか、さすがだなヴィクター。今から君の発表が楽しみになってきたよ」
「ハハハ、それは明後日までのお楽しみさ。それよりも・・・」
ヴィクターはきょろきょろと辺りを見回した。
「鬼童、麗夢さんは?」
そうか、二人はまだ知らないんだった。
鬼童はさっきまでの妄想を思いおこし、わずかに耳を赤く染めた。
「ああ、麗夢さんは、ちょっと抜けられない用事があって到着が遅れているんだ。午後には合流できるはずだから、それまでは僕が案内するよ。まずはホテルに行こうか?」
「えーっ、折角麗夢さんも驚かせてあげようと思ったのに・・・」
軽く落胆するシェリーの肩をぽんぽんと叩きながら、ヴィクターは鬼童に言った。
「麗夢さんがまだなら仕方ないな。じゃあ鬼童、早速で済まないんだが、行きたいところがあるんだが」
「え? 荷物は大丈夫かい?」
「かさばるものは航空便でホテルに送りつけてあるし、日本なら大抵のものは買えるだろう?」
そう言えば、二人の荷物は本当に手提げバック一つづつという軽装だった。
「行きたいところは判っているよ。でもシェリーちゃんは?」
「あたしは大丈夫です。麗夢さんが来てくれるまで、大人しくしています」
再びシェリーは明るい笑顔で鬼童に返した。
「仕方ないな。じゃあ車を用意してあるから」
鬼童は先頭に立って、長旅の疲れも見せない二人を、駐車場へと案内していった。