かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

入院した父を見舞って、その実年齢と私の感覚のギャップに妙に戸惑いました。

2009-02-16 21:59:24 | Weblog
 昨日は手術した父親を見舞うため、実家近くの総合病院まで行っておりましたので、朝早々に小説のアップだけして、ブログは書きませんでした。まあ命に別状ある病気でもないですし、本人は至ってぴんぴんしていたわけですが、もうそれなりに年でもありますし、たまには親孝行の一つもしておかないと、と思い立ったのでした。
 私も大概年が嵩んできておりますし、親が年寄り年寄りしてくるのはいかんともしがたいのですが、それでも、子供の時分に身罷った祖父に比べたら、父は年齢の割に元気で若々しく見えます。年齢的には、当時の祖父と変わらない年になってきているはずなのですが、私が子供の目からいっぱしの中年の目に変わってきている分を割り引いても、やはり若く見えるのは確かな気がします。
 祖父は江戸時代末期に生まれ、長じて満州に渡りロシア語と中国語と薩摩弁を自在に操るという驚異的な語学力で一財を成し、運良くシベリアにも連れて行かれずに帰国した後は、郷里の鹿児島で漁師をしていたというなかなかに波乱万丈の生涯を送った傑物ですが、その晩年は、郷里でイカやキス釣りを教えてもらったり、ナイフで鉛筆を削る方法を伝授してもらったりしたどこにでもいそうな孫に優しい爺様でした。その祖父が亡くなったときは子供心ながらずいぶんと寂寥の感を強くしたものでしたが、父親が祖父と同じ年頃になっている、という事実が、なんとも不思議な感覚を覚えさせてくれるのです。
 あと十年もしたらひょっとしたら父も鬼籍に入るかもしれないという年頃な訳ですが、手術してなお意気軒昂なその姿を見ていると、どうもそういう客観的観察というものが説得力に欠ける現実感のない話に思えてしまって、まるで夢の中のような妙な感じがいつまでもぬぐえませんでした。
 
 そうこういううちに、順調に行けばあとン十年のうちに自分もまたその後を追うことになるはずなのですが、自分が祖父のような大往生を遂げることができるのか、ちと考えてしまいます。もっとも、子供心にそう感じただけで、祖父の最期の想いのほどは結局は理解の及ぶ話ではなく、見た目通りの大往生だったかどうかは永遠に不明なのですが。それともやはり死後の世界というものが実在して、そこで疑問を解く時が訪れたりするのでしょうか? 科学者としての心はそのことをあっさり否定してしまうのですが、八百万神をどこかで感じているような私の魂は、むげにそのことを否定できないでいるのです。
 昨日は父親の入院する姿を見て、そんな雑駁な思いに揺られながら帰ってきたのでした。
 そんなこんなで少々考え込みすぎて、案の定今日は寝不足で困りましたとさ(笑)。


コメント
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