「ど、どうして私をそんなにかまうんです……」
私は涙目のまま、まだ網に歯を立てているお姉さまに問いかけた。
「私は! 貴女と出会ってやっと私に欠けているものがなんなのか、判りかけてきたのよ!」
「だから、私を取り込もうと?」
「違う! なぜだかまだ判んないけど、貴女の存在がここで消えてしまうことが、私には許せないの! 貴女が貴女であること自体が、私にはとっても大事な事なのよ! 貴女の今のデータをぜーんぶ私のものにしても、貴女を理解したことには多分ならない。だって、そうしたら貴女には未来がなくなってしまうもの。私は、これからもずっとずっと未来まで、一緒に色んなお話をして、一緒に色々なことを体験したい。もっと色々なことを教えて欲しいし、私も教えて上げられるものは教えて上げたい。いいこと? 色々言ったけど、結局私は貴女が大好きなの! 貴女と一緒にいたいのよ! だから、ここで諦めるわけにはいかないのっ!」
クスリ。
何故か私は、危機一髪な事態も忘れて、思わず微笑んでいた。お姉さまの言うことは随分自分勝手だけれど、その言葉はうれしくもあり、恥ずかしくもあり、でもやっぱりうれしさの方が大きくて、私の顔は自然にほころんだのだ。そう。一日振り回されっぱなしだったけど、最後は喧嘩しちゃったけど、それでも確かに楽しかった。この人の側にいると私の心まで華やいでくる。色んな人と出会ったけれど、こんなに心地よい明るさは私には初めてだった。この人が私を必要としてくれるように、私にもきっとこの人が必要なのだろう。
「何がおかしいのよ?」
むくれた顔が少し赤くなっているのがけっこう可愛らしい。私はにっこり微笑んで、お姉さまに頭を下げた。
「ごめんなさい。でも良かった。お姉さまが命の大切さを判らない人じゃなくて」
「今でも判らないわよ。公園で言ったことは私の今の本心」
「え?」
「でも、これから学ぶのよ。きっとそこに、私の捜し物があるはずだから」
「うん。私もそう思う」
「じゃあ、諦めないで!」
「うん!」
私は大きく頷きながらも、実はお姉さまはもう気づきはじめたんだと思った。私だってまだ子供だし判らないことだらけだけど、きっと命というのは、未来を感じるためのただ一つのパスポートなのだろう。生きている限り、私達は否応でも色んな事を見聞きし、体験し続けることが出来る。その積み重ねが命の重みになるに違いない。
……ただ問題は、その重みをものともせずに刈り取ろうとする化け物が、今すぐそこに迫っていることなんだけど……。
無言・無表情にひたすら綱引きを演じていた化け物少女が、ぐいと一段と力を込めて引いた。私達は必死に踏ん張ったが、もう堪える余力もない。私達はあっという間に引き寄せられた。
「シェリーちゃん!」
「お姉さま!」
私達は互いを呼び合いながら、一直線に化け物に向かって飛び、今度こそ駄目だ、と思ったその時。
青白い光が目の前を遮った、と思う間もなく、私の身体がオレンジの塊に捉えられ、いきなり横っ飛びに飛ぶ方向が変化した。呆気にとられた私の身体が、ゆっくりと床に降ろされる。網がはらりと身体から解け、私は自由の身になった。
「あ、あぁっ」
私は驚きの余り声が出なかった。腰まで届く碧の黒髪、あどけなさが残るのに、時々すごい年寄りのような英知が宿る端正な顔。ひさしぶりに見るそのお顔は、全く代わらない笑顔で私を見下ろしていた。
「間一髪だったわね、シェリーちゃん」
「はぁっ、まさか貴女に助けられるなんてね、麗夢ちゃん」
隣で足を投げ出し、絡みついたロープをほどきながらお姉さまが溜息をついている。
「私こそ、貴女を助けることになるなんて思いもよらなかったわ。でもありがとう。貴女がシェリーちゃんを守ってくれなかったら、きっと間に合わなかった」
「ふん! 当たり前でしょ」
ぷいと向こうを向いたお姉さまに、麗夢さんは軽く微笑んで手を差し出してくれた。
「ありがとう」
私は遠慮なく手を出したとき、初めて麗夢さんの格好に気が付いた。ビキニの水着のようなピンクと赤の衣装に、肩と膝だけ赤い硬質のつやつやしたものを付けている。額には青い大きな宝石をはめ込んだ赤いティアラを飾り、手首にも、同じ様な青い宝石入りの赤いブレスレットをはめ、反対の手には、フロイト城の装飾品にあるような、古風な感じのする長い剣を持っている。まるでおとぎ話から飛び出してきたような、女戦士の姿。私が目をぱちくりさせて見つめているのに気が付いたのか、麗夢さんは私に言った。
「あ、これ? これは私の夢の中の戦闘衣装よ。どう? 似合うでしょう」
立ち上がった私の前で、麗夢さんは片手を頭に上げ、モデルのようにポーズを取った。
「グゥワルギャウゥウ」
その隣に、オレンジとグレーの壁がぬっと現れた。よく見ると、人の背丈を優に超える巨大な猫と犬だ。でも、恐ろしげな顔の割に、恐怖は覚えなかった。何となくその雰囲気を知っている気がしたからである。
「あらあら、アルファ、ベータもシェリーちゃんと会えてうれしいんですって」
「ア、アルファにベータ?!」
私は今度こそ仰天してその巨体を見上げた。でも二人の身体って、私でも掌に載せられそうなくらい小さくなかったっけ。
「夢の中ではね、悪い奴をやっつけるためにこの子達はとっても大きくて強くなれるのよ」
にっこり笑った麗夢さんは、ようやく衝撃から立ち直った化け物に振り返って口調を改めた。
「さあ、いい加減この悪夢から目覚めてもらうわよ、佐緒里さん」
「またしても邪魔するのか、麗夢!」
「貴女が人を傷つけたり、人の夢を奪おうとする限り、私は何度でも貴女の前に立ちはだかるわ。覚悟なさい!」
「覚悟するのはお前の方だ。今度こそ障碍は排除する」
「ふふっ、そううまくいくかしらね」
「完璧だ。失敗はない」
化け物のその言葉が合図だった。さっき化け物が現れた背後の扉がまた開き、そこから、恐ろしい魔物が次々と吐き出されてきたのである。
「ここで勝つ必要はないのだ。ただお前を足止めすれば、私の勝利は確定する」
「物事は、そう計算通りには行かないって事、教えて上げるわ!」
麗夢さんはそう言いきると、思い切り剣を振りかざした。途端に剣がまばゆく光り輝いた。力をためたアルファ、ベータが飛びかかっていく中、麗夢さんも光り輝く剣を手に、目の前の化け物達に突っ込んでいった。