今日は所用で枚方の実家に帰りました。父が携帯を新しくしたのですが、どうも使い方が判らずに難儀していたので、それを何とかするために出向いたのです。結局、設定が簡単モードになっていて、直したい部分が省略されていたので、とりあえず簡単設定を解除し、いくつか設定を直して、元の簡単モードに戻して、解決、とは相成りました。父はもともと東大阪至近の町工場で長年旋盤一筋に鍛え上げてきた技術者で、新しいものに目が無く、安月給にもかかわらず、テレビなども近所で一番最初に買ってきたりというような性格を持った御仁ですが、その父にしても、最近のテレビやビデオ、携帯やデジカメなどの操作には戸惑うことの方が多いようで、うまく思うように動かなくなったり異常をきたした時は、私が出張ってそれを修復したり操作を教えたりするようになっています。もちろん私もさわったことも無い携帯の操作などわかるわけも無いのですが、マニュアルを見て当該の機能を探してその通りに操作するくらいは出来ますので、何とか父の要望をこなすことが出来ています。つまり父もマニュアルを読めば何とかなるとは思うのですが、今の携帯のマニュアルは分厚くて字も小さくて必要な機能を探し出すにもいまいち使いにくいところがあり、このままこれを、父に読め、というのはかなり無理なところがあります。携帯の機能がそれだけ増えてしまったのだからしょうがないところもあるのでしょうが、父のようなかつての技術者すら戸惑わせるような代物は、技術者ではない仕事をしてきたヒトなどには、もっとまごつかせる代物になっているのではないでしょうか。それこそもっともっと必要な機能を絞って、お年寄りにも使いやすいものになればよいと思うのです。かつてはそういう方向性の商品もあったように記憶してますが、もう今はそういうのは出ていないのでしょうか。
一方、私は現時点でPCもデジカメも携帯もそれなりに使うことが出来ており、その操作に戸惑う、ということはあまりありません。父が旋盤に対して理解していたほどにそれら機器類を理解し、使いこなしているかというと少々心もとないですが、まあ無難に使うくらいのことは出来ていると思っています。そんな私は、たとえば30年後の、現在のデジタル機器類の進化形を手にしたときに、今の父が携帯などに感じている戸惑いと同じ状況に陥るのか、はたまたそれなりに使いこなすことが出来るのか、少し考えさせられるものがあります。現に今でも、たとえばネットで、私はブログやメールはそれなりに使いこなし、ホームページも一応は作ることが出来ますが、一方でSNSとかRSSとかTwitterとかはほとんど利用出来ていませんし、その価値や存在意義なども理解もできていません。そういう意味では既に周回遅れになりつつあるのかもしれないわけで、それがだんだん積み重なってくれば、いずれそのうち、ネットとは複雑怪奇な代物なり、と溜息をつく日が来無いとも限らないわけです。といって今更それらを理解しようとか使ってみようとかして、少しでも追いつこうとする意欲は全くもってないのです。私はなるだけ未来の科学技術の進歩を観てみたいと思っておりますが、自分の身近な部分で既についていけなくなっているのだとしたら、そんな未来の科学技術は全く理解の及ばない魔法同然のものになって、観てもしようがないものになっていたりすると哀しいんじゃないか、と想像してしまいました。願わくば未来の技術はもっとお年寄りに優しい形に進化してくれておりますように。
一方、私は現時点でPCもデジカメも携帯もそれなりに使うことが出来ており、その操作に戸惑う、ということはあまりありません。父が旋盤に対して理解していたほどにそれら機器類を理解し、使いこなしているかというと少々心もとないですが、まあ無難に使うくらいのことは出来ていると思っています。そんな私は、たとえば30年後の、現在のデジタル機器類の進化形を手にしたときに、今の父が携帯などに感じている戸惑いと同じ状況に陥るのか、はたまたそれなりに使いこなすことが出来るのか、少し考えさせられるものがあります。現に今でも、たとえばネットで、私はブログやメールはそれなりに使いこなし、ホームページも一応は作ることが出来ますが、一方でSNSとかRSSとかTwitterとかはほとんど利用出来ていませんし、その価値や存在意義なども理解もできていません。そういう意味では既に周回遅れになりつつあるのかもしれないわけで、それがだんだん積み重なってくれば、いずれそのうち、ネットとは複雑怪奇な代物なり、と溜息をつく日が来無いとも限らないわけです。といって今更それらを理解しようとか使ってみようとかして、少しでも追いつこうとする意欲は全くもってないのです。私はなるだけ未来の科学技術の進歩を観てみたいと思っておりますが、自分の身近な部分で既についていけなくなっているのだとしたら、そんな未来の科学技術は全く理解の及ばない魔法同然のものになって、観てもしようがないものになっていたりすると哀しいんじゃないか、と想像してしまいました。願わくば未来の技術はもっとお年寄りに優しい形に進化してくれておりますように。