昨日は素晴らしい夕立で過ごしやすい夜になりましたが、今日はまた安定した熱い日差しに曝され、大変な一日になりました。ウェザーニューズの数日前の週間予報では、昨日が暑さのピークで日曜からは少し気温が下がるという話だったのに、今見ると明日がピークになっており、少しずつ後へ後へとズレこんで行くという、なんとも観ている者の士気を挫く朝令暮改ぶりを見せてくれてますが、気象庁の方はどうも火曜日くらいまでは暑さが続くような予報をしているので、ウェザーニューズの方も明日には更に1日猛暑日を延長するかもしれません。所詮は天気予報、当たるも外れるもその時次第な不完全なものなのですから、あまり当てにして一喜一憂して神経をすり減らすのはあまりに馬鹿馬鹿しい話です。
さて、長崎に原子爆弾が投下されて70年。先日の広島の分も合わせ、色々とマスコミでも特集が組まれているようですが、私個人としては、原爆だからといっても所詮威力のでかいただの爆弾以上のものではない単なる兵器の一つで、なんら特別なものではなく、何故に原爆というだけでこうも大騒ぎしなければならないのか、というのが疑問だったりします。何百機も連ねて1t爆弾や焼夷弾の雨を降らせればほぼ同じ被害をもたらしうる訳で、放射線については若干後を引く影響はあるものの、今や広島も長崎も普通に何万人もの人が住まって問題のない土地になっています。むしろ問題なのは兵隊さんではない民間人が原爆や空襲で多数殺戮されたという事であって、しかもそれが、南京のようにいい加減な数字が乱舞する史実かどうかすら怪しげなものではなく、それこそ一人一人の名簿すら揃えられそうなくらい、はっきりした人数でその被害が確認できる事が、一番衝撃的な歴史的事実ではないでしょうか。そのような事態に至るまで戦争をやめられなかった時の政権や軍部は大いに非難を受けるべきだろうと思いますが、適当な理由をつけてこの民間人の虐殺を「自分たちは正しかった」と強弁するような輩に対しては、日本国としていつの日かきっちり「それでいいのか?」とその正義に疑問を投げかけられる日が来て欲しいものだと思います。
それにしても、一体いつまで「戦後」を続けるんでしょうね。確かに大東亜戦争は日本の社会そのものを大きく変えた一大転機ではありますが、それを言うなら明治維新だって、社会の転機という意味では大東亜戦争以上のインパクトのある出来事であったでしょう。だからと言って、ご一新後146年、何て言う風には誰も言いません。既に、戦争を指導した層はもちろん、一兵卒として戦場を駆けた人々もほとんど鬼籍に入りつつある今日、もういい加減「戦後」だからと特別な扱いをするのはやめたらどうでしょう。安部総理の70年談話とやらがそのきっかけとなり、例えば大学などで堂々と軍事を学んだり研究したりすることができるような社会になってくれれば、と切に願います。
さて、長崎に原子爆弾が投下されて70年。先日の広島の分も合わせ、色々とマスコミでも特集が組まれているようですが、私個人としては、原爆だからといっても所詮威力のでかいただの爆弾以上のものではない単なる兵器の一つで、なんら特別なものではなく、何故に原爆というだけでこうも大騒ぎしなければならないのか、というのが疑問だったりします。何百機も連ねて1t爆弾や焼夷弾の雨を降らせればほぼ同じ被害をもたらしうる訳で、放射線については若干後を引く影響はあるものの、今や広島も長崎も普通に何万人もの人が住まって問題のない土地になっています。むしろ問題なのは兵隊さんではない民間人が原爆や空襲で多数殺戮されたという事であって、しかもそれが、南京のようにいい加減な数字が乱舞する史実かどうかすら怪しげなものではなく、それこそ一人一人の名簿すら揃えられそうなくらい、はっきりした人数でその被害が確認できる事が、一番衝撃的な歴史的事実ではないでしょうか。そのような事態に至るまで戦争をやめられなかった時の政権や軍部は大いに非難を受けるべきだろうと思いますが、適当な理由をつけてこの民間人の虐殺を「自分たちは正しかった」と強弁するような輩に対しては、日本国としていつの日かきっちり「それでいいのか?」とその正義に疑問を投げかけられる日が来て欲しいものだと思います。
それにしても、一体いつまで「戦後」を続けるんでしょうね。確かに大東亜戦争は日本の社会そのものを大きく変えた一大転機ではありますが、それを言うなら明治維新だって、社会の転機という意味では大東亜戦争以上のインパクトのある出来事であったでしょう。だからと言って、ご一新後146年、何て言う風には誰も言いません。既に、戦争を指導した層はもちろん、一兵卒として戦場を駆けた人々もほとんど鬼籍に入りつつある今日、もういい加減「戦後」だからと特別な扱いをするのはやめたらどうでしょう。安部総理の70年談話とやらがそのきっかけとなり、例えば大学などで堂々と軍事を学んだり研究したりすることができるような社会になってくれれば、と切に願います。