かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

東京五輪、もうお祓いでもされてはいかがでしょう?

2016-03-04 21:03:21 | Weblog
 東京2日目。仕事は本郷の大学でとあるシンポジウムに参加でした。まあそれも無事終わってやれやれです。これでしばらくは東京に出ることはない、といいたいところですが、多分4月末にまた別件で上京することになるでしょう。今度は少しは時間を工面したいものです。

 さて、すったもんだしたオリンピック会場の新東京国立競技場、今度は、屋根まで木造建築のため、消防法に引っかかって、なんと、聖火台を据えて火を付けられないかもしれない、という話になっているのだそうです。1964年の東京五輪では、旧国立競技場のスタンド上部に聖火台が設置され、通常メイン会場の目立つ高い位置に設置される五輪の象徴というべき聖火台が、このオリンピックにおいて、全然別のところに設置される可能性も取り沙汰されるとは、なんとも一体何をやっているんだろうな、と呆れるよりありません。
 だいたいそんなことは設計前の段階でわかっていることでしょうに、設計者がうっかり忘れてミスしたのか、はたまた当局側が聖火台についてろくに考えておらず、設計の要件として聖火台の設置について注意を促すのを忘れていたのか、原因はどちらかだと思うのですが、いずれにしても最初に一度ケチがつくと、いつまでもそれにたたられると言うのがよく分かる展開になっています。 エンブレムと新競技場、オリンピックを彩る花型の象徴に相次いでケチがつく自体に、もういっそお祓いでもしたらいかがかと思います。ひょっとしてひょっとしたら、オリンピックの年に東京で大震災が発生するため、土地の祖霊や国の御霊がオリンピックの開催を阻止しようと注意を呼びかけようとしているんじゃないか、とか半ば本気で訝ってしまいます。
 まあ結局関係者一同、やる気がいまいちなのではないでしょうか。半世紀前の東京五輪は、全国民を挙げての祭典で、オリンピックだけじゃなくて新幹線の開通や高速道路の整備などインフラ面でも戦後を払拭する新生日本を印象づけるもので目白押しでしたが、今やオリンピックと言っても、一致団結して困難を乗り切ろうと心を震わせるものが果たしてあるのか、疑問に感じます。今更オリンピック返上もできない話でしょうけれど、ここらで凶運を切り離して心機一転しないと、最後の最後までぐたぐたして困ったことになるんじゃないか、と憂えずにはいられません。

コメント
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