かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

厳かに過ごすばかりが鎮魂ではないでしょうに。

2016-03-10 21:05:25 | Weblog
 今日からぐっと冷え込んでくる、と思っていましたが、今日のところはまだ比較的ぬくもりも感じられる一日でした。明日は一段と冷え込み、土曜日が底になる寒気にさらされるようですが、さすがに真冬の寒さと比べるといささか穏やかなものに感じられそうです。残りの灯油もこの辺りで消費し尽くしてしまえば、暖かくなってからどう処分したものか悩まなくて済むでしょう。

 さて、埼玉県吉川市の中学校で、明日11日の給食が卒業お祝い献立という特別メニューで赤飯などが出るそうですが、これについて、大地震のあった3月11日にお祝いなんて非常識だ、と一部の教師が文句を付けて市教委を困惑させているそうです。ある男性教諭は、「献立は3月に学校に配布され、市教委に日にちの変更を求めてもなしのつぶてだった。生徒に説明できない。鎮魂の日で祝う日ではない」と問題視しているのだそうですが、正直申し上げて、うざったいというよりありません。3月11日は確かに未曾有の大惨事だったには違いないですが、地元で大災害があったというのならまだしも、遠く離れた東北であった地震に、一体いつまで「自粛」ムードを錦の御旗のごとく掲げ続けているつもりなのでしょうか? それに、そもそもあれに匹敵する、あるいは凌駕するような大惨事は過去幾つもあったはずです。彼らは、それらについて全て鎮魂を掲げて厳かに一日過ごして居るとでも言うのでしょうか? もしそうなら、多少はその発言にも聞く耳を持つよう考えてみても良いですが、実際は、単に自分達の記憶に新しく、その時に強い衝撃を受けたというだけで、他の大惨事など大した記憶も無ければ調べてもいないことでしょう。それで他人にまで自身のトラウマを押し付けるなど、もはや単なる迷惑行為でしかありません。
 百歩譲って地震災害の怖さを振り返り、犠牲者の鎮魂を祈る日だと言うのに理解を示したとしても、卒業の祝いとはなんの関係もないでしょうし、過去去っていった方々の鎮魂を祈りつつ、新たに旅立つ若者達の行く末を寿いでも何ら矛盾することは無いでしょう。とまれ、色々言おうが所詮たかが給食メニューの話に過ぎません。目くじらを立てるほどの事でもないでしょうし、そんなに赤飯を食べずに鎮魂をしたいのなら、率先して自分だけでおやりになればよろしいのです。

コメント
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