今朝の奈良市の最低気温は11.2℃、最高気温は20.7℃、五條市の今朝の最低気温は8.5℃、最高気温は18.8℃でした。朝から良い天気でしたが、午後は南部で雲が広がりました。ちょうど仕事で五條市に出かけていたので、日差しがあるうちはポカポカ暖かく、日差しが遮られると少し肌寒さを覚えるという、そんな天気でした。
明日は今日の続きで日中は晴れ、夜は空模様が悪化し、明後日は雨となる予報です。その後は少し寒くなります。ますます冬が近づいてくる感がありますね。
さて、本州と四国を結ぶ連絡船、四国急行フェリーの宇高連絡船が、この12月15日を最後に運休の見通しなのだそうな。瀬戸大橋との住み分けができず、長らく業績が低迷し、ついに限界が訪れた模様。瀬戸大橋完成後直ちに廃止されたJRの宇高連絡船や、3社で高松と宇野を結んでいた民間フェリーのうち、唯一残っていた四国急行フェリーが撤退することで、ついに高松ー宇野間の船便が消えてしまうことになります。
私が香川大学生だった頃はまだ瀬戸大橋が建設中で、本四間を渡るには船に頼るしかありませんでした。JRも国鉄時代から片道1時間の旅客船と20分ほどで走るホバークラフトで宇野ー高松間を渡しておりましたが、車は民間のフェリーでした。こちらは運賃が国鉄よりも少しだけ安かったのですが、民間フェリーの港は宇野、高松とも駅から少し離れていました。一方当時の高松駅は、連絡船用の桟橋が駅構内にあって乗り換えしやすく、宇野の方も駅を降りて海に向かえばすぐ船に乗り継ぐことができました。また、それぞれ列車の時刻に合わせて運行されていたこともあってとにかく便利で、私個人はほぼ国鉄だけを利用していました。ただ、ホバークラフトは急行料金が必要で1時間かかる旅客船の倍くらい運賃が必要だったため、結局乗らずじまいでした。今にして思えば、一回くらい乗っておけばよかったと後悔しています。
それはともかく、時代の流れとは言えついに連絡船が消えるというのは残念な話です。12月では最後に一度くらい乗りに行く、という余裕を作ることもできなさそうですし、これもいずれそのうち後悔することになるのかもしれません。
それにしても、瀬戸大橋ができる前は、宇高連絡船だけでなく、高松も色々な船が出入りしていました。例えば加藤汽船の大阪・弁天ふ頭ー高松築港の夜行便は、あちこちよりながら一晩かけて海を渡るもので、寝ている間に移動できるので私も結構重宝しました。また、今も減便されながらも続いている、ジャンボフェリー。東神戸港と東高松港を4時間で結ぶ双胴船の高速フェリーで、確か当時は片道10便以上ありましたが、格安で移動できるのでたまに乗っていました。残念ながら東神戸港は阪神電鉄の青木駅を降りて海側に歩けばすぐにあったのに、東高松が高松駅からたいへん遠いところにあり、公共交通機関もほぼ無いに等しいところだったので、なかなか乗るのが大変な船でした。また4時間というのがちょっと中途半端で、夜便だと寝る時間が足らず、昼便だと時間を持て余す微妙なものがありました。今は地震の後神戸側は港が変わり、一段と便利になる一方、高松側もフェリー会社が連絡バスを駅から走らせているので、随分と使いやすくなりました。便数は随分減ってしまいましたが。
とはいえ、そんなこんなも橋一つで激変するのですから、なんとも切ないものです。
個人的に、移動手段は船が一番好きなので、こうして船便が消えるのはとても残念なものがあります。もう復活はあり得なさそうですが、いつか瀬戸大橋にはない魅力を見出し、ルートを変えてでも再び瀬戸内海を渡って欲しいと思います。
明日は今日の続きで日中は晴れ、夜は空模様が悪化し、明後日は雨となる予報です。その後は少し寒くなります。ますます冬が近づいてくる感がありますね。
さて、本州と四国を結ぶ連絡船、四国急行フェリーの宇高連絡船が、この12月15日を最後に運休の見通しなのだそうな。瀬戸大橋との住み分けができず、長らく業績が低迷し、ついに限界が訪れた模様。瀬戸大橋完成後直ちに廃止されたJRの宇高連絡船や、3社で高松と宇野を結んでいた民間フェリーのうち、唯一残っていた四国急行フェリーが撤退することで、ついに高松ー宇野間の船便が消えてしまうことになります。
私が香川大学生だった頃はまだ瀬戸大橋が建設中で、本四間を渡るには船に頼るしかありませんでした。JRも国鉄時代から片道1時間の旅客船と20分ほどで走るホバークラフトで宇野ー高松間を渡しておりましたが、車は民間のフェリーでした。こちらは運賃が国鉄よりも少しだけ安かったのですが、民間フェリーの港は宇野、高松とも駅から少し離れていました。一方当時の高松駅は、連絡船用の桟橋が駅構内にあって乗り換えしやすく、宇野の方も駅を降りて海に向かえばすぐ船に乗り継ぐことができました。また、それぞれ列車の時刻に合わせて運行されていたこともあってとにかく便利で、私個人はほぼ国鉄だけを利用していました。ただ、ホバークラフトは急行料金が必要で1時間かかる旅客船の倍くらい運賃が必要だったため、結局乗らずじまいでした。今にして思えば、一回くらい乗っておけばよかったと後悔しています。
それはともかく、時代の流れとは言えついに連絡船が消えるというのは残念な話です。12月では最後に一度くらい乗りに行く、という余裕を作ることもできなさそうですし、これもいずれそのうち後悔することになるのかもしれません。
それにしても、瀬戸大橋ができる前は、宇高連絡船だけでなく、高松も色々な船が出入りしていました。例えば加藤汽船の大阪・弁天ふ頭ー高松築港の夜行便は、あちこちよりながら一晩かけて海を渡るもので、寝ている間に移動できるので私も結構重宝しました。また、今も減便されながらも続いている、ジャンボフェリー。東神戸港と東高松港を4時間で結ぶ双胴船の高速フェリーで、確か当時は片道10便以上ありましたが、格安で移動できるのでたまに乗っていました。残念ながら東神戸港は阪神電鉄の青木駅を降りて海側に歩けばすぐにあったのに、東高松が高松駅からたいへん遠いところにあり、公共交通機関もほぼ無いに等しいところだったので、なかなか乗るのが大変な船でした。また4時間というのがちょっと中途半端で、夜便だと寝る時間が足らず、昼便だと時間を持て余す微妙なものがありました。今は地震の後神戸側は港が変わり、一段と便利になる一方、高松側もフェリー会社が連絡バスを駅から走らせているので、随分と使いやすくなりました。便数は随分減ってしまいましたが。
とはいえ、そんなこんなも橋一つで激変するのですから、なんとも切ないものです。
個人的に、移動手段は船が一番好きなので、こうして船便が消えるのはとても残念なものがあります。もう復活はあり得なさそうですが、いつか瀬戸大橋にはない魅力を見出し、ルートを変えてでも再び瀬戸内海を渡って欲しいと思います。