今朝の奈良市の最低気温は10.3℃、昼の最高気温は18.6℃、五條市の今朝の最低気温は7.5℃、最高気温は18.1℃でした。今日は一日曇り空で、雨が降る前のせいか、日中は異様に暖かで、夜になって冷え込んでくるかもしれない、と考えコートを着て出かけたのですが、完全にお荷物になってしまいました。雨は今の時点でまだ降り出していませんが、今夜から明日午前中にかけて降ってくる模様です。明日の通勤時に降らないといいのですが。
さて、今日はがんに倒れた父の見舞いに大阪・寝屋川市の病院まで出かけてきました。父の抗癌治療は、手術後の放射線治療やオプジーボによる免疫療法の甲斐もなく、どちらも強い副作用で結局治療続行を断念せざるを得なくなりました。そのため、それまで治療を受けていた枚方市の大学病院を一旦退院し、実家の枚方市内にある終末期ケアを行う病院のベッドに空きができて転院するまでの間、同系列の寝屋川市の病院に再入院したので、様子を見に行ったのです。
悪化した症状としては、喉が腫れ上がって食事どころか水すら全く喉を通らなくなり、自力で嚥下できないために、鼻から管を入れて濃厚流動食を胃に直接投与するという状態になっていました。喉が腫れるまではまだしもわずかずつながら食事も摂れていたのですが、自力でごっくん、と水も飲めないとあっては、入院して挿管するより命をつなぐ方法がありません。声も出にくくなり、言葉が聞き取りにくくなりましたし、前回退院直後に見舞いに行ったときより、一段と病人度合いが進んでおりました。
ただ体力はまだまだあるようで、杖を突きながらではありますが自力で動き回ることができ、トイレにも一人で行けます。本や新聞を読み、頭もボケてはいませんが、がんが進行して更に体を蝕んできたらどうなるか、それであとどれだけ生きていられそうなのか、気になることは多々あります。今後の介護の方針も考えないといけませんし、父がまだ元気だったころの条件で認定されてしまった介護保険の区分変更とかもあります。なかなか面倒なことがてんこ盛りです。
さて、今日はがんに倒れた父の見舞いに大阪・寝屋川市の病院まで出かけてきました。父の抗癌治療は、手術後の放射線治療やオプジーボによる免疫療法の甲斐もなく、どちらも強い副作用で結局治療続行を断念せざるを得なくなりました。そのため、それまで治療を受けていた枚方市の大学病院を一旦退院し、実家の枚方市内にある終末期ケアを行う病院のベッドに空きができて転院するまでの間、同系列の寝屋川市の病院に再入院したので、様子を見に行ったのです。
悪化した症状としては、喉が腫れ上がって食事どころか水すら全く喉を通らなくなり、自力で嚥下できないために、鼻から管を入れて濃厚流動食を胃に直接投与するという状態になっていました。喉が腫れるまではまだしもわずかずつながら食事も摂れていたのですが、自力でごっくん、と水も飲めないとあっては、入院して挿管するより命をつなぐ方法がありません。声も出にくくなり、言葉が聞き取りにくくなりましたし、前回退院直後に見舞いに行ったときより、一段と病人度合いが進んでおりました。
ただ体力はまだまだあるようで、杖を突きながらではありますが自力で動き回ることができ、トイレにも一人で行けます。本や新聞を読み、頭もボケてはいませんが、がんが進行して更に体を蝕んできたらどうなるか、それであとどれだけ生きていられそうなのか、気になることは多々あります。今後の介護の方針も考えないといけませんし、父がまだ元気だったころの条件で認定されてしまった介護保険の区分変更とかもあります。なかなか面倒なことがてんこ盛りです。