かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

古代史浪漫の宝庫、奈良県御所市で最大級の弥生前期の水田跡が発掘されました。

2019-11-21 20:10:10 | Weblog
 今朝の奈良市の最低気温は5.3℃、昼の最高気温は15.4℃、五條市の今朝の最低気温は2.1℃、最高気温は14.3℃でした。今日も一日良い天気でした。朝はもう少し冷え込んでくるかと思いましたが案外まだ空気はそこまで冷たくはならず、寒さで目が覚めるというようなこともありませんでした。というか、今朝はなぜかこれまでほぼ毎日だった2−4時に目が覚める早期覚醒が無く、ふと気がついたら目覚まし時計を設定した6時の20分前という、もういつ以来か思い出すこともできないくらい久しぶりに、夜寝てから朝まで起きること無く寝るという健康的な睡眠を取ることができました。理由は全く不明ですが、昨日は帰路の電車でうつらうつらする位やたらと眠かったのが、何らかの影響を及ぼしているのではなかろうかと思います。とは言え、昨日の帰りになんであんなに眠かったのかが不明だったりもするのですが。

 さて、今から約2500年から2400年前、弥生時代の前期後半の水田跡がある、奈良県御所市の中西遺跡から、新たに約3500平方メートルの水田跡が発掘されたと、県立橿原考古学研究所が発表しました。これで水田跡は延べ約4万3千平方メートル、これまでに確認されている弥生前期の水田跡としては全国最大規模の遺跡になりました。場所は、京奈和自動車道の建設工事に伴って、この4月から発掘調査されていた一角で、出土した水田は410区画、一区画平均9平方メートルの小さな田んぼが、これまた小さなあぜで囲われていました。水田には15センチから26センチの、当時の農作業をしていた人の足跡も残っています。川の流れていた痕跡を挟んで田んぼが広がっており、この辺りの水田面積は推計10万平方メートルを超えていると推測されます。
 稲作が日本に最初に伝わった北九州でもこれほどの規模の水田跡は見つかって無いとのことで、貴重な発掘成果と言えそうです。
 水田跡はもちろんですが、当時のヒトの足型が残っているのがなんとも面白そうです。御所市と言えば葛城山の麓にあり、大王家とも近しい関係にあった古代豪族葛城氏の本拠で我が国でも最古級の遺跡や遺物が多く残されているところです。そんなところにすでに弥生時代には大規模な水田が営まれていたというのは、後の大和政権への道筋として非常に意味深いものがあるように感じられます。こういうものがあちこちから出てくる奈良県というのは、やはり面白い土地柄ですね。

コメント
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