かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

卑弥呼が下賜された銅鏡百面に鉄鏡が混じっててもいいじゃない、という少々斬新な話が出てきました。

2020-01-03 20:36:22 | Weblog
 今朝の奈良市の最低気温は4.7℃、昼の最高気温は13℃、五條市の今朝の最低気温は0.4℃、昼の最高気温は12.6℃でした。昨日は日中好天気に恵まれ、今日も良い天気、という予報でしたが、昨夜唐突ににわか雨が降ってきました。記録には残らないほどの短時間の雨でしたが、それなりに地面が濡れるくらいには雨量があったようです。明けて今日は朝から穏やかに晴れ、気温も少し上がりました。明日明後日も似たような天気になるようで、正月休みも晴れのうちに終わりそうで何よりです。

 さて、福岡県と熊本県の両県に接している大分県北西部の町、日田市にかつて存在したダンワラ古墳から出土と伝わる国重要文化財「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)」について、三国志の英雄の一人曹操の陵墓を発掘した中国の考古学者潘偉斌(ハン・イヒン)氏が、この鏡を魏志倭人伝に書かれた、卑弥呼が魏から送られた銅鏡100枚のうちの1枚である可能性が高い、と述べられたそうです。ダンワラ古墳は戦前の国鉄の線路工事の際に破壊され、その工事の時に出土したのがこの鏡とされていますが、戦前のことで当時はあまり注目されることもなく、墳丘も破壊されているため、この鏡については今ひとつ詳細がわかっておりません。ただ、鏡が保管されている九州国立博物館で実物を見た潘氏によると、この鏡の特徴である金錯や銀錯が施された鏡」は、王宮関係に限られ、国宝級の貴重なもので、公式なルートで日本に伝わったと考えられる、と述べられました。
 いわゆる卑弥呼の鏡は「銅」鏡と記されていますが、潘氏は、「倭人伝が『銅鏡』と表現したのは、鏡の総称として用いたのだろう。そこに鉄鏡が含まれても不自然ではない」とし、「魏の側からすれば、最高の品質の鉄鏡を贈ることで、倭に工業技術の高さを示そうとしたのだろう」と推測しています。
 曹操の陵墓から出土した鉄鏡ともよく似ており、我が国の研究者らも「いずれも2~3世紀の中国において『御物』など最高級に位置付けられる貴重な鏡である」という見方で一致しているそうです。
 面白い仮説だとは思いますが、文書に銅鏡と書かれているのに鉄鏡でも良い、という理由が少し弱いように感じられます。送られたのが銅鏡だけではなく鉄鏡でも良い、となると色々と見方も変わりそうですし、更に調査研究が進められ、有力な証拠が出てくればより面白いと思います。
 まあ個人的には邪馬台国論争というのは不毛な限りで、九州でも我が奈良県でもどちらでもよく、同時代に九州と近畿に有力な勢力があったのならそれぞれの独自性や関係性を明らかにして行けば良いと思うのですが、世間的にははっきりさせないとすっきりしないものなのかもしれません。

コメント
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