今朝の奈良市の最低気温は14.4℃、最高気温は19.2℃、五條市の最低気温は12.2℃、最高気温は18.2℃でした。今日は朝のうちは晴れて日差しが届き、気温も昨日よりずっと暖かく感じましたが、昼前には曇って、午後には雨も降り出してきました。雨自体は弱く降ったり止んだりで特段実害もなかったのですが、気温の変化が大きいのはやはり堪えます。そのせいなのかどうか、この1週間ほど若干血圧も上がり気味ですし、これから冬に向けて気をつけていく必要があります。
さて、京都アニメーションを放火し36人を殺した大量殺人犯青葉真司被告(43)の精神鑑定が行われるそうな。京都地検が起訴前に一度やって責任能力を問えると判断して起訴しましたが、裁判結果が極刑となることがほぼ確実な重大案件であることから、弁護側が要求し、起訴後に改めて責任能力の有無を判断するために行う模様です。
被告は、逮捕時から「小説を盗まれたから火を付けた」と、重大な結果に見合わない不可解な動機を述べたと捜査当局ではみているそうです。それが精神鑑定が必要と判断される理由のひとつなのかもしれませんが、重大な結果とその動機が見合うかどうかなど、一体誰が判断できるんでしょう? それが事実かどうかはともかく、「自分の作品を盗まれた」と本当に思い込んだとしたら、盗んだ連中をまとめて抹殺してやろうと考えるのは特段おかしなことではないように私には思えます。最もその場合、相手の「盗んだ連中」をどれだけ人として認識できているかは怪しいものですが。それこそ時代劇で正義の剣士が悪党の手下達をバッサバッサと切り捨てるような、あるいは特撮ヒーローが敵怪人の下っ端軍団をまたたく間に鏖殺するような感覚で、相手の人格も何も知ったことではなく手にかけることは、そんなに不思議とも思えません。
とは言え、被告もまさか36人も殺してしまうとは意識してなかったのかもしれません。そもそも放火した建物に何人いると思っていたのでしょうね? 、極めて幼稚な認識で、事の重大性を意識せずとにかく火を放ってみた、という程度のことだったのかもしれませんし、公判の中でそういった被告の意識なども明らかになるなら聞いてみたいものです。
しかし、万万が一責任能力なし無罪、となったとしたら、それを世間は受け入れることができるのでしょうか? カッとなっただけでまたたく間に36人を殺せる人間が無罪放免という事態に社会は耐えられるのか、私個人は大いに疑問を覚えます。そこで、極めて乱暴な言い方になるのは百も承知で、もう責任能力の有無など測るのはやめて、この被告が36人殺したことが間違いないのなら、速やかに殺処分して社会の安心を買ったほうがいいように感じます。
さて、京都アニメーションを放火し36人を殺した大量殺人犯青葉真司被告(43)の精神鑑定が行われるそうな。京都地検が起訴前に一度やって責任能力を問えると判断して起訴しましたが、裁判結果が極刑となることがほぼ確実な重大案件であることから、弁護側が要求し、起訴後に改めて責任能力の有無を判断するために行う模様です。
被告は、逮捕時から「小説を盗まれたから火を付けた」と、重大な結果に見合わない不可解な動機を述べたと捜査当局ではみているそうです。それが精神鑑定が必要と判断される理由のひとつなのかもしれませんが、重大な結果とその動機が見合うかどうかなど、一体誰が判断できるんでしょう? それが事実かどうかはともかく、「自分の作品を盗まれた」と本当に思い込んだとしたら、盗んだ連中をまとめて抹殺してやろうと考えるのは特段おかしなことではないように私には思えます。最もその場合、相手の「盗んだ連中」をどれだけ人として認識できているかは怪しいものですが。それこそ時代劇で正義の剣士が悪党の手下達をバッサバッサと切り捨てるような、あるいは特撮ヒーローが敵怪人の下っ端軍団をまたたく間に鏖殺するような感覚で、相手の人格も何も知ったことではなく手にかけることは、そんなに不思議とも思えません。
とは言え、被告もまさか36人も殺してしまうとは意識してなかったのかもしれません。そもそも放火した建物に何人いると思っていたのでしょうね? 、極めて幼稚な認識で、事の重大性を意識せずとにかく火を放ってみた、という程度のことだったのかもしれませんし、公判の中でそういった被告の意識なども明らかになるなら聞いてみたいものです。
しかし、万万が一責任能力なし無罪、となったとしたら、それを世間は受け入れることができるのでしょうか? カッとなっただけでまたたく間に36人を殺せる人間が無罪放免という事態に社会は耐えられるのか、私個人は大いに疑問を覚えます。そこで、極めて乱暴な言い方になるのは百も承知で、もう責任能力の有無など測るのはやめて、この被告が36人殺したことが間違いないのなら、速やかに殺処分して社会の安心を買ったほうがいいように感じます。