私たちは今の世の中を、極力自分たちにとって負担になることや、自分たちの生活に都合がよくなるように、物事を外部化することで成り立たせてきているのだと思う。
たとえば、この平成22年までの間に、日本では生活のそばに生産があった時代から、工業面で考えるとコストという考えの基に、これは民間の産業によるところが大きいけれど、生産をどんどん海外に移すなどの外部化を行ってきているし、農業などでは都市や市街地での生活を優先させるために、農業を郊外にもっていくなどの外部化を行ってきているんじゃないだろうか。
まだこのような生産だけじゃなく、他の生物と共生するための自然さえ、自分たちの生活空間から締め出して、そのようなものに触れるためには、郊外に出ないといけなくするという形で、自然さえも外部化しているんじゃないだろうかとも思う。
そう考えると、これからの時代はこれ以上の生活の外部化を抑制して、できる限り自分たちの生活を、自分たちの身近な地域でまかなえるように、社会のしくみを再生するような視点が必要になってくるんじゃないかと思う。
これから向かうと言われる少子高齢の人口減少社会に対して、今の社会規模を今のしくみをベースに維持を考えるのじゃなく、人口減少のペースを考えつつ社会をリサイズしていき、単純なリサイズにならないように、生活の質向上につながる施策や政策をとる時期じゃないかと思う。
その過程の中では、今まで外部化してきたものを整理し、可能なもの可能性があるものを、もう一度、私たちの生活の近くに取り戻すように考えることが必要になると思う。
それも個別に考えるのではなく、例えば、自然と農業と経済の関係のように、露地の農業はそれ自体が自然環境や景観に関連し、地産地消のような形で経済とも関連するように、それぞれをつないで横断的に考えていくことが必要だと思う。
たとえば、この平成22年までの間に、日本では生活のそばに生産があった時代から、工業面で考えるとコストという考えの基に、これは民間の産業によるところが大きいけれど、生産をどんどん海外に移すなどの外部化を行ってきているし、農業などでは都市や市街地での生活を優先させるために、農業を郊外にもっていくなどの外部化を行ってきているんじゃないだろうか。
まだこのような生産だけじゃなく、他の生物と共生するための自然さえ、自分たちの生活空間から締め出して、そのようなものに触れるためには、郊外に出ないといけなくするという形で、自然さえも外部化しているんじゃないだろうかとも思う。
そう考えると、これからの時代はこれ以上の生活の外部化を抑制して、できる限り自分たちの生活を、自分たちの身近な地域でまかなえるように、社会のしくみを再生するような視点が必要になってくるんじゃないかと思う。
これから向かうと言われる少子高齢の人口減少社会に対して、今の社会規模を今のしくみをベースに維持を考えるのじゃなく、人口減少のペースを考えつつ社会をリサイズしていき、単純なリサイズにならないように、生活の質向上につながる施策や政策をとる時期じゃないかと思う。
その過程の中では、今まで外部化してきたものを整理し、可能なもの可能性があるものを、もう一度、私たちの生活の近くに取り戻すように考えることが必要になると思う。
それも個別に考えるのではなく、例えば、自然と農業と経済の関係のように、露地の農業はそれ自体が自然環境や景観に関連し、地産地消のような形で経済とも関連するように、それぞれをつないで横断的に考えていくことが必要だと思う。