統一地方選挙が近くなり、災害への備えも話題に上ることが多くなっています。そのほとんどは、想定される南海トラフ地震に対してどう備えるかという観点で、対策として防波堤であったり、津波避難ビルや命山などの避難場所の確保といったことかと思います。
そのようなことを考えることは大切と思いますし、否定をするものではありません。しかし、これから先、何十年という時間を見通して考える時、あまり今の考えにとらわれすぎては、より柔軟に災害に備えることが難しくなってしまうように思います。
災害との関係では、まだ異常気象や極端な気象現象程度でしか、市のレベルでは捉えられていないように感じますが、気候変動の影響とそのリスクについても、看過できない災害リスクと考えます。過去二回、この点について一般質問を行なっているのですが、南海トラフ地震と津波ほどには、まだリスク要因として認知されていないように思います。
これらの災害リスクに備えるには、科学的な知見などから、落ち着いて想定される災害とそのリスク、発生の可能性も議論した上で、政策の議論を行うことも大切だと思います。今の時代は、特にインターネットが広がり、通信機器にも高性能なカメラが付属していることが当たり前になった時代、映像の情報が膨大になっています。そのような映像は、直接的に人の心に訴える力が強く、それにより、科学的な知見からの判断を遮断しかねない可能性も高いと思います。だからこそ、政治の世界は科学的な議論も行うことが必要と思います。
そのためには、扇情的な報道が多くなりがちな国内メディアの報道ばかりでなく、世界の動向といったことをニュースなどで取り入れつつ、同時に科学番組などの知見を合わせながら、インターネット上にある情報を調べるといった、ある意味で当たり前のことをすべきなのでしょう。そして、専門家の話はもちろんですが、自分の頭で考えることも大切だと思います。
津波についてですが、東日本大震災での津波と実際の被害を映像で見たことから、津波対策について語られていることが多くはないでしょうか。日本で起こったからそのような反応になっているのでしょうが、実際は過去の津波による被害は日本各地で存在していましたし、海外でも被害が出ているはずです。そのようなことは、きちんと振り返られているでしょうか。
東海地震、南海トラフ地震が大規模なものであることは、かなり過去から言われていたのではないでしょうか。また、現代社会で津波被害を受けた時のダメージは、インドネシアのスマトラ沖地震で、各地の数多くの映像が残されており、すでにわかっていたことではないでしょうか。この2つを合わせれば、東日本大震災以降でなくとも、津波のリスクにどう備えるかは課題だということがわかっていたのではないでしょうか。自分はリスクだと考えていました。
国や県などは、インドネシアの時点で全国的に見直しを図っていれば、海岸線の対策はもっと進んでいるでしょうし、もしかすると、福島第一原発の事故も起きていなかったかもしれないと思います。
そのようなことから考えると、今、津波対策ということで議会などで言われている対策は、インドネシアの地震の時点での話ではないかと考えますし、この議論のままでは、将来に向けての政策が進めにくくなるのではないかと危惧します。東日本大震災の津波では、人間の行うことをたやすく自然は超えること、一旦被害を受けると、そこから立ち直るための経済、社会的エネルギーは膨大にかかり、金額的にも相当かかること、被害を受けると、個人生活にも大きくのしかかること、そのようなことが私たちに突きつけられたのだと思います。
津波被害で考えると、仮に津波による被害に対して、津波避難ビルや避難タワーなどが機能したとしても、助かった後、津波による流失で失った財産は戻らないでしょうし、また同じ場所に住むことが妥当なのかという議論は避けられないでしょう。
気候変動についてですが、ここ10年ほどの間、名称が付与される豪雨などの気象災害がほぼ毎年起こっています。毎年、異常気象という言葉で取り上げられていますが、地球温暖化の影響なども含めて、気候変動による気象の変化と極端化が起こっていると考えるべきと、私は思います。その動きは、国で気候変動法が制定されたり、持続可能な開発目標SDGS でも目標の1つに掲げられていることからも、重要度は増しています。
二酸化炭素の排出量を、これまで考えられてきたよりも抑制しようと動きがありますが、しかし、そのような効果はすぐに出るわけではなく、相当年数、影響があるだろうと考えられます。つまり、極端な豪雨や超大型台風の上陸は、今後、毎年のようにあり得ると容易に想定できます。
また、海水面の上昇が南太平洋の島嶼諸国で深刻な影響を与えていることも事実ですし、世界の多くの地域で海岸線の後退が進んでいたりします。それだけでなく、極端な気象がヨーロッパやアメリカでも洪水を引き起こしていますし、逆に乾燥することで大きな山火事の要因になったり、熱波を招くなどの影響がどんどんと増えています。そしてこのような気候変動は、その影響を農業や漁業にも与えていきます。
そして重要なことは、気候変動そのものは、過去から頻発しているもので、地球全体が寒冷化する中での影響であったり、おそらく温暖な気候になるものであったり、私たちの生活リスクとして特別なものではないと考えられることです。それがたまたま、この100年ほどはほどほどの変化の中にいたことで、私たちはその状態が当然と考えながら、今の社会を形成していることになり、大きな災害が起こると脆い状態になっていると考えられます。そもそも海水面も、縄文期や平安期にも海進という形で起こっています。ということは、今後、海水面の上昇が想定されるということです。
参考:縄文海進Wikipedia より
ということは、気候変動に対する備えについて、ここ100年程度の考えの延長ではなく、過去に遡って考えられるリスクから、これからの対応を考える必要が出てくると考えるべきです。海水面の上昇と超巨大台風が重なるということは、暴風だけでなく、高潮の被害も甚大になると考えるべきです。この点も、すでにアメリカでのハリケーン「カトリーナ」の被害をはじめとして、昨年の大阪湾での高潮被害を考えれば、決して想定外のことではありません。
社会を柔軟に適応していくという考えを持つべきなのだと考えています。
津波と気候変動、この2つの災害のリスクを低減し、もし何かあった時に、社会のリカバリーを早くしようとするには、私たちのこれまでの常識を見直す必要に迫られると考えています。また、人口減少という社会変動の津波も同時進行で、私たちは直面することになりますから、その緊急度は上がっているのではないでしょうか。これからの災害への備えを考える時、考えられるリスクをすべて考え出し、それらを議論の俎上に載せて、特に若い世代を中心に対応策を考えることが必要だと思います。
その議論から政策を考えることが、いま、議会に問われている災害への備えだと思います。