人口が右肩上がりに増える時期から、若年人口と生産年齢人口が減少する局面に入ってからも、いろいろな公共サービスや公共施設やインフラを増やしてきたことが、今の国と地方の長期債務の状況に至っていると思います。それは政治の責任だけではなく、私たち自身も選挙を通じてなどの形で、それに関係していることは否定できません。そのことは「平成31年度予算の編成等に関する建議」でも触れられていると思います。
ですが、いまのような社会状況を維持するために、特例公債(赤字国債)で財政運営をしている国、地方でも臨時財政対策(赤字の地方債)が前提になっている今の状況は、とても持続可能な状況とは思えません。政治に求められるのは、次の世代にも、いまの社会をつなげていくこと、持続可能な社会とすることではないでしょうか。
鈴鹿市の臨時財政対策債の残高について、平成31年度予算の段階で約290億円あります。市債残高が全体で約470億円ということを考えると、大きな課題ということが見えます。臨時財政対策債は、自分なりに噛み砕いていうと「地方は建設に関係する借金以外は本当はしてはダメだけど、国が算定する地方交付税について、全額を出すことができないから、不足する分は後年の地方交付税で対応するから、その分は地方で借りてもいいよ。」という制度です。それが約290億円積み重なっているということは、そもそもの制度自体が自転車操業になっているということです。
このことを考えに置かず、政治を行っていくとすれば、その先にもしもの事態が起こるとして、誰の責任になるのでしょうか?もしもの事態が起こったときに「だれの責任だ」と、犯人探しで騒ぐことは政治の役割ではないと思います。政治が行うべきは、もしもの事態を想定に入れながら、いまの選択を慎重かつ大胆に行うことだと思います。
目の前の選択の是非だけでなく、それが10年後、20年後にどのようになるか、想像力を働かせながら、取り巻く状況の変化も想定に含め、選択の是非を議論するという意識を持たなければいけないと、政治は身を引き締めるべきだと思います。