以前にも書いたのですが、鈴鹿の課題は“ 高齢化 ”に正面から向き合うことだと思います。
高齢化率が上がるなど住民の高齢化はもちろんのことですが、高齢化をそれだけでとらえていては、政策の選択方向を間違えるように思います。住民の高齢化について、地域包括ケアシステムなど福祉の課題が大きくなることや、いわゆる買い物難民などのような課題をとらえ、その改善という視点だけで“ 高齢化 ”を考えることは、木をみて森をみずという状況だと思います。
いま私たちが直視すべきなのは、人口減少も含めた住民の高齢化だけではなく、公共施設や各種インフラの老朽化など私たちがこれまで慣れ親しんだまちのハードの高齢化、そして私たちのコミュニティの仕組みや政治などの社会のシステムも高齢化しているということです。
つまり鈴鹿市にとって、いまを尊重することはそれはそれで大切なのですが、そこにしがみつかず、今を尊重しながらも大胆に変化することが求められているということです。
そのためには、自分自身、自分たち自身がどれだけ“ 高齢化 ”しているかを一歩引いた視点から考えることが大切だと思います。そして、これまでの価値観や考えで新しい視点や発想を抑えるのではなく、まずそちらの方向を広げ議論することが求められると思います。
議会はそのような議論がどんどん出る場になるべきだと思います。
高齢化率が上がるなど住民の高齢化はもちろんのことですが、高齢化をそれだけでとらえていては、政策の選択方向を間違えるように思います。住民の高齢化について、地域包括ケアシステムなど福祉の課題が大きくなることや、いわゆる買い物難民などのような課題をとらえ、その改善という視点だけで“ 高齢化 ”を考えることは、木をみて森をみずという状況だと思います。
いま私たちが直視すべきなのは、人口減少も含めた住民の高齢化だけではなく、公共施設や各種インフラの老朽化など私たちがこれまで慣れ親しんだまちのハードの高齢化、そして私たちのコミュニティの仕組みや政治などの社会のシステムも高齢化しているということです。
つまり鈴鹿市にとって、いまを尊重することはそれはそれで大切なのですが、そこにしがみつかず、今を尊重しながらも大胆に変化することが求められているということです。
そのためには、自分自身、自分たち自身がどれだけ“ 高齢化 ”しているかを一歩引いた視点から考えることが大切だと思います。そして、これまでの価値観や考えで新しい視点や発想を抑えるのではなく、まずそちらの方向を広げ議論することが求められると思います。
議会はそのような議論がどんどん出る場になるべきだと思います。
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