大阪の蒸し暑さで思ったことです。
電車も屋内も地下街もエアコンで涼しい状態になっているということは、
そのために大きなエネルギーを使っているわけですが、
そのエネルギーがどうなっているのか、
涼しい状態にいる人たちが意識することはあまりないでしょう。
先日、敦賀市に行ったとき、
「東日本大震災のあと一時だけ電気を使っていなかったけれども、
今は喉元過ぎたかのように電気が使われている。」
という言葉を聞きました。
その言葉を昨日、実感した感じです。
空調になれきった私たちは、
温度調節のためにどれだけのエネルギーが必要になっているのか、
そのエネルギーをつくるためにどれだけの資源が必要なのか、
そのことを余りに考えていないのではないかと思います。
暑い夏だからこそ、
私たちはエネルギーのことに思いを馳せるべきではないでしょうか。
電車も屋内も地下街もエアコンで涼しい状態になっているということは、
そのために大きなエネルギーを使っているわけですが、
そのエネルギーがどうなっているのか、
涼しい状態にいる人たちが意識することはあまりないでしょう。
先日、敦賀市に行ったとき、
「東日本大震災のあと一時だけ電気を使っていなかったけれども、
今は喉元過ぎたかのように電気が使われている。」
という言葉を聞きました。
その言葉を昨日、実感した感じです。
空調になれきった私たちは、
温度調節のためにどれだけのエネルギーが必要になっているのか、
そのエネルギーをつくるためにどれだけの資源が必要なのか、
そのことを余りに考えていないのではないかと思います。
暑い夏だからこそ、
私たちはエネルギーのことに思いを馳せるべきではないでしょうか。
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