鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

南相馬 ~ 原発事故関連(3)

2013年05月15日 12時52分12秒 | Weblog
今回は農業や全体で感じた印象などを書きます。

稲作ですが、黄色の線より外側では普通に行われているところが広がっていました。しかし、黄色の線より内側では、試験的な栽培しかまだ認められておらず、荒れた農地が広がっている状況です。
現在はいわゆる「野菜工場」が建設され、そこでの栽培も始まっているということでした。

また、自家栽培などでつくられた生産物の放射線検査をするための機器が、市内の出張所などに設置されており検査されているということです。道の駅があり、そこで南相馬産のアスパラなどが販売されていましたが、それらは検査をした上で並べられているということでした。しかし、店頭に並べられているものすべてが南相馬産かと言えばそうではなく、やはり、コメや麦などを使った製品などは、国内産のものでつくっているとなっていました。

ここで、街中などの生活空間について感想を言うと、特別なことを感じることはほとんどありませんでした。地元の方々も日常生活を行っており、‘普通’という言葉で表現することが一番妥当なのかもしれません。
しかし、図で示されているような線引きが見えないところにあり、それがまちに影響していることは確かなのです。これらのことも、自分のまちにいただけ、メディアを通して見るだけでは感じられないことです。
また、各家庭には希望すると線量計が配布されていました。

街中ではあまり線量について変わらないということでしたので、すこし緑の多い地域に移動してみることになりました。そうすると、たしかに街中よりも空間線量が上昇しました。放射性物質を帯びた物からの距離によって線量が変わることから考えると、除染がまだ行われていないでしょうから当然のことだと思います。

しかし、なにか有毒物などをまかれたり、除草剤などがまかれたりしたように、森や林で樹が枯死しているわけでもなく、季節柄か藤の花が咲いていたり、タンポポが咲いた後のふんわりした状態になっていたりと、見た目‘普通の自然’が広がっていました。
しかし、この自然のある地域は、高線量地域なのです。その影響が長期間でなければわからないことが、問題を難しくわかりにくくしていることを感じました。

そして、山間地にある吉沢牧場さんのところへ牛の様子を見に行きました。

こちらは浪江町地内にあり、写真で見て頂くと分かりますが、これより南には立ち入りできないよ道路にバリケードが設置されています。

Facebookページ 希望の牧場

ここも線量的には高い区域だと思いますが、牧場内にいる牛たちは、なにも変わらないように餌をはみ、また妊娠し子牛を産んでいます。もしかすると、放射線で何らかの影響を受けているのかもしれませんが、変わらぬ命の営みがここにもあります。
地震がきっかけとはいえ、起こった事故による影響の問題の深さと複雑さを感じずにいられませんでした。

移動しながら、区域割も線引きもどこにもない、それを決めているのも、そうしてしまったのも、私たち自身だということが、ひしひしと迫る感じがしていました。
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南相馬 ~ 原発事故関連(2)

2013年05月15日 11時48分25秒 | Weblog
話を小高地区でのことに移します。

写真の左側は、公共施設にある空間線量計です。ことの是非についてはいろいろ意見があると思いますが、見て頂くと数値がそれほど高くないことが見えると思います。
右側の写真は、小高地区内で下水道の復旧工事が行われていることの看板です。電気と上水道については使えるということで、下水道が復旧すれば、戻ることのできる環境が整うということでした。

しかし、小高地区は現在のところ‘避難指示解除準備区域’です。
地震で倒壊した、倒壊しかけている建物がほんの少しあったりしますが、見た目には普通のまちです。
しかし、片づけなどに戻る方や、消防、ボランティアセンターの方々がいらっしゃる以外は、だれも住んでおらず無人のまちです。


感想を一言で言うなら‘時間を止められたまち’です。

クリーニング店の中には仕事中のまま服やアイロンが置かれ、タクシー会社の軒先にはタクシーが置かれたまま、生活の風景はあるのに、生活の音や空気を感じないまち。そこに泥棒除けの意味もあるのか、商店街には誰が聞くでもなく音楽が流れています。
商店街を走る2車線の道路の真ん中を歩いていても、誰にも咎められることなく歩ける状況はやはり異様です。
テレビなどで流れる映像を見たことがありましたが、実際に自分がそこにいると、不安というか、違う世界に来たような、そんな感覚にとらえられました。

考えれば、福島第一原発に近づくほど、このような風景が広がるまちがあるのです。
その現実から目をそむけている、目をそらさせているのは誰なのか、そのことを考えます。

ここに写真を載せることについて、そのお店の方がどう感じるのかと自分なりに考え、今回は見送ったお菓子屋さんがあります。同行していただいた方によると、おいしいと評判だったお店ということで、外観もヨーロッパを感じさせるような建て方でした。
そのお店の入り口の前に、チョークで「頑張っぺ小高 必ず、小高で復活します!!!」と書かれた黒板がありました。
無人のまちの中で、人の営みの力を感じた言葉でした。
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南相馬 ~ 原発事故関連(1)

2013年05月15日 11時13分44秒 | Weblog
今回は、南相馬市での放射線に関することを書きたいと思います。
ただ、専門家でもなく、詳細な情報をすべて網羅しているわけでもなく、自分の目で見た感想を書くことになりますので、その点についてご了承ください。
今回は、半径20キロ圏内の‘避難指示解除準備区域’となっているところに立ち入りが可能になったこともあり、原発事故がどのように地域に影響を与えているのかを、自分たちの目で見て考えるためということが主眼でした。

放射性物質除染の情報はこちら → 除染情報サイト(環境省)


この図の左側は、放射性物質の飛散状況と重なっていると思いますが、平成25年5月7日時点での避難指示区域の概念図です。こちらの図は、福島県のホームページから引用しています。南相馬市はこの図で‘凡例’と書かれた四角の左下あたりになります。緑の半円が図に重なって見えますが、これは福島第一原発から半径20キロのラインになっています。

右側の図は南相馬市の図になり、これは平成25年5月8日時点の南相馬市の被災状況説明図です。図の中のピンクのラインは原発から半径20キロの線となり、黄色のラインが半径30キロの線になっています。
この線の意味合いとして、例えば、黄色のラインより内側の地域住民は医療費が無料ですが、外側は医療費がかかるということになっていたりしていることがあります。

ここでまず考えて頂きたいことは、どちらの地図上でも色分けや線引きが行われていますが、私たちの普段の生活の中で、自分たちのまちにこのように明確に線引きがされていることがあるでしょうか。あるとすれば、今はなくなりましたがベルリンの壁や、いろいろな国境に設置されている壁のような物理的なものだけではないでしょうか。
そこが、図を見て考えることと、実際に見ることとの大きな違いです。


さて、国道6号線を南下し、この20キロ圏のラインのところに来ると、やはり、警察の方々が警備されています。泥棒なども横行していたということですので、この警備は当然だと思いますし、また、ここから先の地域は現時点で日帰りしか認められていないことになっています。
この写真を撮る少し手前にコンビニがあったのですが、商品棚はがらんとしていていました。それは、この先は居住できない区域であるから、モノの需要がないためと、同行の方に説明されて納得でした。

この6号線をどんどん南下していくと浪江町の一部に入ることができますが、その先で写真のように通行止めになりその先には行けなくなっています。

浪江町では6号線は通れますが、街に入るための道路は警備員付きで封鎖されています。これも泥棒などの横行を防ぐために当然のことだと思いますが、南相馬市小高地区との違いがあるということを感じました。また、建ったばかりに見える浪江町役場が無人で建っているのを道路から見て、どれほどのことが起こったのか考えざるを得ませんでした。
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