鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

南相馬 ~ 海岸線被害(2)

2013年05月14日 17時12分22秒 | Weblog
(1)の続きです。


現在、避難指示解除準備区域になっている図で言うとピンク色の線で示されている、原発から20キロ圏内の地域です。

この地域では、つい最近になって日中に入ることができるようになったということで、津波災害の後片付けが少しずつ進められています。しかし、まだまだ区域内には、震災当時のまま残されているものがたくさんあります。写真に見える自動車などもそうです。
お気づき頂けるのではと思いますが、遠目に見える家は損傷を受けておらず、誰かが住んでいる気配さえ感じますが、無人の区域となっているのです。


消防団の車もこのまま置かれており、周辺には旗が立てられた跡がいくつもありました。


この自動車は干拓地であったところに流され、そこが長く浸水していたため、車の下半分にフジツボがたくさん付着していました。
これも揚水の機械が最近になって修理されたからこそ、地上にあるように見えています。(1)の干拓地の被災地がかなり工事が進んでいるのに比べて、まだ手つかずということがお分かり頂けるかと思います。

このように、南相馬市では津波の被災地や被害が、原子力発電所の事故の影響で、その後片付けや処理の違いがまだわかる状態になっています。
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虚ろ

2013年05月14日 14時43分29秒 | Weblog
福島市、南相馬市での3日間で感じたものと考えたことと、

今日は臨時議会があったのですが、

そこで感じたことや考えたことと、

どうしてもギャップが埋まらない感覚があります。

虚ろなことに力をかけられるのは、

平穏であるからこそできることなのだと思います。

それがまた虚ろな感覚を招きます。。。


飲み込まれてはいけませんね。
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南相馬 ~ 海岸線被害(1)

2013年05月14日 13時37分33秒 | Weblog
南相馬市では国道6号線を軸にしながら、海岸線での被害状況などをいろいろと教えて頂きました。この日はやませの影響からなのか、非常に冷たい潮風が強く吹いていました。ですので、街中はもちろん海岸線の地区などは濃い霧にかかったようになっていました。

それではまず、津波被害のことを書くと、過敏に反応される方がいらっしゃるかもしれないので、少し整理したいと思います。
東北地方の沿岸は太平洋に直接面しているところが多く、そのようなところでは甚大な被害が出ていることは事実です。しかし、おそらく内湾など地形的な要因で、甚大な被害を受けた地域のすぐ近くであるのに、見た目それほど被害が出ていない地域があるのも事実です。
ですから、海=伊勢湾岸でも同じととらえるのではなく、いろいろな状況があるということを考えあわせて頂きたいと思います。

また、出てくる地名などに関してはグーグルマップなどで参照、できればそこで航空写真とあわせてみて頂ければ、現在のマップは、震災後の航空写真になっていますので、周辺状況がわかりやすいと思います。

この地図でピンク色になっているところが、津波の浸水域になっています。

私たちはまず相馬港付近から見ていくことになりました。
そこで印象が強かったのは、相馬市の原釜地区にある相馬原釜漁協漁業関連資材購買センターです。

この建物、もしかすると津波被害の動画でご存じの方もいらっしゃるのではないかと思います。その動画を知っていただけに、現場の状況から想像して、あらためてこの地域に押し寄せた津波の巨大さを感じました。動画の撮影は、この建物の西側にある高台から行われていたと思います。
◆Youtubeから津波動画


この橋は、原釜地区から松川浦の海沿いを走る道路に接続していたもので、とても風景がよかったそうですが、津波で松川浦方面の道路が寸断され、この橋は現在使われていません。

そして県道74号線を走り、鹿島区南海老の少し北側の磯ノ上地区にある、昔の神社跡から北側に向いて撮った写真が次のものです。

この写真の右上が海、左側は干拓地の水田で、道路に沿って集落があり、海岸線には松並木があったということです。撮影場所は、過去に神社があった場所で、標高は10m以上あると思われるところです。ここで、いろいろ話を聞いたりしているとき、ちょうど自分の親くらいのご夫婦とお話しする機会がありました。ご夫婦は震災前はこの地域に住んでいらっしゃって、この地区が夏はクーラーもいらないくらいに涼しく、とてもよい場所だったということをお話しされながら、ご夫婦に起こったことを語り始められました。
この地区に来た津波は10m以上の高さを乗り越え避難場所だった近くのグランドに押し寄せたこと、その波にご主人は巻き込まれ後遺症が残るようなけがをされたこと、この場所のすぐ西側にあるため池に息子さんが流されて亡くなられたこと、軽いけがだった人の中にはひどい状況を目の当たりにされてメンタル的に不調になっている人がいることなど、非常にたくさんのことをお話ししていただきました。ご夫婦もこの場所に訪れ、お墓にお参りすることで、自分たちの心の整理ができないかと考えているというようなことを話されました。
そして、当たり前と思っている日常がどれだけ大切なものか、人の生き死にも紙一重だったということを話されていたことが非常に心に刺さっています。


この野球グランドにも多くの方が避難されたそうですが、観客席側のスタンドを乗り越える形で津波が押し寄せ、グランドの中で水が渦巻き人も同じように流されていた、また外側でも多くの方がが流されていたということです。


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福島 ~ 南相馬

2013年05月14日 01時22分28秒 | Weblog
福島市から南相馬市へはバスを使っての移動でした。
グーグルマップなどで追って見て頂きたいのですが、福島駅東口から国道114号線で川俣町へ、そこで国道349号線(富岡街道)に入り、中道というところで県道12号線に入り、飯館村を通って南相馬市役所前で下車でした。行程は約1時間半強でしょうか。帰り道はこの逆の経路を通ることになりました。

本題に入る前に、写真について個人宅が特定されるような形で撮影することは控えています。
また、バスの移動中ですので、撮影にもおのずとタイミング等のずれもあったこともあります。

福島駅から国道114号線の市街地部分では、それほど特別な様子は見かけることはありませんでしたが、市街地から川俣町への間では、地震の影響なのか崩れたところや、除染作業を行っているという看板を見かけました。山間地の集落のところでしたが、除染作業が行われているという現実をそこに見かけたときに、自分の暮らす日常との違いを感じました。

県道12号線に入る前に、バス会社の営業所で少し休憩があるのですが、そこで職員の方と話していたところ、営業所周辺の除染作業は終わっているということで、やはり民家の多いところから進めているのだなと思いました。

12号線に入り少しすると、畑や田だったところが荒れているのがすぐにわかりました。また、ビニールハウスなどもそのままの状態で、異様な状況ということに気づきました。そして、商店や人家が道沿いに出てきたりしたのですが、よく見ると、人の気配がありません。暮らしの気配がないのです。

看板などを見て、そこが飯館村だということがわかりました。
このブログの前の回を見て頂くと避難指示区域の概念図があります。バスはちょうど飯館村の茶色の部分、居住制限区域を走っていたのです。


民家はもちろんですが、学校の校舎など公的な施設も無人の状態で、その中をバスが走っていくということに非常に違和感を感じました。

そのような状態が続いた後、少しずつ人の気配が感じられるようになり、そうして市街地である南相馬市原町地区に入ったのですが、そこに至る道中も、やはり畑や田は耕作されていない状況でした。後で聞いた話から、これは福島第一原発から30キロ圏内であることから制限がかかっていたためと気づきました。
ともかく、南相馬市に入る時も、南相馬市から出る時も、見た目にはまちがあるように見えるのに、無人の土地を走っていくことは、起きたことの重大さを感じるには十分でした。

南相馬市役所前には、「希望の灯り」のモニュメントが設置されています。

希望の灯りは、そのまちの人たちだけではなく、いろいろな人が灯し続けることが大切なのかもしれません。
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