鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

これからの社会と取り組みを考える

2019年11月21日 09時30分16秒 | Weblog

今の社会は、10年前、20年前、それ以上前よりも、生きづらい社会なのでしょうか?

たしかに、社会として手を差し伸べるべき課題が山積していることも事実だと思います。それらに適切に対処していくことは、私たちに求められていることだとも思います。
しかし、これまでの間に、いろいろな社会課題の解決が図られたり、不足していると思われる社会的サービスが提供されるようになったりと、世の中は変わってきていると思うのですが、それでも不足感を感じる状況、さらにサービスを増やすことが求められるのは、どこに原因があるからなのでしょうか。

バブルがはじけるまでは、いろいろなものやことが右肩上がりで、私たちは増やすこと、増えることに慣れすぎてしまってはいないのか、バブル崩壊後は、社会の変化の痛みから目をそらすために、赤字国債を発行してしのぐことに慣れてしまい、それらが相まって、未来からの収奪をしているという感覚さえ麻痺させてしまっているのではないか、そのようなことをゆっくり考える時間さえなくしてはいないでしょうか。

話は戻って、いろいろなものが不足と感じたりサービスを求めるのはなぜか。一つは、誰かに解決を依存して、自分で考えることが置き去りにされているからではないか思います。もう一つは、そのような感覚を持つ背景、自分たちを取り巻いている社会の本質的な課題について、多様な視点から想いを馳せ、そして話し合うことが少ないからではないかと思います。

国や自治体に解決策や施設整備を要望して、それが実現されることは大切だと思います。しかし、実現のためのお金はどこからくるのか。国や自治体には打ち出の小槌はありませんし、なにより、税もしくは公債が財源ということは、自分たちのお金の使い方が変わるというだけではないでしょうか。それは、今まで造ってきた公共施設やインフラをどうするのか、という課題と切り離せないことだと思います。

また、赤字国債の発行なしには運営がほぼ無理な今の国財政を考えに含めず、目の前のサービス実現や施設・インフラ整備にとらわれることは、将来に対しての決断としていかがなものでしょうか。サービスなどの切り詰めや、究極には破たんの可能性も想定に入れ、自分ごととして考えることがあれば、要求ばかりでない道が見えると思います。

本質的な課題を考えることについて、今の政策の状況は、例えるなら、健康な生活を送るために、頭が痛いから頭痛薬を飲み、関節が痛いから痛み止めを飲み、熱が出ているから解熱剤を飲み、鼻水が出るからそれを止める薬を飲み、咳が止まらないから咳止めを飲み、という状況になっているのではないでしょうか。それらをバラバラのものとしてではなく、大きな一つの要因から起こっていると考えれば、別の対処を考えるのではないでしょうか。また、その大きな要因を診断して、対処を考えるのではないでしょうか。

メディアの多くは「ある社会問題の解決策はこれだ」とばかりに、少々偏った視点で情報を提供している場合が多いと思います。また、その影響もあってか政治の場面でも、メディアを含めた世論にのることが解決という感じになってしまっている場面があるように思います。しかし、本来はどちらも多様な視点をや考えを、視聴している人や有権者の方々に伝えた上で、どのように取り組むのがいいのか、受け手の人たちと考えたり、解決に取り組むことが大切なのではと思います。

大きく社会が動くことが予想される時代、これまでや今の考えにとらわれず、一人でも多くの人が社会のことを考えられる、そういうまちづくりも意識したいと思います。

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