地元の「古写真」なんていうと大概は頭に入っているのですが、近隣の地元以外の隣町というと未だ見たことのない
「古写真」も数多く存在するわけで。。。
昨年、全線開通から丁度100年を迎えた地元JR小浜線。その沿線に位置するお隣「美浜町」の「鉄道」に関する
古写真が「若狭国吉城歴史資料館」で展示されているということで、仕事も空いたため気晴らしに訪れてみる。
資料館手前の「佐柿の関」もある城下町「佐柿の町並み」は相変わらず朽ちて行く一方で整備はされていない。
ここから少し山の方へ上がり「旧田辺邸」を移築した「若狭国吉城歴史資料館」に入館料を払い入る。
以前にもこの場でも書きましたが、この建物は当時そこそこな公費を投入し整備された建物で、座敷廻りは
見ごたえがある。
そんで持って、目的の「古写真」の方は僅か5枚のパネルに集約されたもので、数は少ないけど初めて目にする写真。
➀:上の旧国鉄2100形は明治時代に英国より輸入したもので、明治・大正・昭和と一世紀近く国内で
活躍したタンク式蒸気機関車。そして、下の写真は結構、興味深くて帰りに現在の場所も通って帰った
坂尻の「機織池」脇を力走するC58。「はたおり」という名前の由来は悲しい伝説かららしいのですが、昭和後期には
現在のように埋め立ての後、水田となった場所。下の写真は帰りに撮ったもので、古写真の左側から撮ってます。
②:このパネルの写真はなんてことはない・・・。
③:面白いのがここからで、隣町で「硅石」が採れていたというのが初耳で・・・。
(因みに説明文の「大田区御嶽山」とは「御岳山」の間違いかと。)
下の写真が実は一番興味深くて、写真左の1段下がったところが多分、小浜線の本線で奥が現在の「東美浜駅」辺り
と思われる。そして、その現在の東美浜駅辺りから南山側に引き込み線がスイッチバック式にあり、そこで「硅石」を
貨車に積み込んでいたようで、ここって今でも現存しているのか興味津々。
位置的には舞鶴若狭道になってる可能性大ですが・・・。
④:現在のJR美浜駅前は再開発中で、道の駅を造っていたり何故かいちご狩りのビニールハウスが出来たりで
この古写真の説明が正しいのであれば、今から90年前「満州事変」から凱旋した兵隊さんたちは想像も
出来なかったでしょうねぃ。
⑤:最後は「東美浜駅」の古写真。ここは当ブログでも以前に紹介してます。。。突如聖地と化す
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます