Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

チャペック「母」

2020年12月31日 | 読書
 チェコの作家・劇作家のカレル・チャペック(1890‐1938)は、戯曲「白い病」(1937)を書いた後に、戯曲「母」(1938)を書いた。それが最後の作品になった。わたしは「白い病」を読んで、まるでいまの新型コロナウイルスのパンデミックを先取りしたようなプロットに驚愕したが、読んだ後でチャペックの次の戯曲「母」も気になった。そこでついでに読んでみた(田才益夫訳「チャペック戯曲全集」↑所収)。

 本作は主人公の「母」と死者たちの対話からなる。死者たちとは、母の夫の「父」と4人の息子たちだ。母はそれらの死者たちと、かれらが生きていたときと同じように、ごく自然に対話する。幻想的かもしれないが、読んでいるあいだは、幻想的というよりも、普通の対話のように感じる。

 いま「対話」といったが、むしろ「議論」といったほうがいいかもしれない。母と死者たちは、死者たちの死をめぐって、激しく議論する。死者たちはそれぞれ、任務とか、新記録とか、思想のために死んだと主張する。だが、母は受け付けない。そんなものが死に値するか、と。死者たちは5人束になって母を説得しようとするが、母も負けない。その対立は、男性原理と女性原理の対立のように見える。

 わたしは母の言い分のほうに共感する。だが、本作が書かれた1938年のチェコだったらどうだろう。当時のチェコはナチス・ドイツの侵攻の危機にあった。死者たちは母に、母に残された唯一の息子、トニを戦いに参加させるよう求める。トニも母に、戦いへの参加を許すよう懇願する。ラジオは連日国民に戦いへの参加を呼びかける。すべての圧力が母にかかるなかで、母はどう決断するか。

 わたしは「母」を読みながら、井上ひさし(1934‐2010)の「父と暮らせば」(1994)を思い出した。両者は生者と死者との対話という点で共通する。「父と暮らせば」では、若い娘の「美津江」が広島の原爆で死んだ父「竹造」と対話する。その対話は、ほのぼのとした、親子の情愛にみちた対話だ。

 両者とも生者(母と美津江)の、死にとらわれた世界から生の世界への再生の物語なのだが、その過程が「母」では激しい議論を通じて、「父と暮らせば」では穏やかな日常会話を通じて、という具合に対照的だ。

 わたしは劇作家の平田オリザが指摘する「対話」と「会話」のちがいを思い出した。平田オリザによれば、「対話」とは他者と意見を交わし、他者を理解し、自分と異なる意見の存在を認めること。「会話」とは親しい者同士のおしゃべり。日本人は「対話」が苦手で、「会話」を好む、と。そんなことも両作品に影響しているのかもしれない。
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