ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の映画「カティンの森」をみた。これは第2次世界大戦中の実話にもとづくフィクションだが、当時のポーランド社会の現実が色濃く反映されていると思われた。
「カティンの森」事件は多くの方がご存知のことと思うが、要約しておくと、1939年に西はナチス・ドイツから、東はソ連から侵攻されたポーランドで起きた、ソ連によるポーランド将校の大量虐殺事件。事件は1940年4月に起きたが、東進したドイツが1943年に大量の遺体を発見して、ソ連の犯行と宣伝。その後ソ連がナチス・ドイツの犯行と逆宣伝。戦後になっても長い間真相は究明されず、タブー視された。
映画は事件に巻き込まれたポーランド将校の家族たち――母、妻、子どもたち――を中心に、その不安、動揺、絶望を描くことで進む。事件そのものも最後に描かれる。
この事件が映像化された意義はもちろん大きいが、私がとくに興味をひかれたのは、戦後のポーランド社会の描き方だった。市民はみんな事件がソ連によるものだとわかっていながら、ナチス・ドイツの犯行だとする当局の嘘に黙して語らない。嘘を嘘と言えない社会がどんなものか、異様にリアルな描写だった。
具体的には、戦後の社会の中で3人の登場人物が死ぬ。一人はカティンの森の虐殺を免れた将校。戦後、ソ連の影響下にあるポーランド軍の中で位階をあげるが、嘘を嘘と言えない抑圧のもとで自己を責めて自殺する。
もう一人は画家志望の青年。父親をカティンで殺され、履歴書に「ソ連によって」と書いたために、高校の卒業資格を拒まれる。直後に街頭でソ連のプロパガンダ・ポスターを引き裂いたために、官憲に追われて事故死する。
最後の一人は兄をカティンで殺された若い女性。姉が戦後のポーランド社会に順応しているのにたいして、妹のこの女性は、兄の死はソ連によるものと言い続け、その墓碑を建てようとして官憲に捕らえられて処刑される。この姉妹はギリシャ悲劇のアンティゴネーとイスメーネーを下敷きにしている。
音楽はポーランドの現代音楽の作曲家ペンデレツキが担当している。私は注目して出かけたが、控えめな使い方だった。プログラム誌によると、映画の撮影・編集終了後にペンデレツキの既存の作品の利用が決まり、ペンデレツキも「快諾した」とのこと。
エンディングでは「ポーランド・レクイエム」の一節が使われている。「ポーランド・レクイエム」――私は何年ぶりかでこの週末にCDをききなおしてみた。ペンデレツキ自身の指揮、北ドイツ放送交響楽団の演奏。この曲にはレクイエムでは異例の「フィナーレ」がついている。先行する各部分が要約され、大きく盛り上がっていくのをきいて、私にはこれがカティンの森で殺されたすべての人を追悼するもののように感じられた。
(2009.12.22.岩波ホール)
「カティンの森」事件は多くの方がご存知のことと思うが、要約しておくと、1939年に西はナチス・ドイツから、東はソ連から侵攻されたポーランドで起きた、ソ連によるポーランド将校の大量虐殺事件。事件は1940年4月に起きたが、東進したドイツが1943年に大量の遺体を発見して、ソ連の犯行と宣伝。その後ソ連がナチス・ドイツの犯行と逆宣伝。戦後になっても長い間真相は究明されず、タブー視された。
映画は事件に巻き込まれたポーランド将校の家族たち――母、妻、子どもたち――を中心に、その不安、動揺、絶望を描くことで進む。事件そのものも最後に描かれる。
この事件が映像化された意義はもちろん大きいが、私がとくに興味をひかれたのは、戦後のポーランド社会の描き方だった。市民はみんな事件がソ連によるものだとわかっていながら、ナチス・ドイツの犯行だとする当局の嘘に黙して語らない。嘘を嘘と言えない社会がどんなものか、異様にリアルな描写だった。
具体的には、戦後の社会の中で3人の登場人物が死ぬ。一人はカティンの森の虐殺を免れた将校。戦後、ソ連の影響下にあるポーランド軍の中で位階をあげるが、嘘を嘘と言えない抑圧のもとで自己を責めて自殺する。
もう一人は画家志望の青年。父親をカティンで殺され、履歴書に「ソ連によって」と書いたために、高校の卒業資格を拒まれる。直後に街頭でソ連のプロパガンダ・ポスターを引き裂いたために、官憲に追われて事故死する。
最後の一人は兄をカティンで殺された若い女性。姉が戦後のポーランド社会に順応しているのにたいして、妹のこの女性は、兄の死はソ連によるものと言い続け、その墓碑を建てようとして官憲に捕らえられて処刑される。この姉妹はギリシャ悲劇のアンティゴネーとイスメーネーを下敷きにしている。
音楽はポーランドの現代音楽の作曲家ペンデレツキが担当している。私は注目して出かけたが、控えめな使い方だった。プログラム誌によると、映画の撮影・編集終了後にペンデレツキの既存の作品の利用が決まり、ペンデレツキも「快諾した」とのこと。
エンディングでは「ポーランド・レクイエム」の一節が使われている。「ポーランド・レクイエム」――私は何年ぶりかでこの週末にCDをききなおしてみた。ペンデレツキ自身の指揮、北ドイツ放送交響楽団の演奏。この曲にはレクイエムでは異例の「フィナーレ」がついている。先行する各部分が要約され、大きく盛り上がっていくのをきいて、私にはこれがカティンの森で殺されたすべての人を追悼するもののように感じられた。
(2009.12.22.岩波ホール)