Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カティンの森

2009年12月28日 | 映画
 ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の映画「カティンの森」をみた。これは第2次世界大戦中の実話にもとづくフィクションだが、当時のポーランド社会の現実が色濃く反映されていると思われた。

 「カティンの森」事件は多くの方がご存知のことと思うが、要約しておくと、1939年に西はナチス・ドイツから、東はソ連から侵攻されたポーランドで起きた、ソ連によるポーランド将校の大量虐殺事件。事件は1940年4月に起きたが、東進したドイツが1943年に大量の遺体を発見して、ソ連の犯行と宣伝。その後ソ連がナチス・ドイツの犯行と逆宣伝。戦後になっても長い間真相は究明されず、タブー視された。

 映画は事件に巻き込まれたポーランド将校の家族たち――母、妻、子どもたち――を中心に、その不安、動揺、絶望を描くことで進む。事件そのものも最後に描かれる。

 この事件が映像化された意義はもちろん大きいが、私がとくに興味をひかれたのは、戦後のポーランド社会の描き方だった。市民はみんな事件がソ連によるものだとわかっていながら、ナチス・ドイツの犯行だとする当局の嘘に黙して語らない。嘘を嘘と言えない社会がどんなものか、異様にリアルな描写だった。

 具体的には、戦後の社会の中で3人の登場人物が死ぬ。一人はカティンの森の虐殺を免れた将校。戦後、ソ連の影響下にあるポーランド軍の中で位階をあげるが、嘘を嘘と言えない抑圧のもとで自己を責めて自殺する。
 もう一人は画家志望の青年。父親をカティンで殺され、履歴書に「ソ連によって」と書いたために、高校の卒業資格を拒まれる。直後に街頭でソ連のプロパガンダ・ポスターを引き裂いたために、官憲に追われて事故死する。
 最後の一人は兄をカティンで殺された若い女性。姉が戦後のポーランド社会に順応しているのにたいして、妹のこの女性は、兄の死はソ連によるものと言い続け、その墓碑を建てようとして官憲に捕らえられて処刑される。この姉妹はギリシャ悲劇のアンティゴネーとイスメーネーを下敷きにしている。

 音楽はポーランドの現代音楽の作曲家ペンデレツキが担当している。私は注目して出かけたが、控えめな使い方だった。プログラム誌によると、映画の撮影・編集終了後にペンデレツキの既存の作品の利用が決まり、ペンデレツキも「快諾した」とのこと。
 エンディングでは「ポーランド・レクイエム」の一節が使われている。「ポーランド・レクイエム」――私は何年ぶりかでこの週末にCDをききなおしてみた。ペンデレツキ自身の指揮、北ドイツ放送交響楽団の演奏。この曲にはレクイエムでは異例の「フィナーレ」がついている。先行する各部分が要約され、大きく盛り上がっていくのをきいて、私にはこれがカティンの森で殺されたすべての人を追悼するもののように感じられた。
(2009.12.22.岩波ホール)
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デプリースト&都響

2009年12月21日 | 音楽
 都響の12月定期は前常任指揮者のジェイムズ・デプリーストを指揮者に迎えてA、B両シリーズとも次のプログラムが組まれた。
(1)シューマン:ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン:イザベル・ファウスト)
(2)ブルックナー:交響曲第7番

 シューマンのヴァイオリン協奏曲はめったに演奏されず、私は生できいた記憶がない。これはシューマン最晩年の作品。当日のプログラム誌によると、作曲年代は1853年9月21日~10月3日とのこと。
 若きブラームスがシューマンのもとを訪れたのが同年9月30日だったので、その運命的な出会いをはさんで作曲されたことになる。翌年2月27日にはライン川に投身自殺を図っている――なので、この時期のシューマンの内面はかなり行き詰っていたと思われる。

 その内面にあったものはなんであったかを、ききとることができるかどうかが、当日の私の最大の関心事であった。

 イザベル・ファウストのヴァイオリンは、シューマンの内面にたしかに触れているように感じられた。その内面の声は、個性のきらめきも、精神の高揚も、あるいは闘争も、すべてを放棄して、ただ穏やかさだけを求めているようであった。あえて言うなら、「私は疲れた、休みたい」と言っているような――。

 思えばシューマンは、最初期のピアノ曲のころから、だれも踏み込んだことのない感性の微細な領域に踏み込んでいった。その緊張がついに限界にきたのだろうか。あるいは、別の言い方をするなら、音楽史がシューマンに強いた緊張が、ついにシューマンの容量の限界にきてしまったのだろうか。

 都響の演奏は――この曲ではオーケストラにできることは限られているものの――シューマンの内面の声に耳を傾けようとしているように、私には感じられた。これにはデプリーストの存在が大きかったのではないかと思う。

 ブルックナーの交響曲第7番では、明るく温かいデプリーストの音が(昨年3月の退任以来久しぶりに)蘇った。明快で引きずることのないフレージングによる、見通しのよい演奏。反面、音にたいする陶酔感はないので、物足りない人もいるだろう。けれども、たとえば第4楽章の終結部のような金管の咆哮でも、けっして音が濁らない。11月に現常任指揮者の棒できいたブルックナーの第5番が、アンサンブルに粗さがあって困惑したのに比べて、こちらのほうが常任指揮者らしかった。
(2009.12.18.サントリーホール)
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虫の交響曲

2009年12月16日 | 音楽
 読売日響の12月定期はオスモ・ヴァンスカを指揮者に迎えて次のプログラム。
(1)カレヴィ・アホ:交響曲第7番「虫の交響曲」
(2)ベートーヴェン:交響曲第7番

 カレヴィ・アホは1949年生まれのフィンランドの作曲家。ヴァンスカは2008年11月に客演した際にも交響曲第9番(トロンボーンと管弦楽のための)を振っていたが、私はそれをきけなかったので、今回が初めて。
 それにしても虫の交響曲とはなんだろうと思っていたら、先月のプログラム誌に、チャペック兄弟の原作にもとづくオペラ「虫の生活」を再構成したものという記事がのっていた。

 チャペック兄弟!私は俄然興味がわいてきた。弟のカレル・チャペックはヤナーチェクのオペラ「マクロプロス事件」の原作者だし(もっとも結末はヤナーチェクがかなり書き直しているが‥)、兄のヨゼフ・チャペックもヤナーチェクのオペラ「ブロウチェク氏の旅行」の漫画を描いている。

 そこで原作「虫の生活から」(田才益夫訳)を読んでみた。ひじょうに面白い。酒に酔った浮浪者が転んで、地面の上の虫たちの生活をみる。蝶々たちは享楽の生活、フンコロガシやコオロギなどはブルジョワジーの生活、蟻たちは全体主義国家――この部分は十数年後のナチスの登場の予言のように感じられる。

 アホの曲はオペラから抜粋したもので、全6楽章からなっている。私は事前に原作を読んだためか、今どこの場面をやっているかがよくわかった。これは驚くべきことではなかろうか。それだけ描写が成功しているということだ。

 たとえば第5楽章の蟻たちの「労働音楽」では、左右の客席にトロンボーンのバンダが入って異様な抑圧感を生む。引き続いて起きる「戦争のマーチ」では口笛を模したようなキッチュなマーチとなる。第6楽章の「死んだカゲロウたちのための子守歌」では、フルートとファゴットの重奏による慰めにみちたメロディーが歌われ、そこにイングリッシュホルンがオブリガートをつけ、さらに独奏チェロに歌い継がれる。曲が終わっても、生命のいとおしさの余韻が残る。

 ベートーヴェンの交響曲第7番は、一瞬の停滞もなくエネルギッシュに進み、大きな起伏のラインを描く。強音よりも弱音に比重がかかり、抑制された音量の中で、リズムが果てしなく続いていく。第2楽章などはその好例で、リズムパターンが浮き上がり、目にみえるよう――なので、これは情感できかせる演奏ではない。
 第4楽章ではオーケストラ機能を全開させ、ピリオド楽器が全盛の時代にあって、近代オーケストラで演奏するとはどういうことかを問うもののように感じられた。
(2009.12.15.サントリーホール)
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デュトワ&N響

2009年12月14日 | 音楽
 N響の12月定期は‘名誉芸術監督’のデュトワの指揮。すでにAプロとCプロが終わっているので、その感想を。

 Aプロは次のような曲目。
(1)ストラヴィンスキー:バレエ音楽「アゴン」
(2)ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第2番(ピアノ:キリル・ゲルシュタイン)
(3)R.シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」(チェロ:ゴーティエ・カプソン、ヴィオラ:店村眞積)

 「アゴン」は、シェーンベルクの没した後に、ストラヴィンスキーが書いた音列技法による曲の一つ。デュトワの指揮は、最初の2つの部分はアグレッシヴな演奏、最後の3つ目の部分は、見知らぬ世界に分け入ったような戸惑いが広がるもの。これは、この曲のイメージ通りの表現。
 ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番は、とくに両端楽章で指揮者とピアニストが容赦なくテンポを上げ、オーケストラもそれにぴったりついていくスリリングな演奏。
 交響詩「ドン・キホーテ」は、今になってみると、なぜか印象が薄い。

 Cプロは次のような曲目。
(1)チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン:アラベラ・美歩・シュタインバッハー)
(2)ヤナーチェク:グラゴル・ミサ曲(4人の独唱、合唱、オルガンが加わるが、煩瑣になるといけないので、個々の名前は省略する。)

 アラベラ・美歩のヴァイオリンは、堂々と構えた演奏。第3楽章では意識して荒々しい表現に努めていた。この曲にはどこか崩れた演奏を求めたい気がするが、そういう演奏ではなかった。アンコールにクライスラーを1曲。
 グラゴル・ミサ曲は、オーケストラが明るく輝かしい音で鳴っていて、目の覚めるような思いがした。こういう演奏をきいていると、N響は世界でも一流の力を潜在的にもっていることがわかる。
 なお、この曲にはその前作の「シンフォニエッタ」との共通項がある。それは以前から感じていたが、今回の演奏では、生命の賛歌という意味で「利口な女狐の物語」と共通するものを感じた。この曲はあの色彩豊かで肯定的な音楽が――宇宙的な規模で――拡大された音楽ではなかろうか。

 今年ももう終わりだが、数えてみると、N響の定期は8回きいた。その中ではデュトワ指揮の今回が一番本気になっていると感じた。
(2009.12.05(Aプロ)&12(Cプロ).NHKホール)
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東京シティ・フィルの12月定期

2009年12月10日 | 音楽
 東京シティ・フィルの12月定期は常任指揮者の飯守泰次郎の指揮で次のようなプログラムが組まれた。
(1)ヴォルフ:イタリアのセレナード
(2)B.ゴルトシュミット:交響的シャコンヌ
(3)R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」

 私は初めにこのプログラムをみて、ゴルトシュミットってだれ?と思った。今は便利な時代になって、インターネットで検索すると、基礎的な情報はあれこれ手に入る――わかったことは、ゴルトシュミットは1903年にハンブルクに生まれたユダヤ人作曲家で、シュレーカーについて学び、32年にオペラ「堂々たるコキュ」が初演されて注目を集めたが、ナチス政権の成立により、35年にイギリスに亡命。
 その後、長らく忘れられていたが、CDの「退廃音楽」シリーズで「堂々たるコキュ」が取り上げられ、92年にはベルリンで演奏会形式によって上演されるなど、一時期ゴルトシュミット・ルネッサンス的な現象が起きたとのこと。96年に亡くなったが、生涯の最後にまさかの復活を遂げた数奇な運命の人。

 私も「堂々たるコキュ」のCDをきいてみたが、実に面白い。エロティックでグロテスク。かりにユダヤ人でなかったとしても、ナチス政権から嫌われたことは間違いない。幕切れのどんでん返しは、ツェムリンスキーのオペラ「フィレンツェの悲劇」を連想させる。

 当夜の「交響的シャコンヌ」は、イギリスに亡命した直後の作品。3楽章からなり、シンフォニエッタ的な感じの曲だが、終楽章の後半で暗転する。ここにはナチスの影が投影されていると思われ、痛々しかった。

 このような曲は、常任指揮者が継続的にそのオーケストラを振っていないと、なかなか取り上げることは難しいだろう。ある一人の指揮者が責任を持ってオーケストラを育成し、また聴衆にさまざまな曲を提供するという、昔ながらの姿が残っていることは、好ましいことだと思った。

 プログラムの前半2曲が、「このような曲もありますよ」という意図だったとすれば、後半の「英雄の生涯」は「私たちの演奏をきいてください」という、現状でのベストを尽くして、その成果を問うものだった。
 冒頭の英雄の主題からして、意欲みなぎる太い豊かな音がして、この指揮者とオーケストラが勝負をかけていることが感じられた。そのいさぎよさは、現状のもろもろの不備を超えて、さわやかな共感をさそった。
(2009.12.09.東京オペラシティ)
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ブロウチェク氏の旅行

2009年12月07日 | 音楽
 東京交響楽団の12月定期はヤナーチェクのオペラ「ブロウチェク氏の旅行」のセミ・ステージ形式上演。東響はこれまでヤナーチェクのオペラを4作品上演しているが、今回は5つ目。「ブロウチェク氏の旅行」はヤナーチェクの中では比較的地味な作品なので、過去の上演の積み重ねがないと、なかなか手を出せなかっただろう。その努力に敬意を表する。

 このオペラは、中年男ブロウチェク氏が酔いつぶれて、ある晩は月に行く夢を、翌晩は15世紀にタイムスリップする夢をみる――という奇想天外な話。
 第1部の月の世界と第2部の15世紀の世界にはなんの関連もないので、散漫な印象をもたれがちだが、ほんとうにそうだろうか。月の世界では、そこの住人が芸術を賛美する中にあって、俗物ブロウチェク氏は異邦人。15世紀のプラハでは、市民が神聖ローマ帝国の圧制に立ち向かう中で、臆病なブロウチェク氏は異邦人。結局どこにいっても異邦人だが、その姿を愛情あふれる眼差しで描いたのがこのオペラではないだろうか。

 つまるところ私たちは、社会でも、あるいは職場でも、多かれ少なかれ異邦人ではないだろうか。そこの価値観に完全に帰属できる人は幸せだが、それができない人もいるのだ――。

 このオペラの音楽は、第1部ではヤナーチェクには珍しい3拍子が支配し、第2部では15世紀にうたわれたコラールが中心となる。飯森範親の指揮する東京交響楽団の演奏は、第1部では奔放な躍動感が生まれるにはいたらなかったが、第2部では焦点の定まった演奏になった。
 歌手ではブロウチェク氏のヤン・ヴァツィークがコミカルなキャラクターを十全に表現した歌唱と演技。そのほか、マーリンカなど3役のマリア・ハーン、居酒屋の主人ヴュルフルなど3役のズデネェク・ブレフが目立った。
 このオペラでは重要な役割の合唱は東響コーラスで、健闘。
 マルティン・オタヴァの演出は、とくにこれといったものはなかった。

 セミ・ステージ形式の上演だったのであらためて気がついたが、第2部の市民たちの行進を先導するバグパイプを模した音型は、オーボエ2本の別働隊(昨日はPブロックの座席に配置)による演奏。私は今までその認識がなかった。

 また字幕のおかげで、第2部で交わされる市民たちの政治論議がよくわかった。なるほど急進的なターボル派にたいする懸念が表明されるときに(昨日は高橋淳が好唱)、音楽には陰がさすのだ――。私のもっているイーレク指揮チェコ・フィルのCDは外盤なので、英語の対訳では細かいところまでは追えていなかった。そのため、今までに2回この作品の舞台をみたことがあるが、いつもこの部分は冗長に感じていた。
(2009.12.6.サントリーホール)
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高島野十郎

2009年12月03日 | 身辺雑記
 先日、博多に行ってきました。職場の友人が転勤していて、いろいろ苦労している話が伝わってきたので、心配になっていたからです。もっとも、私の立場ではなにもできず、ただ話をきくだけでしたが、それでも私の訪問を喜んでくれたようです。かれの行きつけの居酒屋で一杯やり、博多ラーメンで締めました。

 それはさておき――、当日はお昼に博多に着き、待ち合わせは夕方だったので、空いている時間で福岡県立美術館に行ってみました。事前にホームページをみてみたら、企画展として高島野十郎(たかしま・やじゅうろう)展をやっていたからです。

 ご存知のかたも多いと思いますが、高島野十郎は1890年(明治23年)生まれの洋画家です。若いころは坂本繁二郎などとの交流もありましたが、その後は画壇との関係をもたず、孤高の人生を送りました。無名のまま1975年(昭和50年)に亡くなりましたが、最近ではその画風および生き方にたいする関心が高まっているようです。
 私もある展覧会でその作品にふれて以来、気にかかっていました。

 今回の企画展は同館の所蔵する作品50点余りで構成され、この画家のテーマが一望できるものでした。若いころの自画像、果物を中心とした静物画、風景画、月を描いた夜景、そしてこの画家の代名詞ともいえる蝋燭の絵。これらの作品は西洋の画家とはまったくちがう日本人固有の自然観や人生観を感じさせるものでした。

 では、日本人固有の自然観や人生観とは、どのようなものでしょうか。幸いにも同館の作った「旅する野十郎」という小冊子があり、野十郎の残した言葉がのっているので、参考までにいくつか引用してみます。

 「花一つを、砂一粒を人間と同物に見る事、神と見る事」
 これは風景画を描くときの心構えを語った言葉です。砂粒一つを神とみる感性は、西洋人にはないものでしょう。

 「天体までのきょりは言語を絶する/眼前一尺のきょりも又然り」
 これは静物画を描くときの心構えですが、目の前のものとの距離を天体までの距離になぞらえる感性も、西洋人にはないものでしょう。

 野十郎は1960年(昭和35年)以降、千葉県柏市に住んでいたとのこと。畑の一角に小屋を建て、電気もガスも水道も引かずに、井戸を掘り、七輪で煮炊きをする生活をしていたそうです。企画展にはそのころの写真が展示されていましたが、文字通りの小屋です。そこで70歳の男が一人暮らしをし、絵を描いていた――。本人はこのうえもなく幸せだったろうと思います。
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オール・シュニトケ・プロ

2009年12月01日 | 音楽
 読売日響の11月定期は名誉指揮者ロジェストヴェンスキーの指揮で次のようなオール・シュニトケ・プロ。これはロジェストヴェンスキーならではの企画だ。
(1)シュニトケ:リヴァプールのために
(2)シュニトケ:ヴァイオリン協奏曲第4番(ヴァイオリン:サーシャ・ロジェストヴェンスキー)
(3)シュニトケ:オラトリオ「長崎」(メゾ・ソプラノ:坂本朱、合唱:新国立劇場合唱団)

 「リヴァプールのために」は1994年、シュニトケが亡くなる4年前の作品。イギリスのロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニック協会からの委嘱で作曲され、翌年に同オーケストラによって初演されたとのこと。
 トゥッティでファンファーレのような音型が奏され、それを金管が引き継ぐ。ところが次にくるのがチューバの長いソロ――これがどうみても壮麗なファンファーレの調子ではない。その後も盛り上がらない音楽が続き、ついにはキッチュなワルツが出てくる。最後には壊滅的な不協和音の一撃。
 これは人を喰ったようなファンファーレのパロディー、あるいは解体の音楽だ。

 ヴァイオリン協奏曲第4番は1984年の作品。第1楽章はチューブラーベルとプリペアド・ピアノによる鐘の音の模倣ではじまり、木管楽器によるコラール風の主題が出る。ときどき鋭い不協和音がはさみ込まれる。切れ目なしに無窮動的なソロ・ヴァイオリンの動きがはじまって第2楽章となる。激しい動きが最高潮にたっした後、急速に脱力して第3楽章になる。チェンバロの伴奏をともなうソロ・ヴァイオリンのバロック風の旋律。ここまでは緩―急―緩と来たので、第4楽章は急の音楽かと思っていると、さらに遅い深く沈潜した音楽になる。
 この曲はシュニトケの「多様式主義」が洗練をきわめ、簡潔な書法に到達したことを感じさせる作品。20世紀後半のヴァイオリン協奏曲の名作だと思う。演奏はとくに第4楽章でソロ・ヴァイオリン、オーケストラともに集中力があった。
 アンコールにはバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番からジーグが弾かれた。

 オラトリオ「長崎」は1958年の作品、モスクワ音楽院の卒業制作だそうだ。当時は放送用に録音され、反米プロパガンダとして日本に向けて放送されたが、その後は忘れられていたらしい。2006年に再発見されて南アフリカで公開初演され、今年8月にはロンドンでゲルギエフ指揮のロンドン交響楽団によって演奏されたとのこと。
 全5楽章からなり、原爆投下の悲劇をうたった作品。第1楽章の冒頭では、(日本流にいえば)大河ドラマのテーマ音楽のようなものが朗々と鳴り渡るので驚く。全体的にはプロコフィエフの「アレクサンドル・ネフスキー」を下敷きにしていることが感じられ、シュニトケの生涯という文脈に置いてみると興味深い。

 今年の秋は、オペラでは「ヴォツェック」、演劇では「ヘンリー六世」、そしてコンサートではこの演奏会と、大きな収穫があった。
(2009.11.30.サントリーホール)
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