都響の1月定期は、毎年、日本人の作曲家の作品が取り上げられる。若杉弘元音楽監督時代に始められ、多少の紆余曲折があった後、今は作曲家の別宮貞雄さんがプロデュースする形で続いている。
今年は、オーストリアの作曲家、指揮者、シャンソニエ、コントラバス奏者という多芸多才なHKグルーバーを指揮者に迎えて、次のようなプログラムが組まれた。
(1)ケージ:バレエ音楽「四季」
(2)一柳慧:ヴァイオリン協奏曲「循環する風景」(ヴァイオリン:山田晃子)
(3)一柳慧:交響曲第2番「アンダーカレント」
(4)コリリアーノ:ファンタスマゴリア(歌劇「ヴェルサイユの幽霊」による)
ジョン・ケージの作品は1947年の作曲で、偶然性の音楽に入る前の作品だ。つまり、きちんと音符が書いてある。けれども、きいた印象は、普通の音楽とは相当ちがう。一言で言うと、アンチ・クライマックスの音楽だ。前奏曲をはさみながら、冬、春、夏、秋と進むが、淡々とした音の連なりに終始し、西洋音楽らしい構築感がない。
たしかにこれはバレエ音楽だと感じる。音楽はバレエの身振りを想像させる。だが、チャイコフスキーやストラヴィンスキーのバレエとはまったく異質だ。
ジョン・ケージ、その名は私に高校生から大学生の頃の時代思潮を思い出させる。それは1960年代後半から70年代前半。音楽にかぎらず、時代は前衛のピークを過ぎたとはいえ、学生の私にはまだその余燼がくすぶっていた。
ケージの音楽は、全面的セリーの音楽とともに、否、もっと言えば、モーツァルトやワーグナーとともに私の中に入ってきた。全部が一緒くたになって、同時に入ってきた。そんな中でケージは、既成の概念をぶち壊す音楽として、そこにあった。
思えば、当時は、根源という言葉が流行っていた。音楽の根源までさかのぼって、その意味を問い直す音楽、そんなことを当時の私は、だれかれ構わず言わなかったろうか。
今思うと、私はケージをよく分かっていなかった。分からずに過ごして、今になってしまった。
一柳慧のヴァイオリン協奏曲は1983年の作曲。私は、この作品はその3年前に作曲された武満徹の「遠い呼び声の彼方に!」に触発されて書かれたのではないかと思う。ただ、曲の構成はかなりちがう。武満徹の作品は、武満トーンに満たされたイメージの広がりがあるが、一柳慧のほうは、もっと知的な作業を感じさせる。演奏はやや単調だった。
交響曲第2番は、当初は室内オーケストラのための作品として1993年に作曲されたが、この日は97年に通常のオーケストラ用に改訂された版が演奏された。演奏は色彩感が豊かで、最後のオスティナートの部分は、西洋人の指揮者らしい力感がこもっていた。
コリリアーノの「ファンタスマゴリア」は、自作のオペラを素材とした幻想曲のようなもの。この作曲家特有の引用が多用され、「フィガロの結婚」や「セヴィリアの理髪師」などの断片が目まぐるしく登場する。明るく、楽しく、元気が出る曲で、今の時代にかみあっている。都響の演奏も見事だった。オペラは1992年の作曲だが、こちらは2000年の作曲。
(2009.01.27.サントリーホール)
今年は、オーストリアの作曲家、指揮者、シャンソニエ、コントラバス奏者という多芸多才なHKグルーバーを指揮者に迎えて、次のようなプログラムが組まれた。
(1)ケージ:バレエ音楽「四季」
(2)一柳慧:ヴァイオリン協奏曲「循環する風景」(ヴァイオリン:山田晃子)
(3)一柳慧:交響曲第2番「アンダーカレント」
(4)コリリアーノ:ファンタスマゴリア(歌劇「ヴェルサイユの幽霊」による)
ジョン・ケージの作品は1947年の作曲で、偶然性の音楽に入る前の作品だ。つまり、きちんと音符が書いてある。けれども、きいた印象は、普通の音楽とは相当ちがう。一言で言うと、アンチ・クライマックスの音楽だ。前奏曲をはさみながら、冬、春、夏、秋と進むが、淡々とした音の連なりに終始し、西洋音楽らしい構築感がない。
たしかにこれはバレエ音楽だと感じる。音楽はバレエの身振りを想像させる。だが、チャイコフスキーやストラヴィンスキーのバレエとはまったく異質だ。
ジョン・ケージ、その名は私に高校生から大学生の頃の時代思潮を思い出させる。それは1960年代後半から70年代前半。音楽にかぎらず、時代は前衛のピークを過ぎたとはいえ、学生の私にはまだその余燼がくすぶっていた。
ケージの音楽は、全面的セリーの音楽とともに、否、もっと言えば、モーツァルトやワーグナーとともに私の中に入ってきた。全部が一緒くたになって、同時に入ってきた。そんな中でケージは、既成の概念をぶち壊す音楽として、そこにあった。
思えば、当時は、根源という言葉が流行っていた。音楽の根源までさかのぼって、その意味を問い直す音楽、そんなことを当時の私は、だれかれ構わず言わなかったろうか。
今思うと、私はケージをよく分かっていなかった。分からずに過ごして、今になってしまった。
一柳慧のヴァイオリン協奏曲は1983年の作曲。私は、この作品はその3年前に作曲された武満徹の「遠い呼び声の彼方に!」に触発されて書かれたのではないかと思う。ただ、曲の構成はかなりちがう。武満徹の作品は、武満トーンに満たされたイメージの広がりがあるが、一柳慧のほうは、もっと知的な作業を感じさせる。演奏はやや単調だった。
交響曲第2番は、当初は室内オーケストラのための作品として1993年に作曲されたが、この日は97年に通常のオーケストラ用に改訂された版が演奏された。演奏は色彩感が豊かで、最後のオスティナートの部分は、西洋人の指揮者らしい力感がこもっていた。
コリリアーノの「ファンタスマゴリア」は、自作のオペラを素材とした幻想曲のようなもの。この作曲家特有の引用が多用され、「フィガロの結婚」や「セヴィリアの理髪師」などの断片が目まぐるしく登場する。明るく、楽しく、元気が出る曲で、今の時代にかみあっている。都響の演奏も見事だった。オペラは1992年の作曲だが、こちらは2000年の作曲。
(2009.01.27.サントリーホール)