Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

都響の1月定期(Bシリーズ)

2009年01月28日 | 音楽
 都響の1月定期は、毎年、日本人の作曲家の作品が取り上げられる。若杉弘元音楽監督時代に始められ、多少の紆余曲折があった後、今は作曲家の別宮貞雄さんがプロデュースする形で続いている。
 今年は、オーストリアの作曲家、指揮者、シャンソニエ、コントラバス奏者という多芸多才なHKグルーバーを指揮者に迎えて、次のようなプログラムが組まれた。
(1)ケージ:バレエ音楽「四季」
(2)一柳慧:ヴァイオリン協奏曲「循環する風景」(ヴァイオリン:山田晃子)
(3)一柳慧:交響曲第2番「アンダーカレント」
(4)コリリアーノ:ファンタスマゴリア(歌劇「ヴェルサイユの幽霊」による)

 ジョン・ケージの作品は1947年の作曲で、偶然性の音楽に入る前の作品だ。つまり、きちんと音符が書いてある。けれども、きいた印象は、普通の音楽とは相当ちがう。一言で言うと、アンチ・クライマックスの音楽だ。前奏曲をはさみながら、冬、春、夏、秋と進むが、淡々とした音の連なりに終始し、西洋音楽らしい構築感がない。
 たしかにこれはバレエ音楽だと感じる。音楽はバレエの身振りを想像させる。だが、チャイコフスキーやストラヴィンスキーのバレエとはまったく異質だ。

 ジョン・ケージ、その名は私に高校生から大学生の頃の時代思潮を思い出させる。それは1960年代後半から70年代前半。音楽にかぎらず、時代は前衛のピークを過ぎたとはいえ、学生の私にはまだその余燼がくすぶっていた。
 ケージの音楽は、全面的セリーの音楽とともに、否、もっと言えば、モーツァルトやワーグナーとともに私の中に入ってきた。全部が一緒くたになって、同時に入ってきた。そんな中でケージは、既成の概念をぶち壊す音楽として、そこにあった。
 思えば、当時は、根源という言葉が流行っていた。音楽の根源までさかのぼって、その意味を問い直す音楽、そんなことを当時の私は、だれかれ構わず言わなかったろうか。
 今思うと、私はケージをよく分かっていなかった。分からずに過ごして、今になってしまった。

 一柳慧のヴァイオリン協奏曲は1983年の作曲。私は、この作品はその3年前に作曲された武満徹の「遠い呼び声の彼方に!」に触発されて書かれたのではないかと思う。ただ、曲の構成はかなりちがう。武満徹の作品は、武満トーンに満たされたイメージの広がりがあるが、一柳慧のほうは、もっと知的な作業を感じさせる。演奏はやや単調だった。
 交響曲第2番は、当初は室内オーケストラのための作品として1993年に作曲されたが、この日は97年に通常のオーケストラ用に改訂された版が演奏された。演奏は色彩感が豊かで、最後のオスティナートの部分は、西洋人の指揮者らしい力感がこもっていた。

 コリリアーノの「ファンタスマゴリア」は、自作のオペラを素材とした幻想曲のようなもの。この作曲家特有の引用が多用され、「フィガロの結婚」や「セヴィリアの理髪師」などの断片が目まぐるしく登場する。明るく、楽しく、元気が出る曲で、今の時代にかみあっている。都響の演奏も見事だった。オペラは1992年の作曲だが、こちらは2000年の作曲。
(2009.01.27.サントリーホール)
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上岡敏之&読響

2009年01月25日 | 音楽
 読響は1月定期の指揮者に上岡敏之を迎えた。プログラムは次のとおり。
(1)マーラー:交響曲第10番からアダージョ
(2)モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番(ピアノ:フランク・ブラレイ)
(3)ヨゼフ・シュトラウス:ワルツ「隠された引力(デュナミーデン)」
(4)リヒャルト・シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」組曲
 この日のチケットは完売、当日券売り場は閉まっていた。在京オーケストラの定期では珍しい。

 マーラーが始まる。驚くほど遅いテンポで、今にも絶え入りそうな呼吸を思わせる瞬間がある。第2主題になって動きのあるテンポになったが、それもつかの間、また元のテンポに戻る。音は薄い。今まできいたことのない演奏だ。これは死を前にしたマーラーの荒涼とした心象風景だろうか。

 一転してモーツァルトは、フランク・ブラレイのピアノが、肌理の細かい、適度な湿度を保った音色で、楚々とした、匂うような色香をただよわせる。オーケストラも色彩豊かだ。ブラレイは髭の生えた男性ピアニストだが、私はその演奏をきいていて、美しい人を見たときの動揺のようなものを感じた。

 3曲目の「デュナミーデン」は、「ばらの騎士」のオックス男爵のワルツの素材になった曲だが、上岡敏之の指揮はテンポを機敏に伸縮させ、メロディーを1、2、3・・・の拍から解き放つ。次の「ばらの騎士」組曲への導入の域にとどまらない、明確な目的意識をもつ演奏だった。

 そして「ばらの騎士」組曲。オクタヴィアンとゾフィーの二重唱は、声楽が入ったら不可能なほどテンポを落とし、また、オックス男爵のワルツの出だしは、ジクソーパズルの断片のように細分化される。舞台がないことを逆手にとって、このオペラのエッセンスを凝縮する演奏だ。
 この組曲は、必ずしもストリーの進行に沿った配列にはなっていないので、私はいつも混乱して苦手だった。しかしこの日の演奏で、その意味が分かった。脈絡のないイメージが並列されて内的な幻想を生むシュール・レアリスム絵画のように、各曲がオーバーラップしてオペラの本質に触れるのだ。

 上岡敏之の指揮は、すべてがスリリングだった。読響もその要求によく応えていた。このコンビはすでに数年来の共演歴をもつが、今回の定期で一つの成果に到達した。
(2009.01.23.サントリーホール)
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東京シティ・フィルの1月定期

2009年01月23日 | 音楽
 東京シティ・フィルの1月定期は、児玉宏を指揮者に迎えて、次のようなプログラムが組まれた。
(1)ウォルトン:バレエ組曲「賢い乙女たち」
(2)ピルナイ:ドイツ流行歌の愉快な遊び
(3)プロコフィエフ:交響曲第7番「青春」
 1曲目のウォルトンの作品は、私は初めてきく。2曲目にいたっては、作曲者の名前すら知らなかった。今の日本でこういうプログラムを組むのは児玉宏くらいだ。

 ウォルトンの作品は、バッハのカンタータのアリアや合唱曲などを編曲したもの。おそらくだれもが知っているFM番組のテーマ音楽も出てくる。その曲名を書いてもよいのだが、初めてきく人の楽しみのために、あえて伏せておこう。演奏は恰幅のよい音で堂々としたバッハを鳴らしていた。

 この日の白眉は、次のピルナイの曲。1945年作曲とのことだが、当時の流行歌をもとに11の変奏曲に仕上げている。その変奏曲が傑作で、さまざまな作曲家の作品を模している。私はときどきクスクスと笑ってしまった。しかもプログラムの解説がふるっていて、クイズ形式になっている。これには感心した。参考までに、どのようなものか、最初のいくつかを紹介してみよう。解答は選択式。
 第1変奏曲:( )ヘンデル風 ( )バッハ風 ( )テレマン風
 第2変奏曲:( )ハイドン風 ( )サリエリ風 ( )モーツァルト風
 第3変奏曲:( )シューベルト風 ( )シューマン風 ( )ブラームス風
 (以下略)
 なお、出題?は、舩木篤也さんだ。

 最後のプロコフィエフの曲は、先週、ラザレフ&日本フィルできいたばかりだが、それとはまったくちがう演奏スタイル。ラザレフ&日本フィルは流動的な線の絡み合いだったが、こちらはブロックを一つずつ積み上げていくような感があった。

 児玉宏は、長らくドイツの歌劇場で活動してきた指揮者で、そのキャリアのとおり、重厚で押し出しの強い演奏をする。今の時代には珍しい個性派指揮者だ。朝比奈隆、飯守泰次郎につらなる指揮者の系譜を形成するが、嬉しいことには、特定のレパートリーを繰り返すタイプではない。

 どうやら、時代とは、一色に染まりそうでいて、案外そうでもないらしい。
(2009.01.21.東京オペラシティ・コンサートホール)
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じゃじゃ馬ならし再説

2009年01月21日 | 音楽
 私が愛読しているブログに「charisの美学日誌」というものがある(注)。大学で哲学を講じているかたのブログで、話題は多岐にわたるが、オペラがお好きなようで、ときどきオペラの話題もでる。最近では私と同じ日に「じゃじゃ馬ならし」をご覧になったようで、その話題がでたので、興味深く読ませていただいた。
 charisさんに刺激されて、私の見方をもう一度述べたくなったので、以下、前回の補足を。

 前回のブログでも少々ふれたが、私は、字幕を見ていて、男性は女性を教え導くものという思想が散見されることに驚いた。よく考えてみると、そもそもシェイクスピアの原作がそうだと言えなくもない。けれども原作は、シェイクスピアのほかの作品と同じように、表面の下には真綿のような厚い層があり、一つの見方で割り切ろうとすると、別の見方がでてきて、単純化できない。この作品も、ペトルーチオがカタリーナを征服したのかどうか、考え始めると幾重もの解釈が可能のように思えてくる。
 けれども、オペラでは、ペトルーチオがカタリーナを教え導いたと単純化され、シェイクスピアとは異なるウエットな道徳観が前面にでている。
 私はこの点でモーツァルトの「魔笛」とリヒャルト・シュトラウスの「影のない女」を連想した。

 作曲家の中では、モーツァルトほど何事にもとらわれない人も珍しいが、そのモーツァルトが「魔笛」では、男性が女性を教え導くという思想に立っている。これはもちろんフリーメーソンの思想から来ているが、それにしても‥と私は以前から不思議な気持ちを抱いていた。女性蔑視という広い意味では、2人の男性が恋人を取り替えて女性の愛を試す「コジ・ファン・トゥッテ」を思い出すが、このオペラの場合は、結果的に癒しがたい傷を負うのは男性のほうだとも解釈できる。
 それに比べると、「魔笛」に見られる思想は複眼的な解釈の入り込む余地がない。時代が下って、「魔笛」の精神を20世紀に蘇らせようとしたリヒャルト・シュトラウスの「影のない女」も、その思想を引き継いでいる。
 私は今まで、この2つの作品について、直線で結ばれている2点のように感じていた。ところがその直線の真ん中に19世紀の「じゃじゃ馬ならし」が入ってきたので、いっきょに裾野が広がったように感じたのだ。
 当日のプログラムに載った解説では、「若い女性の内面的成長譚が、キリスト教的モラルという近代市民社会固有のイデオロギーに準拠して物語られている」とされている。そうかもしれない。でも、私としては、もう少し特異な思想として考えてみたいと思った。

 以上が前回の補足だ。音楽的には十分楽しんだ。また、歴史の中からこのオペラを発掘してくれたことに感謝している。その上での私の思考の楽しみをご披露した。

(注)「charisの美学日誌」のアドレス http://d.hatena.ne.jp/charis/20090117
コメント (2)
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じゃじゃ馬ならし

2009年01月19日 | 音楽
 新国立劇場はもとより、大手のオペラ団体でも手が出ない珍しい作品を発掘・上演している東京オペラ・プロデュースが、ヘルマン・ゲッツという作曲家のオペラ「じゃじゃ馬ならし」を上演した。

 ヘルマン・ゲッツってだれ?というのが大方の反応ではないか。私もそうだった。で、手元の音楽辞典をひらいてみたら、たしかに載っていた。ドイツ・ロマン派の作曲家とのこと。またWikipediaもみてみたが、こちらにも載っていた。歴史の中に埋もれて、今では忘れられた存在、そういう作曲家だ。
 事前に輸入盤のCDを購入したが(1955年録音のカイルベルト指揮のもの)、開封して愕然とした。英語の対訳はおろか、ドイツ語の歌詞さえ入っていない。また解説は、作曲家の紹介だけで、あらすじが書かれていない。しかたがないので、純粋な音楽としてCDをきいてみたら、いっぺんで気に入った。生まれはワーグナーよりも後だが、その音楽はウェーバーとワーグナーを結ぶ中間にある。
 同時にシェイクスピアの原作を読んでみた。岩波文庫のものだが(大場建治訳)、驚くほどの名訳で魅了された。

 こうした準備を経て当日に臨んだ。公演は私の期待に応えてくれ、ドイツ・ロマン派の快活で素朴なオペラを楽しんだ。個別の歌手では終盤に声に疲れが出た人もいるが、アンサンブル全体としては幕を追うごとに調子を上げ、気分が浮き立った。
 発見もあった。字幕で歌詞の内容が分かったが、このオペラには男性を女性よりも優位に置く当時の思想があった。現代の視点から見ると問題なきにしもあらずだが、その根は深い。この思想はモーツァルトの「魔笛」にも見られ、「魔笛」の精神を受け継いだリヒャルト・シュトラウスの「影のない女」にも見られる。それ故、この作品は「魔笛」と「影のない女」を結ぶ中間にあるとも言える。
 東京オペラ・プロデュースは2005年7月にマルシュナーの「吸血鬼」という珍しいオペラを上演した。あの作品もウェーバーとワーグナーを結ぶ中間にあり、ワーグナーの「さまよえるオランダ人」に直接つながる興味深いものだった。今回の「じゃじゃ馬ならし」は、歴史の厚い埃の堆積から救い出したという意味で、「吸血鬼」に匹敵する成果だ。

 指揮、演出、歌手、合唱、オーケストラ、その他のスタッフについては詳述を控えるが、皆さんに拍手を送る。とくに主役のカテリーナを歌った菊地美奈さんは、じゃじゃ馬だった娘が徐々に優しい感情をもつ変化の過程をよく表現していた。菊地さんは2005年11月のストラヴィンスキーのオペラ「放蕩者のなりゆき」でも好演している。

 プログラムの冒頭に、前代表の急逝をうけて昨年代表を引き継いだ松尾史子さんの「ごあいさつ」が載っていた。「34年目を迎える東京オペラ・プロデュースの存続に心血を注いで参る所存でございます」。実際に存続のために懸命なのだろう。私は公演に足を運ぶくらいしかできないが、心から応援している。
(2009.01.17.新国立劇場中劇場)
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プロコフィエフ

2009年01月18日 | 音楽
 日本フィルがアレクサンドル・ラザレフを首席指揮者に迎えて、プロコフィエフ交響曲全曲演奏プロジェクトをスタートさせた。任期3年間の中で交響曲を1番から7番まですべて演奏するという企画。その第1回のプログラムは次のとおりだった。
(1)プロコフィエフ:交響曲第1番「古典」
(2)モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲(ヴァイオリン:漆原朝子、ヴィオラ:今井信子)
(3)プロコフィエフ:交響曲第7番「青春」

 ラザレフは世界的な巨匠だが、日本でも読響への客演で成果を重ね、その後、日本フィルとの共演を始めた。それが今回のプロコフィエフ・プロジェクトにつながる。前首席指揮者のもとで低迷気味だった日本フィルの起死回生をかけたプロジェクト、期待と少々の不安を抱いて出かけた。

 第1番が始まる。好調だ。明るく暖かい音色が出ている。リズムも柔軟だ。比較的穏健なテンポで進み、最後の第4楽章でテンポを上げた。まずは順調な滑り出し。
 プロコフィエフは、習作の交響曲は別として、第1番の番号をつけた交響曲でハイドンやモーツァルトのパロディをかいた。なんという個性だろう。並みの神経ではない。
 パロディをかくということは、その裏で自己の音楽が確立していなければできない。プロコフィエフは、前年にドストエフスキーの原作によるオペラ「賭博者」をかいて、自己の音楽を確立していた。悪魔的なパトスをもった舞台音楽‥。まだ20代なのに、なんという早熟だろう。第1番の翌々年にはオペラ「三つのオレンジへの恋」をかく。これらの3作は共通の根から生まれた。

 次のモーツァルトでは、奔放に進もうとするヴァイオリン独奏と、それを支えるヴィオラ独奏が、息の合ったところをきかせた。同じ日本人、しかも同性の強みだろう。オーケストラは芽の摘んだ下地を紡いでいたが、やや消極的だ。今の時代、おとなしいモーツァルトは物足りない。

 第7番は、死の前年につくられたこの曲の本質を明らかにする演奏だった。失意のうちに迎えた晩年、その落日に照らされた諦観が目の前に広がる。この曲は「青春」という標題で呼ばれるが、聴き手をミスリードするおそれがある。簡易で平明な曲想だが、それは人生の苦味を噛みしめた後の心境だ。
 演奏は、旋律を奏するパートだけではなく、対旋律を受け持つパートも、リズムをきざむパートも、ハーモニーをつけるパートも、すべてのパートが積極的に演奏に参加するスタイルで、その結果、総体としての活力が生まれる。これがラザレフのスタイルだ。その演奏は聴き手を活性化し、元気にしてくれる。

 ラザレフ&日本フィルは無事船出した。それをともに祝いたい。これからの3年間が実り多いものでありますように。
(2009.01.16.サントリーホール)
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N響の1月定期(Aプロ)

2009年01月13日 | 音楽
 今年の書き初め、いや、聴き初めは、N響定期だった。指揮はデーヴィッド・ジンマンで、プログラムは次のとおり。
(1)ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン:リサ・バティアシュヴィリ)
(2)シューベルト:交響曲第8番「ザ・グレート」
 ジンマンは実績のあるベテラン指揮者だが、N響初登場とのこと。期待して出かけた。

 1曲目のショスタコーヴィチは、この作曲家の生涯で2度目に訪れた危機、1948年のジダーノフ批判の前後にかかれた曲だ。当時の危機は、粛清もあり得る危機だった。それにもかかわらず、今こうしてきくと、動揺がどこにも感じられないことに驚く。
 第1楽章ではバティアシュヴィリの独奏ヴァイオリンが、いつ果てるとも知れない旋律をくっきりと描き出す。第2楽章の釘で引っかくようなスケルツォを経て、第3楽章のパッサカリアとそれに続く長大なカデンツァでは精神性の充実を感じさせる。
 まだ若い女性奏者だが、その才能は疑いない。グルジア出身らしいが、グルジアといえば、昨年の南オセチア紛争でロシアと戦火を交えた国だ。祖国にたいする心痛から、旧ソ連に屈折した心情をもつこの曲に共感を抱いたということもあるのか。
 一方、オーケストラは精彩を欠いた。弱音のときの極度の抑制など、きくべきところはあったが、最後まで硬さがとれず、もどかしく思った。
 この曲は2管編成だが、金管楽器はトランペットとトロンボーンを欠き、チューバが加わる特殊編成だ。華やかさを排した苦渋の心情を滲ませる曲想に、この楽器編成は深くかかわっている。こういったことに気がつくのは、生のありがたさだ。

 2曲目のシューベルトは、かつては9番とされていたが、その後7番とされ、今は8番になっている。その辺の事情は当日のプログラムに詳述されていたので、ここでは控えるが、作曲年代については、曲の本質にかかわるので、少しふれておきたい。
 以前は1828年、つまり作曲家の亡くなった年の作品とされていたが、近年の研究では1825年説が有力だ。この年の春から夏にかけて、シューベルトは友人と上部オーストリア地方の大旅行に出かけているが、その時期にかかれたというのだ。
 私はこの新説にふれたとき、曲の見方が変った。これはシューベルトの短い生涯の中でも、もっとも楽しい思い出がつまった曲なのだ。第4楽章の中間部に出てくるベートーヴェンの歓喜の主題は、明るい山野を歩くシューベルトの鼻歌ではなかったか。
 それにしては、この日の演奏は重かった。14-12-10-8-6の標準的な編成だったから音が重いのではなく、音楽の表情が重かった。ひょっとすると指揮者の体調が万全ではないのか‥と思った。ジンマンは今週Cプロを振るので、期待はそれまで持ち越しになった。
 ただ、残念ながら、私は都合があって行けない。どなたか、おききになったら、教えてください。
(2009.01.11.NHKホール)
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チェチェンへ

2009年01月10日 | 映画
 東京に初雪のふった日の夜、冷たい雨の中を映画に行った。職場を出るときは、本当はそのまま家に帰りたかったが、自らを励まして足をはこんだ。
 映画は「チェチェンへ アレクサンドラの旅」。ある新聞の記事に主演がガリーナ・ヴィシネフスカヤだと書いてあったので、俄然みたくなった。ヴィシネフスカヤは往年の大歌手だ。かつてCDできいたロシアの作曲家の歌曲やブリテンの「戦争レクイエム」が記憶に残っている。気の強そうな美人だったが、その人が80歳のときに撮った映画とのこと。80歳のヴィシネフスカヤはどうなっているのだろう・・・。

 あらためて紹介するまでもないかもしれないが、この映画はチェチェンに展開するロシア軍の駐屯地に、ヴィシネフスカヤの扮する祖母アレクサンドラが孫の兵士を訪れる話だ。汗と埃と奇妙な倦怠が充満するキャンプの中に身を置いて、戦争の現実を知る。やがてキャンプの外の市場でチェチェン人の女性と親しくなり、ふたりは、男たちはときには戦うが、女はみな姉妹だと語り合う。
 この映画では、こういったディテールがていねいに描かれる。戦争の影が色濃く落ちるが、どこかに詩情が感じられる。それは、殺風景なキャンプ、市場の雑踏、半ば破壊されたチェチェンの集合住宅などの画面が、セピア色で撮られているため、古い写真のような懐かしさを感じることが一因だろう。
 さらに、より本質的には、こまやかな人と人との交流があるからだ。その中心にいるのは、アレクサンドラだ。ちょっと気難しいが、繊細な感性を失わない人物。私は久しぶりに人間の尊厳という言葉を思い出した。
 アレクサンドラを演じる80歳のヴィシネフスカヤは、昔の面影を残してきれいだった。
 この映画は、大きな感動よりも、ひっそりと静かな感動をよぶ。

 それにしても、今この映画をみると、どうしても年末以来のイスラエルによるガザ地区侵攻を連想する。ガザ地区だって、イスラエルとパレスチナの女同士、あるいはひょっとすると男同士であっても、個人のレベルなら交流は可能だろう。けれども政府間の対立になると、和解は困難にみえる。
 でも、絶望することはないのだろう。私は元旦のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを思い出す。指揮者のバレンボイムが、「2009年が世界に平和、中東に人類の正義が訪れる年になることを望む」と語ったときのjusticeという言葉が、強く印象に残った。たんなるpeaceよりも強い意志がこめられていると感じたからだ。
 私はこの言葉を次のように理解した、イスラエルにもハマスにも正義はある、むしろ今は正義と正義のぶつかり合いだ、けれども、それぞれの正義をこえた正義を見出さなければならない、と。コンサートは世界中に同時中継されている。バレンボイムはそれを十分に意識して、英語で語りかけたのだと思う。
(2009.01.09.ユーロスペース)
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ピカソとクレーの生きた時代

2009年01月05日 | 美術
 この年末年始は、カレンダーの関係で9連休。この間、東京は連日穏やかな好天が続いて、私はのんびり過ごした。年末は、箱根外輪山を歩いて、温泉で一泊。遠出はそれだけだった。年始もほとんど家で過ごしたが、さすがにお腹の周りが気になって(!)、最後の日には三浦半島の低山を歩いてきた。
 このように怠惰な毎日を楽しんだが、一日だけ美術館に行った。渋谷の東急文化村にあるザ・ミュージアムで、ドイツのデュッセルドルフにあるノルトライン=ヴェストファーレン美術館の改修工事にともなう収蔵品の引越し展「ピカソとクレーの生きた時代」が始まったからだ。例年、年末年始の美術館は意外にすいていて、ゆっくり鑑賞できることが多いが、私が訪れた3日夜の同館はガラガラというほどではなくて、この展覧会を楽しみにしている人が多かったように感じた。

 展示の中心はクレーだが、標題どおりピカソもあるし、またシュールレアリズムの作品も多い。そのほかドイツの美術館らしく、ドイツ表現主義の画家の作品もある。一口でいえば、同館の抜粋のような構成だ。

 クレーの作品の主要なものは、2006年の「パウル・クレー 創造の物語」展にも来ていたもので、あのときの圧倒的な印象が蘇ってきた。
 その中の一枚、「赤いチョッキ」のキャプションに、「1938年という制作年(ナチスの弾圧にあってクレーは当時スイスに亡命していた)にもかかわらず、戦争の影を感じさせない明るく楽しい絵」という趣旨の説明が書かれていた。実は2006年のときも同様の説明になっていたが、そのときにも疑問を感じたので、この際、私見をご披露したい。(注)

 なるほど、画面上部の無邪気に闊歩する男は、明るく楽しくみえる。でも、画面下部に隠された悲しみの顔をどう説明したらよいのか。私には、時代背景からいって、前者はナチス、後者はナチスに苦しめられている人のようにみえる。後者は、片目を伏せて悲しみに沈み、もう一方の目をみひらいて、驚きにみちた現実の出来事を見据えている。
 前者の陽気な足取りは、折れた木の枝のような踏み台に乗っている。その踏み台は、両足を踏ん張り、手を地面につけた、悲しみの男の屈んだ背中のようにみえる。
 いうまでもないだろうが、悲しみの男はクレー自身だ。

 この作品は、赤いチョッキという標題だが、赤い服はどこにもない。色は黄色、あるいはカーキ色に近く、陽気な男の着ているものはナチスの制服を連想させる。それにもかかわらず赤いチョッキという標題をつけたのは、巧妙な偽装だったのだろうか。

 私はこの作品をこのようにみるが、皆さんはどうだろう。
(2009.01.03.東急文化村ザ・ミュージアム)

(注) 画像は、著作権の問題を考慮して、貼付を控えさせていただきます。東急文化村のホームページに「ピカソとクレーの生きた時代」の特集ページがあり、その中の「学芸員によるコラム」に掲載されていますので、もしよければご覧ください↓。ご不便をおかけして申し訳ありません。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/09_k20/column.html
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ニューイヤー・コンサート

2009年01月03日 | 身辺雑記
 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 東京の年末年始は穏やかな晴天が続いていて、私はのんびり過ごしていますが、皆さんはいかがお過ごしですか。
 元旦の夜は恒例のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを楽しみました。今年はハイドンの没後200年ということで、プログラムの最後に「告別」交響曲の最終楽章が、演出付きで(!)演奏されましたが、ワルツやポルカのときとはちがって、ウィーン・フィルのメンバーが日常の演奏の顔に戻ったように見えて、面白く思いました。
 アンコールになると、またもとの華やいだ雰囲気になって‥。
 来年の指揮はジョルジュ・プレートルのようですね。2008年の初登場のときは、やんちゃ坊主がそのまま好々爺になったような雰囲気があって、好印象が残っています。来年も楽しみです!
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