Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

城塞

2017年04月27日 | 演劇
 新国立劇場の演劇部門のシリーズ「かさなる視点―日本戯曲の力―」第2弾、安部公房の「城塞」を観た。

 同シリーズは3人の30代の演出家が昭和30年代の戯曲を演出するもの。敗戦後10数年たった当時の劇作家は戦争や日本をどう捉えていたのか。どんな問題を考え、どう表現していたのか。また、当時から50年以上たった今、なにが克服され、なにが未解決で残っているのか‥を問うシリーズ。

 もっとも、同シリーズは、企画段階では3人の30代の演出家というだけだったが、それら3人の演出家が選んだ戯曲が昭和30年代の戯曲だったそうだ。昭和30年代に3人の興味が向かったことには、なにか意味があるのだろうか。ともかく昭和30年代の戯曲が揃ったことで、同シリーズのコンセプトが明確になった。

 「城塞」は昭和37年(1962年)の作品。「国家とはなにか」と問いかける芝居は、今の時代から観ると生硬な感じがしないでもないが、生硬という言葉で済ますにしては、その問いかけは今も未解決だ。

 演出は1979年生まれの上村聡史(かみむら・さとし)。同氏の演出は2014年に同劇場が上演したサルトルの「アルトナの幽閉者」を観たが、それもディテールが丁寧に表現され、しかも焦点が合った好演出だった。今回も同様だ。

 登場人物は5人。「男」の山西惇、「男の妻」の椿真由美、「男の父」の辻萬長、「従僕(八木)」のたかお鷹、「若い女(踊り子)」の松岡依都美の5人は、いずれもこれ以上は望めないと思われる役者ばかりで、密度の濃い演技を繰り広げた。

 「男の父」は満州で企業経営に成功したが、敗戦直後の満州からの引き揚げの時点で記憶が止まり、今は認知症になっている。「男」は戦後、父の会社を引き継ぎ、大企業に成長させた。「男の妻」は「男」が父を入院させずに、邸内で世話していることに苛立つ。邸内では「男の父」のために、満州からの引き揚げを再現する演技が繰り返されており、亡くなった妹の役のために「若い女(踊り子)」が雇われる。

 牢獄のような下の部屋から現れる「男の父」は、オスカー・ワイルドの戯曲(あるいは同戯曲に基づくリヒャルト・シュトラウスのオペラ)「サロメ」のヨカナーンのように見えた。「男」はヘロデ、「男の妻」はヘロディアス、そしてストリッパーである「若い女(踊り子)」はサロメ。これは偶然の一致か。
(2017.4.25.新国立劇場小劇場)
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インキネン/日本フィル

2017年04月23日 | 音楽
 インキネンのブラームス・チクルス第2弾。メインプロは交響曲第2番。先日の定期では交響曲第3番と第4番が演奏されたが、消化不良というか欲求不満というか、腑に落ちない面があったので(会場のオーチャードホールのせいもあっただろう)、さて、会場を横浜みなとみらいホールに移した今回はどうか、という気持ちだった。

 1曲目はブラームスの「悲劇的序曲」。冒頭のトゥッティの2回の和音が張りのある音で鳴った。オーチャードとは明らかに違う鳴り方だ。その後もクリアーな音像が続いた。それがインキネンのよさだと思った。先日の演奏は、やはりホールのせいか、それとも他の要因もあったのか。

 「悲劇的序曲」は、慌てず騒がず、じっくりした歩みで演奏された。インキネンの音楽に対する素直さがよく表れていた。日本フィルとの歯車も、先日より噛み合っているように感じられた。

 2曲目はニールセンのフルート協奏曲。フルート独奏は日本フィルの首席奏者、真鍋恵子。この曲は真鍋自身の選曲だろうが、そのせいか、この曲を十分に理解し、持ち前の温かい音色で、穏やかに落着いた演奏を展開した。

 それにしても、この曲は面白い。インキネンは「時々ちょっとクレージー」といったそうだが(日本フィルのツィッターより)、まさにそんなところがある。独奏フルートの他にクラリネットが準・独奏のように扱われ、またファゴット、バストロンボーン、ティンパニの独奏も多い。ヴィオラの独奏もある。

 たとえば(全2楽章からなるこの曲の)第1楽章後半で、独奏フルートのカデンツァになるが、そのときティンパニが弱音のロール打ちを続ける。そのうちクラリネットとファゴットが介入してくる。この風変わりなカデンツァが、はっきりとは終わらず、その気分を引きずりながら、終結部に移行する。

 この曲を‘室内楽的’と感じる向きもあるようだが、わたしはむしろ‘室内オペラ的’と感じた。独奏フルートは美しいヒロイン。そこにしつこい求婚者(クラリネット)や老僕などが絡む。この想像の当否は別として、ともかく何か隠れたストーリーが存在するのではないか、という気がする曲だ。

 3曲目はブラームスの交響曲第2番。フレッシュな音が鳴り、内声部がバランスよく聴こえ、リズムが粘らない演奏。第4楽章フィナーレは眩いばかりの光彩を放った。
(2017.4.22.横浜みなとみらいホール)
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アラン・ギルバート/都響

2017年04月19日 | 音楽
 アラン・ギルバートが都響に客演して、ジョン・アダムズ(1947‐)の新作「シェヘラザード.2」(2014年世界初演、「シェヘラザード・ポイント・トゥー」と読むそうだ)を日本初演した。

 世界初演のときも指揮はギルバート、オーケストラはニューヨーク・フィル。同曲は独奏ヴァイオリンを伴うが、独奏者は世界初演も今回もリーラ・ジョゼフォウィッツ。すでにロンドン響、アムステルダム・コンセルトヘボウ管、ベルリン・フィルなどでも演奏されている。独奏者はいずれもジョゼフォウィッツだ。

 リムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」を下敷きにした曲だが(もっとも、全4楽章のうち、スケルツォ楽章と緩徐楽章とは順番が逆になっている)、それはジョン・アダムズがリムスキー=コルサコフの曲を‘リコンポーズ’したのではなく、現代社会の問題を扱うドラマのベースにしているということだ。

 では、現代社会の問題とは何かというと、女性に対する抑圧、強制、暴力といった事象だ。ジョン・アダムズはアラブの男性中心社会を念頭に置いているが、それがアラブ社会に留まらないことは、もちろん十分承知の上だ。

 全4楽章を通して、女性に対する迫害(第1楽章)、愛の場面(第2楽章)、原理主義者による宗教裁判(第3楽章)、女性の逃亡(第4楽章)が描かれ、ジョン・アダムズのストーリーテリングのうまさに惹きこまれる。

 女性は逃亡して‘聖域’に到達するが、そのときわたしは戸惑いを感じた。‘聖域’は現実のものか、それとも死の前の幻影か。リムスキー=コルサコフの場合は、船の難破というカタストロフィーの後に平穏が訪れるが、ジョン・アダムズの場合はカタストロフィーがないので、わたしの戸惑いはそのドラマトゥルギーの違いに起因するのかもしれない。

 演奏は、ジョゼフォウィッツのヴァイオリン独奏が、鋭い悲鳴から静かな瞑想まで、余すところなく描ききり、またオーケストラも確信を持った演奏を展開した。なお、オーケストラにはツィンバロンが加わり、縦横無尽の活躍を見せたが、一昔前にはコダーイの「ハーリ・ヤーノシュ」くらいしか出番がなかったこの楽器、近年復権が目覚しいのはなぜだろうと思った。

 プログラム1曲目にはラヴェルの「マ・メール・ロワ」が演奏された。艶やかな音色が柔和なテクスチェアを織り、メルヘンの世界を現出した。
(2017.4.18.東京オペラシティ)
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ファビオ・ルイージ/N響

2017年04月18日 | 音楽
 ファビオ・ルイージが振るN響Aプロ。1曲目はアイネム(1918‐1996)の「カプリッチョ」。弾けるように快活な曲だ。初演は(第二次世界大戦のまっただ中の)1943年にベルリンで行われた、というから驚く。あの暗い時代にこんな明るい曲が‥と思うのは、今の時代に生きる者の勝手な思い込みだろうか。

 当時ナチスが猛威をふるうベルリンで、たぶん好意的に受け入れられたのだろうと想像するが(プログラムノーツに明記はされていなかった)、さて、どうだったのか。ジャズ(というよりも、軽音楽)の要素を持つ曲だが、それは不問に付されたか。

 周知のようにアイネムは、戦後になってオペラ「ダントンの死」で大成功するが、わたしはあのオペラは、ビュヒナーの傑作戯曲にたいして、アイネムの(それこそ軽音楽の要素を取り入れた)音楽がそぐわないと感じる。それにひきかえ、この「カプリッチョ」はもっと素直に楽しめた。

 演奏は、張りのある、見事なものだった。この曲を現代に蘇らせたい(=真価を問いたい)という意気込みが感じられた。

 2曲目はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏はニコライ・ズナイダー。ガラス繊維のような細い音だが、不思議なことに、その音がオーケストラに埋もれず、どんなときでも明瞭に聴こえる。けっして抒情に流れず、インテンポで進むその演奏は、甘美なロマンティシズムとは一線を画し、むしろ意外にしっかりしたこの曲の骨格を明示するものだった。

 アンコールにバッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番」からアンダンテが演奏された。バッハらしくない、というと語弊があるが、一種即物的な演奏に聴こえた。

 3曲目はマーラーの交響曲第1番「巨人」。第1楽章冒頭の弦のフラジオレットの弱音から、第4楽章コーダの爆発的な強奏まで、N響の演奏能力がフルに発揮されるとともに、普通は埋もれがちな弦や木管の動きが浮き上がってくるという(即興的な部分もあったかもしれない‥)ライヴの興奮に満ちた演奏だった。

 マーラーがこの曲に込めた愛も憧れも焦燥も苦悩も、それらあらゆる情熱が音になり、わたしはそれを追体験するように感じた。そういう演奏でなければ、マーラーを聴いたことにはならないかもしれない。本気度満点の演奏。ファビオ・ルイージの実力とN響の好調さと、その両方を感じた。
(2017.4.16.NHKホール)
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カンブルラン/読響

2017年04月16日 | 音楽
 カンブルランが指揮する読響の4月定期は、いかにもカンブルランらしいプログラムが組まれた。

 1曲目はメシアンの「忘れられた捧げもの」。メシアン最初期の作品だ(プログラムノーツによれば、メシアンにとって「初めて公開で演奏された管弦楽曲」とのこと)。切れ目なく演奏される3つの部分からなっているが、その最初の部分から、メシアン独特のハーモニーが聴こえる。逆に激しく動く中間部分は、後年のメシアンとは少し異なる。

 演奏は、透明なハーモニー、しなやかな旋律線、クリアーな音像などの特徴を持ち、しっかり焦点が合った見事なものだった。1月定期で演奏された最晩年の管弦楽曲「彼方の閃光」ともども、本年11月に演奏予定のオペラ「アッシジの聖フランチェスコ」に向けての準備が進んでいることが窺われた。

 2曲目はドビュッシーの「〈聖セバスティアンの殉教〉交響的断章」。ドビュッシーの秘曲的なイメージがある曲だが、オーケストレーションは友人のアンドレ・カプレの手を借り(全面的なのか、部分的なのか‥)、また劇付随音楽から本作への編曲はカプレがおこなっているわけで、そのせいかどうか、オーケストレーションにはドビュッシーの才気が今一つ感じられないと、生意気にも思ってしまったが‥。

 ともあれ、カンブルラン/読響は、瞑想的な音楽が綿々と続くこの曲を、もたれもせずに聴かせたことが何よりだ。

 3曲目はバルトークの「青ひげ公の城」。ユディットはイリス・フェルミリオン、青ひげはバリント・ザボ。前にも書いたことがあるが、フェルミリオンには忘れられない想い出がある。ザクセン州立歌劇場(ドレスデン)でオトマール・シェックの「ペンテジレーア」を観たときに、タイトルロールを歌っていて、わたしはその歌に‘魂の裸形’とでもいうべきものを感じて震えた。指揮はゲルト・アルブレヒトだった。

 今回のフェルミリオンは、パワーは後退したが、役への理解の深さは変わらなかった。一方、ハンガリー人のザボは、さすがにハンガリー語が自然だった。

 カンブルラン/読響の演奏は、7つの扉の音楽を鮮明に描き分けるだけではなく、各々のつなぎの部分での心理的な移ろいを克明に描き、名演も名演、一種の頂点を極める名演だった。わたしは過去に聴いた国内外でのこの曲の上演・演奏を思い浮かべてみたが、そのどれをも凌駕する演奏ではないかと思った。
(2017.4.15.東京芸術劇場)
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シャセリオー展

2017年04月14日 | 美術
 テオドール・シャセリオー(1819‐1856)はフランスの画家。37歳で夭折した。11歳のときに古典主義の画家アングル(1780‐1867)の門下に入り、将来を嘱望されたが、その後ロマン主義の画家ドラクロワ(1798‐1863)の影響を受け、アングルとは決別。生前その作品は高く評価され、公共建築の壁画も描いた。また象徴主義の画家ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(1824‐1898)やギュスターヴ・モロー(1826‐1898)に影響を与えた。

 シャセリオーの美術史上の位置付けは、ざっと以上のようになるようだ。1819年生まれというと、ギュスターヴ・クールベ(1819‐1877)と同い年だが、クールベが写実主義の画家として、まったく異なる系譜に連なるのに対して、シャセリオーはやがて象徴主義につながる地下水脈のような印象だ。

 チラシ(↑)に使われている「カバリュス嬢の肖像」(1848)は、実際に見ると、大変な傑作だ。白いドレスとピンクのケープの光沢、すらりと伸びた身体のライン、そこに漂う気品、柔らかい光、静穏な室内の空気等々、シャセリオーの力量がよく分かる。

 本作が1848年に描かれたことにも驚く。同年にフランスでは2月革命が起きた。その影響はあっという間にヨーロッパ各国に及んだ(余談だが、ワーグナーが同年、ドレスデンで革命運動に参加して指名手配され、スイスに逃れたことは、音楽好きにはお馴染みのエピソードだ)。

 1848年というと、わたしにはそんな騒然としたイメージがあるが、本作ではそのような騒々しさからは隔絶した静かな時間が流れている。

 シャセリオーという画家に驚いたわたしは、インターネットで検索してみた。ウィキペディアに載っていたことはもちろんだが、そのほか、2013年7月~9月に開催された「ルーヴル美術館展―地中海四千年のものがたり―」(東京都美術館)でもシャセリオーの作品が来ていたことを知った。

 同展はわたしも見た。左欄のブックマークに登録しているブログを検索したところ、「モロッコの踊り子たち―薄布の踊り―」と「アルジェリア―バルコニーのユダヤの女性たち―」の画像が出てきた。同展でそれらの絵を見た記憶が蘇ってきた。

 わたしはシャセリオーという名前をすっかり忘れていたが、今度はしっかり頭に入ったので、もう忘れることはないと思う。
(2017.4.7.国立西洋美術館)

(※)本展のHP
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エリーザベト・クールマン

2017年04月10日 | 音楽
 東京・春・音楽祭でエリーザベト・クールマンの独唱会を聴いた。好奇心をそそるプログラム。前半はシューベルトの歌曲を何曲か続けた後に、現代オーストリアの作曲家ヘルヴィック・ライターHerwig Reiter(1941‐)の歌曲を1曲入れ、またシューベルトの歌曲に戻って、次にまたライターというパターンを繰り返すもの。

 このように交互に歌われると、各々の特徴が際立ち、一種の(よい意味での)批評性が生まれる効果があった。わたしはシューベルトのよさを改めて認識し、またライターという未知の作曲家の歌曲に耳を澄ました。

 シューベルトの歌曲は比較的地味なものが選ばれたが、どの曲にもシューベルトらしさが滲み出ていた。一方、ライターの歌曲は、詩の抑揚や陰影が細かく辿られているのではないかと想像される曲だった。

 ライターの歌曲は「皆で同じ列車に乗って」という歌曲集から抜粋されたもの。一風変わった題名だが、この題名はドイツの作家・詩人のエーリッヒ・ケストナー(1899‐1974)の詩の一節からとられたものだそうだ。

 ケストナーというと、わたしは児童文学の「飛ぶ教室」などを思い出すが、大人向けの小説や詩も書いていたようだ。ナチス政権下で弾圧にあい、焚書の対象にもなったが、それに屈せずに生き延び、戦後は西ドイツの文壇で重きをなした。当夜歌われた「皆で同じ列車に乗って」の中の1曲「不信任決議」は、ナチスへのアイロニカルな抵抗の詩だ。

 プログラム後半は、まずリストの「ペトラルカの3つのソネット」。リストの中でも名曲で、聴き応え十分だが、面白いことに、クールマンの歌で聴くと、リストの甘美さやイタリア語のラテン的な語感よりも、精神的な強さや逞しさが前面に出て、わたしはクールマンの強靭な声に圧倒された。

 最後はブリテンの「4つのキャバレー・ソング」。ブリテンにこういう曲があるとは驚きだ。プログラムノートには作曲年代が書いてなかったが、W.H.オーデンの詩に付曲しているので、同じくオーデンの台本によるオペラ「ポール・バニヤン」(1941)と同じ頃かもしれない。クールマンの濃厚な表情付けに翻弄された。

 アンコールにはシェーンベルクのキャバレー・ソングを期待したが、シューベルト、リスト、ライターが各1曲ずつという、当夜のプログラムを凝縮したような選曲だった。
(2017.4.7.東京文化会館小ホール)
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従姉が亡くなって‥

2017年04月08日 | 身辺雑記
 従姉が亡くなった。享年65歳。くも膜下出血だった。3月14日に自室で倒れているのを発見され、病院に運ばれたが、同月31日に亡くなった。

 従姉とわたしとは同年生まれ。父親同士が兄弟だった。兄弟は一つの家に住んでいた。木造平屋だが、玄関と台所が別々にあり、2部屋ずつ付いていた。便所が真ん中にあり共同だった。場所は多摩川の河口で中小零細の工場がひしめく地域。そこでわたしたちは育った。

 小学、中学、高校とずっと同じ学校だったが、クラスは違った。親戚なのでクラスを別にしているのかなと、子ども心に思っていたら、高校2年のときに同じクラスになった。3年生になるときにはクラス替えがなかったので、2年間同じクラスにいたわけだが、すぐに受験態勢に入ったので、クラスの結束は弱かった。

 大学は別々だった。あるとき近所のバス停で従姉にばったり会ったことがある。「最近どうしてる?」というような話になったのだろう。従姉が自作の詩集をくれた。「へぇ‥」と感心して読んだ。感性の鋭さが感じられる言葉だったという記憶がある。当時は若者が詩集を作って、路上で売る光景が見られた。従姉が路上で売ったかどうかは分からないが、そのような詩集によくある一種の独りよがりな面はなかったように記憶する。

 従姉は、大学卒業後、小学校の先生になった。わたしも就職して、結婚し、やがて引っ越した。従姉も実家を出た。

 従姉は先生としての人生を生きた。葬儀に飾られた生花や遺品を見ると、従姉が社会問題に強い関心を持つ先生だったことが窺える。

 従姉は30代のときに本を出した。上掲(↑)の「子どもの心と響きあう」(1990年、社会評論社刊)という本。別の学校の先生との共著で、従姉は大田区立糀谷小学校に転任して、1年3組の担任になってからの2年間の出来事を書いている。さまざまな問題を抱える子どもたちと同じ目線で毎日を生きる、その感性がみずみずしい。

 生徒の一人が書いた詩が載っている。その詩はこういう詩だ――なお従姉の名前は榎本留美という――。

 えのもとるみ
 るんるんるみ
 どんぐりるみ
 うたってるみ
 じどうかんるみ
 ゆうゆうるみ
 るんるんるみ
 じどうかんるみ

 児童館もどんぐりも、クラスの楽しい想い出だ。この詩は従姉がもらった勲章だろう。従姉の旅立ちのはなむけとして、この詩ほどふさわしいものはないと思う。
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サラエヴォの銃声

2017年04月06日 | 映画
 第一次世界大戦のきっかけとなったサラエヴォ事件。1914年6月28日にセルビア人の青年ガブリロ・プリンツィプが、サラエヴォを訪問中のオーストリア皇太子夫妻を狙撃して殺害した事件だ。映画「サラエヴォの銃声」はその100年後の2014年6月28日のサラエヴォを舞台にしている。

 現実にサラエヴォでは当日およびその前後に、サラエヴォ事件100周年の記念行事が行われた。たとえばオーストリアからはウィーン・フィルが訪れて演奏会を開いた。でも、それは和解の象徴になったかどうか。本作の登場人物の台詞からは、あまり楽観的な見方はできない。

 本作はサラエヴォの老舗ホテル‘ホテル・ヨーロッパ’での出来事を描いたもの。屋上では女性ジャーナリストが歴史学者などにインタビューしている。サラエヴォ事件とは何であったかを多角的に解明しようとする試みだ。ゲストの一人としてガブリロ・プリンツィプという(100年前の狙撃者と同じ名の)青年が現れる。

 セルビア人であるガブリロ・プリンツィプと、おそらくクロアチア人の女性ジャーナリストとの間で激しい口論が起きる。1992年から95年にかけてのボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は、人々の心の中ではまだ終わっていない。その憎しみの深さに暗然とする。

 だが、その口論がエスカレートして、腹の底から憎しみをぶつけ合ったとき、二人はお互いを理解し、人間的な暖かい感情が通い始める。和解のきっかけが生まれたのだろうか‥。その希望がどうなるかは、今後本作を観る方のために書くのを控える。

 本作は3つのストーリーが絡み合って展開する。1つは上記のストーリー。もう1つはホテルの労働争議。2ヶ月間も賃金不払いの同ホテルでは、従業員がストライキを計画し、それをサラエヴォ事件100周年の記念行事にぶつけようとする。それを阻止しようとする支配人。緊迫したホテルの中を、女性レセプショニストが走り回る。

 3つ目のストーリーは、記念行事として一人芝居を上演するためにフランスから訪れた俳優が、スイートルームでリハーサルに余念がないというもの。

 この3つ目のストーリーはサラエヴォ事件100周年の記念行事として、現実に上演された芝居だそうだ。それを劇中劇のように組み込んでいるのだが、本作ではこの部分の発展性が乏しいことが惜しいと思った。
(2017.3.31.新宿シネマカリテ)

(※)本作の予告編 YouTube
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「スケーエン デンマークの芸術家村」展

2017年04月04日 | 美術
 「スケーエン デンマークの芸術家村」展が開かれている。わたしはデンマークの北欧的な風土が好きなので、何度か訪れたことがあるが、せいぜいコペンハーゲンかオーデンセまで。スケーエンは訪れたことがない。そこではどんな芸術家村が生まれたのか。

 1870年代、まだ鉄道が敷設されず、交通不便な場所だったスケーエンを、その手付かずの自然に惹かれた画家たちが訪れるようになった。1880年代に入ると、かなりの画家が集まるようになり、ついには居を定める画家も出てきた。こうして芸術家村が形成された。それは1900年代の初めまで続いた。

 今ではスケーエンはリゾート地として知られている。スケーエン美術館にはスケーエンに集った画家たち(以下「スケーエン派」)の作品が展示されている。本展はそのスケーエン美術館の収蔵品で構成されている。

 スケーエン派の中心的な画家は、ミカエル・アンカー(1849‐1927)とペーダー・セヴェリン・クロヤー(1851‐1909)だった。本展もその二人の作品が中心になっている。余談になるが、スケーエン美術館には二人の銅像が建っている。

 会場に入ると、漁師たちを描いた絵が並んでいる。アンカーの作品は「ボートを漕ぎ出す漁師たち」。荒れた海にボートを漕ぎ出す漁師たちと、それを見守る家族や村人たちを描いた作品。漁村の厳しい生活が感じられる。一方、クロヤーの作品は「スケーエンの南海岸で漁網を引く漁師たち」。雲が低く垂れこめた北欧の空の描写がリアルだ。

 上記の2作品が男性を描いた作品であるのに対して、女性を描いた作品は、アンカーでは「海辺の散歩」。夏の明るい日差しがあふれる海辺を5人の女性が散歩している。白を基調とした美しい作品。一方、クロヤーは「ばら」。チラシ(↑)に使われている作品だが、その美しさは実物でないと分からない類のものだ。

 クロヤーには新婚時代の妻マリーを描いた「マリー・クロヤーの肖像」もある。マリーは独身時代にコペンハーゲンで一番美しいといわれた女性。16歳年上のクロヤーと結婚した。やがてクロヤーは精神を患う。マリーはスウェーデンの作曲家アルヴェーンと恋に落ちる。マリーは1905年に離婚。1912年にアルヴェーンと再婚した。

 アルヴェーンは「スウェーデン狂詩曲第1番『夏至の徹夜祭』」で知られる作曲家だ。思いがけない名前の登場に驚く‥。
(2017.3.28.国立西洋美術館)

(※)本展の主催者の東京新聞の記事
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ミュシャとヤナーチェク

2017年04月01日 | 美術
 ミュシャの20点からなる大作「スラヴ叙事詩」が公開中(6月5日まで国立新美術館の「ミュシャ展」で)。反響は大きいようだ。わたしが出かけたのは平日の夕方だが、かなりの混雑だった。それでも閉館時間の30分くらい前には空いてきた。

 わたしは音楽好きなので、本展を見て感じたことは、ミュシャと作曲家ヤナーチェクとの共通項の多さだった。「スラヴ叙事詩」の第11作「ヴィートコフ山の戦いの後」では、神聖ローマ皇帝軍と戦って勝利を収めたフス派の指揮官ヤン・ジェシカが描かれているが、この戦いはヤナーチェクのオペラ「ブロウチェク氏の旅行」の第2部「ブロウチェク氏の15世紀への旅」に描かれている戦いだ。

 また、本展にはミュシャが1926年の第8回全国ソコル祭のために制作したポスターが展示されているが(ソコル祭とは全国規模の体育祭で、同時に芸術の展示も行われた)、その第8回ではミュシャが大規模なアトラクションを企画し、ヤナーチェクは管弦楽曲「シンフォニエッタ」を初演している。

 ミュシャ(1860‐1939)とヤナーチェク(1854‐1928)とは、同時代の空気を吸っていたのだ。しかも二人はチェコの中でも同じモラヴィア地方の出身だ。

 そんなミュシャとヤナーチェクは、会ったことがあるのだろうかと、手元の「レオシュ・ヤナーチェク年譜」(日本ヤナーチェク協会発行)を見たら、なんと、そこには二人のツーショットが載っていた。二人が1922年7月に会ったときのものだ。

 また、同年譜の記述によると、1919年にプラハでミュシャの「スラヴ叙事詩」が部分公開されたとき、ヤナーチェクはその展覧会を見に行ったそうだ。

 それだけではない。わたしが昔から目にしていた「ブロウチェク氏の旅行」の楽譜の扉絵(ブロウチェク氏の‘おやじ’キャラクターをユーモラスに表現したもの。上掲↑)は、ミュシャが描いたものだった。

 ミュシャとヤナーチェクとの間には親交があったのかもしれない。少なくとも、燃えるような祖国愛を共有していることは、お互いに分かっていただろう。「スラヴ叙事詩」全作は1928年にプラハで公開された。ヤナーチェクはそれを見たのだろうか‥と思った(ヤナーチェクは同年8月に亡くなったが)。

 付記
 本稿においては、「ミュシャ」はチェコ語読みの「ムハ」と表記すべきだったかもしれないが、「ミュシャ展」が開催中なので、ミュシャとした。
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