Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

山田和樹/日本フィル

2025年01月19日 | 音楽
 山田和樹指揮日本フィルの東京定期。1曲目はエルガーの「威風堂々」第1番。日本フィルが良い音で鳴っている。最後は山田和樹が、どこから持ち出したのか、両手に鈴を持って振り鳴らす。最後の音が鳴り終わらないうちに、山田和樹が聴衆に拍手をうながす。わたしは感動した。それでいいのだ。感動したら、最後の音が鳴り終わらなくても、感動を拍手で表現してよいのだと。そんな自由さが懐かしかった。

 2曲目はヴォーン=ウィリアムズの「揚げひばり」。ヴァイオリン独奏は周防亮介。全身銀色に輝く衣装を着けて現れた。ポップス音楽のスターのようだ。びっくりした。もちろん演奏は周防亮介らしいナイーヴなもの。とくに最後の、オーケストラが沈黙して、独奏ヴァイオリンだけが遠くから聴こえる小さな鳴き声のように“囀り続ける”部分では、息をのむ想いがした。

 アンコールにパガニーニの「イギリス国歌God Save the Kingの主題による変奏曲」が演奏された。当夜はイギリス音楽プログラムなので、その関連の選曲だろう。「揚げひばり」とはうって変わって、外向的で華麗な演奏だった。

 3曲目はエルガーの交響曲第2番。じっくり腰を据えてこの大曲を歌いつくす演奏だ。とくに印象に残った点は、ゆったりと歌い続けるこの曲で、時折現れる表情の陰りが、じつに的確に表現されたことだ。穏やかな音楽の流れの中で時折ふっと表情が暗転する。その瞬間が第1楽章から頻出する。そのときの色彩の変化が細やかに表現された。

 そのような表情の陰りは、葬送行進曲風の第2楽章で全開した。一方、第3楽章スケルツォの末尾ではスリリングな展開に目をみはった。山田和樹のオーケストラの卓越したドライブ感が現れた一例だ。第4楽章では豪快な演奏が展開した。一転してコーダでは、緊張感のある静寂が訪れた。最後の音が鳴り終わった後も、会場はじっと息をひそめた。1曲目の「威風堂々」第1番とは対照的だ。

 日本フィルは総体的に見事な演奏だった。その中でも弦楽パートの厚みのある音が印象的だった。インキネンの軽い音、カーチュン・ウォンのシャープな音とはちがい、厚みのある暖かい音だ。その音で濃密な表現を聴かせた。

 カーテンコールでは、当演奏会で退団するホルンの宇田紀夫さんに花束が贈られた。宇田さんは日本フィル在籍42年で、かつインスペクター(楽員代表として指揮者と打合せをする役職)を35年務めたという。山田和樹がそれを開演前のプレトークで紹介した。カーテンコールでは聴衆も惜しみない拍手を送った。
(2025.1.18.サントリーホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高関健/東京シティ・フィル

2025年01月18日 | 音楽
 新年初めての演奏会。約1か月のブランクだ。年末年始をはさんだ約1か月の間、思いがけず忙しい日々を過ごした。昨年11月から住民運動にかかわり、濃密な日々が続く。相手は行政だ。不誠実な対応にイライラが募る。

 約1か月ぶりの演奏会は東京シティ・フィルの定期演奏会。指揮は高関健。1曲目はサン=サーンスのピアノ協奏曲第2番。ピアノ独奏は奥井紫麻(しお)。初めて聴くピアニストだ。2004年5月生まれ。今二十歳だが、すでに立派なコンサート・ピアニストだ。サン=サーンスのこの曲を堂々と造形した。

 印象的だったのは、中高音の美しさだ。キラキラした音ではなく、澄んだぬくもりのある音が鳴る。一方、低音は深みに欠けるかもしれない。ともかく全体としてはヒューマンな音だ。帰宅後、SNSを見ると、会場のロビーに飾ってあった花が写っていた。よく見ると、FAZIOLIから贈られた花だった。もしかすると奥井紫麻が弾いたピアノは、スタインウエイではなく、FAZIOLIだったのかもしれない。

 アンコールにラフマニノフの前奏曲集作品23から第2番が演奏された。豪快な演奏だった。奥井紫麻はロシアで学んだ(今はジュネーヴ高等音楽院で学んでいる)。ロシア音楽もレパートリーに入っているのだろう。

 2曲目はマーラーの交響曲第7番「夜の歌」。最近は演奏機会が増えている曲だ。指揮者によってアプローチが異なる曲でもある。高関健のアプローチは音を克明に追うもの。覚醒した意識ですべての音を鳴らす。ムードに訴える演奏でもなければ、音色の美しさに惑溺する演奏でもない。高関健のそのアプローチは、この曲にかぎったことではなく、今まで聴いたマーラーの演奏に共通するものだ。とくに第7番は一筋縄ではいかない曲なので、余計におもしろいし、手ごたえがあった。

 印象的だったのは、第5楽章が全体の構成の中にきっちり収まったことだ。少しも唐突ではなく、また突出してもいなかった。昔、セーゲルスタムが読響を指揮してこの曲を演奏したときに、第5楽章が異様に突出したので、ショックを受けたことがある。そんな話はもう昔語りになったのだろうか。

 「夜曲」と名付けられた第2楽章は行進曲だ。夜の行進とは、いったいだれの行進なのだろう。兵士たちの行進か、それとも森の動物たちの行進か。同じく「夜曲」と名付けられた第4楽章は、ギターとマンドリンが入る恋人たちのセレナードだが、それにしては途中で忍び寄る不気味な影はなんなのか。そんな想像を楽しんだ。
(2025.1.17.東京オペラシティ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルックナー随想(3):ブラームス

2025年01月15日 | 音楽
 ブルックナーのことを考えていると、どうしてもブラームスが気になる。二人の関係は実際のところ、どうだったのだろう。有名なエピソードは1889年10月25日にブルックナーとブラームスが会食した件だ。根岸一美氏の「ブルックナー」(音楽之友社、2006年)(↑)によると、当日はブルックナーのグループが先にレストラン「ツム・ローテン・イーゲル」に着いた。だいぶ遅れてからブラームスのグループが着いた。しばらく沈黙の時が流れた。ブラームスがメニューを取って「そうですなぁ、クネーデルと野菜付きの燻製肉にします。これ、私の好物なので」といった。ブルックナーは「結構ですねえ、ドクター、燻製肉とクネーデル、これは私たちふたりが理解し合える点ですねぇ」と応じた。みんな大笑いした。楽しい時間を過ごした。ただ、その後両者が親しくなることはなかった――とのこと。

 「その後両者が親しくなる」必要はなかったのだろう。その会食で十分だった。二人はウィーンを二分する抗争に巻き込まれた。ブラームスは抗争から距離を取ったが、ブルックナーは妨害され、攻撃された。二人とも個人的なわだかまりがないことが分かれば、それで十分だったのではないか。

 1883年2月11日にブルックナーの交響曲第6番の第2楽章と第3楽章が初演されたとき、客席にはブラームスがいた。ブラームスが拍手喝さいしたことが目撃されている。また1893年3月23日に「ミサ曲第3番」が演奏されたとき、ブラームスはボックス席で耳を傾けて、拍手を惜しまなかったといわれる。

 これも有名なエピソードだが、ブルックナーが1896年10月11日に亡くなり、10月14日にカールス教会で葬儀が営まれたとき、ブラームスは教会まで来て、扉のそばに佇んだ。中に入るよう促されたが、ブラームスは「次は私の番だよ」といって立ち去った。ブラームスはそれから6か月後の1897年4月3日に亡くなった。

 ブルックナーはワーグナーの一派とみなされ、ブラームスは保守派の旗手とみなされたが、その対立構図は今のわたしたちには理解しがたい。ブルックナーの音楽は、生々しいドラマを語るワーグナーの音楽よりも、文学的な要素のないブラームスの音楽に近いのではないだろうか。当時もそう思う人はいたようだ。オペラ「ヘンゼルとグレーテル」の作曲者フンパーディンクだ。フンパーディンクは「われわれにとって不可解なのは、人々が、アントン・ブルックナーについて、ワーグナーの芸術原理を交響曲に移し替えたものだと思っていることである」と述べた(根岸一美氏の前掲書)。思えば、ブルックナーとブラームスの対立構図は、評論家ハンスリックが意図的に作り上げたものかもしれない。

 ブラームスの蔵書にはブルックナーの交響曲第7番の楽譜があった。ブラームスはブルックナーの音楽を正確に理解していたのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルックナー随想(2):キッツラーの練習帳

2025年01月12日 | 音楽
 ブルックナーがザンクト・フローリアン修道院の少年聖歌隊員になったのは1837年、13歳のときだ。ブルックナーは国民学校の校長で少年聖歌隊長のミヒャエル・ボーグナーの家に寄宿した。ボーグナーから通奏低音を教わり、またフランツ・ラーブから声楽を、フランツ・グルーバーからヴァイオリンを、そしてアントン・カッティンガーからピアノとオルガンを教わった。

 そのようにして、ブルックナーは身近な音楽家から音楽を学んだ。ザンクト・フローリアンの時代だけではなく、それ以降も。ブルックナーの伝記を読んでもっとも圧倒されるのは、音楽を学ぶ貪欲さ、そして謙虚さだ。

 ブルックナーは1855年にウィーンを訪れた。ウィーン大学の高名な教授ジーモン・ゼヒターに学ぶためだ。ブルックナーは前年に作曲してザンクト・フローリアンで初演した「ミサ・ソレムニス」を持参した。ゼヒターは入門を許す。以降、1861年までの6年間、ブルックナーは主に手紙を通じてゼヒターから指導を受ける。

 ブルックナーは1856年にリンツ大聖堂のオルガン奏者に就任した。それでもなおゼヒターの指導を受け続けた。余談だが、シューベルトもゼヒターの指導を受けた。1828年のことだ。シューベルトはその年に亡くなった。シューベルトとゼヒターの師弟関係は短命に終わった。だがともかくシューベルトとブルックナーは兄弟弟子に当たる。

 ブルックナーの伝記を読んで一番驚くのは、ブルックナーがゼヒターの次にリンツ歌劇場の首席楽長オットー・キッツラーの指導を受け始めたことだ。そのときブルックナーは37歳になっていた。キッツラーはブルックナーより10歳も年下だ。ブルックナーはそのキッツラーから1863年までの2年間指導を受けた。

 ブルックナーはキッツラーのもとで多くの習作を書いた。その中には交響曲がある。今では交響曲第00番と呼ばれる曲だ。演奏時間は約40分。ブルックナーの片鱗がうかがえる。また弦楽四重奏曲も書いた。演奏時間は約20分。部分的にモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの音がする。その他に何曲ものピアノ小品がある。「キッツラーの練習帳」と呼ばれる習作群だ。

 それらのピアノ小品を録音したCDが何種類かある。上掲のCD(↑)はブルックナーが所有していたベーゼンドルファーのピアノフォルテを弾いたものだ。ブルックナーは1848年、24歳のときにザンクト・フローリアンの書記官フランツ・ザイラーからベーゼンドルファーのピアノフォルテを遺贈された。ブルックナーはそのピアノフォルテを生涯所有した。当CDのピアノフォルテはそれかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルックナー随想(1):ザンクト・フローリアン訪問記

2025年01月09日 | 音楽
 2024年はブルックナー(1824‐1896)の生誕200年だった。1年遅れだが、ブルックナーの随想を。まずはブルックナーの聖地ザンクト・フローリアンの訪問記から。

 ザンクト・フローリアンを訪れたのは2015年8月のことだ。ザルツブルク音楽祭に出かけたついでに訪れた。ザルツブルクから電車に乗ってリンツまで約1時間。リンツからバスに乗って約30分でザンクト・フローリアンに着いた。

 リンツを出たバスはしばらく市内を走る。なんの変哲もない地方都市だ。20分くらいたつと風景が変わる。のどかな農村地帯だ。すると間もなくザンクト・フローリアン。小さい村だ。ガストホーフが何軒かある。テラスで男たちがビールかワインを飲んでいる。のんびりした光景だ。

 ブルックナーがいた修道院(写真↑。Wikipediaより)は村の中心にある。小さい村には似つかわしくない威容を誇る。修道院に入るとすぐにレストランがある。ちょうどお昼時だったので食事をとった。古色蒼然としたレストランだ。ブルックナーもこのレストランで食事をとったり、ビールを飲んだりしたのだろうか。

 食事を終えて奥に行くと礼拝堂がある。オルガン奏者が曲をさらっている。じっと耳を傾けた。ブルックナーが弾いたオルガンの音だ。至福の時とはこのような時をいう。頭の中が空になった。だれかに声をかけられた。振り返ると、年配の女性がいた。「申し訳ないが、これからオルガン・コンサートがある」と。謝ってチケットを買った。年配の女性は笑顔を見せた。何人かの聴衆が集まった。プログラムにはブルックナーの曲は入っていなかった。なぜだろう。ハッと気が付いた。ブルックナーはオルガン曲をほとんど残していないからだ。

 コンサートが終わってバスでリンツに戻った。まだ時間が早い。欲が出て、ブルックナーの生地アンスフェルデンに行ってみようと思った。駅の構内の路線図を見ると、アンスフェルデンという駅がある。インフォメーションで尋ねると、電車が出るところだ。急いで飛び乗った。アンスフェルデンは10分程度で着いた。駅前には何もない。ザンクト・フローリアン以上に田舎のようだ。

 アンスフェルデンとザンクト・フローリアンから見ると、リンツは都会だ。そしてウィーンは国際都市だ。ブルックナーがザンクト・フローリアンからリンツへ、そしてウィーンへと進出したときには、どれほど緊張したことか。ブルックナーはウィーンに移ってからも、折に触れてザンクト・フローリアンの修道院を訪れた。その際にはオルガンを弾いた。ブルックナーはザンクト・フローリアンにいると安心できたのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年の音楽回顧

2024年12月31日 | 音楽
 2024年の大晦日になった。今年は気が付いたら年末になっていた感じがする。多くの人がいうように、今年は秋らしい秋が短かったからだろうか。

 2024年はどんな年だったろう。音楽にかぎって、しかもわたしの経験の範囲内で振り返ってみると、まず思い出すのは「サントリーホール サマーフェスティバル」だ。同フェスティバルは毎年わたしの一番の楽しみだが、今年はとくに充実していた。同フェスティバルは「ザ・プロデューサー・シリーズ」、「テーマ作曲家」、「芥川也寸志サントリー作曲賞」の3本柱で構成されるが、今年はその中の「ザ・プロデューサー・シリーズ」と「テーマ作曲家」が連動していた。

 今年のプロデューサーはアルディッティ弦楽四重奏団を率いるアーヴィン・アルディッティだった。アルディッティは20世紀後半の現代音楽のレジェンドだ。一方、テーマ作曲家はフランスのフィリップ・マヌリだ。二人の協働関係は長い。マヌリの新曲をアルディッティ弦楽四重奏団が初演したケースが何度かある。今年の同フェスティバルではアルディッティがプロデュースするオーケストラ・プログラムにマヌリの曲を取り上げた。またマヌリの室内楽コンサートにアルディッティ弦楽四重奏団が初演した曲を取り上げた。

 新国立劇場はベッリーニの「夢遊病の女」とロッシーニの「ウィリアム・テル」を新制作した。両作品の連続上演により、ベルカントオペラに焦点が当たった。とくにベッリーニのオペラの上演は新国立劇場では初めてだった。大きな穴がやっと埋まった。またロッシーニのオペラの中では特異な存在の「ウィリアム・テル」の上演は意欲的な企画だった。

 今年も多くの音楽家が亡くなった。感慨深いのは、ドイツの作曲家ヴォルフガング・リームの逝去だ。リームは20世紀後半の音楽界で存在感が際立った。わたしはザルツブルクやチューリヒで見かけたことがある。大柄な人物だったが、以前から健康不安が伝えられた。ついに亡くなった。戦後の現代音楽の一時代が終わった感がある。

 最後に私事をひとつ。わたしは今年、日本フィルの定期会員になって50年がたった。わたしは1974年の春季から定期会員になった。それ以来50年間、日本フィルの浮き沈みを見てきた。今は好調だが、低迷したときもある。オーケストラとは生き物だ。

 わたしは日本フィルを今の若い楽員が生まれる前から聴いてきたわけだが、N響などの他のオーケストラにも、わたし以上に古株の聴衆がいるだろう。そのような古株の聴衆がオーケストラを支える時代になった。そのような聴衆の層が育ったのは、日本が戦争をしなかったからかもしれない。平和の副産物だ。平和の副産物は、オーケストラの聴衆にかぎらず、社会の隅々にあるのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下野竜也/日本フィル

2024年12月22日 | 音楽
 日本フィルの12月の横浜定期は恒例の「第九」。今年の指揮者は下野竜也。前プロにオットー・ニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲が演奏された。なんとも懐かしい。昭和レトロの曲といったら言い過ぎだろうか。何十年ぶりかに聴いた。活力ある音楽と演奏に元気が出た。

 休憩後は「第九」。第1主題がパンチのきいた音で鳴る。下野竜也の「第九」を象徴するかのような音だ。以後明確なリズムで音楽が進行する。幽玄さを気取るところは皆無だ。音楽の流れが明晰だ。だが不満も感じた。音楽の熱が次第に上がることがないのだ。言い換えれば、音楽があるところで急に深まるような感覚がない。

 第2楽章は歯切れの良いリズムが一貫する。それはそれで面白い。そのような演奏で聴くと、リズムだけで音楽を書いたベートーヴェンという作曲家に驚嘆する。他のだれもやったことがないような音楽だ。

 第3楽章は意外に印象に残らなかった。音楽の流れは良く、音も美しいのだが、第1楽章と同じように、熱が高まらないことが気になった。わたしの主観かもしれないが、演奏はあっという間に終わった。ストレスの残らない演奏だった。

 第4楽章が始まる。バリトン独唱(宮本益光)の後に合唱(東京音楽大学)が入ると、その声のフレッシュさに身震いした。透明で、しかも張りのある声だ。若い人でなければ持ちえない純粋さに溢れている。人生の入り口に立ち、希望だけではなく、迷いも恐れもあるだろうが、でも今そのときでなければ持ちえない新鮮さがある。ベテランのプロ合唱団からは失われたものがある。

 合唱の声に耳を澄ましていると、第4楽章の主役は合唱だと痛感する。独唱者4人でもなく、またオーケストラでもなく、合唱が主役だ。ベートーヴェンが書いた音楽はそういう音楽だと。じつは前述のように日本フィルの横浜定期は、毎年12月は「第九」で、しかも合唱は毎年東京音楽大学なのだが、今年はとくにその歌声に感動した。トレーナーの準備が良かったからかもしれないが、下野竜也の明確なアクセントも効果的だったのだろう。

 下野竜也の指揮で驚いたのは、終結直前のマエストーソの部分のテンポだ。周知のようにベートーヴェンの指示は四分音符=60だが、普通は八分音符=60で演奏する。だがそれをベートーヴェンの指示通りにやったのではないだろうか。そうやると音価が2分の1になるので、終結直前にグッとためるのではなく、一気呵成に終結するような演奏になる。帰宅後調べてみると、下野竜也はN響でも読響でも四分音符=60でやったようだ。
(2024.12.21.横浜みなとみらいホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

B→C 葵トリオ

2024年12月18日 | 音楽
 葵トリオがB→Cに出演した。1曲目はシュニトケのピアノ三重奏曲。原曲は弦楽三重奏曲だったそうだ。シュニトケ自身がピアノ三重奏曲に編曲した。原曲は1985年の作曲、ピアノ三重奏曲は1992年の編曲。シュニトケ最晩年の作品だ。

 2楽章構成で、2楽章とも緩徐楽章だ。武満徹のピアノ曲「2つのレント」を思い出す。シュニトケのこの曲は沈鬱な楽想が基調だが、時々激情的なパッセージが駆け抜ける。同じような楽章を2つ続けて聴くと、最後はすべてが語り尽くされた感が残る。シュニトケはなぜこの曲を書いたのだろう。シュニトケのペシミスティックな心境の表れだろうか。

 2曲目は細川俊夫の「メモリー ――尹伊桑の追憶に」。同じ沈鬱な音楽でも、細川俊夫の音楽はシュニトケの音楽とはなんと違うのだろう。薄く張った透明な音。時間が止まったような感覚だ。大事な人が亡くなったときの喪失感はそういうものかもしれない。

 3曲目は山本裕之の「彼方と此方」。シュニトケの音楽とも細川俊夫の音楽ともまるで違う。いや、当夜演奏されたどの音楽とも違う。比喩的にいえば、ランダムに動く3つの運動体があり、それがやがてひとつの有機体に収斂し、エネルギーを失うという音楽だ。音の新鮮さが目をみはるようだ。

 4曲目と5曲目は藤倉大の「nui(縫い)」と「nui2(縫い2)」。「nui(縫い)」は短い曲なので印象が残らなかった。「nui2(縫い2)」はリズミカルなピアノの動きの続く部分が印象的だが、その動きにはどこか既視感もあった。

 休憩をはさんで後半。6曲目はバッハのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ト長調BWV1021。バッハの名曲のひとつだが、演奏は一風変わっていた。ヴァイオリンと通奏低音の音楽ではなく、チェロとピアノがヴァイオリンと対等に渡り合うピアノ三重奏のような音響体だ。わたしにはちょっと経験がない音響体だった。

 最後の7曲目はヴァインベルクのピアノ三重奏曲。これは目の覚めるようなパワフルな演奏だった。葵トリオが海外で認められる所以だろう。日本人の演奏家がかつて(そして今も)いわれる「箱庭的」な演奏とは一線を画す。それだけのパワーがあって初めて聴く者の肺腑をつく演奏になるのだろう。

 それにしてもこの曲は面白い。全4楽章の大曲で、どの楽章も面白いが、第4楽章の最後が静かに終わる。激しい闘争のような音楽が続いた後での静かな終わり方。それはなんだろう。作曲は1945年だ。戦争終結後の、喜びもなにもない、空白の時間の訪れだろうか。
(2024.12.17.東京オペラシティ小ホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルイージ/N響

2024年12月15日 | 音楽
 ルイージ指揮N響の定期演奏会Cプロ。曲目はリストの交響詩「タッソー」と「ファウスト交響曲」。リストの管弦楽曲を再認識する良い機会だ。

 1曲目の交響詩「タッソー」は弦楽器の暗い音色から始まる。やがてバス・クラリネットがテーマを吹く。鬱屈したテーマだ。それにしてもテーマを提示するのがバス・クラリネットであることにハッとする。ちょっと珍しい。演奏が情感豊かだ。曲はその後、明るさを増し、最後は交響詩「プレリュード」を思わせる勝利の音楽になる。N響の金管楽器が輝かしい。

 広瀬大介氏のプログラムノーツによると、リストには交響詩が13曲あるそうだ(その他に交響曲が2曲ある)。その全部は聴いていないが、「タッソー」や「プレリュード」から類推すると、リストの管弦楽曲にはひとつの“色”がありそうだ。それは暗い色だが、どこかに暖色系の色が紛れこむ。渋いようで甘い色だ。リストの交響詩を継承した作曲家はリヒャルト・シュトラウスだろうが、シュトラウスの“色”はもっと華やかだ。そのちがいは半音の使い方からくるだろうが、それ以外にリズムのちがいもありそうだ。リストの管弦楽曲のリズムはストレートだ。

 2曲目の「ファウスト交響曲」はもっと面白かった。ルイージ指揮N響の演奏はこの大曲を隅々まで味わい尽くすものだった。細部のニュアンスを表出し、しかも細部に拘泥するあまり全体が崩れるということがない。細部と全体のバランスがとれた名演だ。

 第3楽章(最終楽章)ではメフィストフェレスがファウストを翻弄する。にっちもさっちもいかなくなったとき、オーケストラが止まり、オルガンが鳴る。教会のオルガンを想起させる。そして静かに男声合唱が始まる。ゲーテの戯曲「ファウスト」第2部の最後の「神秘の合唱」だ。やがてテノール独唱が入り、「女性的なるもの」によるファウストの救済が歌われる。男声合唱は東京オペラシンガーズ。テノール独唱は名歌手のクリストファー・ヴェントリスだった。

 わたしは以前から、最後はなぜ男声合唱なのだろうと思っていた。「女性的なるもの」を歌うのに女声が入らないのはなぜか‥と。だが今回腑に落ちた。ファウストは徹頭徹尾“男”の物語なのだ。そう思った理由は次の通りだ。――第3楽章の途中で第2楽章のグレートヒェンのテーマが回想される。ファウストが不幸に陥れたグレートヒェンだ。ファウストはメフィストフェレスに翻弄されるなかでグレートヒェンを想い出す。そして最後にファウストはグレートヒェンの聖母マリアへのとりなしで救済される。そんな都合の良い話は“男”のエゴのなかにしかないから男声合唱なのではないだろうか。
(2024.12.14.NHKホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

METライブビューイング「グラウンデッド 翼を折られたパイロット」

2024年12月14日 | 音楽
 ニューヨークのメトロポリタン歌劇場(MET)の新制作「グラウンデッド 翼を折られたパイロット」。イラク戦争に従軍する女性パイロット・ジェスは、休暇でワイオミングに帰ったときに、牧場主のエリックと出会い、一夜を共にする。ジェスは妊娠する。ジェスはエリックと結婚し、休職する。子育てが終わり、復職すると、司令官からドローンの操縦への転属を命じられる。ラスヴェガスの近郊でモニターを見ながらドローンを操縦する。ジェスは敵の大物を見つける。攻撃しようとしたそのときに‥。

 興味深い点は、戦闘機に乗っていたときのジェスと、ドローンを操縦するようになってからのジェスとの対比だ。戦闘機に乗っていたときのジェスは、敵の攻撃にさらされ、死と隣り合わせだった。一方、ドローンを操縦するようになったジェスは、死の危険がなくなり、勤務が終わると、家族のもとに帰る。だがモニターには自分が攻撃する敵の顔が見える。ばらばらの死体が見える。戦闘機に乗っていたときには見えなかったものだ。ドローンを操縦するようになってから、戦争がリアルになった。リアルな戦争が日常生活と隣り合わせだ。ジェスの精神は失調する。

 常に戦争をする国・アメリカの現実を描いたオペラだ。オペラが今もアクチュアルな問題を扱い得るジャンルであることを示す。

 台本はジョージ・ブラント。幕間のインタビューによると、当初は女性一人の芝居だったそうだ。それをMETの依頼でオペラにする際に、エリックなどの登場人物を加えたという。なるほど、そういわれると頷けるが、ジェスの襞の多い人物像にくらべると、脇役の造形が浅い。とくにエリックがステレオタイプだ。METからの依頼なので仕方ないが、いっそのことモノオペラにしたほうが良かったかもしれない。

 作曲はジャニーン・テソーリ。ベテランの女性作曲家だ。幕開きのジェスのアリアなど感銘深い。幕間のインタビューによると、ジェスを歌うエミリー・ダンジェロのヴォイス・トレーニングに立ち合い、その声質と可能性を見極めたうえで書いたそうだ。本作は2023年にワシントンで初演された。今回のMET上演にあたり、指揮のヤニック・ネゼ=セガンとも合意のうえ、一部カットしたようだ。

 ジェスを歌うエミリー・ダンジェロは感動的だ。しっかりと安定した硬質な声で、ジェスの軍人の喜びから、戦争のリアルに目覚めて苦悩する姿までを表現した。ヤニック・ネゼ=セガンの指揮はいつものように熱い。そしてもう一つ、現代の問題を扱うオペラを制作し、それを(観客の入りが悪いのを承知のうえで)ライブビューイングで提供し続けるMETに賛辞を贈りたい。
(2024.12.13.109シネマズ二子玉川)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノット/東響

2024年12月08日 | 音楽
 ノット指揮東響の定期演奏会。曲目はシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲とベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。

 シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲は、今年がシェーンベルクの生誕150年なので、その記念でもあるだろう。ヴァイオリン独奏はアヴァ・バハリ。スウェーデン出身の若い女性奏者だ。難曲といわれるこの曲を顔色ひとつ変えないで弾く。昔だったら顔をひきつらせて弾くところだ。時代は変わったと痛感する。

 そのように弾かれたこの曲は、精妙な音の連なりに聴こえた。かつての苦渋に満ちた音楽ではなく、むしろ透明な音楽。この曲はそういう曲だったのかと目をみはる。この曲で今も記憶が鮮明なのは、2019年1月に聴いたコパチンスカヤの独奏、大野和士指揮都響の演奏だ。あのときのコパチンスカヤの独奏は驚きの連続だった。この曲がこんなに面白くてよいのかと思ったくらいだ。あの演奏はだれにも真似ができない。いわばコパチンスカヤ節のようなものだ。それにくらべると、バハリの演奏は、涼しい顔をして正確無比に弾く。もちろん難曲なのだろうが、聴衆にはそれを感じさせない。多少語弊はあるが、クールな演奏といえる。

 だがわたしが面白かったのは、じつはバハリの独奏よりも、ノット指揮東響の演奏のほうだった。明るい音色で敏捷に動く。バハリの独奏と同様に、なんの苦渋も感じさせない。わたしはこの曲に開眼する思いだった。

 わたしはこの曲が苦手だった。コパチンスカヤのときを除いて、この曲が腑に落ちたことはなかった。だが今度こそ、この曲が全体としてどんな音像か、つかめた気がする。意外に明るく、なにかが吹っ切れた曲なのだ。そこからどこへ行くかはまだ分からないが。

 それはシェーンベルクの生涯と関係があるのだろうか。シェーンベルクは1933年のヒトラーの政権奪取の直後にベルリンを逃れ、まずパリに入った。そして同年、ニューヨークに渡った。ニューヨークでの生活はうまくいかなかったが、1934年にロサンジェルスに移り、やがて生活が安定した。ヴァイオリン協奏曲が作曲されたのはその頃だ(1936年)。

 2曲目はベートーヴェンの「運命」交響曲。弦楽器の編成は12‐12‐8‐6‐5だった。その編成からも分かるように、ずっしりした音ではなく、運動性の高い音が疾駆する演奏だった。細かいところにクレッシェンドが頻出する。それが運動性を倍加する。ノットの演奏の特徴を一言でいえば、今その場で生まれるライブ感といえるのではないだろうか。そのライブ感は比類ない。
(2024.12.7.サントリーホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鈴木優人/読響

2024年12月04日 | 音楽
 鈴木優人指揮読響の定期演奏会。プログラムはベリオの「シンフォニア」とモーツァルトの「レクイエム」。まずベリオから。ベリオは1925年生まれ、2003年没だ。来年は生誕100年のアニヴァーサリーイヤーに当たる。今回の「シンフォニア」はそのプレ企画かもしれない。シャープで色彩豊かな演奏だった。鈴木優人の現代音楽への適性をあらためて感じた。

 「シンフォニア」の第3楽章はマーラーの交響曲第2番「復活」の第3楽章(「子供の魔法の角笛」の中の「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」による)をベースにする。今回の演奏は、マーラーの音楽が横方向に流れ、そこにさまざまな引用がコラージュ的に浮き沈みする演奏ではなく、それらのコラージュが縦方向に切断され、その切断面が見えるような演奏だった。結果、整然とした流れではなく、収拾のつかない混乱した音楽が生まれた。その生々しさはユニークだが、この曲にはふさわしいかもしれない。

 「シンフォニア」は1968年に作曲された。1968年は、チェコではプラハの春が起き、パリでは5月革命が起きた。ニューヨークではコロンビア大学の紛争が起き、また公民権運動のキング牧師の暗殺事件が起きた。東京では東大闘争と日大闘争が起きた。今では伝説的に語られる1968年に「シンフォニア」は生まれた。1968年を象徴する作品だ。

 今その作品を聴くと、どう感じるかと、わたしは自分に問いながら聴いた。演奏が良かったからだろう、古びた感じはしなかった。むしろ時代と向き合う熱量が眩しかった。ひるがえって、今の時代に生きるわたしたちは、時代と向き合う熱量をもっているだろうかと考えた。それを避けるうちに、取り返しのつかない事態が進行しているのではないかと。

 「シンフォニア」の第3楽章は前述のようにマーラーの交響曲第2番「復活」の第3楽章をベースにするが、今では普通に聴かれるマーラーも、1968年当時はそれほど一般的ではなかった。今では想像が難しいが、ベリオがこの曲にマーラーを使ったこと自体が、インパクトがあったかもしれない。また作曲を委嘱したニューヨーク・フィルの当時の音楽監督はバーンスタインだったので、マーラーを使うことはバーンスタインへの敬意の表明だったかもしれない。

 今回の演奏では、第3楽章から第4楽章へアタッカで入った。狂騒の第3楽章から時間が静止したような第4楽章への切れ目ない移行は、見事に効果的だった。なお、プログラム後半は、前述したようにモーツァルトの「レクイエム」だった。フルート、オーボエ、ホルンを欠くオーケストレーションは、「シンフォニア」とは対照的なモノクロの世界だった。
(2024.12.3.サントリーホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルイージ/N響

2024年12月02日 | 音楽
 ファビオ・ルイージ指揮N響のAプロ。1曲目はワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」から前奏曲と愛の死。ルイージのワーグナーなので期待したが、オペラ的な盛り上がりに欠けた。当日のメインの曲目(後述するが、シェーンベルクの交響詩「ペレアスとメリザンド」)に重点が置かれ、1曲目は十分に力が入らなかったのだろうか。

 2曲目はリヒャルト・シュトラウスの歌曲を5曲。ソプラノのクリスティアーネ・カルクの独唱。私事だが、カルクは以前聴いたことがある。2016年10月にベルリン・フィルの定期演奏会に行ったとき、モーツァルトのオペラ・アリアとコンサート・アリアを各1曲歌った。とくにコンサート・アリアがドラマティックな歌唱だった。指揮はイヴァン・フィッシャーだった。

 今回もそのときの印象と変わらないが、カルクは声量の豊かさで聴かせる歌手ではなく、むしろ硬質な声の持ち主だが、音楽の中身の濃さで聴かせる。今回は「バラの花輪」と「なつかしいおもかげ」から入り、ともに温和なそれらの2曲に続いて、「森の喜び」で濃密な音楽に移行し、「心安らかに」で一挙にドラマティックな音楽を展開する。そして最後に名曲「あすの朝」で締めくくる構成だった。

 その構成といい、カルクの歌唱といい、手ごたえ十分の内容だった。できればアンコールを期待したが、アンコールはやらなかった。そういえば、ベルリン・フィルのときもアンコールはなかった。アンコールをやらないのは、カルクの流儀か、それともたまたまか。

 3曲目は前述のシェーンベルクの「ペレアスとメリザンド」。ルイージ特有の熱い指揮とN響の分厚い音で克明に描く「ペレアスとメリザンド」だった。実質的に4つの部分からなる曲で、いうまでもないが、(1)ゴロー、メリザンドそしてペレアスの出会い、(2)ペレアスとメリザンドの戯れ、(3)ペレアスとメリザンドの愛の場面とペレアスの死、(4)ゴローの苦悩とメリザンドの死が描かれる。演奏はそれらのドラマを克明に追った。オペラ指揮者としてのルイージの力量だろう。

 ドビュッシーのオペラもそうだが、シェーンベルクのこの交響詩も、聴衆に重くのしかかるのは最後のゴローの苦悩だ。死の床にあるメリザンドを前にしても、ゴローはなお嫉妬に苦しむ。その業の深さは人間の悲しみだ。ルイージとN響の演奏でもその部分が大きく浮かび上がった。

 最近思うのだが、ルイージの熱い音はN響に新時代をもたらすのだろうか。そうだとしたら、日本のオーケストラの転機になるかもしれない。
(2024.11.30.NHKホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カプワ/日本フィル

2024年12月01日 | 音楽
 日本フィルの東京定期。当初は沖澤のどかが指揮する予定だったが、出産予定のため、パヴェウ・カプワに代わった。カプワの生年はプロフィールに記載がないが、まだ30代前半くらいの若い指揮者だ。出身はポーランド。クラクフ音楽院で指揮を学んだ。コンクールの優勝歴はとくに記載されていない。ワルシャワ・フィルをはじめ、ヨーロッパ内のオーケストラを振っている。日本ではまったく無名だ。

 で、どんな指揮者だったか。結論からいうと、意外に逸材かもしれない。インキネンを発掘したときと似たような感覚がある。日本フィルのカプワの起用は成功したと思う。

 プログラムは沖澤のどかのプログラムを引き継いだ。1曲目はブラームスのピアノ協奏曲第2番。ピアノ独奏はセドリック・ティベルギアン。しみじみした内向的な演奏だ。ばりばり弾くヴィルトゥオーゾ・タイプではない。晩秋のいま聴くにふさわしいブラームスといえる。ティベルギアンは背が高くスマートで、スーツ姿がよく似合う。一見すると、ビジネスマンだ。その外見としっとりしたブラームスの演奏とはイメージが異なる。

 カプワ指揮の日本フィルはそのようなティベルギアンの演奏スタイルによく付けていた。内向的なピアノ独奏をしっかり支えた。ただ、だからだろうか、少し几帳面な感じがしたのも事実だ。

 ティベルギアンはアンコールにバッハのオルガン協奏曲ニ短調BWV596を弾いた(原曲はヴィヴァルディらしい)。これも秋の夜にひとり想うといった趣の演奏だった。

 2曲目はシューマンの交響曲第2番。1曲目のブラームスのオーケストラ伴奏とはうって変わって、演奏は見違えるような積極性を帯びた。第1楽章の序奏はきわめて遅いテンポで緊張感のただよう演奏。ところが主部に入ると、テンポが速めで開放的な演奏になる。そのコントラストの強さがこの演奏の特徴だ。

 第2楽章のスピード感も見事だ。弦楽器が一糸乱れず疾走する。それを縁取る木管楽器もぴたりと決まる。第3楽章アダージョがどうなるか注目した。どちらかといえば寒色系の音色でクリアな音像が積み重なる。透明感のあるテクスチュアだ。第4楽章は音楽の段落がきわめて明快な演奏だ。もやもやしたところは皆無だ。

 演奏全体をまとめていうなら、クリアな音と明快な造形感が特徴だ。言い換えると、音が混濁したり、音楽の造形があいまいになったりしない。カプワは今後スター指揮者になるかどうかは分からないが、日本フィルは大事に育ててほしい。
(2024.11.30.サントリーホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新国立劇場「ウィリアム・テル」

2024年11月29日 | 音楽
 新国立劇場の新制作「ウィリアム・テル」。ロッシーニのオペラは好きなので、機会があれば観てきたが、「ウィリアム・テル」は初めてだ。事前にCDを聴き、流れをつかんだが、実際に観ると想像以上のオペラだった。

 まず例の序曲。中学生のころに初めて聴いたクラシック音楽のひとつだ。それが(若すぎる)最晩年のロッシーニの、簡潔で透明感のある名作だとは、中学生のわたしには思いもよらなかった。幕開けの合唱の後、テル(バリトン)とアルノルド(テノール)の二重唱になる。マッチョな男声二重唱だ。まるでヴェルディの音楽のようだ。第1幕フィナーレに展開する激しい合唱。それもヴェルディだ。パワーで押す音楽。ロッシーニの華麗でスポーツ的な快感のある音楽は影をひそめる。

 第2幕フィナーレと第3幕フィナーレも激しい合唱で終わる。だが最後の第4幕フィナーレは、この世のものとは思えない白光のさす静謐な音楽になる。その音楽に至ってロッシーニは、自らが先鞭をつけたヴェルディの音楽を通り越して、だれも踏み込んだことのない領域に入ったような感がある。

 補足すると、第1幕のバレエはブリテンが「マチネ・ミュジカル」で使った曲ではなく、今回は別の曲が演奏された。また男声主体のこのオペラにあって、第3幕のマティルド(ソプラノ)、ジェミ(ソプラノ)、エドヴィージュ(メゾ・ソプラノ)の女声三重唱が異彩を放った。

 ウィリアム・テルを歌ったのはゲジム・ミシュケタ。例のリンゴの実を射る場面に絶唱があるが(ミシュケタは渾身の歌唱だった)、それ以外は意外にアリアらしいアリアのない役だが、実際に観ると、舞台では圧倒的な存在感があった。開演前にミシュケタは体調不良とアナウンスがあったが、そんなことを感じさせなかった。アルノルドを歌ったのはルネ・バルベラ。すばらしくパワーのある歌唱だ。マティルドを歌ったのはオルガ・ペレチャッコ。上記の男声二人とくらべて、ペレチャッコはベルカント的な声だ。

 演出・美術・衣装はヤニス・コッコス。スイスを支配するハプスブルク家の暴力性はもちろんだが、それに対抗するスイスの民衆も、やはり暴力をもって立ち向かわざるを得ない現実を描き、今に至る人類の苦悩を表現した。幕切れでは、マティルドは「全てを失い、ひとり残され」るように描いた(コッコスのプロダクション・ノート)。納得できる描き方だ。

 指揮は大野和士。長大なオペラを十分に掌握し、弛緩なく上演しきった。大野和士の実力発揮だ。わたしが聴いた大野和士の指揮の中でもっとも感銘を受けたひとつだ。
(2024.11.28.新国立劇場)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする