Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

吹奏楽の愉しみ

2020年04月30日 | 音楽
 N響の定期は4月も5月も中止になったが、4月定期のBプロにシンディ・マクティという作曲家の「交響曲第1番~管弦楽のためのバレエ~」という曲が入っていた。作曲者名も曲名も初耳だった。その後、マクティは4月定期の指揮者レナード・スラットキンの奥さまであることがわかった。なんだ、そうだったのかと、種明かしをされたような気分になった。マクティは若い頃にペンデレツキの家に住み込んで作曲を教わったそうだ。マクティに興味が湧いてきたので、「交響曲第1番~管弦楽のためのバレエ~」をNMLで聴いた。

 CDはスラットキン指揮デトロイト交響楽団のものがあった。全4楽章で演奏時間約30分。バレエというよりもダンスの振り付けができそうな曲だ。そのCDには他に3曲入っていた。「サーキッツ」はマクティの出世作らしい。軽快でポップな曲。演奏時間は約5分。また「ダブル・プレー」は2楽章構成の曲で、第1楽章は「問いのない答」The Unquestioned Answer。チャールズ・アイヴズの「答のない問い」The Unanswered Questionのパロディだろう。

 マクティには他にどんな曲があるんだろうと、曲目一覧を見ると、「バンドのためのバレエ」という曲があった。聴いてみると、上記の「交響曲第1番~管弦楽のためのバレエ~」と同じ素材を使っている。「交響曲第1番」の吹奏楽版だろう。「交響曲第1番」の第2楽章を省き、3楽章構成になっている。雑味のない吹奏楽の音のほうがこの曲に合っている。「サーキッツ」の吹奏楽版もあった。管弦楽版よりもノリがいい。

 吹奏楽版はユージン・ミグリアロ・コーポロン指揮ノース・テキサス・ウィンド・シンフォニーの演奏だった。大変うまいので、他の曲も聴いてみた。まずは名曲中の名曲、ホルストの「組曲」第1番と第2番、そしてヴォーン・ウィリアムズの「イギリス民謡組曲」。当然ながら、これらもうまい。

 カレル・フサの、2014年9月に下野竜也指揮読響が管弦楽版を演奏した「この地球を神と崇める」と、2017年1月に下野竜也指揮N響が管弦楽版を演奏した「プラハ1968年のための音楽」も聴いた。マクティ、ホルスト、ヴォーン・ウィリアムズとはちがって、音がぎっしり詰まっている。管弦楽との垣根が低い。

 コーポロンにはシンシナティ・ウインド・シンフォニーを振ったCDもあった。こっちの方がもっとうまい。わたしの知っている作曲家でいうと、フローラン・シュミットの「ディオニソスの祭り」とミヨーの「フランス組曲」が楽しかった。シェーンベルクの「主題と変奏」とヒンデミットの「交響曲変ロ長調」は、各人の語法が満載だ。
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オーケストラに支援を

2020年04月25日 | 音楽
 音楽ジャーナリストの林田直樹さんがこうツイートした。「日本のオーケストラが本当に危ない。ある筋から聞いた話では、すでに3億もの損失を出している楽団もあるとのこと。このまま公演ができない状況が続けば、楽員を解雇するか、潰れるかのどちらかだろう。どうやって彼らを支援するか、周囲で真剣に考えていかなければ。」(「LINDEN日記(林田直樹)」2020年4月22日)

 わたしは先日、東京シティ・フィルの「緊急支援のお願い」を受けて募金したが、危機的な状況にあるオーケストラは他にもあると思う。では、「どうやって彼らを支援するか」。その具体策になると、考えあぐねてしまう。

 そんな折、iPS細胞の研究で知られる山中伸弥教授のホームページ「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」で、「著名な癌研究者であり、サイエンスライターでも」ある東大・岐阜大名誉教授の黒木登志夫教授の提言を知った。以下、引用すると――

 「政府は国民一人に10万円を配分します。皆さん10万円を受け取りましょう。もし、あなたが生活に困っているのでなければ、家族の分を含め全額を、コロナと戦っている組織、コロナで困っている人を助けている組織に寄付しましょう。」(コロナウイルスarXiv(7)2020年4月21日)

 わたしは共感した。黒木教授は、文脈からいって、直接的には医療関係者を念頭に置いているのかもしれないが(そして医療関係者が最重要なことはいうまでもないが)、「コロナと戦っている組織、コロナで困っている人を助けている組織」まで拡大している。わたしたちも、自分にとって本当に大事な組織があり、その組織がコロナで困っているなら、ピンポイントでその組織に10万円を(あるいは家族の同意を得られるなら、家族の分を含めて)寄付することは、あり得る手だと思う。

 わたしはいま5つの在京オーケストラの定期会員になっている。それらのオーケストラがなくなると、わたしの生活は寂しくなる。いや、生活というよりも、「人生」といったほうがいい。それだけ大事な存在だ。それらのオーケストラのいくつかが存続の危機にあるなら、そこに支援したい。

 ドイツのモニカ・グリュッタース文化相は「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ。特に今は」と述べて、大規模支援を打ち出した(2020年3月30日付け「ニューズウイーク」)。さらに、それでは不十分だとして、独自の支援策を講じている州もある。我が国では今のところ、この種の強いメッセージと支援策が出る気配はない。それならば、我々はできることをするしかない。
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サミュエル・バーバー 歴史的録音集(1935‐1960)

2020年04月23日 | 音楽
 3月以降の演奏会は全滅だ。心残りなのは読響の4月定期で演奏されるはずだったサミュエル・バーバー(1910‐1981)の「ヴァイオリン協奏曲」。久しぶりに聴くので楽しみにしていた。演奏会は中止になったので、CDで聴こうと思ってナクソス・ミュージックライブラリーを覗いた。さすがに名曲だけあって、何種類ものCDが登録されている。その中に「サミュエル・バーバー 歴史的録音集(1935‐1960)」という8枚組のCDセットがあった。

 「ヴァイオリン協奏曲」には2種類の録音が収録されていた。一つはアルバート・スポルディング独奏、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の1941年2月7日のライヴ録音。これは初演時の録音だろう。濃密な熱気に包まれている。もう一つはルース・ポッセルト独奏、セルゲイ・クーセヴィツキ―指揮ボストン交響楽団の1949年1月7日のライヴ録音(改訂版)。こちらは冷静で抒情的だ。

 両方ともおもしろかったので、他のCDも聴いてみた。圧倒的に強い印象を受けたのはオペラ「ヴァネッサ」だ。1958年2月1日のメトロポリタン歌劇場でのライヴ録音。本作は同年1月15日に同歌劇場で初演されたので、その後の一連の公演の一つだろう。指揮は同歌劇場の実質的な首席指揮者だったディミトリ・ミトロプーロス(同歌劇場には当時、首席指揮者というポストはなかった)。歌手の名前は省略するが、いずれも同歌劇場の主要な歌手たち。

 息詰まるほどテンションの高い上演だ。オペラ公演はこうでなくては!と言いたくなるほどの興奮に包まれている。同歌劇場の黄金時代というか、アメリカの黄金時代の記録かもしれない。

 バーバーの代名詞的な名作「弦楽のためのアダージョ」も聴いてみた。アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団の演奏(1938年11月5日の放送録音)。言わずと知れた名盤だが、あらためて聴いてみると、これはすごい演奏だ。張りのある音と想像を絶するスケールの大きさ。トスカニーニが世紀の大指揮者たるゆえんだ。ついでに「管弦楽のためのエッセイ第1番」も聴いてみた(同上)。これも名演だ。

 わたしの好きな「ノックスヴィル:1915年の夏」は3種類の録音が収録されている。その中ではレオンタイン・プライスのソプラノ独唱、トーマス・シッパース指揮ニューヨーク・フィルの演奏が名演だ(1959年11月15日のライヴ録音)。

 その他にもブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルのライヴ録音が2曲ある。CDセット全体から当時のニューヨークの活況ぶりが伝わる。
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東京シティ・フィルの「緊急支援のお願い」

2020年04月18日 | 音楽
 東京シティ・フィルが募金活動を始めた。「【緊急支援のお願い】東京シティ・フィル応援募金のお願い」(※)の一節を引用すると――

 「新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、東京シティ・フィルでも演奏会の中止・延期を余儀なくされており、お客様に生の演奏をお届けできない状況が続いております。このままですと、自主運営という団体の性質上、楽団の存続が危うくなることも時間の問題となって参りました。」

 多くの方が危惧した事態が現実のものになりつつある。東京シティ・フィルは2月の定期はかろうじて開催できたが、3月と4月の定期は開催できず、それらは「延期」の形でしのいだが、5月の定期は「中止」になった。これからその払い戻しが始まる。また事務所の賃料その他の固定費が継続してかかっているだろう。楽員の給料はどうしているのか‥。内情をまったく知らない一定期会員のわたしだが、その経営が心配になる。

 そんな折に上記の募金活動を知ったので、わたしもささやかながら募金をさせてもらった。募金はチケットの予約システムを使っているので、1枚1000円の自由席チケットを任意の枚数購入する仕組みになっている。最初は面食らったが、「なるほど、そうか」と理解して無事募金を終えた。

 募金後、東京シティ・フィルのツイッターを見ると、何人かの方々が応援のメッセージを寄せている。それに応える東京シティ・フィルのツイート。それらの応答を見るうちに、思わず胸が熱くなった。

 東京シティ・フィルは熱いオーケストラだ。演奏はもちろんだが(わたしは東京シティ・フィルの演奏をいつも共感を持って聴いている)、このようなSNSでの発信も熱い。また楽員のSNSも熱い。その東京シティ・フィルが存続の危機に陥っているのなら、貧者の一灯かもしれないが、募金をさせてもらい、また地味なブログながら、このブログでも紹介させてもらいたいと思った次第。

 わたしは学生時代に、分裂直後の日本フィルの定期会員になった。それから今まで46年間にわたって日本フィルの苦楽を見てきた。知り合いになった楽員もいる。もう退団しているその元楽員に聞くと、今の日本フィルも苦しいらしい。日本フィルも東京シティ・フィルも潰してはいけない。わたしは以前、新星日本交響楽団の定期会員だった。同楽団は東京フィルに吸収合併されたが、そのときオーケストラがなくなること(=そのオーケストラ固有の音がなくなること)の寂しさをいやというほど味わった。もうその思いは繰り返したくない。だが、今の状況は厳しい。

(※)【緊急支援のお願い】東京シティ・フィル応援募金のお願いhttps://www.cityphil.jp/news/detail.php?id=149
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ヴェンツァーゴのCD

2020年04月16日 | 音楽
 3月に引き続き4月も演奏会は軒並み中止だが、その中で心残りなのは、読響に客演するはずだった指揮者のマリオ・ヴェンツァーゴMario Venzagoだ。ヴェンツァーゴという名前はどこかで見かけたことがあるが、実演を聴いたことがないので、興味を持っていた。ヴェンツァーゴは1948年チューリヒ生まれ。いまはベルン交響楽団の芸術監督兼首席指揮者を務めている。年齢からいってもベテラン指揮者だ。今回実演を聴けなかったので、CDをいくつか聴いてみた。

 一番感心したのは、ベルン交響楽団を振ったオネゲルの交響曲第3番「典礼風」だ。鮮烈な演奏といったらいいか。色彩感があり、リズムの切れもいい。同曲にはカラヤンやデュトワの名盤があるが、ヴェンツァーゴの演奏には新鮮さがある。同CDには他にオネゲルの交響曲第5番「3つのレ」と交響的運動第2番「ラグビー」が入っている。それらの曲も好演だ。

 もう一つ感心したのはベルクの「ルル」組曲だ(オーケストラはエーテボリ交響楽団)。透明かつ明るい音色で、「ヴォツェック」とは異なる平明さのある音楽を必要かつ十分に表現している。ソプラノ独唱のジェラルディン・マグリーヴィという歌手もいい。高音が出るのはもちろんだが、(一部の歌手で見かける)凄みをきかせた歌唱ではなく、素直な歌い方に好感が持てる。

 興味深かったCDはブルックナーの交響曲第5番だ。オーケストラは室内オーケストラのタピオラ・シンフォニエッタ。わたしは思わず膝を打った。第5番は、管楽器は2管編成だが、実演では(CDでもそうだが)弦は大編成で演奏される場合が多い。曲想がそうさせるのだろうが、木管・金管と弦とのバランスには疑問を感じることがある。弦の音が必要以上に分厚くないかと。

 このCDでは従来型の演奏とは異なり、木管・金管を分厚い弦が支えるのではなく、木管、金管そして弦がそれぞれの線を描く。透明感と流れのよさでしっくりくる。言い換えると、第5番が第7番以降の大交響曲の前触れの曲ではなく、第4番から第6番までの流れの中に納まる。

 一方、少々引っかかるCDもあった。一つは今回読響と共演するはずだったブルックナーの交響曲第3番(ベルン交響楽団)。第1楽章の第1主題が、前半はテヌートをかけ、後半は短く切り詰めて演奏されている。独特なアーティキュレーションだ。もう一つはシューマンの交響曲第3番「ライン」(デュッセルドルフ交響楽団)。第1楽章と第2楽章で大きくルバートをかける。一方、第5楽章の弱拍でのアクセントは弱い。2曲とも実演のライブ録音。スタジオ録音は別にして、実演だと個性派指揮者かもしれない。
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財務省職員の遺書と手記を読んで(4)

2020年04月12日 | 身辺雑記
 新型コロナで鬱陶しい毎日が続いている。演奏会は軒並み中止になり、展覧会も中止または開催延期になったが、それらの文化活動に止まらず、多くの国が事実上の鎖国状態になり、さらには都市封鎖まで起きている。我が国では外出自粛に止まっているが、現役世代はそれでも通勤を続けざるを得ず、リタイア組は(わたしもその一員だが)家にこもっている(それもストレスがたまる)。

 そんな抑うつ状態にあって、「いま起きていることは何だろう」と考えることがある。今まで享受してきたビジネスモデルや生活様式への根本的な問いかけが含まれているように感じるが、その実体がつかめない。

 そんなことを考えている矢先に、妻の友人から妻にメールが来た。福島県在住のその人は「こもっていますか? 大震災のときに似ていると、福島の人たちは言っています」と書いてきた。わたしは目から鱗が落ちる思いだった。目に見えない放射性廃棄物に脅かされた状況といまの状況と、たしかに似ているかもしれない。福島の人たちがあのとき経験したことを、いま日本中で、いや世界中で経験しているのかもしれない。

 そういう状況にあっては、一人の男の死など押し流されてしまいかねないが、それはよくないという気持ちがある。一人の男の死はいまの大きな状況と等価だ。そう思いながら週刊文春の今週号を読んだ。

 今週号では2018年10月28日に亡き赤木俊夫さんの奥さまのもとを訪れた財務省秘書課長と近畿財務局人事課長の会話記録が載っている(奥さまは会話を録音していた)。前後の文脈は同誌を読んでほしいが、核心部分を抜き出すと、財務省秘書課長はこう言った。「安倍さんがああやって『関知してたら辞めてやる』っておっしゃったのが2月17日なんですけれど、あれでまぁ炎上してしまって。で、理財局に『あれ出せ、これ出せ』っていうのもワーっと増えているので、そういう意味では関係があったとは思います。」と。わかりにくいかもしれないが、「関係があった」とは安倍首相の例の答弁と文書の改ざんとが、だ。

 本省の課長が地方財務局の職員の遺族を訪れるのは異例なことだ。それだけその職員の自死を重大視していたわけだが、おそらく真の目的は、奥さまの出方を探ることだったのではないか。現にそのとき赤木さんの遺した「手記」が話題にのぼり、訪問した二人は奥さまが「手記」を公表する考えはないという感触を得た。二人の訪問の目的は果たせたのだ。

 それはともかく、上記の秘書課長の発言は、わたしたちの認識と一致する。一致しないのは安倍首相の認識だ。それが国民の間に亀裂を生んでいる。
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追悼 ペンデレツキ

2020年04月09日 | 音楽
 3月29日にポーランドの作曲家ペンデレツキ(1933‐2020)が亡くなった。享年86歳。日本人には「広島の犠牲者に捧げる哀歌」(1960年)で鮮烈なデビューを飾ったが、後年その題名は、当初は「8分37秒」だったが、ポーランドのオーケストラの日本公演用に改題したものだったことがわかり、わたしたちを落胆させた。だが、考えてみると、「広島の‥」への改題はプロモーション的にはあり得ることだった。別に目くじら立てることでもなかったかもしれない。

 その「広島の‥」を2018年9月にカンブルラン指揮の読響が演奏した。それは呆気にとられるくらいエモーショナルな要素を排除した演奏だった。わたしには前衛的な実験作のように聴こえた。この曲の真の姿を見た思いがした。

 ペンデレツキは指揮者としても活動した。わたしはその指揮を5度聴いた。そのうちの2度は自作のヴァイオリン協奏曲第2番「メタモルフォーゼン」(1992‐95年)を指揮した。1度目は1999年11月に日本フィルを指揮したもの。ヴァイオリン独奏は諏訪内晶子で、オーケストラ共々、気迫に富んだ演奏だった。2度目は2019年6月に都響を指揮したもの。ヴァイオリン独奏は庄司紗矢香で、それはよかったが、オーケストラは精彩がなかった。いま思うと、その頃ペンデレツキはもう大分弱っていたのかもしれない。

 わたしが聴いた5度の演奏会では、ペンデレツキはベートーヴェンの交響曲第7番を2度、メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」を2度、そしてドヴォルジャークの交響曲第8番を振った。いずれも古き良き時代のヨーロッパを思わせる指揮だった。前衛作曲家のイメージとは乖離していた。最初は戸惑ったが、だんだん慣れた。ペンデレツキとはそういう人なのだと。

 よく言われるが、当初ペンデレツキは前衛作曲家として出発したが、1970年代から新ロマン主義の作風に転換した。興味深い点は、その転換が武満徹(1930‐1996)と軌を一にすることだ。武満徹も前衛作曲家として出発したが、1970年代に「タケミツ・トーン」の作風を確立した。

 武満徹は「比喩的に言えば生涯ただひとつの「歌」を歌い続けた」(林光「現代作曲家探訪記」所収「回想 武満徹」)が、ペンデレツキはマーラー、ショスタコーヴィチに連なる交響曲作曲家に変貌した。交響曲以外にも記念碑的な傑作「ポーランド・レクイエム」や多数の協奏曲を書いたが、その生涯を特徴づけるものは全8曲の交響曲だろう。なかでも第7番「イェルサレムの7つの門」(1995‐96年)と第8番「はかなさの歌」(2005年)はその到達点だ。ペンデレツキは思いがけない所に着地した。
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財務省職員の遺書と手記を読んで(3)

2020年04月05日 | 身辺雑記
 週刊文春の今週号に自死した財務省職員・赤木俊夫さん関係の第3報が載った。今回は赤木さんの人となりを伝えるもので、一言でいえば、生真面目で明るく、奥さまと幸せな家庭を築いていた人のようだ。だが、こんな要約ではなく、できれば記事を読んでほしい。ディテールから伝わるものが大事だ。それを読むと、赤木さんが身近に感じられる。

 同時に、赤木さんだけではなく、奥さまの人柄もわかる。既報を読んだときに感じた「この奥さまはどういうかただろう」という疑問が氷解する。今回の記事で印象に残ったエピソードは、提訴と手記の公開を翌日に控えた今年3月17日に、奥さまと本件のスクープ記者・相澤冬樹氏が、佐川元理財局長の自宅の前を訪れたときのこと。自宅の前で奥さまは、インターホンを押すでもなく、じっと建物を見つめた後で、こう言ったそうだ。「佐川さんもこの家に住むご家族も、もう幸せではないんでしょうね。何だか佐川さんもかわいそう……」

 そして、踏ん切りをつけたかのように、こう言ったそうだ。「うん、来てよかった。もういいです」と。心に沁みるエピソードだ。奥さまの豊かな人間性が感じられる。

 たしかに佐川氏も被害者だろう。では、だれが加害者なのか。それは十分明らかになっている。本人が認めないだけだ。でも、佐川氏も、何のためらいもなくやってしまったことで加害者となった。その被害者が赤木さんだ。

 今週号では5人のメディアの人々がコメントを寄せている。共同通信社の元政治部長で現客員論説委員の後藤健次氏は、「国会で追及を受けると、安倍総理はよく、「行政府の長として責任を痛感している」と答弁します。要は、部下の不始末を詫びているだけで、自分には落ち度はないと言っているのです。政治家および安倍晋三個人の責任には言及せず、責任の所在をすり替えている。」と言っている。まさに我が意を得たりだ。

 ジャーナリストの森健氏は、「赤木さんは国民のために奉仕すべき、そして法に忠実であるべきだと考えていた自らの存在意義を、捻じ曲げられてしまったことに苦悩したのでしょう。誰のために自分たちは働いているのかと、罪の意識を抱えてしまった。ただ、最後まで不正を許すことが出来ず、手記を遺したのでしょう。」と言っている。

 その手記をもう一度読み返してみた。以前にも増して赤木さんの無念さが身に沁みた。書き出しは生真面目な官僚そのもので、手記というよりも公文書に近いが、後半では自死を前にして動揺したのか、文章が乱れている。その乱れが痛々しい。ともかく最後まで書き終えて、赤木さんは死にむかった。
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ピーター・ゼルキンを想う

2020年04月01日 | 音楽
 2月上旬のことだが、わたしの好きな演奏家の訃報が相次いだ。2月1日にピーター・ゼルキン、6日にネッロ・サンティ、9日にミレッラ・フレーニ。なかでもピーター・ゼルキンのことが頭にずっと引っかかっているので、CDをまとめて聴いてみた。ピーターって結局どんな演奏家だったのだろうと。

 最初に聴いたCDは武満徹の「カトレーン」。というのも、わたしが最初に出会ったピーターはアンサンブル「タッシ」のメンバーだったからだ。久しぶりに聴く「カトレーン」はいまも新鮮さを保っていた。そのことに、わたしは感動した。曲の最後に出てくるソリスト4人の(つまり「タッシ」のメンバーの)カデンツァ風の部分でのピーターの演奏のみずみずしさ! あの頃のピーターは幸せな時をすごしていたと思う。

 ついでながら、4人のソリストにつける小澤征爾指揮ボストン交響楽団の感性豊かな演奏も特筆ものだ。録音は1977年3月、ボストン・シンフォニーホールで。脂の乗り始めた頃の小澤征爾の仕事の一つだ。

 わたしはピーターの実演を2度聴いたことがある。いや、2度しか聴いていないというべきだが、ともかくその数少ない経験で、妙に気になることがあった。最初に聴いたのは2003年10月のN響の定期だった。準・メルクルの指揮でブラームスのピアノ協奏曲第1番を聴いた。そのときの凄まじい集中力は、わたしに圧倒的な印象を残した。ピーターは巨匠への道にあると思った。

 2度目は2015年9月の都響の定期だった。オリヴァー・ナッセンの指揮でブラームスのピアノ協奏曲第2番を聴いた。そのときのピーターは何かが違っていた。巨匠への道をまっしぐら‥ではなくて、どこか屈折したものがあった。もっとも、その印象の大部分は、ピーターが使用した年代物のスタインウエイから来るものだった。艶消しの、音量の小さい、古風な音だった。わたしはびっくりして、終演後、そのピアノを見に行った。アンティークなピアノだった。どこから持ってきたのだろうと思った。

 なぜそのピアノを使ったのだろう、という疑問がずっと残った。今回聴いたCDの中に、フォルテピアノを弾いたベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタ集があった。それを聴いているうちに、あのときのピーターを思い出した。モダン・ピアノの張りのある輝かしい音よりも、そのくすんだ音のほうが、ピーターにはしっくりくるものがあったのだろう。それは現代生活の緊張からの、束の間の解放だったのか。

 そのピアノフォルテのCDでは、わたしは第28番が気に入った。モダン・ピアノでは出せない繊細な音のテクスチュアがあった。
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