Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

二期会研究会駅伝コンサート

2013年07月29日 | 音楽
 二期会研究会の「駅伝コンサート」。15:30~20:00まで。全席自由・出入り自由というのがいい。

 二期会には12の研究会があるそうだ。そのうち11研究会が参加。それぞれの持ち時間は20分前後。その枠内で趣向を凝らしたミニ・コンサートが繰り広げられる。オペレッタ研究会から始まり、イタリアオペラ研究会、ロシア東欧オペラ研究会と続き、最後はイタリア歌曲研究会。途中20分の休憩が2回ある。休憩時間にはロビーに各研究会のブースが出て、CDや書籍、ティーシャツなどを販売している。舞台衣装を着た歌手も参加して、にぎやかなものだ。

 各コンサートの趣向が楽しい。オペレッタ研究会はオペレッタの名場面集、イタリアオペラ研究会は「ラ・ボエーム」の第3幕後半(ミミが雪の降る明け方、マルチェッロを訪ねる場面から最後まで)。一方、ドイツ歌曲研究会はブラームスの歌曲6曲、日本歌曲研究会は武満徹の歌(=ソング)を6曲。また、英語の歌研究会は「メサイア」抜粋だが、最後のハレルヤ・コーラスでは意表を突いた演出で笑わせた。

 このように、なにが飛び出すかわからないコンサートでは、自分の好みにかかわらず、なんでも聴く――耳に入ってくる――という利点がある。普段はとりたてて聴くこともない曲を聴く利点がある。その意味では、ロシア歌曲研究会のラフマニノフの二重唱2曲が面白かった。「夢」作品8‐5と「ふたつの別れ」作品26‐4。ラフマニノフの歌曲はこんなにいいのかと、目を開かれた。もう一つ、フランス歌曲研究会のプーランクの女声アンサンブル「妹が欲しいの」も面白かった。いかにもプーランクらしいちょっとエッチな(?)曲。

 大勢の出演者に交じって、オペラの第一線で活躍中の歌手――井ノ上了吏と小原啓楼――は、さすがだった。歌手の名前は気にしないで聴いていたのだが、この二人のときには――井ノ上了吏はスペイン音楽研究会、小原啓楼はイタリア歌曲研究会――、おお!と思った。慌ててプログラムを見たら、この二人だった。

 この二人は二期会の――というよりも日本の声楽界の――広い裾野から出てきた逸材なのだ、あるいは、この二人が出てくるためには、途方もなく広い裾野があったのだ、ということがよくわかった。実感としてわかった。

 老若男女合わせた歌手たちのお祭り。今回で第8回目。こんなに楽しいのなら、また来年も。
(2013.7.28.東京文化会館小ホール)
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ラ・フィアンマ(炎)

2013年07月28日 | 音楽
 レスピーギのオペラ「ラ・フィアンマ(炎)」。東京オペラ・プロデュースの公演。

 レスピーギにはオペラ作品がいくつかあるとは思っていた。岸純信氏の解説によると、10作とのこと。うち1作は未完、またもう1作は未完の遺作で、レスピーギの死後、妻らによって補筆された作品なので、完成された作品は8作ということなる。これはけっして少なくない数だ。

 数年前にベルリン・ドイツ・オペラが「マリー・ヴィクトワ―ル」を上演した。そのときも観たいと思ったが、日程的に合わなかった。なので、レスピーギのオペラは今回が初めてだ。

 で、どうだったのか。それを一言でいうのは難しい、レスピーギのオペラはこうだと端的にいうのは難しいと思った。

 レスピーギというと、「ローマ三部作」をはじめ「ボッティチェッリの三連画」や「教会のステンドグラス」などのオーケストラ作品で透明感のある色彩豊かな作風のイメージが強い。その片鱗はこのオペラでも垣間見られた。また「教会のステンドグラス」や「リュートのための古風な舞曲とアリア」第1番~第3番で古い旋法的な音楽のイメージがある。その片鱗もあった。だが、全体を大つかみで括ったときに、どういえばよいかは、今一つつかみかねた。

 それが作品のせいなのか、演奏のせいなのかは、即断を憚られる――そんな気がした。

 演奏が悪かったといっているのではない。皆さん一生懸命だった。そのことは、この団体の公演に足を運ぶ人なら、だれでも知っている。むしろ今回はオーケストラがいつも以上によかった。石坂宏の指揮のおかげだ。すばらしくオペラティックな演奏だった。オーケストラに歌手以上のドラマがある場面がいくつもあった。石坂宏には今後もさまざまなオペラを振ってもらいたい、と思ったほどだ。

 一方、作品のせいとも断言できない。むしろ、そんなことよりも、今回は初めてレスピーギのオペラに触れた――レスピーギのオペラの世界を覗く窓が開かれた――、そこにとどめるべきだろうと思った。

 ここ数年来、ザンドナーイ、アルファーノ、ジョルダーノのオペラが上演されている。そして今回はレスピーギ。少しずつプッチーニの影に隠れていたオペラが視野に入ってきた。こういった公演が手弁当――そういうと失礼かもしれないが――の自主運営団体(2団体)によって続けられている。その心意気やよしだ。
(2013.7.29.新国立劇場中劇場)
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小泉和裕/都響

2013年07月23日 | 音楽
 小泉和裕/都響の定期Bシリーズ。1曲目はドヴォルジャークのチェロ協奏曲。チェロ独奏はニコラ・アルトシュテット。情報に疎いので、知らなかった名前だが、1982年生まれの若手。2012年からギドン・クレーメルの後任としてロッケンハウス音楽祭の芸術監督を務めているそうだ。

 チェロ独奏、オーケストラともども、ゆったり構えた演奏。胸が張り裂けそうになる望郷の念よりは、リラックスして、丁寧な音づくりを心がけた演奏。わたしなどは、この曲では、堤剛の突き詰めた演奏が耳に残っているので、それとは対極の演奏という感じがした。

 オーケストラは、テンポを落とした弱音の部分で、木管のソロに聴くべきところが多かった。さすがは名手ぞろいだ。また第1楽章のコーダや第3楽章の終結部では輝かしい金管の音も楽しめた。艶のある弦の音も――でも、こうして一つひとつ賞賛するまでもないだろう。

 アルトシュテットはアンコールにバッハの無伴奏チェロ組曲第1番からサラバンドを弾いてくれた。これもなんの気負いもない、リラックスした演奏。まるで周りにだれもいないかのような――あるいは、満場の聴衆をまったく意識していないかのような――純粋に音楽と戯れている演奏。たとえていえば、ヨーロッパの古城の一室で、ただ一人戯れにチェロを弾いているような演奏だった。

 でも、このアルトシュテット、演奏後のパフォーマンスは、こういった演奏のイメージとは異なり、明るく、人懐っこく、コミュニケーション能力抜群のものだった。芸術家タイプや職人タイプではなく、むしろ指揮者のようなタイプに思われた。

 プログラム後半はグラズノフのバレエ音楽「四季」。流動する色彩、しかも暖色系の色彩の饗宴だった。暖色系のさまざまな色彩が絡み合い、どれも突出することなく、しかもそれぞれ個性を失わずに流動していく、その様子を見るようだった。

 この曲でも木管が好調だった。そして弦も。オーケストラ全体はよく鳴っているのに、けっして絶叫調にはならずに、ある音楽的な枠内に留まっている。その結果としての想像力の飛翔というか、音楽的なイマジネーションがどこまでも自由に羽ばたいていくような演奏だった。

 都響はこれで夏休み。聴衆も――都響の会員としては――夏休み。この定期は夏休み前の都響からのプレゼントのように感じられた。
(2013.7.22.サントリーホール)
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下野竜也/東京シティ・フィル

2013年07月20日 | 音楽
 昨日は定期会員になっているオーケストラの定期が重なってしまった。一方は振替がきくので振り替えてもらい、もう一つのほうに行った。下野竜也/東京シティ・フィル。

 下野竜也らしい凝ったプログラムだ。濃いプログラムといったほうがいいか。まずマーラーの交響曲第10番の第1楽章。冒頭のヴィオラの呟きから入念な音づくりが感じられた。だが、後が続かなかった。演奏が進むにつれて中身が薄くなった。練り上げるための時間が足りなかったのか。

 2曲目はベルクのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン・ソロは竹澤恭子。さすがだ。曲が手中に入っていることはいわずもがな、それ以上に欧米で受け入れられている――欧米に基盤をもつ――演奏家のちがいを見せつけられた。一言でいって、音がちがうのだ。音が抽象的で清潔なものではなく、体温があるというか、あるいは、肉体が乗り移っているというか。音が人間のドラマになっているのだ。

 下野竜也がつけたバックも面白かった。曖昧さのない明快なもの。なので、こんなところにこういう動きがあったのか、という発見があった。下野竜也は昨年12月にもこのオーケストラでシェーンベルクのピアノ協奏曲を取り上げて、鮮やかなバックを聴かせてくれた。それを想い出した。

 3曲目はモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。この曲になると鳴り方がちがった。恰幅のよい堂々たる演奏になった。ちょっと朝比奈隆を連想させた。マーラーもベルクもいいけれど、ほんとうにやりたかったのはこれ、といっているようだった。

 第2楽章アンダンテは、なにをやりたいか、今一つ伝わってこなかったが、第3楽章メヌエットは流れがよく、アンサンブルもよかった。この楽章が一番普通で、かつチャーミングだった。

 そして第4楽章、突進するアレグロ。突進も突進、雄牛のような突進だった。これが下野竜也の流儀なのだろうか。全4楽章のなかでこれがもっとも個性的だった。将来なにかが生まれる素地が顔を出したのかもしれない。

 でも、どうなのだろう、今回の演奏会はもう一つ消化不良だったような気がする。言い換えるなら、表現の練り上げが不足していた。プログラムが重量級だったせいか。そうかもしれないが、プログラムのせいにはできないだろう。オーケストラにも下野竜也にも、反省材料があった――そんな演奏会だった。
(2013.7.19.東京オペラ・シティ)
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スイス旅行

2013年07月19日 | 身辺雑記
 山仲間6人で行った今回のスイス旅行、結構大イヴェントでした。一昨年からスイス旅行の話が出ていましたが、本当に行くとなったのは昨年暮れ頃。年が明けて今年の1月に皆さん我が家に集まりました。わたしが作った叩き台をもとに、ああでもない、こうでもないと。

 山仲間といっても、希望は様々でした。ユングフラウヨッホに行きたいという希望は一致していましたが、それ以外にはひたすら歩きたい人、ベルニナ特急に乗ってみたい人、ツェルマットにも行ってみたい人……。日数は約1週間。さて、どうするか。

 日程案の2案、3案を作るにつれて、だんだん絞られてきました。チューリヒに入って1泊→グリンデルワルドに移動して3泊→ツェルマットに移動して2泊→氷河急行に乗り(クールで乗り換えて)チューリヒに戻って1泊→翌日帰国というスケジュールに落ち着きました。

 一番気になったことは費用です。皆さんツァーに乗る気はまったくないようですが、結果的にツァーのほうが安かったということになれば、これは申し訳ありません。皆さんに迷惑をかけないためにも、ツァーより安く上げることが、わたしにとっては至上命題になりました。

 結果的に飛行機代、ホテル代、鉄道代、登山電車・ケーブルカー・ロープウェイ代、食事代をひっくるめて30万円ほどで上がりました。あとは希望者のみのオペラ代と個人費用(飲み物代やお土産代)くらい。まあ上出来かなと。

 現地では天気に恵まれて、目いっぱい歩くことができました。アイガーもユングフラウも、そしてマッターホルンも見えました。皆さん楽しんでくれてなによりです。

 皆さんすでに退職して、第二の職場で働いている人が(わたしを含めて)3人、それもやめてしまった人が3人。スイス旅行は人生のご褒美のつもりです。スイスの山を歩きながら、「仕事ではいろいろあったけど、そのご褒美だ」とか、数年前にくも膜下出血をした人は「生きていてよかった」とか話していました。

 わたしも現地では添乗員の真似事を楽しみました。

 最終日にはチューリヒ空港まで皆さんを見送りました。別れるときに握手をしてくれた人が二人もいました。たぶん皆さん気分が高揚していたのでしょう。その後市内に戻りましたが、夜のオペラまで時間があったので、チューリヒ美術館に行きました。でも、さすがに疲れがドッと出て、美術鑑賞には身が入りませんでした。
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異国の女

2013年07月18日 | 音楽
 チューリヒ歌劇場でベッリーニのオペラ「異国の女」La stranieraを観た。なんといってもグルベローヴァが出演することが注目の的だった。

 山仲間とスイス旅行をすることになって、ついでになにかオペラを観たいと考えていたら、これを見つけた。皆さんと一緒に行ったのは前日の「リゴレット」だが、どうしてもこれを観たくて、わたしだけが残った。

 観てよかった。グルベローヴァの「今」に触れることができた。功成り名遂げて年齢的にもかなりのところにきたグルベローヴァが、新しいレパートリーに挑むことは、それ自体頭の下がる思いがする。しかもその作品が、近年復活のきざしは見えるが、まだ十分に定着しているとはいえない作品であることにも、刺激的なものを感じる。

 この作品では主人公アライデ(=グルベローヴァ)の登場は、舞台裏からかすかに聴こえる歌声で始まるが、その歌声が聴こえてきたときにはゾクゾクした。いつものグルベローヴァの完璧な声のコントロールだった。

 その後の進行では、ひたすらグルベローヴァを追い続けた。意識的にそうしたというよりも、とにかく図抜けた存在なので、無意識のうちにそうなったというほうが相応しい。そして、なるほどこれが今のグルベローヴァかと思った。

 声はもちろん若い頃とは変わっている。それにつれて表現も変わっている。端的にいって、劇的になっている。人生の苦さの表現に傾注している。ベルカント・オペラにはちがいないが、むしろ人生の苦さを滲ませている。

 そこにグルベローヴァの「今」を感じた。一言でいって、老貴婦人という言葉が浮かんだ。今のグルベローヴァほどその言葉に相応しい人はいないのではないかと思った。人生のすべての苦さを味わったうえで、毅然として生きる貴婦人。

 舞台ではグルベローヴァが突出して深みがあった。他の登場人物に比べて、圧倒的な深みがあった。それは音楽あるいは台本からくるよりも、今のグルベローヴァの存在からくるものと思われた。

 指揮はファビオ・ルイジ。グルベローヴァの節回し(呼吸)にぴったり付けていた。さすがだ。演出はクリストフ・ロイ。舞台の三方を板壁で囲って、天井から無数のロープを垂らし、そのロープで紗幕を上げ下げしていた(歌手がみずから操作していた)。この作品の初演当時の舞台機構を模したものだろうか。当時の疑似体験をする思いだった。
(2013.7.14.チューリヒ歌劇場)
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リゴレット

2013年07月17日 | 音楽
 チューリヒ歌劇場の「リゴレット」。2013年2月初演の新制作だ。舞台にあるのは長い机だけ。その机は3脚の事務用の机を並べて、白いシーツを掛けたもの。周囲には事務用の椅子が並べられている。こちら側に9脚、向こう側に9脚、そして左右両サイドに2脚ずつ。要するにこれだけの舞台。殺風景といえば殺風景だ。ガランとした舞台でオペラは進行する。

 こういう舞台だが、オペラの進行に不足はなかった。むしろ不自然な箇所(たとえばリゴレットが、ジルダを誘拐しに来た廷臣たちに騙されて、目隠しをされて梯子を支える場面など)があっさり処理され、気にならない利点があった。

 利点といえば、最大の利点は、音楽に集中できたことだ。シンプル極まる舞台で滑らかに進行するので、ストーリーは――視覚情報よりも――想像力にゆだねられ、関心はむしろ音楽に集中する結果になった。

 音楽に集中すると、今更ながらこれは傑作だと思った――そんなことをいうこと自体間が抜けているかもしれないが――。ことに第1幕第2場で自宅に戻ったリゴレットがジルダと交わす二重唱――リゴレットの旋律線とジルダのそれとの明暗の交錯――に、第3幕のリゴレット、ジルダ、マントヴァ公、マッダレーナの四重唱の予告を感じた。

 そうか、あの四重唱は突然生まれたのではなく、音楽的な進行の帰結だったのかと思った。生まれるべくして生まれたというか、もっというなら、このオペラはあの四重唱に向けて高まり、その後急速に下降する構造なのだと思った。

 こんなことは素人のたわごとかもしれないが、わたしはそう思った。そして初めてこのオペラを把握できた気がした。今まではストーリーを追っているだけで、音楽をしっかり聴いていなかったと反省した。

 演出はタチヤナ・ギュルバカTatjana Guerbaca。ドイツのマインツ劇場でオペラ監督をしているそうだ。指揮はファビオ・ルイジ。CD的な完璧性を求めた指揮ではなく、劇場的な熱い指揮だった。音楽を激しく追い込んでいく指揮。

 リゴレットはクィン・ケルシーQuinn Kelsey(同行者二人が口をそろえて「西田敏行に似ている」といっていた。たしかにそういわれてみると……)。ジルダは予定されていた歌手が急病とかで、ローザ・フェオラRosa Feolaに代わった。1986年生まれの若い歌手。満場の喝さいを浴びていた。マントヴァ公はサイミール・ピルグSaimir Pirgu。この役にしては生真面目だった。
(2013.7.13.チューリヒ歌劇場)
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帰国報告

2013年07月16日 | 身辺雑記
 本日、無事に帰国しました。今回は山の仲間とのハイキング目的の旅でしたが、幸い天気に恵まれ、目いっぱい歩くことができました。皆さん喜んでくれたので、添乗員の真似ごとをしたわたしとしても、これ以上の喜びはありません。
 最終日にはチューリヒでヴェルディの「リゴレット」を観ました。これは希望者3人で。あとの3人は市内散策に出かけました。
 翌日は皆さんを空港まで送った後、わたしだけ延泊して、ベッリーニの「異国の女」La stranieraを観ました。
 以上2本のオペラの報告は後日またします。
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旅行予定

2013年07月06日 | 身辺雑記
7月7日(日)から旅行に行ってきます。今回は山旅。山仲間と一緒です。行先はスイス。ハイキングが目的です。最後にチューリッヒでオペラを観る予定。帰国は7月16日(火)です。帰ったらまた報告します。
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三姉妹~雲南の子

2013年07月05日 | 映画
 映画「三姉妹~雲南の子」。中国雲南省の高地に住む三姉妹のドキュメンタリー。監督は王兵(ワン・ビン)氏、1967年生まれ。

 高地といっても、半端ではない。そこは海抜3200メートル。森林限界を超えている。ただし日本で想像するような岩稜地帯ではない。草が生えている。その草で羊や豚を飼って暮らす人々がいる。約80戸の村がある。中国の経済的な発展から取り残された村。貧しい村。その村のなかでも三姉妹の生活は極貧のほうだ。

 三姉妹は、10歳の英英(インイン)、6歳の珍珍(チェンチェン)、4歳の粉粉(フェンフェン)。母は家出をしてしまった。父は町に出稼ぎに行っている。なので、三姉妹だけで暮らしている。長女のインインが下の二人の面倒を見ている。インインは朝から晩まで働き詰めだ。10歳にして、恥ずかしながらわたしよりも、ずっと働いている。

 インインは人生のすべてを受け入れている。母がいなくなったことも、父が子供を残して出稼ぎに行っていることも、そして何よりも生活の貧しさも。

 父はいったん帰ってくる。三姉妹は大喜び。だが、父はまた出稼ぎに行くという。今度は下の二人を連れて。三人とも連れて行くことは、経済的にできない。インインはそんな現実を黙って受け入れる。フェンフェンのシラミをとってやる。丁寧にとってやる。別れの前の心配りだろうか。

 でも、やがて、父は帰ってくる。町での生活がうまくいかなかったのだろう。今度は子守り女とその連れ子を連れて。インインはその現実も受け入れる。受け入れるしかない。黙って受け入れる。

 そんなインインの姿に人生そのものを見た気がする。人生の何たるかを教えられた気がする。

 インインは10歳。あと5年もすれば嫁に行くだろう。嫁に行った先でも、働き詰めの生活が待っているだろう。インインの人生はよくならないかもしれない。悔しさもあるだろう、悲しさもあるだろう、けれどもそんな感情はぐっと飲み込んで、黙って生きていくだろう――と思った。

 ラストシーン、見渡すかぎり山また山の山道を行くインインが、崇高に見えた。そこには何か犯しがたいものがあった――それを何といったらいいだろう、威厳という言葉ではちがうような気がする、平たくいえば自立心か、ともかく安易な同情や援助を受け付けない、そんな生き方というか――。
(2013.7.4.シアター・イメージフォーラム)

↓予告編
http://www.youtube.com/watch?v=11a65y1efPM
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タンブッコ・パーカッション・アンサンブル

2013年07月04日 | 音楽
 平井洋氏のホームページMusic Scene(左欄のブックマークに登録)で紹介されたタンブッコ・パーカッション・アンサンブルの演奏会。メキシコのグループで、男性4人。

 前半に日本の若手作曲家4人(池田拓実、木下正道、樅山智子、渡辺俊哉)の作品。いずれも「タンブッコ=日本人若手作曲家メキシコ・レジデンシー・プロジェクト」の委嘱作だそうだ。同プロジェクトは日本人の若手作曲家をメキシコに招いて、タンブッコと交流しながら、創作を行うというもの。

 そのなかでは、樅山智子(もみやまともこ)のMoons of Hidden Timesが面白かった。詩的なイメージ(音像)が次々と移り変わる曲。その何ともいえないゆるさが、妙に心地よいというか、リラックスできる曲だ。微細な音があちこちに散りばめられていて、それを追うことも楽しかった。

 後半4曲は圧巻だった。まずスティーヴ・ライヒの「木片のための音楽」。ミニマル・ミュージックだが、これはリズムのずれで作られている曲ではなく、奏者の増減(1人→4人→1人の繰り返し)でできている曲。比較的シンプルな曲だ。

 次にレオポルド・ノヴォア(ここから先は知らない作曲家ばかり)の「わかったかな?」。これも面白かった。グァチャラカスという楽器のための曲。グァチャラカスとは要するに木の棒だ。そこに刻みが入っていて、それをこすって音を出す。楽器の構え方はヴァイオリンに似ている。グァチャラカス四重奏。弦楽四重奏と同じように、目が覚めるようなアンサンブルだった。

 次はティエリー・ドゥ・メイの「テーブルの音楽」。エンターテインメント的な面白さではこれが一番だった。横長のテーブルに奏者3人が並び、テーブルを手でこすったり、叩いたりして音を出す。それだけで曲になるのだから舌を巻く。多少の演出も入って、クスクス笑わせてもらった。

↓テーブルの音楽
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=qRYOue6k9lc

 最後はエクトル・インファンソンの「夜の訪れ」。マリンバ4台による変幻きわまりない曲。クラシックとジャズが融合したような曲。ジャンルの境界線など意味がないという気になる。

 アンコールも楽しかった。3人の奏者が小石を打ち合わせ、1人の奏者は仏具のお鈴(?)をマレットでこすって音を出す。曲名はStone sing, Stone danceと聞こえた(作曲者名は聞き取れなかった)。
(2013.7.3.津田ホール)
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「中原中也の手紙」展

2013年07月01日 | 読書
 神奈川近代文学館の「中原中也の手紙」展。中也が友人(友人というよりも親友といったほうがいいし、親友という言葉でもまだ足りない気もする。要するに、荒れた日々を送る中也に寄り添って、無私の心で中也を支えた人)安原喜弘に送った手紙を展示したものだ。

 安原喜弘の「中原中也の手紙」(現行版は2000年に青土社刊。そこに至る長い道のりは、それだけで一つのストーリーを成す)は、中也研究の第一級の資料だし、また名著でもあると思う。中也がほんとうに心を許せる相手に送った手紙。中也の心の動きを辿るとともに、これほど無私の心で中也を支えた人の、その人間としてのありように思いを馳せる――そういう本だ。しかも、最後には二人の友情は崩壊する――それは主に中也の側に原因があるのだが――。そんな暗澹たる現実を見せてくれる本でもある。

 本展では中也の手紙102通が(おそらくすべて)展示されている。大半は原稿用紙にペンで書いたもの。葉書もあるし、毛筆で書いたものもある。それらを見ていると、「中原中也の手紙」で読んだ文面が蘇ってくる。

 感動的だったことは、安原喜弘が、後年、中也の手紙とそこに添付されていた詩を、それぞれ表装して、掛け軸にしたことだ。手紙は昭和9年(1934年)12月30日付けのもの、詩は「薔薇」と題されたもの(これは未発表詩の一部とみなされている)。

 当時、二人の関係には隙間風がふき始めていた(繰り返すが、それは主に中也の側に原因があったと思われる)。詩は次のような書き出しで始まる、「開いて、ゐるのは、/あれは、花かよ?/何の、花かよ?/薔薇の、花ぢゃろ。」

 これだけだとわからないが、薔薇はおそらく安原喜弘だ。中也は「沈黙家」(翌年4月29日付けの手紙)たる安原喜弘を――多少の揶揄をこめて――批判しているのだ。もちろん安原喜弘はそれを敏感に感じ取っただろう。その詩を(そして手紙を)、後年(いつのことかはわからないが)、表装して掛け軸にした。そのときの安原喜弘の気持ちが、これらの掛け軸には感じられて、胸が一杯になった。

 安原喜弘は、晩年、カトリックの洗礼を受けたそうだ。これも中也を理解したいがためだった(中也はカトリックの信者ではなかったが、カトリックの環境のなかで育った)。この一事も胸に迫った。

 たとえばわたしは、このような友人に十分報いることはできるのだろうか――。
(2013.6.30.神奈川近代文学館)
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