Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カイユボット展

2013年12月27日 | 美術
 カイユボット展。会期末(12月29日)ギリギリになってしまったが、滑り込みセーフで間に合った。これを見ておかないと後悔するような気がしていた。

 ギュスターヴ・カイユボット(1848‐1894)。印象派の画家の一人。その名前は聞いたことがあるが、どんな作品かは知らなかった。いや、ブリヂストン美術館に1点収蔵されているので、それは見たことがあるが、はっきりした認識はもっていなかった。

 カイユボットの作品を世界中から集めた本展は、この画家の作風や生涯をきちんと認識する絶好の機会だ。こういう機会を逃さずに、こまめに見ておくことが、わたしのように美術を体系的に見てこなかった人間には必要だ。

 最初の展示室には自画像が2点並んでいた。一方は画家の壮年期なのだろうか。精悍な表情。多少理想化されているかもしれない。もう一方は後年の作品だろうか。老いがしのび寄り(といっても45歳で早世したのだが)、疲れ、落胆したように見える。ところが、よく見ると、これら2点は同年(1889年)の作品だった。カイユボットにかぎらず、人間だれしも抱える二重性の表れだろうか。

 あとは当時の「印象派展」に出品された作品のオンパレード。「印象派展」は1874年に第1回展が開かれ、カイユボットは1876年の第2回展から参加した。以降、第5回展(1880年)まで毎回参加。だが、ドガとの確執があり、第6回展(1881年)は不参加。第7回展(1882年)には参加したが、最後になる第8回展(1886年)には参加しなかった。

 それらの作品を見ていると、当時の息吹きが伝わってくる。なかでもカイユボットらしさ(今の眼で見るとそう感じられる)が表れているのは、第3回展に出品された「ヨーロッパ橋」(↑チラシの絵)と「建物のペンキ塗り」だ。「ヨーロッパ橋」は明るい陽光、屈託のなさ、(犬に見られる)人懐っこさといった諸点で、当時のパリの生気が感じられる。それと対作品である「建物のペンキ塗り」は、人通りの少ない通りでの何気ない日常が好ましい。

 カイユボットは1881年(ドガと確執があった頃だ)にパリ郊外のプティ・ジュヌヴィリエに広大な土地を買い求め、1888年には本格的に転居した。同地では地方議員を務めるなど、名士だったようだ。当時描かれた風景画は、カイユボットの恬淡とした人柄を物語っているように感じられた。
(2013.12.25.ブリヂストン美術館)

↓主な作品は同展のHPでご覧になれます。
http://www.bridgestone-museum.gr.jp/caillebotte/
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青木繁「海の幸」誕生の家

2013年12月25日 | 身辺雑記
 青木繁(1882‐1911)は今でも人気の画家です。とくにその代表作「海の幸」にはわたしも若いころ夢中になりました。その「海の幸」が描かれた家が今でも残っていると知ったのは最近のこと。千葉県在住の知人が教えてくれました。それ以来なにかの機会に訪れてみたいと思っていました。この3連休に思い切って出かけてみました。

 「海の幸」は房総半島の布良(めら)で描かれたことは知っていました。でも、布良がどこにあるかは知りませんでした。調べてみると、房総半島の突端でした。JR館山駅からバスが出ていることもわかりました。知人からそこには安房(あわ)自然村という保養施設があると教えてもらいました。そこで、1泊の旅にしました。

 安房自然村にチェックインして、さっそく「海の幸」誕生の家を探しにいきました。案内板があったので、すぐに見つかりました。木造平屋の大きな家。青木繁は1904年(明治37年)の夏、友人たちと2間を借りました。友人の一人は画家の坂本繁二郎。愛人の福田たねもその一人でした。

 この家は今も使われている個人の住宅です。中に入ることはもちろん、外から覗きこむことも憚られます。そっと通りすがりの形で見ました。それでも「よくこの家が残っていてくれた」と思いました。当時の情景が目に浮かびました。

 今はNPO法人青木繁「海の幸」会が設立され、この家の保存活動をしています。修復のための募金活動中です。資金が集まれば、来年度には着工し、修復後は公開したいとのこと。

 さて、次に浜辺を目指しました。歩いて5分程度。小さな砂浜でした。目の前には海が広がっています。海の向こうには右手に富士山、その左に伊豆半島の天城山、さらにその左には(浜辺からは真正面に)伊豆大島が見えます。雄大な景色です。青木繁もこの景色を見たんだなと――。

 夕陽になりました。空が眩しいほどの金色に染まりました。段々オレンジ色に変わります。オレンジ色の帯が海に(伊豆大島からこちらに向かって)伸びてきました。やがてオレンジ色がピークを迎え、弱まっていきます。ついに伊豆大島の上に沈みました。この間30分あまり、飽きずに眺めました。

 安房自然村に戻りました。夕食前に温泉へ。茶色い温泉です。東京や房総半島でよく見かける温泉です。夕食はカヤ葺き屋根の古民家で。ホテルもあるのですが、古民家のほうを選びました。ビールを飲みながら夕食。

↓青木繁「海の幸」会のHP
http://uminosac.web.fc2.com/
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華々しき一族

2013年12月24日 | 演劇
 新国立劇場演劇研修所の公演「華々しき一族」。森本薫(1912‐1946)の23歳のときの作品。1935年(昭和10年)発表。森本薫は当時まだ京都大学の学生だった。

 この作品は今でも時々上演されているようだが、わたしは知らなかった。そもそも森本薫という名前も初耳だった。図書館で検索してみたら、この作品が所蔵されていたので、借りてみた。

 1935年というと、軍国主義が台頭し、社会は緊迫していたはずだ。翌年2月には2.26事件が起きるので、その前夜にあたる。ドイツでナチ党が権力を掌握したのが2年前の1933年なので、ヨーロッパも緊迫していた。そんな時期に京都大学の学生が書いた戯曲だから、当然ある一定の予想をもって読み始めた。

 けれども予想は外れた。そういった社会情勢はまったく反映されていなかった。上流家庭とはいわないまでも、それなりに裕福な家庭での、恋愛ゲームのような話だった。表面で起きている出来事の背景に、当時の社会情勢を見ようとしたが、無駄だった。あっけらかんとした話だった。

 なんだか拍子抜けしたような気持ちになった。そういう気持ちのまま公演を観にいった。そうしたら、面白かったのだ。明るくスマートな、現代に通じるエンタテインメントだった。上質な手触りが心地よかった。幸福な気分になった。年末にこういう芝居を観るのもいいものだと思った。

 なにがよかったのだろう、と振り返って考えてみると、演劇研修所の皆さんの公演だったからではないかと思った。皆さん大体20代半ばから後半の同世代。その若者たちが集まって作り上げた公演なので、若さのもつ体温の高さがあったのではないだろうか。それがこのように幸福な気分にさせてくれた源泉ではないだろうか。

 わたしが観たのはA組のほうだが、皆さんそれぞれ役にピッタリのキャスティングだった。この役にはこの人でなければいけないと思えてきた。将来のことは別にして、今現在の皆さんのありのままを楽しむことができた。

 一人だけ名前をあげておくと、デシルバ安奈さん。この人には華があった。おっとりした、コミカルなお色気があった。その若々しい色気がこの公演の印象を決めたと思う。

 なお、森本薫はその後、戦中も戯曲を書き続けた。このような戯曲を書いた人が、戦争の只中にあって、どういう戯曲を書いたのだろう――。
(2013.12.21.新国立劇場小劇場)
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インバル/都響

2013年12月21日 | 音楽
 インバル/都響のバルトーク・プロ。2011年3月に予定されていたが、東日本大震災のために中止になったプログラムの復活公演だ。同様の復活公演が相次ぐなか、あとは(大物としては)新国立劇場の「マノン・レスコー」くらいか。

 1曲目はヴァイオリン協奏曲第2番。ヴァイオリン独奏は庄司沙矢香(これも当時予定されていたとおり)。オーケストラが、肩の力を抜いた、しかもはっきりしたリズムを刻むなか、ヴァィオリンがくっきりと入ってくる。いつもながら、すごい存在感だ。

 この存在感はどこからくるのだろう。音は格別美音というわけではなく、またその演奏に極端なところがあるわけでもない。きわめて正統的な演奏。音楽の隅々まで考察し、すべてを把握したうえでの演奏。だが、その考察し、把握するレベルが格段に高いのだ。

 インバル/都響もまたすべてを把握した演奏。どんなディテールもおろそかにせず、あるべき場所にきちんと収まった演奏。なので、何度聴いたかわからないこの曲のあちこちに、「あっ、ここはこんな音だったのか」とか、「こんなことをやっていたのか」とかの発見があった。

 曲の性格もよくわかった。この曲はバルトークにしては珍しく、直線的に進むのではなく、枝道の多い曲なのだと思った。もちろん太いまっすぐな道はあるのだが、そこに草の生い茂った枝道がいくつかあり、バルトークはそれも楽しんでいるのだ。そういうことがわかったのは、この演奏がそれらの枝道をきちんと性格付けていたからだと思う。

 庄司沙矢香はアンコールを演奏した。バルトークの無伴奏ヴァイオリンのための曲だと思った。休憩時にロビーの掲示を見たら、「作曲者不詳ハンガリーの民謡より」とあった。面白い曲だった。

 2曲目は「青ひげ公の城」。低弦が小声でそっと入ってきて曲は始まるが、その出だしから、オーケストラに力みがなく、柔軟性に富んでいることが感じられた。最近インバルには硬直性を感じることがあるのだが、今回それが(ヴァイオリン協奏曲第2番をふくめて)皆無だった。インバル自身これらの曲の演奏を楽しんでいるように感じられた。

 ユディットを歌ったイルディコ・コムロシは、本物の味わいだった。ベテラン歌手なので声が出るかどうか心配したが、そんなレベルをはるかに超えて、総体としてバルトークの音楽の深いところに触れていた。
(2013.12.20.サントリーホール)
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「点描の画家たち」展

2013年12月20日 | 美術
 「印象派を超えて~点描の画家たち」展の会期終了が迫ってきたので(東京展は12月23日まで。その後、広島と名古屋に巡回する)、ちょっと無理をして観にいった。

 点描という視点での構成が新鮮だ。もっとも、主催者側のコメントでは、より正確には分割主義というべきとしている。たしかに英語表記はDivisionismとなっている。点描と分割主義のちがいは、わたしなどが説明するまでもないが。

 ともかく、印象派の筆触分割が、スーラとシニャックの分割主義で体系化され、それがゴッホに影響を与え、またベルギーとオランダに伝播し、ついにモンドリアンの抽象絵画を生む過程を追ったのが本展だ。

 圧倒的な印象を受けたのはシニャックの「ダイニングルーム作品152」。白い大きなテーブルがあり、右手には気難しそうな夫が座っている。正面には妻が小さくなっている。妻の背後には窓があり、そこから射しこむ日の光が夫を照らしている。妻は陰になっている。2人のあいだに家政婦が立っている。家政婦は妻より偉そうだ。

 日常生活の静止画。夫はすべてを威圧する。妻はうつむいてお茶を飲んでいる。2人のあいだに交流はない。家政婦は冷ややかに見ている。みんな孤立していて、お互いに関わらない。そんな家庭を描いた絵――のように見える――。

 本作については、埼玉大学准教授(美術史)の加藤有希子氏による「明るさから疎外へ~『印象派を超えて』展でみる点描のパラダイムシフト」というエッセイがある(11月6日付けの東京新聞に掲載。本展のHPに再掲)。ひじょうに勉強になった論考なので、未読の方にはご紹介したい。

 次にスーラの作品では「ポール=アン=ベッサンの日曜日」に惹かれた。シニャックの前掲画にくらべて、なんと穏やかなことか。明るい日曜日の波止場。散歩する人々が行き交っている。マストの先端の旗が風になびいている。空には白い雲が浮かんでいる。調和のとれた日常。ホッとするような気分になる。

 モンドリアンでは「コンポジションNo.11」が美しかった。灰色の背景から淡い色彩の無数の四角い立体が浮き上がってくるような作品。瑞々しい詩情が感じられる。カンディンスキーもそうだが、モンドリアンも具象から抽象に移行する時期の作品が一番美しいと思う。綿毛のように繊細な神経が緊張で震えている。抽象が様式化すると、その緊張は失われる。
(2013.12.16.国立新美術館)

↓上記の作品は本展のHPでご覧になれます。
http://km2013.jp/highlight.html
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広上淳一/日本フィル

2013年12月17日 | 音楽
 日本フィル横浜定期は恒例の「第九」。今年の指揮者は広上淳一。1曲目はワーグナーの「ジークフリート牧歌」。この一年を振り返るには格好の曲だ。というのも、日本フィルにとってこの曲は9月の東京定期で取り上げた曲だから。その定期は特別のものだった。サイモン・オニールとエディット・ハーラーを迎えた「ワルキューレ」第1幕の演奏会形式上演は、画期的な成功を収めた。

 そのとき、「ワルキューレ」の前に演奏されたのが「ジークフリート牧歌」だった。それは前座などというレベルではなかった。じわじわと内面的な熱を帯びてくる演奏だった。今までクールなイメージをもっていた指揮者インキネンが、これほどドイツ音楽らしい演奏をすることに驚いた。

 その「ジークフリート牧歌」だったが、今回の演奏はきれいに整ってはいるが、内面的な燃焼は感じられなかった。それでいいの?と問いたい気分になった。

 さて「第九」。これも内面的な燃焼というか、じわじわと熱を帯びてくる性質の演奏ではなかったが、すべての音に広上淳一の意思が伝わっている――その意味では広上淳一はいま脂がのってきたことを感じさせる――演奏だった。

 その演奏を聴きながら、ある啓示を得た。長年の疑問が氷解したのだ。これはよくいわれることだが、わたしも第4楽章には引っかかっていた。第1楽章から第3楽章までの音楽とはまったく異質な、無理に‘接ぎ木’したような有節歌曲による第4楽章をどう考えたらいいのか、考えあぐねていた。

 その解答が見つかったのだ。広上淳一の見通しのいい――スコアがそのまま鳴っているような――演奏を聴いていると、第1楽章は浮遊するような――どこへ行くか予測がつかない――音楽であり、今でも十分に衝撃的なのだから、当時の人々には驚天動地の音楽だったろうと想像された。

 第2楽章はバッカスの行進を見るようだった。第3楽章は繊細な音の織物だった。どちらも当時としては破格の音楽だったろうと想像された。

 以上3つの楽章でベートーヴェンは行くところまで行ってしまったのだと思った。ベートーヴェンは人生のある時期から、当時の人々が付いて来ようが来まいが、自らの道を突き進んだが、ここに至って――第4楽章で――ついに人々と‘和解’したのだ。冒頭で前3楽章のテーマが否定されるのはその意味で解すべきだ。これは‘和解’の音楽なのだと思った。
(2013.12.14.みなとみらいホール)
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パスカル・ヴェロ/東京シティ・フィル

2013年12月16日 | 音楽
 パスカル・ヴェロが振った東京シティ・フィルの定期。パスカル・ヴェロは2011年2月にも振ったそうだが、そのときは聴けなかった。ほんとうに久しぶり。懐かしかった。ヴェロは新星日本交響楽団の首席指揮者を務めていた(1999年~2001年)。わたしは同響が好きで、ずっと定期会員を続けていた。山田一雄、オンドレイ・レナルト、パスカル・ヴェロと続いた首席指揮者はみんな好きだった。だが、同響は2001年に東京フィルと合併した。それに伴い同響の音は消えた――。

 ヴェロは2006年に仙台フィルの常任指揮者に就任した。ちょっと驚いた。いつか聴いてみたいと思っていたが、その機会をつかめないでいた。そして今回の東京シティ・フィルへの登場。12年ぶりというわけだ。

 ヴェロは1959年生まれだから、今は50代半ば。さすがに髪はロマンスグレーになってきた。新星を振っていたころに比べると、中年の紳士といった風情が出てきた。これはこれでいい味だ。演奏は、溌剌とした、歯切れのいい音楽性はそのままに、安定感とスケール感が出てきた。

 1曲目はハイドンの交響曲第82番「熊」。堂々とした大作だ。じつは「熊」というニックネームだけが頭に入っている状態で聴いていた。これは大作だと思った。演奏終了後プログラムを見たら、第82番だった。なるほどと思った。‘パリ交響曲’の一つ。ハイドンを聴く愉しみがもう十分に備わっている曲だ。

 演奏はヴェロの音楽性がよく出ていた。ヴェロは昔からフランス音楽だけではなく、ドイツ音楽もよかった。新星時代のヒンデミットの「ウェーバーの主題による交響的変容」を想い出した。

 2曲目はショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番。宮田大のチェロ独奏がすごい集中力だ。いつもながらその豊かな才能には感じ入る。オーケストラも‘伴奏’のレベルを超えて、この曲を演奏するモチヴェーションの高さがあった。

 アンコールが演奏された。なんと、サン=サーンスの「白鳥」。思わず笑みがこぼれた。次の曲、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」への粋な橋渡し。これはもう千両役者だ。

 そしてサン=サーンスのその曲。たんに表面的に美しく整えた演奏ではなく、音楽に込められた感情をえぐるように表出した演奏がユニークであり、聴きものだった。アンコールが演奏されたが、これはなくてもよかったかな。
(2013.12.13.東京オペラシティ)
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東京シンフォニエッタ

2013年12月13日 | 音楽
 昨日は(忘年会をふくめて)予定がなにも入らなかったので、東京シンフォニエッタの演奏会に行ってみた。

 1曲目は入野賞(今は亡き作曲家の入野義朗をしのんで設立された作曲賞)の2012年の受賞作品、ニコラス・ツォルツィスNicolas Tzortzis(1978‐)の「声のない、、、」Voiceless。途中からピアノに旋回するような音型が出て、それをヴィブラフォンが模倣し、さらにチェロが加わる部分が、わかりやすいといえばわかりやすいが、ちょっとステレオタイプか‥。

 2曲目はエリオット・カーター(1908‐2012)の「クラリネット協奏曲」(1996)。エリオット・カーターは昨年亡くなった。享年103歳。その年もさることながら、100歳を超えても現役で作曲を続けていたのだから恐れ入る。この作品は88歳のときの作品。初演はアラン・ダミアンのクラリネット独奏、ピエール・ブーレーズ指揮のアンサンブル・アンテルコンタンポラン。

 とてもじゃないが、老人(といっては失礼だが)の作品とは思えない曲だ。まったく枯れていない。高齢になっても元気な人によくあるように、なんのこだわりもなく、自由奔放、気の向くまま。だが、演奏はその味を出せただろうか。わたしには真面目すぎると感じられたのだが。

 3曲目はジョナサン・ハーヴェイ(1939‐2012)の「バクティ」Bhakti(1982)。ジョナサン・ハーヴェイも昨年亡くなった。サントリー芸術財団の2010年サマーフェスティヴァルで「ボディ・マンダラ」を聴いて、ものすごく面白かったので、気になる存在だった。その訃報に接して、他の作品も聴いてみようと思っていた。

 「バクティ」はパリのIRCAMで作られた室内オーケストラとエレクトロニクスのための作品。舞台上には室内オーケストラと2台のスピーカー、さらに客席後方にも2台(多分)のスピーカーが設置されている。透明感のある音響、それにドラマティックなインパクトもある。でも、約50分の演奏時間は長かった。それだけの時間をもたせるためには、演奏にもう少しハッタリが必要だと思った。残念ながらこれも真面目すぎて、意気が上がらなかった。

 メンバーはいずれ劣らぬ名手ぞろいだが、失礼ながら、その演奏は面白みに欠けた。

 本音をいえば、こういう演奏会にわたしのような素人の音楽好きも集うような日が来てほしいのだが、そのためには‥。
(2013.12.12.東京文化会館小ホール)
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カンブルラン/読響

2013年12月11日 | 音楽
 カンブルラン/読響のハンガリー・プロ。そのプログラムを見て、思わずニンマリした。リゲティの「ロンターノ」とバルトークのピアノ協奏曲第3番が並んでいたから。「ロンターノ」は「アトモスフェール」などの星雲状の音楽を書いた後の、ぽかんと空が晴れたような透明な曲。バルトークのピアノ協奏曲第3番は、バルトークの絶筆にふさわしい、これも透明な曲。両者には響きあうものがあると思った。

 でも、そんな甘いものではなかった。「ロンターノ」は緊張の限界までいった演奏。‘音楽’の枠のギリギリまでいった演奏だった。正直いって、この日は仕事でいろいろあったので、疲れていた。そういう状態ではこの演奏はきつかった。そうだけれども、またとない体験だったのも確かだ。

 次のピアノ協奏曲第3番になったら、解放されたような気分になった。極北の地から温暖な地に着いたような感じがした。

 ピアノ独奏は金子三勇士。最近名前をよく見かけピアニストだ。三勇士はMIYUJIと読むそうだ。1989年生まれの若手。父は日本人、母はハンガリー人。この曲をなんの危なげもなく弾いたが、――当然といえば当然だが――個性が出るのはこれからだと思った。

 個性という点ではオーケストラの方があった。明るく暖かい音で、不必要なものがまったくない演奏。ことに第2楽章の美しさに注目した。バルトーク特有の‘夜の音楽’だと思っていたが、その照度の高さは‘昼’のようだった。

 休憩をはさんで3曲目はバルトークの「6つのルーマニア民族舞曲」。小品だが名演だった。演奏会で何度も聴いた曲だが、こんなに美しい音で、かつ個々のキャラクターを丁寧に描き分けた演奏は初めて聴いた。こういう曲を、おざなりにではなく、きちんと演奏するところが、カンブルランのいいところだ。

 最後は組曲「中国の不思議な役人」。まったく粗雑な音がない、完璧なまでに整えられた演奏。あえていうなら、フランス音楽のような演奏だった。しかもオーケストラのドライヴ感は手に汗握るよう。このコンビの今現在の成果が出た一例だ。

 意外なことに、アンコールが演奏された。ベルリオーズの「ラコッツィ行進曲」。ハンガリーつながりの選曲だ。ゲーテの戯曲にはないが、ハンガリーの草原でファウストが耳にするハンガリー兵の行進。この選曲は洒落ている。こういうところがカンブルランらしいと嬉しかった。
(2013.12.10.サントリーホール)
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デュトワ/N響

2013年12月09日 | 音楽
 デュトワ指揮のN響。まずプーランクの「グロリア」。デュトワのプーランクならその品質は保証されたようなものだ。明るく薄くパリッとした音のプーランク。プーランクと聞いて想像するまさにそのプーランクだ。

 安心して聴いていたら、最後の第6曲の途中から、幽暗な世界というか、異界に分け入ったような音楽になった。この曲は昔のある時期レコードで何度も聴いたのだが、この部分は忘れていた。ちょっと慌てた。いかにもプーランクらしいといえばいえる変調だ。

 ソプラノ独唱はエリン・ウォール。細い絹糸のような艶のある声でまさにこの曲のイメージどおりの歌唱だった。プロフィールを見るとドンナ・アンナをレパートリーにしているので、けっしてこれだけの歌手ではないだろうと思う。

 合唱は新国立劇場合唱団。とはいっても、同じ日に本拠地では「ホフマン物語」をやっているし、こっちの方だけでも大編成なので、相当数のトラ(臨時契約の団員といった方がいいか)が入っているのではないだろうか。こうなると、質の低下を招かないように最大限の努力が必要になってくる。

 次はベルリオーズの「テ・デウム」。この曲を生で聴くのは初めてなので、ぜひ聴きたかった。生で聴くとどうなのか、その体験が楽しみだった。

 結果は、オーケストラの部分の穏やかさに聴き入った。これは意外だった。穏やかで、けっしてエキセントリックではない、あるいはこけおどしではない音楽だ。大声を張り上げることがない、穏やかな、平明な音楽。

 この曲とセットで「レクイエム」を考えてしまうが、そうとうちがう音楽だ――ということを、プログラムに掲載された小鍛冶邦隆氏のエッセイ「ベルリオーズ《テ・デウム》の管弦楽法」で学んだ。「レクイエム」(1837)は幻想交響曲(1830)以来の急進路線上にあるが、「テ・デウム」(1849)は「キリストの幼時」(1854)、「トロイ人」(1858)にいたる変遷の過程にあるという趣旨。教えられるところが多かった。

 デュトワの指揮もそれを踏まえた指揮だったのだろう。この演奏とそのエッセイとが寸分たがわず呼応していた。そしてわたしは僭越ながら、この曲を捉えることができたと感じた。

 テノール独唱はジョゼフ・カイザー。合唱には国立音楽大学が補強された。児童合唱はNHK東京児童合唱団。児童合唱のみなさんは暗譜だった。
(2013.12.7.NHKホール)
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小泉和裕/日本フィル

2013年12月07日 | 音楽
 小泉和裕が振った日本フィルの定期。ベートーヴェンの交響曲第2番と第7番のあいだに小倉朗(おぐら・ろう)の交響曲ト調が演奏された。

 小倉朗(1916‐1990)のこの曲は日本フィル・シリーズ第20作として書かれた曲。1968年(昭和43年)6月13日に渡邉暁雄/日本フィルによって初演された(Wikipediaの日本フィルのページより)。次の第21作は小澤征爾の指揮で高橋悠治の「オルフィカ」だったので、渡邉体制の最後の作品だ。

 当時わたしは高校生だったので、この演奏会は聴いていない。演奏会に行けるようなお金はなかった。日本フィルや読響の公開録音に応募しては、せっせと会場に足を運ぶのが関の山だった。あとはFM放送やレコードで聴く音楽がすべてだった。

 今回初めて聴くこの曲は、まさに昭和の曲だった。今ではもう失われた活気があった。活気のある社会がこの曲には刻印されていた。第一次オイルショックが起きたのは1973年(昭和48年)だから、まだ活気があったのだ。ノスタルジックな想いがしたのは、わたしが当時を知っているからだろう。

 この曲は「日本フィル・シリーズ再演企画」の第7弾として演奏された。同シリーズの諸作品が再演されるようになって、今回でもう7回目というわけだ。なんといっても傑作だったのは(傑作というのは、すぐれているという意味だけではなく、笑いを誘うという意味でも使いたいのだが)下野竜也が取り上げた山本直純の「和楽器とオーケストラのためのカプリチオ」(同シリーズ第10作)だ。あのハチャメチャな曲が渡邉暁雄の指揮で初演されたというのだから、その光景を想像するだけでも楽しい。

 こうしてみると、同シリーズの再演企画は‘発掘’の楽しみがある。どんな曲が過去に作られたか、その宝探しの趣がある。作曲当時の時代を問う意味もまたある。

 なので、もしできれば、手書きのスコアをパネルにしてロビーに展示したり、当時の演奏会風景や社会での出来事をパネルで展示したりすれば、もっと楽しい企画になるかもしれないと思った。

 ベートーヴェンの演奏についても触れると、小泉和裕の今の充実ぶりがうかがえる演奏だった。実りの秋という言葉がふさわしい時期を迎えていると感じられた。その一方で、長年培ってきた都響とのパートナーシップは、一朝一夕では築けないレベルに達しているのだとも思った。
(2013.12.6.サントリーホール)
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ホフマン物語

2013年12月05日 | 音楽
 新国立劇場の「ホフマン物語」。2003年の初演を観たし、2005年の再演も観たので、これで3度目だ。少しも新鮮さを失っていない――そのことに感心した。みずみずしく、美しい舞台だ。10月の「フィガロの結婚」が情けないくらいに崩れていたのに比べて、これはしっかりしている。まずは安堵した。

 記憶では、最後にホフマンが自殺する演出に違和感があった。とくにそれが、だれかに促されてすることに(今回それがステッラの付け人アンドレであったことを確認した。)。そこまでする必要があるのか、ホフマンはもう十分に敗北者なのに――という印象があった。

 でも、今回は不思議なくらい違和感がなかった。こうしないと完結しないのだと思った。

 このオペラは‘死’に彩られている。オランピアは生命をもたない人形だ。アントニアはついに死んでしまう。ジュリエッタは性(=死)の象徴だ。この演出はとりたてて‘死’を強調することはないが、華やかな表面の裏には通底している。その物語を完結させるためのアイディアだと感じた。

 そう感じたのは、ホフマン役のアルトゥーロ・コチャン=クルスの演技がよかったからでもある。最後の場面では哀れをさそう名演技だった。残念ながら音楽面ではいい加減に感じられるときがあったが。

 歌手では外人勢よりも日本勢の健闘が目立った。とくに3人の女性歌手。オランピアの幸田浩子はコロラトゥーラが見事にきまっていた。演技もコミカルで大喝さい。アントニアの浜田理恵は声がよく音楽に乗り、情感豊かに、きめ細かく歌い上げた。10月に東京シティ・フィルがやった「カルメル派修道女の対話」でのブランシュの名唱を想い出した。ジュリエッタの横山恵子はもう少し妖艶さ――外見ではなく音楽に――がほしかった。

 前述のアンドレをはじめ4つの脇役をこなした高橋淳はさすがだ。こういう癖のある役をやらせたら、今の日本では第一人者だ。最後の場面でも、ホフマンに自殺を促してピストルを渡すのがこの人だと、なんだか異様な緊張感が漂う。この人が舞台に復帰してよかった。

 フレデリック・シャスランの指揮にも不満はなかった――そういうと消極的な感じがするかもしれないが、けっしてそうではなくて――。幕開き後しばらくは淡々と進んでいる感じがしたが、オランピアの登場あたりから生気を帯びてきた。その意味でも幸田浩子の貢献は大きかったと思う。
(2013.12.4.新国立劇場)
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デュトワ/N響

2013年12月02日 | 音楽
 デユトワ指揮N響のAプロは、いかにもデユトワらしいプログラムだった。こういうプログラムを組むのは、今のところデユトワともう一人、カンブルランくらいではなかろうか。では、どういうプログラムだったか。

 1曲目はストラヴィンスキーのバレエ音楽「カルタ遊び」。初めてこの曲を聴いたときにはびっくりした。それは数年前のこと、アンドリュー・リットン指揮の都響だった。のんきに聴いていたら、ロッシーニの‘あの曲’が出てきた。超有名曲の一節。呆気にとられた。あのときの驚きは忘れられない。

 なので、今回は免疫ができていた。‘あの曲’が出てくることは承知の上だ。落ち着いて聴けたわけだ。演奏は完璧だった。リズムも音色も整然としていた。模範的なプロの演奏だった。

 けれども、正直にいうと、ユーモアとかウイットとかは欠けていた――かもしれない――と思った。でも、すぐに思い直した。そういうものは振付がやるものであって、音楽はそこまでやってはいけない、劇場音楽とはそういうものだと。

 感想はこれで終えた方がいいのかもしれない。でも、正直にいってしまおう、これはN響の体質ではないかと思ったのだ。完璧な演奏だが、唯一欠けている点は自ら愉しむことではないかと。平たくいうと、ウキウキ感。都響のときにはそれが感じられたと記憶するのだが。

 2曲目はリストのピアノ協奏曲第1番。ピアノ独奏はスティーヴン・ハフ。1961年生まれというから中堅ピアニストだ。優秀なピアニスト。バリバリ弾く部分よりも、ゆったりした旋律を大きく歌わせるところに惹かれた。

 今更ながらこの曲は、演奏会で聴き映えがするようにできている曲だと感心した。1曲目を聴いた後なので、余計にそう思ったのだろう。リスト恐るべしだ。

 3曲目はショスタコーヴィチの交響曲第15番。第1楽章にはロッシーニの‘あの曲’が出てくるし(ただしストラヴィンスキーのときとはちがう曲)、第4楽章にはワーグナーの‘あの曲’が出てくる。初めて聴いたときには、腰が抜けそうになった。

 つまり今回のプログラムは‘音楽における引用’のプログラムだ。では、引用とはなにか、どういう意味があるのか、それが聴衆のわたしに宿題として課されたように思う。

 演奏はもういうことなし。きわめて集中力のある演奏だ。とくにピアノ、ピアニッシモの部分の集中力には息をのんだ。
(2013.11.30.NHKホール)
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