スクロヴァチェフスキ(1923‐2017)が亡くなった。5月の読響への客演がキャンセルになったので、心配していたが、まさか亡くなるとは思わなかった。昨年10月にミネソタ管弦楽団でブルックナーの交響曲第8番を指揮したのが最後の演奏会になったそうだ。50年以上の長きにわたって関わったミネソタ管弦楽団が、最後に振ったオーケストラになってよかったと思う。
スクロヴァチェフスキは2007年4月から3年間、読響の常任指揮者を務めた。前任のアルブレヒトの下で読響が一大飛躍を遂げた後だったので、難しい時期だったと思うが、スクロヴァチェフスキはオーケストラからも聴衆からも厚い支持を受けて、読響を上昇気流に乗せた。
スクロヴァチェフスキは常任指揮者就任直後に、ブルックナーの初期交響曲を集中的に取り上げた。どの演奏もすばらしかった。わたしは今まで単発的にしか聴いてこなかったこれらの作品群を、あるまとまったカテゴリーとして意識するようになった。
スクロヴァチェフスキはやがてブルックナーの中期、後期の交響曲にも取り組んだ。それらの演奏がどんなにすばらしかったかは、もはやいうまでもないと思う。
スクロヴァチェフスキは、ブルックナーだけでなく、シューベルトも、シューマンも、ショスタコーヴィチも演奏した。それらの名演が記憶に残っているが、今それらを逐一書いても煩瑣になるだけだろう。だが、時々プログラムに載せた自作曲には一言触れておきたい。
それらの曲はどれも面白かった。あえて1曲または数曲を挙げるのも善し悪しだと思うので、今は控えるが、どの曲もスクロヴァチェフスキの音楽的な思考法がよく表れていた。なるほど、スクロヴァチェフスキの頭の中に鳴っている音楽はこうなのかと思った。それは演奏にも共通していた。
では、どういう音楽か。わたしが感じ取ったのは、緊張感のある音、きびきびしたリズム、停滞しない流れ、旋律線だけでなく内声部も低声部も自立的に動く精密な構造、一言でいうと活発な音楽的思考が感じられる音楽だった。
なので、ブルックナーの演奏も、けっして重厚長大にはならなかった。わたしにはそれが好ましかった。スクロヴァチェフスキは、そのような音楽性を生涯の最期まで持ち続けた。けっして(他の一部の指揮者に見られるような)老人性の自己愛には陥らなかった。もって範とすべし、だ。
スクロヴァチェフスキは2007年4月から3年間、読響の常任指揮者を務めた。前任のアルブレヒトの下で読響が一大飛躍を遂げた後だったので、難しい時期だったと思うが、スクロヴァチェフスキはオーケストラからも聴衆からも厚い支持を受けて、読響を上昇気流に乗せた。
スクロヴァチェフスキは常任指揮者就任直後に、ブルックナーの初期交響曲を集中的に取り上げた。どの演奏もすばらしかった。わたしは今まで単発的にしか聴いてこなかったこれらの作品群を、あるまとまったカテゴリーとして意識するようになった。
スクロヴァチェフスキはやがてブルックナーの中期、後期の交響曲にも取り組んだ。それらの演奏がどんなにすばらしかったかは、もはやいうまでもないと思う。
スクロヴァチェフスキは、ブルックナーだけでなく、シューベルトも、シューマンも、ショスタコーヴィチも演奏した。それらの名演が記憶に残っているが、今それらを逐一書いても煩瑣になるだけだろう。だが、時々プログラムに載せた自作曲には一言触れておきたい。
それらの曲はどれも面白かった。あえて1曲または数曲を挙げるのも善し悪しだと思うので、今は控えるが、どの曲もスクロヴァチェフスキの音楽的な思考法がよく表れていた。なるほど、スクロヴァチェフスキの頭の中に鳴っている音楽はこうなのかと思った。それは演奏にも共通していた。
では、どういう音楽か。わたしが感じ取ったのは、緊張感のある音、きびきびしたリズム、停滞しない流れ、旋律線だけでなく内声部も低声部も自立的に動く精密な構造、一言でいうと活発な音楽的思考が感じられる音楽だった。
なので、ブルックナーの演奏も、けっして重厚長大にはならなかった。わたしにはそれが好ましかった。スクロヴァチェフスキは、そのような音楽性を生涯の最期まで持ち続けた。けっして(他の一部の指揮者に見られるような)老人性の自己愛には陥らなかった。もって範とすべし、だ。