Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ノット/東響

2024年12月08日 | 音楽
 ノット指揮東響の定期演奏会。曲目はシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲とベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。

 シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲は、今年がシェーンベルクの生誕150年なので、その記念でもあるだろう。ヴァイオリン独奏はアヴァ・バハリ。スウェーデン出身の若い女性奏者だ。難曲といわれるこの曲を顔色ひとつ変えないで弾く。昔だったら顔をひきつらせて弾くところだ。時代は変わったと痛感する。

 そのように弾かれたこの曲は、精妙な音の連なりに聴こえた。かつての苦渋に満ちた音楽ではなく、むしろ透明な音楽。この曲はそういう曲だったのかと目をみはる。この曲で今も記憶が鮮明なのは、2019年1月に聴いたコパチンスカヤの独奏、大野和士指揮都響の演奏だ。あのときのコパチンスカヤの独奏は驚きの連続だった。この曲がこんなに面白くてよいのかと思ったくらいだ。あの演奏はだれにも真似ができない。いわばコパチンスカヤ節のようなものだ。それにくらべると、バハリの演奏は、涼しい顔をして正確無比に弾く。もちろん難曲なのだろうが、聴衆にはそれを感じさせない。多少語弊はあるが、クールな演奏といえる。

 だがわたしが面白かったのは、じつはバハリの独奏よりも、ノット指揮東響の演奏のほうだった。明るい音色で敏捷に動く。バハリの独奏と同様に、なんの苦渋も感じさせない。わたしはこの曲に開眼する思いだった。

 わたしはこの曲が苦手だった。コパチンスカヤのときを除いて、この曲が腑に落ちたことはなかった。だが今度こそ、この曲が全体としてどんな音像か、つかめた気がする。意外に明るく、なにかが吹っ切れた曲なのだ。そこからどこへ行くかはまだ分からないが。

 それはシェーンベルクの生涯と関係があるのだろうか。シェーンベルクは1933年のヒトラーの政権奪取の直後にベルリンを逃れ、まずパリに入った。そして同年、ニューヨークに渡った。ニューヨークでの生活はうまくいかなかったが、1934年にロサンジェルスに移り、やがて生活が安定した。ヴァイオリン協奏曲が作曲されたのはその頃だ(1936年)。

 2曲目はベートーヴェンの「運命」交響曲。弦楽器の編成は12‐12‐8‐6‐5だった。その編成からも分かるように、ずっしりした音ではなく、運動性の高い音が疾駆する演奏だった。細かいところにクレッシェンドが頻出する。それが運動性を倍加する。ノットの演奏の特徴を一言でいえば、今その場で生まれるライブ感といえるのではないだろうか。そのライブ感は比類ない。
(2024.12.7.サントリーホール)

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