Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

鈴木優人/読響

2021年10月30日 | 音楽
 鈴木優人が読響定期へ2度目の登場をした。プログラムは前回(2020年11月)に引き続き、現代曲の小品、シューベルトの音楽を素材にした現代曲そしてシューベルトの交響曲という構成。一回かぎりで終わらせずに、もう一度同じコンセプトを試みる点が興味深い。

 1曲目は現代ドイツの作曲家アリベルト・ライマン(1936‐)の「シューベルトのメヌエットによるメタモルフォーゼン」。シューベルトのピアノ曲「メヌエット嬰ハ短調D600」を素材にした室内アンサンブルのための小品だ。シューベルトの原曲が出てくる部分は、いかにもシューベルトらしい情感を湛えるが、それに続くライマンの作曲部分は硬派の現代音楽だ。演奏時間は約8分の短い曲。フッと唐突に終わる。

 演奏は各パートの動きがクリアーに出て、迷子にならずに、見通しがよいものだった。読響の首席奏者たちのレベルの高さのおかげだが、加えて鈴木優人の豊かな音楽性のためでもある。鈴木優人は古楽出身の音楽家だが、現代物にもすぐれた適性を発揮する。

 2曲目は現代イギリスの作曲家トーマス・アデス(1971‐)の「イン・セブン・デイズ」。神による世界創造の7日間の物語(旧約聖書の「創世記」による)を描いた作品だ。ピアノ独奏と大編成のオーケストラのための作品。演奏時間は約30分の大作だ。

 わたしはアデスの作品が好きなのだが、この曲には戸惑った。アデス特有の精緻さと無駄のなさが感じられず、全体の構成がつかみにくかった。澤谷夏樹氏のプログラム・ノーツによると、この曲は「ピアノ、管弦楽と映像のための」曲だそうだ。映像というのがミソだろう。どんな映像かはわからないが、ともかくなんらかの映像があり、そこにつけられた音楽だ。そのような音楽の場合、構成が映像に引っ張られたり、密度が薄くなったりするきらいはないだろうか。映像とともに聴くなら問題ないだろうが。

 ピアノ独奏はジャン・チャクムル。1997年トルコ生まれで、2018年の浜松国際ピアノコンクールの優勝者だ。当初の予定はヴィキングル・オラフソンだったが、来日中止になり、ピンチヒッターに立った。通常のレパートリーではないので、おそらく急な準備だったのだろうが、立派に代役を果たした。アンコールに鈴木優人との連弾で(!)ブラームスのワルツ集から何曲かを弾いた。これは楽しかった。

 3曲目はシューベルトの交響曲第8番「グレイト」。熱のこもった力演だった。思わぬ声部が浮き上がったり、ティンパニが強打したりする演奏だ。長大なこの曲を、一瞬たりとも弛緩させずに、一気に聴かせた。だが、もう少し息が抜ける部分があってもよかったのではないか。緊張のしっぱなしの感があった。
(2021.10.29.サントリーホール)
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ハイティンク追悼

2021年10月26日 | 音楽
 グルベローヴァの逝去でショックを受けたばかりだが、そのショックが冷めやらないうちに、今度は指揮者のハイティンクが亡くなった。

 ハイティンクが亡くなったのは10月21日だ。享年92歳だった。自宅のあるロンドンで亡くなり、妻や家族が付き添ったと報じられている。天寿をまっとうしたであろう亡くなり方にハイティンクらしさを感じる。

 ハイティンクのLPは何枚か持っていたが(その後、部屋の整理のためにLPはすべて処分してしまった)、実演を聴いた経験は2度しかない。だが、その2度の経験は鮮明な印象を残している。

 一度目は2015年3月にベルリンでベルリン・フィルの定期演奏会に行ったときだ。曲目はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏はイザベル・ファウスト)とベートーヴェンの交響曲第6番「田園」だった。その「田園」がおもしろかった。拍子の頭に重めのアクセントを置き、ごりごり押してくるような、いかにもドイツ的な(といいたくなる)演奏だった。当時の音楽監督のサイモン・ラトルがもっとスマートな演奏をしていた時期に、ハイティンクが振るとベルリン・フィルの地が出るようなところがあった。それはおそらくフルトヴェングラーの時代から(あるいはその前から)脈々と受け継がれているベルリン・フィルのDNAを感じさせた。

 二度目はそれから5か月後の2015年8月にザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルの演奏会に行ったときだ。曲目はブルックナーの交響曲第8番(1890年稿、ノヴァーク版)だった。その演奏はベルリン・フィルのときのようなごつごつしたものではなく、流れるような起伏を描く、流麗で穏やかで、しみじみとした情感を湛えたものだった。わたしはこれがウィーン・フィルの本領だと思った。ウィーン・フィルはブルックナーを演奏するとき、ほんとうに安らいで演奏する。まさに自分の音楽だ。それにくらべるとベートーヴェンのときは、ウィーン・フィルはどこか緊張しているように感じる。

 それらの2度の経験から、ハイティンクは個々のオーケストラの持ち味を最優先に考える指揮者だと思った。自分の個性よりもオーケストラの個性を重視する指揮者。そのような指揮者は、個性を競い合う指揮者の世界にあっては、稀な存在にちがいない。だから、世界のトップクラスのオーケストラから厚い信頼を得たのだろう。わたしはハイティンクの振るシカゴ交響楽団やロンドン交響楽団を聴く機会を得なかったが、もし聴いていれば、それらのオーケストラの個性がもっとよく理解できたと思う。

 多くのオーケストラから愛された指揮者だった。お疲れ様でした。さようなら。
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ラザレフ/日本フィル

2021年10月23日 | 音楽
 ラザレフ指揮日本フィルの東京定期。プログラムの前半はリムスキー=コルサコフの「金鶏」組曲とピアノ協奏曲(ピアノ独奏は福間洸太朗)、後半はショスタコーヴィチの交響曲第10番。ラザレフは今年4月に続いての来日だ。客席はよく埋まっていた。徐々にコロナ以前の日常に戻りつつあるのか。

 リムスキー=コルサコフの2曲は珍しい曲だ。わたしは「金鶏」のオペラ上演を2000年7月にオーストリアのブレゲンツ音楽祭で観たことがある。革命前の帝政ロシアを風刺したオペラだが、楽しい舞台だった。それから21年もたつのかと感慨を覚える。21年ぶりに聴く「金鶏」の音楽は、異国情緒たっぷりでカラフルで、「そういえばこういう音楽だったな」と懐かしかった。

 ピアノ協奏曲を聴くのは初めてだ。山野雄大氏のプログラム・ノーツによれば、リストのピアノ協奏曲第2番をモデルにしているそうだ。たしかにピアノ・パートはリストのように甘美で華麗だ。福間洸太朗のピアノ独奏はそのような曲想をよく伝えていた。アンコールにリストの「愛の夢」第3番が弾かれた。

 ショスタコーヴィチの交響曲第10番はラザレフの十八番といってもいい曲だ(第10番にかぎらずショスタコーヴィチのほとんどの交響曲が十八番だろうが)。演奏はスケールの大きさ、豪快さ、そしてアンサンブルの緻密さを備えた申し分のないものだった。とくに第2楽章の猛スピードは特筆ものだ。目の前をあっという間に駆け抜けた感がある。

 弦楽器は16型だった。日本フィルでは久しぶりだ。16型だと音圧がちがう。それもコロナ以前の日常だった。その弦楽器と3管編成の木管・金管(そして2台のハープ、チェレスタ、多数の打楽器)が繰り広げる演奏風景は、昔懐かしいものだった。

 ラザレフは10月16日の横浜定期ではドヴォルジャークのチェロ協奏曲(チェロ独奏は宮田大)とブラームスの交響曲第2番を演奏した。そのブラームスの交響曲第2番が名演だった。スケールの大きさとアンサンブルの緻密さを兼ね備え、しかもよく歌う演奏だった。そのときに感じたのだが、ラザレフの演奏には最近一種の客観性が備わってきたのではないか。悠然とした風格のようなものが感じられた。

 ショスタコーヴィチの交響曲第10番でも同じようなものが感じられた。豪快な演奏にはちがいないが、ぐいぐい押すタイプではなく、そこに一種の客観的な構えが感じられた。それはラザレフの年齢からくるものなのか(ラザレフは1945年生まれだ)、日本フィルとの協演の積み重ねによるものなのか(首席指揮者就任は2008年だった)、それらの混在によるものか。
(2021.10.22.サントリーホール)
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グルベローヴァ追悼

2021年10月20日 | 音楽
 グルベローヴァの逝去の報はショックだった……と書いて後が続かない。茫然自失といったらよいのだろうか。それとも、そんな大げさな言葉ではなくて、じっと目をつむって内面の言葉を探せばよいのか。

 グルベローヴァは10月18日にチューリヒで亡くなった。享年74歳。その逝去は遺族がミュンヘンのマネジメント会社に伝えた。今のところは以上のことしかわかっていない。死亡の原因はなんだったのだろう。

 グルベローヴァはわたしにとっても大事な歌手だった。生涯で出会ったもっとも偉大な歌手だったといってもいい。わたしはもうすぐ70歳になる。グルベローヴァからは多くのことを学んだ。プロでもない一音楽ファンの人生に大きな影響を与えたといったら、天国にいるグルベローヴァは笑うだろうか。

 昨日来、グルベローヴァの思い出をたどっている。最初にグルベローヴァを聴いたのは、1983年のザルツブルク音楽祭で「魔笛」を観たときだ。グルベローヴァは夜の女王を歌った。その名前はどこかで聞いたことがあるが、どんな歌手か、まったく知らなかったわたしは、初めて聴くグルベローヴァの声に驚嘆した。

 それ以来グルベローヴァのファンになった。来日公演に行ったり、海外でオペラを観たりした。忘れられないのは、2004年12月31日にウィーンで「こうもり」を観たときだ。事前の発表では「スペシャル・ゲスト」と書かれているだけで、それがだれなのか、明かされていなかった。わたしは「グルベローヴァだといいな」と思いながら劇場に行った。第2幕の舞踏会の場面でオルロフスキー侯爵がスペシャル・ゲストを紹介した。グルベローヴァだった。満場の観客は歓声を上げた。グルベローヴァはアリャビエフの「夜鳴き鶯」を歌った。観客の興奮はピークに達した。

 2014年7月27日にミュンヘンで「ルクレツィア・ボルジア」を観たときは、グルベローヴァのいつになくリスクをとった気迫満点の歌い方に驚いた。終演後、当時のインテンダントのバッハラーが舞台に上がり、グルベローヴァの同劇場デビュー40周年を祝うセレモニーを行った。答礼するグルベローヴァ。観客の拍手は30分以上も続いた。

 わたしはグルベローヴァを通じてドニゼッティやベッリーニなどのベルカントオペラの愉しさを知った。とくにベッリーニが好きになった。グルベローヴァがミュンヘンで歌った「清教徒」はいまでも鮮明に記憶している。グルベローヴァはわたしの音楽世界を広げてくれた。そのグルベローヴァが亡くなったとは……。なんだかあっけない亡くなり方だ。天国にむかって感謝の言葉を送りたい。
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ブロムシュテット/N響

2021年10月18日 | 音楽
 コロナ禍のために昨年10月は来日が叶わなかったブロムシュテットが、今年は待望の来日を果たした。オーケストラと聴衆(わたしもその一人だ)は大喜びだ。今年94歳になるブロムシュテットが後述するプログラムを、椅子を使わずに、立ったまま指揮する姿は、矍鑠とした、という以上に、眩しさがあった。

 もっとも、コロナ禍は収まっていないので、変則的な演奏会風景が見られた。演奏会の開始にあたって、まず木管奏者が登場した。次に金管奏者。一呼吸おいてブロムシュテットとソリストのレオニダス・カヴァコスが登場した。満場大きな拍手。最後に弦楽器奏者が登場して全員揃った。この入場方法は当局か業界のガイドラインによるのだろう。

 プログラム前半はブラームスのヴァイオリン協奏曲。すでに多くの方々が絶賛の声を上げているが、わたしは疑問を感じた。第1楽章のところどころでテンポを落として、音楽が停滞した。ブロムシュテットはその部分で音楽に沈み込むようだった。わたしは太陽が沈んだのちの長い夕暮れを見るような感覚になった。第2楽章は全体的に遅いテンポだった。第3楽章では通常のテンポに戻ったが、気分はどこか晴れなかった。

 わたしは正直不安になった。N響でのサヴァリッシュやアンドレ・プレヴィン、都響でのジャン・フルネの、それぞれの最終公演を思い出した。

 一方、ヴァイオリン独奏のカヴァコスは、ブロムシュテットに最大の敬意を払っているのはよくわかるが、自分のペースで演奏しているようには思えなかった。ブロムシュテットのテンポに合わる一方、時々それを挽回するように懸命に弾くことがあった。それはわたしには、岩か流木に詰まった渓流が、そこを超えて一気に流れる光景を見るようだった。

 カヴァコスはアンコールにバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番から第2楽章「ルーレ」を弾いた。そこには自由があった。なにかの制約から解放され、音が空中に飛翔するような軽やかさがあった。

 プログラム後半のカール・ニルセン(1865‐1931)の交響曲第5番になると、わたしの不安は吹っ飛んだ。音楽がよどみなく進み、音の構築にゆるみがなく、すべての音がクリアに聴こえた。前曲で感じた危惧は雲散霧消し、年齢を超越した精神力が感じられた。たとえば突如として別次元の音楽が割り込むような前衛性も、過不足なく表現され、その意味では尖った演奏だった。わたしはこの曲は(交響曲第4番「不滅」が19世紀の交響曲の流れの中にあるのとはちがい)決定的に20世紀に足を踏み入れた交響曲だと思った。それを指揮するブロムシュテットの姿はオーラを放っていた。
(2021.10.17.東京芸術劇場)
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高関健/東京シティ・フィル

2021年10月15日 | 音楽
 高関健が指揮する東京シティ・フィルの定期は、ストラヴィンスキー(1882‐1971)の没後50年を記念するオール・ストラヴィンスキー・プロだ。曲目は「小管弦楽のための組曲第2番」(1921)、バレエ音楽「ミューズを率いるアポロ」(1928)、バレエ音楽「カルタ遊び」(1936)、「3楽章の交響曲」(1945)の4曲。各オーケストラの今年の定期の中で、わたしが一番楽しみにしていた演奏会だ。

 4曲ともオーケストラはあまりなじみがなく、また演奏時間もけっこう長いので(4曲合計で80分あまり)、オーケストラは準備が大変だったと思うが、どの曲も準備不足を感じさせず、ごまかしのない、正確な譜読みの演奏だった。高関健の指揮のたまものだが、同時に東京シティ・フィルの基礎的なアンサンブルの向上も感じた。

 1曲目の「小管弦楽のための組曲第2番」はパリのミュージックホールの依頼で書かれたそうだが、その割にはリズムやソリスティックな動きなど、意外に難しそうだ。演奏はそんな難しさを感じさせず、とぼけた味わいを醸し出した。

 2曲目の「ミューズを率いるアポロ」は弦楽器の音の鮮度が高かった。2分割したチェロのそれぞれの動き、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの絡み合い(当演奏会では第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが指揮者の左右に配置された。それが効果的だった)、コンサートマスターとフォアシュピーラーと第2ヴァイオリンの首席奏者の3人のアンサンブルなど、実演でこそ実感できるおもしろさがあった。

 高関健がプレトークでいっていたが、この曲はカラヤンがよくやった(高関健はカラヤンのアシスタントをしていたので、何度も聴いたそうだ)。たしかに弦楽器の威力のデモンストレーションには絶好の曲だ。分厚い音から繊細な音まで多彩な音が展開し、加えて上述のような細かい動きにも事欠かない。カラヤンが好んだのも頷ける。

 3曲目の「カルタ遊び」(高関健はプレトークで「トランプ・ゲーム」のほうがふさわしいといっていた。原題はフランス語でJeu de Cartes)はアバドが好んだ曲で、高関健もその演奏を聴いたことがあるそうだ。たしかに多数の有名曲を潜ませたアバド好みの知的な遊びのある曲だ。演奏はそのおもしろさをクリアに伝えた。

 4曲目の「3楽章の交響曲」はニューヨーク・フィルの依頼で書かれた曲。高関健はバーンスタインの指揮で聴いたことがあるそうだ。そのためかバーンスタインを彷彿とさせるダイナミックな演奏だった。第1楽章はピアノが活躍し、第2楽章はハープが活躍する曲なので、ピアノとハープを指揮者の前に据えた配置が効果的だった。
(2021.10.14.東京オペラシティ)
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津村記久子「つまらない住宅地のすべての家」

2021年10月12日 | 読書
 今年3月に発行された津村記久子の「つまらない住宅地のすべての家」を読んだ。津村記久子の作品は、数年前にある偶然から(その偶然を書き始めると話がそれるので、省略するが)「とにかくうちに帰ります」を読み、おもしろいと思ったので、その際に「ポトスライムの舟」などの何作かを読んだ。どれもおもしろかった。その経験の範囲内で思うのだが、今度の「つまらない住宅地のすべての家」は、津村記久子の現時点での代表作といえるのではないか。

 新聞各紙の書評欄で取り上げられたので、ストーリーを紹介するまでもないが、念のために簡単にふれると、場所は関西のどこかの住宅地。袋小路の路地を囲んで10軒の家が並んでいる。周囲はありふれた住宅地だ。いつもはなにも起こらない、のんびりした地域だ。

 そんな住宅地に、近くの刑務所から女性受刑者が逃亡したというニュースが入る。受刑者はこの住宅地の方面に逃亡中らしい。自治会長をつとめる男性が、突然自治会長という職務を自覚し、夜間に交代で見張りをすることを提案する。他の住民にとっては迷惑な話なのだが、反対することもはばかられるので、不承不承、夜間の見張りが始まる。

 そこからストーリーが動き始める。いままでは、挨拶をするかしないか、という程度だった住民同士の交流が始まる。それは予想の範囲内だが、ストーリーは予想を超えて、各家が抱える問題(子どもの引きこもり、母親の育児放棄、児童誘拐計画など)に触れていく。もちろん人々はそれらの問題を口にすることはないが、見張りの際のちょっとした言葉のやり取りから、それぞれ内省を促され、心の中の凝り固まった思いがほぐれていく。

 端的にいってその住宅地はいまの社会の縮図だろう。それが女性受刑者の逃亡という事件に触発されて、解決とまではいかないが、各人が小さな一歩を踏み出す光景が描かれる。

 女性受刑者の罪は横領罪だ。長年勤めた職場から、わずかな金を横領し続けた。逃亡した目的も明らかになる。切ない事情があったのだ。その逃亡者と、10軒の家の住民たちと、その他2人の登場人物が主要な人物だ。人数が多いので、わたしは人名リストを作り、それを見ながら読んだ。そのうちにすべての登場人物が明確な輪郭をもつようになった。読了後は、それらの人物が近所に住む身近な人々のような感覚が残った。

 久しぶりに津村記久子の作品を読んだ。それで思い出したのだが、津村記久子はだれかの身勝手な行動に振り回されて、だがなにもいえずに我慢している弱い立場の人(たとえば大人の勝手な行動に振り回される子どもなど)を描くのがうまい。本書でもそれが際立つ。
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川瀬巴水展

2021年10月09日 | 美術
 川瀬巴水(1885‐1957)は大正から昭和にかけての版画家だ。抒情的な作風に人気があり、その作品を目にする機会も多い。わたしも好きだが、生涯にわたっての作風の変遷を追うことはなかった。本展はキャリアのスタートから遺作にいたるまでの作品をたどった内容だ。作風の変遷を知るにはよい機会だ。

 チラシ(↑)に使われた作品は、左が「芝増上寺」、右が「馬込の月」。ともに巴水の代表作だ。わたしも何度か見たことがある。今回あらためて見ると、「芝増上寺」では木の枝にかかる雪の表現が、ふんわりとして、じつにリアルな感じがした。一方、「馬込の月」では、個々のディテールよりも、明るく澄んだ月夜の静けさに、言葉が不要になるような落ち着きを感じた。

 「芝増上寺」も「馬込の月」も連作「東京二十景」(1925‐1930)の中の作品だ。本展では連作の20点すべてが展示されている。どれも傑作だ。構成に快い緊張感があり、多彩なテーマが展開されて、清新なリリシズムが漂う。思うに川瀬巴水は「東京二十景」で版画家としてのピークを迎えたのではないか。それまでのあらゆる試みが「東京二十景」で完成されたように思う。

 川瀬巴水の特徴は、雪や雨や川などの(それらの水のヴァリエーションの)表現の繊細さと、夕暮れや夜などの藍色の美しさではないかと思う。それらの特徴は「芝増上寺」と「馬込の月」でよく表れている。「芝増上寺」では寺院の朱色との対比で雪の白さが強調される。また「馬込の月」では画面全体が藍色のトーンに覆われる。それらの二大特徴が「東京二十景」の諸作品で完成し、その後の作品に応用されたようだ。

 「東京二十景」の中のどの作品が好きかと、自分に問い、または友人と語り合うことは、鑑賞者の楽しみだろう。わたしは「新大橋」と「大森海岸」を選ぶ。どちらも画像を紹介できないのが残念だが、簡単に描写すると、「新大橋」では、雨が降りしきる夜の橋のうえを人力車が通る。街灯が灯っている。その光が雨にぬれた路面に映る。「大森海岸」では、藍色に染まった夕暮れの漁師町で、仕事を終えた漁師が舟をつなぐ。女が出迎える。人家からもれる灯りが暖かい。

 本展には遺作の「平泉金色堂」(1957)が展示されている。それを見たとき、あっと驚いた。同じ構図の作品が前にもあったからだ。それは「平泉中尊寺金色堂」(1935)だ。わたしはもう一度「平泉中尊寺金色堂」に戻った。やはり同じ構図だ。だが、「平泉中尊寺金色堂」が藍色に覆われた明るい夜景であるのにたいして、遺作は雪に埋もれた風景で、そこをひとりの修行僧が歩く。その修行僧は川瀬巴水自身らしい。
(2021.10.7.SOMPO美術館)
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チェネレントラ

2021年10月04日 | 音楽
 新国立劇場の「チェネレントラ」新制作。粟国淳演出、アレッサンドロ・チャンマルーギの美術・衣装による舞台は、王子ドン・ラミーロを映画のプロデューサー、王子の教育係アリドーロを映画監督に見立てた。チェネレントラ(アンジェリーナ)は女優になるのを夢見る娘。チェネレントラの義姉のクロリンダとティーズペはプロデューサー(ドン・ラミーロ)に見いだされて主役を射止めようとする。クロリンダとティーズペの父親(チェネレントラの義父)のドン・マニフィコは、クロリンダかティーズペが主役に抜擢されることを願う。言い遅れたが、王子の従者ダンディーニはプロデューサーの助手だ。場所はローマの映画撮影所。

 舞台ではひっきりなしに撮影カメラが移動し、収音マイクがそれを追いかける。何人かの撮影助手が、台本を持ちながら、あれこれと手はずを整える。まさに撮影現場だ。ドン・ラミーロとアンジェリーナの出会いの場面は映画「ラ・ラ・ランド」の引用らしい(わたしはその映画を見たことがないが、ポスターなどでよく見かけた場面だ)。その他にも「ああ、これはなにかの映画の引用だろうな」と思う場面があった。

 一応うまくはできているのだが、いまひとつ垢抜けない。よくできた読み替えという以上の感想がわかない。なにが足りないのか。乾いた笑いか。弾けるような演劇性か。

 歌手ではタイトルロールの脇園彩(わきぞの・あや)とドン・ラミーロ役のルネ・バルベラが突出していた。脇園彩はイタリアで活動しているらしい。どの音域も滑らかに出て、ベルカント唱法が高度だ。ルネ・バルベラはアメリカ出身だが、ヨーロッパ各地で活動しているらしい。突き抜けるようなハイトーンが出る。第2幕のアリアでは、鳴りやまない拍手にこたえて、カバレッタをアンコールした。

 ベテラン歌手のアレッサンドロ・コルベッリがドン・マニフィコを歌った。レジェンドといってもいい歌手だが、さすがに年齢は隠せない。ダンディーニは上江隼人が歌った。これは健闘。クロリンダは高橋薫子、ティーズペは齊藤純子が歌った。歌はともかく、演技は物足りない。コミカルな「いじられ役」は、日本人はほんとうに下手だ(齊藤純子はフランス在住らしいが)。アリドーロはガブリエーレ・サゴーナが歌ったが、印象に残らなかった。

 指揮は来日中止になったマウリツィオ・ベニーニの代わりに城谷正博がとった。第1幕の中盤まではおとなしい演奏が続いたが、その後しっかりしてきた。第1幕のフィナーレから第2幕にかけては不足がなかった。平均点は取ったが、それ以上のものではなかったというのが正直なところだ。オーケストラは東京フィル。これは健闘した。ベルカント・オペラのオーケストラの音だった。
(2021.10.3.新国立劇場)
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