Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

阪哲朗&東京シティ・フィル

2011年04月29日 | 音楽
 東京シティ・フィルの4月定期は阪哲朗さんの客演指揮。阪さんはここ数年(というと曖昧な言い方だが、おそらく10年くらい)定期的にこのオーケストラを振っている。毎回、目覚ましい成果を引き出していて、存在感が高まっている。

 今回のプログラムはドヴォルジャーク・プロ。前半はチェロ協奏曲。ソリストは遠藤真理さん。集中力のある演奏だった。飾ったところのない、本音の演奏をする資質の人と思われた。この曲の演奏としては、まだ一本調子というか、単調さが否めないが、それはこれからの成長を待つべきだろう。

 オーケストラは好調。阪さんが指揮台に立つときはいつもそうだが、線の太い、雄弁な演奏だ。とくに第2楽章の中間部、オーケストラが強奏で入ってくるときのガツンとした手応えは、阪さんならではのものだ。

 後半は交響曲第8番。これはもう別の次元の演奏だった。線の太さ、雄弁さはそのままに、さらに、音のうねり、奔放な流れ、(第3楽章のワルツでの)優美な身ぶりが加わり、最後まで一瞬の弛緩もなかった。現在の常任指揮者、飯守泰次郎さんの剛直さの上に、スピンのきいた運びを加味した演奏。

 同フィルの公式ブログには、阪さんを評して「冷静に見えて実は熱いマエストロ」という言葉があった(4月25日の記事)。その言葉がぴったりするような、情熱のほとばしった演奏。その熱さは日常的なレベルを超えていた。

 周知のように、阪さんはドイツのレーゲンスブルク歌劇場の音楽総監督をつとめている。中規模都市とはいえ、歌劇場の音楽面の責任をもつ人は、やはりたいしたものだ。音楽的な力量が本物でなければ、ポストは回ってこない。

 阪さんのメッセージによると、「私の滞欧生活も今年で21年になりました」とある(同フィルのホームページに掲載)。いくつかの歌劇場をわたり歩いた後、バッハの生地のアイゼナハ歌劇場の音楽総監督に就任し、次には現在のレーゲンスブルク歌劇場の音楽総監督に就任している。日本人の指揮者が、昔ながらのドイツの、典型的な叩き上げの道を歩んでいるのが頼もしい。

 なおこの日は、演奏会の開始前に、金管アンサンブルによるシーズン開幕のファンファーレがロビーで演奏された。今までにない試みだ。残響の多い空間に美しい音色が響きわたった。もっとも、おまけの1曲は、少なくともわたしには余分だった。
(2011.4.28.東京オペラシティ)
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液状化した浦安

2011年04月27日 | 身辺雑記
 先週の日曜日(4月17日)に千葉県の浦安市に行ってきました。東日本大震災で液状化が起きた場所です。JR京葉線を降りて外に出ると、無惨に浮き上がったエレベータが目に入りました。あれは浮き上がったのではなく、地盤が沈下したからです。報道写真で見てはいましたが、実物はものすごい迫力でした。

 駅前にはスーパーがありました。開店前で何人もの人が並んでいました。みなさん、水を求めているのでした。水道は復旧したと報道されていましたが(下水道はまだ)、実情はちがうのでしょう。

 どこといってあてもなく、歩き始めました。歩道の敷石がひび割れていたり、植え込みが崩れていたりします。なぜか砂が溜まっています。歩道だけではなく、植え込みにも、いや、気がつくと、街のあちこちに溜まっています。白くてきれいな砂です。手で触ってみると、サラサラしてきめの細かい砂でした。砂は液状化のためでした。地面から水が噴き出し、水が引いた後、砂が残ったのです。

 浦安市の約4分の3は埋め立て地です。1960年代から始まった埋め立て事業によって造成された土地です。街の下にはこのような砂があったのでしょう。わたしもショックでしたが、住んでいるかたもショックだったでしょう。

 とくに目的があったわけではありませんが、今川地区のほうに行ってみました。道が崩れたり、波打ったりしていて、被害の大きさがわかります。電信柱が傾き、民家に倒れかかる寸前のものもあります。傾いてしまった家もあります。洗濯物が干してあったので、まだ住んでいるのでしょう。ほかに行き場がなければ、しかたがありません。これからこの家をどう直せばよいのかと、ひとごとながら、頭を抱えてしまいました。

 今川地区から高洲地区に足を向けてみました。小さな公園がありました。漁業記念公園という公園です。入り口に3枚の大きなパネルが立っていました。埋め立ての前の、貝や海苔や魚をとっていた漁村のころの浦安です。1960年代になって、埋め立て事業の波が押し寄せました。漁師たちは、説得されて、泣く泣く漁業権を売ったそうです。その無念さを語り継ぐための公園でした。

 東京の喧騒からはなれて、細々と漁業で暮らしていた浦安。高度成長の波にのって、埋め立て事業で一気に拡大した浦安。近年は、潮の香り漂うおしゃれな街に変貌した浦安。そのどれもが浦安だとしたら、今の、液状化でガタガタになった浦安は、どういう意味をもつのかと、なんだかそんなことを考えていました。
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山田和樹&日本フィル

2011年04月25日 | 音楽
 日本フィルの東京定期は、予定されていた指揮者が来日しなかったので、山田和樹さんが指揮台に立った。山田さんはベルリンから急きょ帰国したらしい。同フィルは横浜でも定期をしているが、こちらは広上淳一さんが指揮台に立った。広上さんは旧知の指揮者、山田さんは今後が楽しみな指揮者。

 横浜定期は予定されていたプログラムをそのまま引き継いだが(それはそれでたいしたものだ)、東京定期はガラッと変えた。予定されていたプログラムは、シベリウスの交響詩「夜の騎行と日の出」とマーラーの交響曲第6番「悲劇的」。前者は通常のレパートリーには含まれないし、後者は3.11の被害の記憶が生々しい現状では、ためらいがあるのもわかる。

 変更後のプログラムは、マーラーの「花の章」、モーツァルトのクラリネット協奏曲、マーラーの交響曲第4番。予定されていたプログラムとの関連がなくもなく、かつコンセプトはまったく異なって、死の世界から天上の世界へと脱皮している。これはオーケストラ側の提案なのだろうか、それとも指揮者のレパートリーとの関係なのだろうか。

 1曲目の「花の章」が始まると、オーケストラの甘美な音色と、甘美な歌い方に驚いた。このような音色が出ることは、絶えて久しくなかった。この曲はマーラーの失われた恋への追憶といわれているが、そのことがこれほどよくわかる演奏は、少なくともわたしには初めてだった。

 2曲目のクラリネット協奏曲は、弦の編成を小さくして、繊細で淀みない流れを作っていた。独奏は首席奏者の伊藤寛隆さん。急きょ決まった曲目。大曲で、かつ準備もままならない状態にもかかわらず、平然とこなすのは、さすがにプロだ。滑らかな語り口がオーケストラの演奏スタイルと合致していた。もう一歩深い陰影があれば、さらによかった。

 3曲目の交響曲第4番では、甘美な音色が戻り、ぐっと踏み込んだ意欲的な箇所もあり、最後まで聴き手を引きつけて離さなかった。芽の摘んだアンサンブルは(このオーケストラとしては)希有なほど。山田さんの音楽的な能力を物語るものだ。才能のある、もっというと、本物の才能のある、若い指揮者が振ると、こういうことが起きる。音楽的な緻密さが、すべての音を管理するからだ。

 ソプラノ独唱の歌手は明らかに準備不足。音程もリズムも甘く、せっかくの演奏に水を差した。
(2011.4.23.サントリーホール)
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ばらの騎士

2011年04月23日 | 音楽
 新国立劇場の「ばらの騎士」最終日。カーテンコールでは熱い拍手が送られた。急きょ来日して急場を救った指揮者マイヤーホーファーと元帥夫人役のベーンケ、予定どおり来日したオックス男爵役のハヴラタには、心からの感謝の拍手。代役をつとめたオクタヴィアン役の井坂恵、ファーニナル役の小林由樹、ゾフィー役の安井陽子の3人には称賛の拍手。スタンディングオベーションが終わって、オーケストラがひきあげるときには、もう一度拍手が起きた。それは危機を乗り切った新日本フィルへのねぎらいの拍手だった。

 今は日本中で(もしかすると世界各地で)感動的な演奏会がいくつも開かれている。これもその一つ。指揮者とオーケストラの組み合わせが目玉だったが、指揮者が来日しなくなり、大きな傷を負った。また主要歌手5人のうちの4人までも来日しなくなり、このダメージも大きかった。

 この非常事態にあって、上記の人たちが集まり、当初予定されていた初日の公演は見送って、2日目となる公演から幕を開け、なんとか最終日までこぎつけた。わたしは当初予定の3日目となる公演と最終日とをみた。最終日には代役の日本人歌手3人が伸び伸びと歌い、演じているのに感動した。

 公演を支えたのは指揮者のマイヤーホーファーだ。オーストリア生まれのベテラン。このオペラを隅々まで知りぬいている。たとえば、少し地味な箇所だが、第2幕でオクタヴィアンとゾフィーが惹かれ合う場面では、音楽の高揚がじつに丹念に辿られていた。もう一つあげるなら、第3幕のフィナーレで元帥夫人、オクタヴィアン、ゾフィーの三重唱が始まる直前の休止が、息を呑むように絶妙だった。その後の、本作のきかせどころの三重唱、あるいは第1幕フィナーレの元帥夫人のモノローグでは、息の長い豊かな起伏がつけられていた。

 ベテラン歌手のハヴラタは、公演を支えたもう一本の柱だ。第2幕の幕切れで最低音が長く伸ばされるのをきいていると、ほれぼれしてしまった。元帥夫人役のベーンケも、第3幕のフィナーレの凛とした立ち姿が、予定されていた歌手にひけをとらなかった。

 演出はジョナサン・ミラー。2007年の初演もみたので、これで3回目だが、何度みても優れた演出だ。特徴的なのは、第1幕と第2幕では向かって右側、第3幕では左側に大きな廊下をとっていること。そこには召使いやその他の人々が行き来していて、ドラマを物語っている。各幕とも左側の大きな窓から射しこむ外光の変化が美しい。コミカルな演技がふんだんに盛り込まれているのも楽しい。
(2011.4.13&22.新国立劇場)
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カンブルラン&読売日響

2011年04月19日 | 音楽
 あの人も、この人も、という具合に指揮者のキャンセルが相次ぐなかで、読売日響の常任指揮者カンブルランが来日した。4月9日の日経新聞によると、「困難な状況にある人々に愛と希望を与えるのが音楽家の使命。常任の職責、日本の聴衆への信頼も考えれば、来て一緒に音楽するのが当然」と語ったそうだ。

 昨日は定期演奏会だった。予定のプログラムにはないが、冒頭にメシアンの「忘れられた捧げもの」から第3曲「聖体」が演奏された。大編成のヴァイオリン2部とヴィオラによる静謐な音楽。大震災の犠牲者を追悼した。

 プログラム1曲目はプロコフィエフのバレエ音楽「ロミオとジュリエット」からの抜粋(7曲)。引き締まったリズム、多彩な音色、見事なバランス、どれをとっても一級品。大震災以後いくつかの演奏会をきいたが、音楽的な渇きがこれで癒された。

 プログラム2曲目から3曲目にかけては、当演奏会のメイン。ラヴェルの「ピアノ協奏曲」と「左手のためのピアノ協奏曲」をロジェ・ムラロが一気に弾くというもの。

 ムラロも、カンブルランも、年中もっと複雑な曲をやっているので、これらの曲はなんの苦もなくやれる、という様子の演奏だった。もちろん細心の注意を払っているにちがいない。しなやかに絡み、どこも突出せず、均衡のとれた演奏。その演奏をきいていると、一卵性双生児の両曲に通底するものが感じられた。

 アンコールに、実にシンプルで、ナイーヴな曲が演奏された。曲名はメシアンの「プレリュード」とのこと。帰宅後、調べてみたら、該当しそうな曲が何曲かあった。そのうちのどれだろう。CDでよいから、ぜひもう一度きいてみたいものだ。(※)

 最後はラヴェルの「ボレロ」。前出の日経新聞の記事によると、カンブルランは「執拗な反復の後に激変する音楽は暗示的。毎日の小さな積み重ねが悲劇に至るようにも思え、人生を考えさせる」と語ったそうだ。日々の生活が一瞬にして失われた大震災と、この曲が、重ね合わせて考えられることに、驚いた。それ以来、頭にこびりついて、離れない。

 でも、演奏をきいていると、悲劇が起きたようには感じられなかった。明るく、フレンドリーなカンブルランの音楽性のゆえだ。音楽的な枠内に収まった、上質な演奏だった。

 読売日響だけでなく、わたしたちも、頼もしいリーダーをもって、幸せだ。
(2011.4.18.サントリーホール)

(※)後日、CDで確認できた。アンコールはメシアンの最初期の作品「8つの前奏曲」から第1曲「鳩」だった。メシアンがドビュッシーの末裔であることがよくわかる曲。冒頭の「忘れられた捧げもの」ともども、この日はメシアンの最初期に触れる機会になった。
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ゴドーを待ちながら

2011年04月16日 | 演劇
 サミュエル・ベケットの演劇「ゴドーを待ちながら」。不条理演劇の代名詞のような作品だが、今回はニュアンスがちがった。3.11の大震災があったから。なにもない舞台は、津波で破壊された被災地のようだ。ヴラジミールとエストラゴンは被災者。一瞬にしてすべてが失われる事態が現実となった。不条理は、観念ではなく、現実となった。

 今回の公演は妙に重いものになった。わたしたち観客は、なにもない舞台に、瓦礫のやまを見てしまう。日々テレビで見ている映像が、そこに重なる。それは俳優たちも、演出その他のスタッフも、同じだろう。プログラムに掲載された座談会によると、3.11の当日は稽古をしていたそうだ。稽古は中断。三々五々帰宅したが、大混乱の都内では、まともに帰れた人はいない。この経験は舞台に刻印されているはずだ。

 今回の公演は、半世紀にわたる上演史のなかでも、特異な位置を占めるにちがいない。何年もたって振りかえったとき、3.11の非常時でなければ見えないものが、見えた公演だった、という具合に記憶されるだろう。

 重い感じがしたのには、もう一つの要因がある。それは、少年役を除いて、俳優たちの年齢が高かったことだ。演出の森新太郎さんは、その意図についてこう言っている。

 「それと今回のキャスティングは、少年以外は70代にさしかかろうという年齢の方たちに限らせていただいた。それはこの芝居の底には時間との闘いというものがあって、歳を重ねるということは時間と闘ってきたことでもあり、そういう肉体をもった人間が、どういう闘いぶりを見せるのか、そこにこだわろうと思ったからです。」

 なるほど、と思う。だが、反面、この作品の明るい空気感が、(語弊があったら申し訳ないが)淀みがちだったのも事実だ。

 ゴドーが来ないことは、だれもが知っている。だが、年齢によって、その感じ方はちがうだろう。若ければ、来るかもしれないと期待をもつこともできる。でも、年をとれば、信じることはできない。あれこれの暇つぶしにも熱中できない。そのことが舞台から感じられてしまった。

 これは付随的なことだが、特殊な客席形状も、重い感じがした一因だ。小劇場の中央にステージを設け、それをはさんで観客が向き合う。わたしの目の前には、ステージの向こう側の観客がいる。まるで鏡に写ったわたし自身のようだ。自らの姿を意識するのは、どんな場合でも気が重い。
(2011.4.15.新国立劇場小劇場)
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音楽の力

2011年04月14日 | 身辺雑記
 何気なく日本フィルのホームページを見ていたら、こんな記事が目に入りました。「浪江町の皆様へ・・・」。4月7日の公式ブログです。浪江町といえば、福島第一原発の事故のニュースで頻繁にその名を見かける町です。日本フィルがそこに行ったのかと、さっそくブログを読んでみました。

 それによると、4月6日に避難先の二本松市を訪れて、救援物資の乾電池を届けるとともに、ヴァイオリン、ヴィオラ、トロンボーンの演奏をしたそうです。避難所にいる約50名の方々が耳を傾けたとのこと。たいしたものです。長い苦難の歴史を経験した日本フィルのDNAが感じられます。

 公式ブログには写真入りで載っていますが、ざっくりいうと、3月下旬の香港公演(それ自体、大震災直後だったので、現地では実施が危ぶまれていたそうです。予定どおり現れた日本フィルには、大きな拍手と声援が送られたそうです。)が縁になって、某社から乾電池の寄託を受けたとのこと。その受け入れ先を探したところ、浪江町で活用してくれることになり、その際に「もし演奏させていただけるなら」と希望を伝えたら、受け入れてもらえたそうです。

 火事場の馬鹿力というと、からかっているようですが、この非常時には(ある意味では組織に頼らない)行動力が、実効性があります。

 被災地にいる仙台フィルは、6月までの主催公演をすべて取りやめましたが、その一方で3月26日に第1回復興コンサートを開催しました。今は連続37日間のマラソンコンサートを続けています。復興コンサートも継続しています。今はまだ仙台市内にとどまっているようですが、事情が許せば避難所にも出かけていくでしょう。

 在京のオーケストラでは、来日を取りやめる指揮者が多いなかで、読売日響の常任指揮者カンブルランが来日しました。同響のホームページに載った4月4日のインタビューから、その発言をご紹介します。

 「“言葉”では語り尽くせないこのような状況だからこそ、“音楽”という自由に個々で感じとることができるものは重要です。また同時に、“音楽”を通じて気持ちを共有できる“演奏会”という空間は、大きなエネルギーを与えてくれるでしょう。」

 わたしはここに、音楽の力をほんとうに信じている人がいる、と思いました。

 非常時の今は、音楽にたいする想いが試されているのかもしれません。それは指揮者や演奏家だけではなく、わたしたちも、です。
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フェルメール「地理学者」

2011年04月11日 | 身辺雑記
 Bunkamuraの「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」に行ってきました。土曜日の午後だったので、すごい人出でした。それでも閉館の午後5時近くになると、潮が引くように少なくなり、一部はじっくりみることができました。

 本展はフランクフルトのシュテーデル美術館から、17世紀中ごろのオランダ・フランドル絵画をごっそり借りてきたもの。目玉はフェルメールの《地理学者》。展示全体からは当時の絵画の状況が浮かび上がります。

 当時、オランダはヨーロッパでもっとも裕福な国でした。とくにアムステルダムには富が集中し、芸術も繁栄しました。なかでも絵画は、富裕な市民層の需要を背景に、巨大な市場を形成していました。レンブラントの波乱の人生は、その時代がどんなものであったかを物語っています。

 周知のように、富裕な市民層の登場は、絵画に本質的な変化を及ぼしました。貴族や教会がパトロンであったころとはちがって、風俗画、室内画、風景画、静物画などが盛んに描かれました。また依然として歴史画、肖像画も描かれました。本展ではその活気あふれる息吹が感じられます。

 作品としては、もちろん、フェルメールの《地理学者》が一級品です。シュテーデル美術館の(本作の)展示室は薄暗いのですが、本展では適度な照明のもとでみることができます。日常の一瞬が凝固した緊密な構成、ガラス窓を通して射しこむ光の効果、地球儀やゴブラン織りの布の質感。これらのディテールのなかで、ぼやけたような平板な顔も、あえてそうしたのかと思えてきます。

 ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスと移って行ったヨーロッパの覇権(というと言い過ぎかもしれませんが、要するに、その時代、時代でもっとも栄えた都市をもつ国)にあって、その一齣としてのオランダの時代が感じられます。

 先日、何人かの歴史学者が、3・11の大地震を、ポルトガルの凋落の過程で起きた(18世紀半ばの)大地震になぞらえているのを読んで、興味深く思いました。

 日曜日には、思うところがあって、千葉県旭市に行ってみました。死者13名、行方不明者2名を出し、今なお230名のかたが避難所生活をしています。わたしが訪れた地域は比較的被害が小さかったようですが、それでも浜辺に打ち上げられたいくつものテトラポット、折れ曲がった街路灯、壊れた倉庫、壊れた橋などが、津波の跡をとどめていました。
(2011.4.9.Bunkamuraザ・ミュージアム)
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アメイジング・グレイス

2011年04月05日 | 身辺雑記
 仙台の知人から電話が入りました。山形と東京の病院から協力を得て、看護師、保健師、心理療法士とともに避難所を回るそうです。「目の前で生徒が津波にさらわれた先生方がいて、父母から『どうしてうちの子を守ってくれなかったのか』と責められているそうです。先生方は自分を責めています。話をきくことくらいしかできませんが、行ってきます」とのことでした。

 一週間前には、福島県の会津美里町にお住まいの、わたしの恩人からも電話が入りました。原発からの避難民の受け入れで大忙しのようです。その日の朝には、おにぎりを2,000個作ったとか。体育館などで受け入れているそうですが、親戚を頼って避難している人も大勢いるとのこと。新学期を控えて、避難してきた子供たちの学校への受け入れで忙しそうでした。

 こうしてみなさん苦労しているのに、気が引けましたが、仕事の帰りに映画をみました。「アメイジング・グレイス」という2006年のイギリス映画です。讃美歌「アメイジング・グレイス」の誕生にまつわる秘話を織り込みながら、奴隷貿易の廃止に取り組んだウィルバーフォース(1759~1833)の生涯を描いたものです。

 1780年、21歳の若さで国会議員になったウィルバーフォースは、1791年以降、何度否決されても、奴隷貿易廃止法案を提出し続けます。議会でいくら嘲笑されても、熱弁をふるって自説を曲げないウィルバーフォース。その果てしない弁論のなかから、(この映画を作った人たちの)議会制民主主義への信頼が滲み出ます。

 信念の人、ウィルバーフォース。今までの、保守化が進み、息苦しいまでに複雑化した日本の社会だったら、「空気が読めない」と一蹴されたかもしれない人物像です。けれども、大震災で風穴があき、逆説的ながら、人間性を取り戻している今の状況では、新鮮なリアリティをもって感じられます。

 映画の最後に、スコットランドの民族衣装を身にまとった大勢のバグパイプ奏者が「アメイジング・グレイス」を演奏するシーンがあります。隊列を組んだ奏者たちの中央を一人の奏者が進み出ます。その姿はウィルバーフォースの生き方のようです。

 周囲の人たちも個性豊かに描かれています。驚いたのは、アフリカから奴隷として連れてこられ、努力して自由を得た黒人のエクィアノ(これも実在の人物)を演じているのが、アフリカ音楽の第一人者、ユッスー・ンドゥールだったことです。映画にも出ているとは。
(2011.4.4.銀座テアトルシネマ)
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