Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カルメン

2014年01月31日 | 音楽
 新国立劇場の「カルメン」。これは典型的なレパートリー公演だ。

 私事だが、4年前に現役を退いて、時間ができたので、新国立劇場の年間会員になった。現役のときには観られなかったプロダクションを観ることができて面白かった。だが、それも4年たつと、繰り返し観るプロダクションが出てくる。「カルメン」もその一つだ。正直いって、モチベーションが上がらない。年間会員はもうやめようかと思ったが、芸術監督が代わって、来シーズンは俄然力のこもったラインアップになった。とりあえず来シーズンも続けてみるかと――。

 で、その「カルメン」だが、レパートリー公演はこんなもの、といってしまえばそれまでだが、なんとも新味のない、――実感に即していうなら――なんの発見もない公演だった。最近、林田直樹氏が「どんな演奏会(公演)にも学ぶべき点はある」という趣旨のことを書いておられて、ひじょうに共感したのだが、残念ながらこの公演は――わたしとしては――お寒い結果になった。

 なんでそうなったか。第一義的には演出にその要因があると思う。ストーリーを丁寧になぞった演出だとは思うが――なので、「わかりやすい演出」とか「初心者にも安心して勧められる演出」とかと評価する向きもあると思うが――、残念ながら演出家の主張はあまり見いだせない。演出家がこのオペラをどういう切り口で提示しようとしているのか。それが中途半端というか、こちらに伝わってこないのだ。

 細かい点もいろいろある。たとえばカルメン登場の場。例のハバネラを歌いながら、胸にさした赤いバラをだれに投げつけようかと思わせぶりなカルメンを、兵隊たちがひざまずいて取り囲む仕種。これなどは、あゝ、ステレオタイプ!と思ってしまった。

 やはり「カルメン」はこの劇場にとってトラウマなのだろうか。いや、トラウマというよりも、可もなく不可もないこの演出の、その可もなく不可もない点にこそ、考えるべき課題があるのではないだろうか。

 「カルメン」は当然どの劇場でもレパートリーとして持っていなければならない演目だが、このままではまずいのではないか。

 なお、今回ほとんどの歌手と指揮者は前回(2010年)と代わり、イメージを一新した。その点での面白さはあったが、でも、そのレベルにとどまると、品評会とあまり変わらないことになってしまう。オペラの受容とはそんなものではないはずだ。
(2014.1.29.新国立劇場)
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オルフ~雑感

2014年01月28日 | 音楽
 カール・オルフ(1895‐1982)のナチスとの関係はどうだったのか。「カルミナ・ブラーナ」の初演は1937年。時まさにナチスの全盛期だ。そういう時代の空気と「カルミナ・ブラーナ」の成功とは、なにか符合するものがあるのだろうか。そもそも「カルミナ・ブラーナ」の冒頭は、なんともいえず物々しくて、ナチスの党大会に相応しいような気がする。結局のところ、オルフはナチスの寵児だったのだろうか。

 こんなことが頭のなかでモヤモヤしていた。そうしたら、N響のプログラムで広瀬大介氏が次のように書いていた。

 『党(引用者注:ナチ党)とオルフとの関わりについての最新の研究では、「オルフはドイツを離れることはなかったが、ナチ党には入党せず、同情的な言動を寄せたこともなく、全国音楽院の役職にも就かず、‘御用作曲家’と見なされるようなこともなかった」という評価が定着しつつある。』

 ひとまずホッとしたが、では、どういう関係だったのかと具体的に調べたくなった。Wikipedia(英語版)、長木誠司氏の「第三帝国と音楽家たち」(音楽之友社)などで、断片的ではあるが、いくつかの興味深い事実を知った。

 以下は一つのエピソードにすぎないかもしれないが、オルフは反ナチス抵抗運動の地下組織「白バラ」の創設者の一人クルト・フーバー教授と親しかった。1943年、フーバー教授がナチスに逮捕された日、たまたまオルフはフーバー教授を訪ねた。フーバー教授の妻はオルフに夫を助け出すために影響力を行使してほしいと懇願した。だが、オルフは断った、「フーバー教授との親交が発覚したら身の破滅です」といって。

 戦後、非ナチ化の過程でオルフは連合国側に「自分は『白バラ』の創設を助けた」と証言した。オルフは釈放された。だが、オルフの言葉以外には、なんの証拠もなかった。

 なんだか暗い気持ちになるエピソードだが、これをもってオルフを責める気にもなれない。人間だれしも――いや、大方の人間は、といったほうがいいだろうが――あのような極限状態になったら、似たような身の処し方をするのではないだろうか。

 フルトヴェングラーやリヒャルト・シュトラウスのように、ナチスの体制下、その中枢に身を置き、それゆえ軋轢があった人物とちがって、オルフは多くのドイツ人と同じように、流れに身を任せながら、自分らしさを失うまいと心掛けていた人物ではなかったろうか。まずはそう考えたい。
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ファビオ・ルイージ/N響

2014年01月27日 | 音楽
 ファビオ・ルイージ指揮N響のAプロ。オルフの「カトゥリ・カルミナ」と「カルミナ・ブラーナ」という魅力的なプログラム。「カトゥリ・カルミナ」は実演に接する機会がめったにないので、これを逃す手はない、と飛びついた。

 ステージを見て、「そうか、こういう編成だったか」と思い出した。指揮者の前に4台のピアノ、その後方に多数の打楽器(10人の打楽器奏者が演奏)。ストラヴィンスキーの「結婚」と同じ編成だ。オルフが「結婚」を参照したことはまちがいない。もっとも、「結婚」の精緻きわまる――ある意味で人工的な――リズムに比べて、こちらはもっとシンプルだ。器楽パートだけではなく、声楽パート(ソプラノ独唱とテノール独唱そして混声合唱)についてもそういえる。

 器楽パートが出てくるのは「序奏」と「大詰め」だけ。中間の第1幕~第3幕は声楽パートだけ。ア・カペラで延々と続く。これは怖いだろうなと察するとともに、こういう特殊な曲だからオーケストラのプログラムには載りにくいのだな、と納得した。

 その声楽パートだが、ソプラノ独唱はモイツァ・エルトマン。ステージに出てきた途端に目を見張った。スリムな美人だ。こういってはなんだが、オペラ歌手とは思えない体つきだ。ベルリン国立歌劇場で2012年に「ルル」のタイトル・ロールを歌ったそうだ。「ルル」か、……観てみたい。

 テノール独唱はヘルベルト・リッパート。ベテラン歌手だ。最近ではウィーンで「死者の家から」を観た。健在だった。今回は、どういうわけか、時々苦しそうにしているような気がした。

 合唱は東京混声合唱団。もう見事の一言に尽きる。器楽の支えがない状態で、あの長丁場を、崩れもせず、よく歌い切ったと感心する。

 器楽パートも見事だった。10人の打楽器奏者というと、やかましい音楽を想像する向きもあるかもしれないが、けっしてそうではなく、塵一つない――と形容したくなるほどの――秩序だった音楽だ。くわえて、ピアノも打楽器的に使われているので、4人のピアノ奏者をふくめた14人の器楽奏者が、整然とした演奏を展開した。

 「カルミナ・ブラーナ」も名演だった。オーケストラがマッスで咆哮する部分でも、ダンゴ状態にならずに、すべての音が明瞭に聴きとれる、と感じられる演奏だった。今まで何回聴いたかわからない曲だが、これほどの演奏には出会ったことがないと思った。
(2014.1.25.NHKホール)
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梅田俊明/都響

2014年01月24日 | 音楽
 出先から直接、上野へ。都響の定期だが、かなり早めに着いたので、国立西洋美術館に寄った。ムンクの版画展を観るためだ。同館所蔵の作品34点の展示。そのなかには連作版画「アルファとオメガ」がふくまれている。2012年5月にエッティンガー指揮の東京フィルが日本初演したギル・ショハットGil Shohat(1973‐)のオペラ「アルファとオメガ」の原作だ。

 これは奇妙な作品だな、と思った。アダムとイヴの話を下敷きにしているが、なんともいえず、ねじ曲がっている。グロテスクな変形。そのストーリーを説明すると長くなるので控えるが、ともかく、愛、性、嫉妬そして死の物語だ。ムンクの原風景というか、原風景の奇妙な表明だ。

 よくこれをオペラにしたものだと思った。ムンクはムンクでいいが――変な言い方だが――、それをオペラにする感覚がすごい。あの音楽は、甘く、苦く、一筋縄ではいかない音楽だったと記憶しているが、さて、どうだったろう。

 では、話を本題に戻して、都響。1曲目は安良岡章夫(1958‐)の「レイディアント・ポイント2」(注)。独奏打楽器とオーケストラのための曲だ。独奏は安江佐和子。その力量は高く、打楽器だけ聴いていると面白いのだが、曲としては意外に‘熱さ’を感じなかった。

 2曲目は同じ作曲家の「ヴィオラとオーケストラのためのポリフォニア」。ヴィオラ独奏は川本嘉子。これは面白かった。ヴィオラとオーケストラがかみ合っている。とすると、前曲ではそれが足りなかったのか。振り返ってみると、前曲では独奏打楽器とオーケストラとの関係がよそよそしく、オーケストラが一歩引いていたような感じがする。

 3曲目はシェーンベルクの「5つの管弦楽曲」。この曲を聴くのは久しぶりなので、楽しみにしていたが、正直いって、つまらなかった。音を置きにいっているというか、端的にいって、ちっとも表現主義的に聴こえなかった。申し訳ないが、その責めは指揮者に負ってもらいたいと思うのだが。

 面白かったのは片山杜秀のプログラム・ノートだ。シェーンベルクの妻マティルデは若い画家のゲルストルと恋におち、1908年の夏に家出した。同年10月に妻は家に戻り、12月にゲルストルは自殺した。このエピソードはよく「弦楽四重奏曲第2番」と関連付けて語られるが、片山杜秀は「5つの管弦楽曲」と関連させ、絵解きのように解説してみせた。
(2014.1.23.東京文化会館)

(注)「2」はローマ数字の大文字だが、変換できないので「2」とした。
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アバド逝去

2014年01月22日 | 音楽
 アバド逝去にともなってウェブ上では哀悼の言葉が飛び交っている。正直いってちょっと意外だった。こんなに人気があったのか、と。でも、よく見ると、「あまり熱心に聴いていたわけではないが」という言葉が付け加えられているケースが目立った。この辺が日本でのアバド受容の微妙なニュアンスを物語っているように思った。

 わたしも感じるところがあって、ツィッターで2度ほど呟いた。でも、呟かなければよかった。かえって中途半端な気がした。なんだか消化不良になった。もう少しまとめておかないと、落ち着かない気分になった。

 アバドは現代音楽に熱心だった。またロッシーニにも熱心だった。今のようにロッシーニが盛んに演奏され、また上演される前の時代だった。そういう意味で、レパートリーに一風変わった視野の広さがあった。ベートーヴェンやブルックナーやワーグナーも演奏した。でも、少なくとも若い頃は、そんなに熱心ではなかった。いや、正確にいうと、それらを繰り返し演奏して名声を築くタイプではなかった。

 こういう指揮者がミラノやウィーンやベルリンで、いわば保守本流のポストを得ることには、ちょっと無理があったというか、アバド自身無理をしているような感じがした。もちろん野心はあったろう。またエリート中のエリートとしてプライドもあったろう。なので、それらのポストは望んで得たポストだったろう。でも、アバドの資質には完全には一致していなかったと思う。

 一方、わたしたち聴衆には、新たな可能性を切り拓くのではないか、という期待があった。ベルリン・フィルのプログラムは一新した。少なくともアバドが振るときのプログラムは創意工夫にあふれた新鮮なものになった。

 なので、新時代の到来に一役買ったことはまちがいない。こうしたことは、ロンドンのポストを続けていれば、もっと楽にできたかもしれない。でも、あえてベルリンのポストで遂行したことに意味があったのかもしれない。

 ベルリンでは闘病との二足のわらじを余儀なくされた。苦しかったろう。ポストを辞任した後は、自由に、やりたいことをやれる立場になった。この頃の録音には驚くべきものがある。アバドはこんな境地に到達したのかと――。

 アバドが果たした役割はなんだったのか。20世紀の終わりから21世紀の初めにかけて、どのような橋渡しをしたのか。それらを解明する評伝がいずれ書かれるのではないか。それを待ちたい。
コメント (3)
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宮本文昭/東京シティ・フィル

2014年01月20日 | 音楽
 東京シティ・フィルはこれまで音楽監督宮本文昭の指揮でブラームスの交響曲を第1番、第2番と演奏してきた。今回は第4番。残るは第3番だが、これはどうなるのだろう。というのは、来シーズンのチラシを見ると、「宮本文昭が指揮者としてのファイナルイヤーを迎えます」と書いてあるからだ。これは、具体的には、どういうことを意味するのだろう。

 ともかく、今回は第4番。以下、演奏順に記すと、1曲目はブラームスの「悲劇的序曲」。冒頭でいつもより低弦がたっぷり鳴っているように感じられた。宮本文昭の思い入れかなと思った。だが、残念ながら、中間部――弱音で行進曲風に推移する部分――は音楽が薄くなった。一旦そがれた感興はもう元に戻らなかった。

 2曲目はブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番。ヴァイオリン独奏は大谷康子。今は東京交響楽団のソロ・コンサートマスターだが、以前は東京シティ・フィルのコンサートマスターだった。当時を知る人は懐かしいだろう。

 大谷康子の独奏を聴くのはこれが初めてではないが、まずその明るいステージマナーに感心してしまった。愛嬌たっぷり。ステージに登場したそのときから聴衆の心をつかんでしまう。演奏にも感心した。主張が強い。十分に手の内に入っている曲なのだろう。歌舞伎役者が見得を切るような、そんなピタッと決まった演奏だった。

 長年オーケストラのなかにいて、しかも独奏者としての資質を失わないことは、すごいことだ。だれにでもできることではない。そうとう強い人なのだろう。

 アンコールが演奏された。クライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ・カプリス」という曲だった。だれの曲だろうと思った。

 3曲目はブラームスの交響曲第4番。驚いたことには、第1ヴァイオリンの最後列で大谷康子が弾いていた。ものすごいサービスぶりだ。こういうことで会場は盛り上がる。まさにライヴの楽しさだ。

 宮本文昭のブラームスは――ブラームスにかぎらず、他の音楽でもそうだが――外向的だ。内面に沈潜する演奏ではない。それはわたしの感じるブラームスではないので、今まで違和感があった。でも、今回やっと整理がついた。わたしのなかの収まるべき場所に収まった。第3楽章ではその疾走する演奏に納得した。

 いつものことだが、木管の若手が健闘していた。ソロの聴かせかたがうまい。宮本文昭の薫陶のたまものだと思う。
(2014.1.18.東京オペラシティ)
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鉄くず拾いの物語

2014年01月19日 | 映画
 映画「鉄くず拾いの物語」。ボスニア・ヘルツェゴヴィナのロマの物語。夫ナジフは鉄くず拾いで生計を立てている。妻セナダは家事の一切を切りまわしている。かれらには2人の子どもがいる。貧しいながらも幸せな暮らしだ。セナダは身ごもっている。ある日、セナダは腹痛を訴える。普通の痛さではない。流産だ。手術をしないと命にかかわる。だが、保険証がない。お金もない。ナジフは八方手を尽くすが――。

 もしわたしだったらどうするだろう、と思った。真っ先に浮かんだのは、犯罪をおかすのではないか、ということだ。もちろん、わたしにそんなことができるはずもない。では、ほかにどうしたらいいんだ、とも思った。

 ナジフはそんなことは考えずに、懸命にあらゆるツテを頼っていく。立派だなと思った。かりに犯罪などおかしたら、万が一それに成功したとしても、家族は崩壊してしまうだろう。

 ナジフは親類の助力を得て、あまり大っぴらにはいえない方法で、このピンチを切り抜ける。家族にもとの日常が戻ってくる。貧しいが幸せな暮らし。短絡的な行動をとらなかったおかげだ。

 観終わって、暖かいものが残る映画だ。人間の一番大事なことを教えてくれる。これは実話だ。2011年に起きて、現地の新聞に報道された。それを読んだダニス・タノヴィッチ監督が当人と会い、――驚くべきことに――当人を使って映画にした。

 保険証がない、お金もない、なので、医療にかかれない、という現実は、今の日本にもありそうだ。ある医療ジャーナリストが「これは遠い国の物語ではない! 既に、この国でも起きている現実だ」とコメントしている。そういう現実をどうするか、という問題とあわせて、当事者になった場合を考えると、なんとも心寒い思いがした。

 2人の子どもが可愛い。妻(=母)セナダは命が危ないのだが、子どもたちは、そんなことにはお構いなく、セナダに甘え、ナジフに甘える。愛情たっぷりに育てられている。お金はなくて貧しいが、子どもたちは幸せそうだ。きっと立派に育つだろう。大人になってもロマにたいする差別はなくなっていないかもしれないが、それに耐えて人間として立派に生きるにちがいない。

 ナジフの家は雑然とした環境のなかにある。でも、家のなかはこざっぱりしている。これがロマの人々の一般的な暮らしらしい。そんなことも教えられた。
(2014.1.17.新宿武蔵野館)

↓予告編
http://www.youtube.com/watch?v=bFvMJ7pBTQI
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カンブルラン/読響

2014年01月15日 | 音楽
 カンブルラン指揮の読響。1曲目はジョヴァンニ・ガブリエリの「カンツォーナ」。これはガブリエリの代表作の一つ「サクラ・シンフォニア」からカンブルランが何曲か選んで‘編曲’したもの。事前に‘編曲’とは意識していなかったので、戸惑った。

 カンブルランの編曲は、一言でいうと、室内オーケストラ版。第1群(木管)、第2群(金管)、第3群(弦)に分かれているので、各声部の動きがわかりやすい。面白かったのは楽器の配置だ。木管(2Ob、1E.Hr、3Fg)と金管(3Tp、3Tb)はパートごとにまとまらずに、交互に並んでいた。そのせいかどうか、まろやかにブレンドされた音色の、みやびな演奏になっていた。

 2曲目はベリオの「フォルマツィオーニ」(1987)。これも変わった楽器配置だった。指揮者の右側に木管楽器。なので、普通コンサートマスターがいる場所にはフルート奏者がいる。その他、通常の楽器配置を一旦解体して、再構築を試みたというか、――わたしの実感からいえば――ひび割れた状態で配置したかのようだ。参考までに、読響のHPに配置図が載っているので貼付する(↑)。

 このような楽器配置でどのような音楽が生まれるかというと、――この曲では絶えずさまざまな音が動いているのだが――それらの音があっちに行ったり、こっちに来たり、また思いがけないところで渦を巻いたり、という運動感があった。

 それにしてもベリオは、その翌年(1988)には「エコーイング・カーヴ」を書いて、やはり特殊な楽器配置をとった(2012年に都響が演奏したときには、びっくりした)。この時期のベリオは特殊な楽器配置を試みていたのだろうか。それとも、ベリオにかぎらず、そういう時代風潮があったのだろうか。

 演奏は、肩の力を抜いた柔軟なアンサンブルが、見事というレベルを通りこして、ほれぼれするほどだった。

 3曲目はベルリオーズの「イタリアのハロルド」。ヴィオラ独奏はソロ・ヴィオラ奏者の鈴木康治。これも名演だった。ヴィオラの豊かな音、オーケストラの奔放な動き、ともに今後忘れそうもない。

 第4楽章(最終楽章)の終結部でちょっとした仕掛けがあった。今まで気が付かなかったが、一瞬、弦楽四重奏になる箇所があり、2VnとVcはパイプオルガンの前で、VlaはPブロックの最前列で演奏した。この箇所を印象付ける見事な演出だった。
(2014.1.14.サントリーホール)
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中川賢一の流儀

2014年01月14日 | 音楽
 世田谷美術館で「実験工房」展が開かれている。それだけでも興味を惹かれるが、さらにその関連コンサート「中川賢一の流儀」が開催された。武満徹のピアノ作品(ほぼ全曲)とオリヴィエ・メシアンの2台ピアノのための「アーメンの幻影」。これには飛びついた。

 第1部は武満徹のピアノ作品集。最初に武満徹の没後に発見された最初期の作品「ロマンス」(1948/49)とTV番組「ピアノのおけいこ」のために書かれた「こどものためのピアノ小品」(1978)が演奏された。あとは作曲順の演奏。初期の「二つのレント」(1950)を改作した「リタニ」(1989)は、構造がほとんど変わっていないという理由で、1曲目に演奏された。

 「リタニ」の第1曲はわたしの大好きな曲だ。そこには実験工房に参加するころの武満徹の詩心が刻印されていると思う。まだ世界のタケミツへと羽ばたく前の時期。「弦楽のためのレクイエム」(1957)に至る道程の最初の数歩の一つ。

 「ピアノ・ディスタンス」(1961)は同年のオーケストラ作品「樹の曲」を連想させる点描風の曲。試行錯誤の時期か。そして迎える「フォー・アウェイ」(1973)はオーケストラ作品「鳥は星形の庭に降りる」(1977)へと至る実り豊かな道程の第一歩。

 途中休憩が30分ほどあったので、「実験工房」展を見学した。湯浅譲二氏のアルバムが展示されていた。当時(実験工房は1951年に結成)の写真なので、一枚一枚が小さい。それらがアルバムに几帳面に貼られていた。

 会場に戻ったら、湯浅氏ご本人の姿をお見かけした。聴きにいらしてるのだ――。

 第2部はメシアンの「アーメンの幻影」。まず中川氏によるアナリーゼがあった。これがひじょうに面白かった。普通の音階とメシアンの音階とのちがい、この曲のテーマとその変容の過程、第1ピアノと第2ピアノの役割など。

 演奏に入る前に湯浅氏がスピーチをした。「アーメンの幻影」は実験工房が初演したが、そのとき、秋山邦晴が某音楽評論家(武満徹の「二つのレント」を「音楽以前である」と書いた人)に聴きに来るようにお願いに行ったら、「ほう、メシアンか、有名になったら聴きに行くよ」といわれたそうだ。そんな時代を歩んできた湯浅氏とこの空間をともにして、今その曲に耳を傾けていると思ったら、感動がこみ上げてきた。演奏にも圧倒された。共演は稲垣聡氏。
(2014.1.12.世田谷美術館講堂)
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秋山和慶/都響

2014年01月12日 | 音楽
 都響の定期Bシリーズ、「日本管弦楽の名曲とその源流」の第17回。秋山和慶の指揮。今年初めて聴く演奏会だ。

 1曲目はフリードリヒ・チェルハ(1926‐)の「シュピーゲル(鏡)」第2曲。55人の弦楽器奏者によって演奏される曲。スコアは55段組み。その見開きページがプログラムに印刷されていた。どう見ても右上から左下にかけての対角線上に楕円形が見える。片山杜秀氏のプレトークで事情が判明した。楕円形のその内側(白抜きの部分)には音符がなく(つまり休止)、楕円形の外側(黒い部分)には音符が書かれているとのこと。さらに驚くことには、各見開きページに同様のグラフィック(菱形や四角など)が見られるとのこと。

 もっとも、問題は――というか、重要なことは――それがどういう音楽を形成するかだが、55人の奏者がほんのわずかずつズレながら集団に入り、かつまた離れていく推移が、たとえていうなら、無数の虫が飛んでいくときに、集団の形が少しずつ変わっていくような印象を受けた。

 こういうことは電子音楽でやれば簡単なのかもしれない。でも、それを生身の人間にやらせることに――ある意味、過酷な――ライヴ感があった。チェルハは「ルル」を補筆・完成させた人だが、こういう音楽を書いていたのか。

 2曲目は原田敬子の「エコー・モンタージュ」。予定されていた新曲がこれに差し替えられた。事情は知らないが、ツィッターの世界ではとんでもない憶測(=デマ?)が流れていた。まったくどうしようもない世の中だ。

 事情はどうであれ、この曲を聴けてよかった。じつに大胆かつ鮮烈な曲だ。決然としたたたずまいは驚嘆に値する。その才能は群を抜いている。この曲はN響の委嘱作品で、Music Tomorrow2008で初演され、尾高賞を受賞し、翌年再演された。わたしはどちらも聴いていないので、よい機会だった。

 以上2曲は演奏困難な曲だと思うが、さすがに都響は見事に演奏した。今は絶好調なのだろう。秋山和慶の指揮も見事だ。昔から――若手指揮者の頃から――ずっと聴いてきたが、ベテラン指揮者になった今でもこれらの曲に果敢に挑む姿勢がうれしい。

 3曲目は池辺晋一郎のシンフォニー5「シンプレックス」(注)。原田作品にくらべると50年以上前の作品のように聴こえるが、これはこれでいい。わたしたち聴衆を解放して演奏会を終わらせてくれた。
(2014.1.10.サントリーホール)

(注)「5」は正しくはローマ数字の大文字です。このブログでは変換できないので、「5」としました。
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クーデルカ展

2014年01月09日 | 美術
 以前プラハに行った折にチェコ・フィルを聴きにいった。当時の首席指揮者ズデニェク・マーカルの指揮でラフマニノフのピアノ協奏曲第3番とチャイコフスキーの交響曲第3番だった。ピアノ独奏はアレクサンダー・トラーゼ。そのピアノが大熱演で会場は湧きにわいた。終演後、ヴルタヴァ川(モルダウ川)に沿った道を歩いた。対岸にはプラハ城が美しくライトアップされていた。「きれいだな」と思った。

 プラハは20世紀に2度にわたって外国からの侵攻を受けた。一度はナチス・ドイツによって。もう一度は‘プラハの春’のときにソ連が主導するワルシャワ条約機構軍によって。「そんな苦難の歴史にあって、プラハの市民を支えたのは、このプラハ城の美しさだったかもしれない」と思った。

 写真家ジョセフ・クーデルカ(1938‐)は、ワルシャワ条約機構軍のプラハ侵攻の前日に、たまたまプラハに帰っていた。クーデルカはフォト・ジャーナリストではないが、この事態に直面して写真を撮りまくった。それらのフィルムは密かに外国に持ち出され、翌年発表された。

 そのときの写真をふくむジョセフ・クーデルカ展が開催中だ。プラハ侵攻の写真のほとんどは見た記憶があるが、写真集とはちがって、大きく引き伸ばされた写真を会場で見て、意外なことがあった。わたしの記憶では、当時の喧騒を生々しく伝えるものと思っていたが、意外に静かな印象なのだ。静かに――でも永遠に――当時の人々の驚き、怒りそして悲しみを語っているような印象だった。

 もっとも、プラハ侵攻の写真はわずか9点で、今回展示の約280点のごく一部にすぎない。それはもっともなのだ。1960年前後から写真を撮りだして、現在もまだ現役なのだから、50年あまりのキャリアのなかのほんの数日のことだ。

 1962‐1970年は「ジプシーズ」のシリーズ。ヨーロッパ社会の底辺にいるロマの人々を撮っている。

 1970‐1994年は「エグザイルズ(流浪者・亡命者)」のシリーズ。クーデルカは1970年に祖国を去った。流浪者・亡命者となったクーデルカの目(=カメラ)がとらえたヨーロッパ各地の風景。なんの変哲もない街の風景(たとえば道端のベンチ)にさえ疎外感を感じる心情。

 考えてみれば、ロマの人々も流浪者だった。今度はクーデルカ自身がそうなってしまった。いわばコインの表裏の関係かもしれない。
(2014.1.8.東京国立近代美術館)

↓本展のHP
http://www.momat.go.jp/Honkan/koudelka2013/index.html
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「ルノワール礼讃」展

2014年01月07日 | 美術
 最近は年末年始のどこかで箱根の山に登るのが恒例になっている。今年は1月4日に明神岳~明星岳に登り、下山後いつもの宿で一泊した。その日のうちに帰れる距離なのだが、温泉の魅力には逆らえない。

 翌日はポーラ美術館へ。「ルノワール礼賛」展が開催中だ。モネのコレクションは上野に出張中なので、その穴埋めかと思ったが、なかなかどうして、充実の内容だ。ルノワールの所蔵品14点を中心に、晩年のルノワールを敬慕した画家たち(マティスをはじめボナールやピカソ、梅原龍三郎など)の作品を集めたもの。すべて同美術館の所蔵品だが、たんなる‘所蔵品展’ではなく、「ルノワール礼賛」という切り口で構成した点が新鮮だ。

 なかでもハッとしたのは、ルノワールの手紙だ。1914年に知人に出したもの。1914年といえば第一次世界大戦が始まった年だ。ルノワール(1841‐1919)自身は高齢だが、長男と次男を兵隊にとられ、同年10月、長男は重傷を負い、次男も軽傷を負った。この手紙には当時のルノワールの暗澹たる想いが滲み出ている。

 さらに翌年、次男は再び戦地に戻り、今度は重傷を負った。ルノワールの妻が見舞いに行った。そして今度は妻が、帰宅後、病気で急逝してしまった。

 ルノワールの最晩年に当たるこの時期、ルノワールはあの豊満な裸体画を次々に描いた。赤っぽい色調の暖かい画面。一点の曇りもない、生を謳歌するような作品群。

 じつはわたしは、今まで、それらの裸体画のよさがわからなかった。ルノワールの作風は生涯にわたって変遷し続けたが、その最後に来るあの裸体画は苦手だった。ところがこの手紙を読んで、わかった気がした。ちょうど湖をのぞき込むように、あの裸体画には透けて見える湖底があり、そこにはルノワールの苦渋が堆積しているのだ。目には見えないその二重構造があるからこそ、あの裸体画は美しいのだと思った。

 1914年はちょうど100年前だ。第一次世界大戦のメモリアルイヤーに当たる今年、その最初に見る展覧会がこれだったとは、なんという巡りあわせだろう。

 なお、後日談というか、付け加えると、家に帰って新聞を開いたら(当日の日経新聞)、見てきたばかりのこの展覧会の記事が載っていた。しかもあの手紙が引用されていた。驚くと同時に、我が意を得たり、という気にもなった。あの手紙にはだれでも注目するのだろうと思う。
(2014.1.5.ポーラ美術館)

↓本展のHP
http://www.polamuseum.or.jp/exhibition/20131201s01/
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ベートーヴェン弦楽四重奏曲【9曲】演奏会

2014年01月01日 | 音楽
 大晦日はベートーヴェンの弦楽四重奏曲の演奏会へ。午後2時から夜9時半までベートーヴェンと向き合った。

 まず、開演に先立ち、午前11時半から午後1時まで「ベートーヴェンを語る」と題した鼎談があった。メンバーは土田英三郎、平野昭、野平一郎の各氏。今、日本でベートーヴェンを語らせたら、一番面白そうな皆さんだ。案の定面白かった。概要は「音楽の友」に載るそうだ。

 午後2時からは演奏会。お隣の大ホールではベートーヴェンの交響曲全9曲の演奏会が進行中。あちらは一人の指揮者と一つのオーケストラによるマラソン・コンサートだが、こちらは3つの弦楽四重奏団による駅伝コンサート。

 まず古典四重奏団によるラズモフスキー3曲。こういってはなんだが、率直にいわせていただくと、ちょっと華奢だったかなと。ベートーヴェンの――とくにこの第1番の――雄渾な音楽が、出てこなかった。第2番になったら、ぐっとよくなったけれど。でも、よかったことを前提にいうと、箱庭的な感じがした。

 次にルートヴィヒ弦楽四重奏団。変ホ長調作品127、変ロ長調作品130そして大フーガ作品133。ここからは‘後期の弦楽四重奏曲’の全曲演奏だ。ルートヴィヒ弦楽四重奏団は日本のメジャーオーケストラの現・元コンサートマスターと首席奏者たちの集まりだけあって、鳴り方がちがう。音楽の振幅が大きい。さすがというべきだ。

 こんなことをいうと顰蹙をかうかもしれないが、ベートーヴェンはなぜ生涯の最後に作品130の終楽章を書き換えたのだろう。今更のようにそう思った。終楽章が大フーガのままだったら、作品130は巨大な‘謎の音楽’として聳え立っていただろう。ベートーヴェンが書き換えた終楽章は、少なくとも今回は、少しも面白く聴こえなかった。

 最後はクヮルテット・エクセルシオによる嬰ハ短調作品131、イ短調作品132、ヘ長調作品135。2013年は嬰ハ短調作品131の当たり年だった。映画「25年目の弦楽四重奏」はこの曲をモチーフにしていたし、演劇「OPUS/作品」もそうだった。1年の最後にこの曲を聴けて、いい締めくくりになった。

 クヮルテット・エクセルシオは、さすがに常設の四重奏団だけあって、よく目の詰んだアンサンブルだった。音色も艶があって美しい。嬰ハ短調作品131など、冬の澄み切った夜空を見上げるようだった。
(2013.12.31.東京文化会館小ホール)
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