ピアニストの小川典子は、エッセイも巧みだ。そのエッセイ集「夢はピアノとともに」(時事通信社、2008年)を読んでいたら、次のような一節があった。
「現在の私は、ドビュッシーがピアノ曲としては最後に書き上げた『練習曲集』に取り組んでいる。晩年のドビュッシー本人が、自ら「満足している」とした曲集である。ドビュッシー音楽世界の洗練の極致をいくこの曲集では、過去に書かれた曲を思わせるモチーフが水面にしょっちゅう顔を出すものの、すぐに、音の海の中に引っ込められてしまう。それまでの耳に馴染みやすい音楽から脱却を図り、実験的とも思われる技術的な題名で、音の動きの可能性を極限まで広げた。それが、この『練習曲集』である。」(「ドビュッシーのいる風景」より)
小川典子の思い入れが伝わる文章だ。私事だが、わたしは2009年8月に小川典子の「ドビュッシーの日」と題する演奏会に行った。午後1時から夜の8時までの、ドビュッシーだけで構成するマラソン・コンサートだった。わたしはその中でも最後の「12の練習曲」の濃密な演奏に圧倒された。その演奏が始まると、会場の空気が一変した。
上掲の文章を読んで、その演奏を想い出した。懐かしくなったので、ナクソス・ミュージックライブラリーで小川典子の同曲のCDを聴いてみた。滑らかな流れと仕上げのよさで高品質な演奏だが、わたしの記憶とは多少ニュアンスが違う。わたしの記憶違いかもしれないし、CDと実演との違いかもしれないが。
わたしはその感想の当否を確かめるために、他のピアニストの演奏も聴いてみた。名曲中の名曲なので、CDは何種類もあるが、わたしがいままで慣れ親しんできたマウリツィオ・ポリーニとピエール=ロラン・エマールの演奏を選んだ。
ポリーニの演奏で聴くと、小川典子とは別の曲のように聴こえた。ドビュッシーの詩情を削ぎ落した硬質の音響といったらよいか、あるいは20世紀の音楽から逆照射したドビュッシーといったらよいか。それに比べると、小川典子の演奏は19世紀末のロマンティシズムの延長線上にあると思った。
「12の練習曲」は、前半6曲が運指に重点をおき、後半6曲が響きに重点をおくとよくいわれるが、ポリーニの演奏では、前半6曲は素っ気なく、後半6曲がおもしろかった。一方、エマールの演奏では、前半6曲がおもしろかった。端的な例は第1曲「5本の指のために」だ。エマールの演奏で聴くと、さまざまなパーツがいったん解体されて、バラバラになったパーツをもう一度組み立てたような、自由なアーティキュレーションとリズムが展開する。そのおもしろさに目を丸くした。
「現在の私は、ドビュッシーがピアノ曲としては最後に書き上げた『練習曲集』に取り組んでいる。晩年のドビュッシー本人が、自ら「満足している」とした曲集である。ドビュッシー音楽世界の洗練の極致をいくこの曲集では、過去に書かれた曲を思わせるモチーフが水面にしょっちゅう顔を出すものの、すぐに、音の海の中に引っ込められてしまう。それまでの耳に馴染みやすい音楽から脱却を図り、実験的とも思われる技術的な題名で、音の動きの可能性を極限まで広げた。それが、この『練習曲集』である。」(「ドビュッシーのいる風景」より)
小川典子の思い入れが伝わる文章だ。私事だが、わたしは2009年8月に小川典子の「ドビュッシーの日」と題する演奏会に行った。午後1時から夜の8時までの、ドビュッシーだけで構成するマラソン・コンサートだった。わたしはその中でも最後の「12の練習曲」の濃密な演奏に圧倒された。その演奏が始まると、会場の空気が一変した。
上掲の文章を読んで、その演奏を想い出した。懐かしくなったので、ナクソス・ミュージックライブラリーで小川典子の同曲のCDを聴いてみた。滑らかな流れと仕上げのよさで高品質な演奏だが、わたしの記憶とは多少ニュアンスが違う。わたしの記憶違いかもしれないし、CDと実演との違いかもしれないが。
わたしはその感想の当否を確かめるために、他のピアニストの演奏も聴いてみた。名曲中の名曲なので、CDは何種類もあるが、わたしがいままで慣れ親しんできたマウリツィオ・ポリーニとピエール=ロラン・エマールの演奏を選んだ。
ポリーニの演奏で聴くと、小川典子とは別の曲のように聴こえた。ドビュッシーの詩情を削ぎ落した硬質の音響といったらよいか、あるいは20世紀の音楽から逆照射したドビュッシーといったらよいか。それに比べると、小川典子の演奏は19世紀末のロマンティシズムの延長線上にあると思った。
「12の練習曲」は、前半6曲が運指に重点をおき、後半6曲が響きに重点をおくとよくいわれるが、ポリーニの演奏では、前半6曲は素っ気なく、後半6曲がおもしろかった。一方、エマールの演奏では、前半6曲がおもしろかった。端的な例は第1曲「5本の指のために」だ。エマールの演奏で聴くと、さまざまなパーツがいったん解体されて、バラバラになったパーツをもう一度組み立てたような、自由なアーティキュレーションとリズムが展開する。そのおもしろさに目を丸くした。