新国立劇場の「タンホイザー」、2007年の初演のときも観ているが、天井桟敷の席だったので、半透明の円柱に投影される映像がよく見えず、もどかしい思いがした記憶がある。今回は1階席だったので、よく見えた。照明とも相俟って、これは美しい舞台だ――思ったよりも美しい舞台だ――と思った。
演技も、思ったよりも細かいことをしていた。記憶では、なにもしていないと思っていた。一例をあげると、歌合戦の場面で騎士たちが登場するとき、タンホイザー、ヴォルフラム、ビーテロルフが、細かく描き分けられていた。これなどはあまり本質的なことではないが、観ていて面白かった。もっと本質的なことでは、第2幕の幕切れでローマに旅立つタンホイザーと、それを見送る人々の背後で、エリーザベトが、悲劇的な結末を予感したかのように、絶望的にくずおれる演技があった。これは感心した点の一つだ。
音楽面では前回の記憶はあまりないのだが――もっとも、第2幕のアンサンブルがばっさりカットされていたので、ショックを受けた記憶はあるが――、今回は声楽陣の優秀さに強い印象を受けた。
タンホイザー役のスティー・アナセンは、もう何十年も聴いている歌手だ。輝かしい声のヘルデン・テノールというよりも、ちょっと湿った、翳のあるタイプだ。この役には合っていると思うが――以前ミュンヘンで聴いたことがある――、年齢的にどうかと危ぶんでいた。でも、そんなことはなかった。瑞々しさを失っていなかった。本調子ではなかったようだが、生身の人間のこと、それは仕方がない。
エリーザベト役のミーガン・ミラーは、ウィーンでダフネを聴いたことがあるが、今回のほうが精彩があった。ヴェーヌス役のエレナ・ツィトコーワは、いつもながらその個性的な声に惹きつけられた――わたしはファンの一人だ――。領主ヘルマン役のクリスティン・ジグムンドソン、ヴォルフラム役のヨッヘン・クプファー、ともに上出来だ。
合唱の素晴らしさは、皆さんがいうとおりだ。とくに今回は、作品のせいもあって、その均質なソノリティに感銘を受けた。
指揮のコンスタンティン・トリンクスは、わたしの注目する指揮者だ。この人の指揮にはドラマトゥルギーがあると思う。今回もその片鱗が窺えた。だが、どういうわけか、今まで感じられたしなやかさが、今回は欠けていた。音楽のもって行き方が強引に感じられる箇所があった。
(2013.1.30.新国立劇場)
演技も、思ったよりも細かいことをしていた。記憶では、なにもしていないと思っていた。一例をあげると、歌合戦の場面で騎士たちが登場するとき、タンホイザー、ヴォルフラム、ビーテロルフが、細かく描き分けられていた。これなどはあまり本質的なことではないが、観ていて面白かった。もっと本質的なことでは、第2幕の幕切れでローマに旅立つタンホイザーと、それを見送る人々の背後で、エリーザベトが、悲劇的な結末を予感したかのように、絶望的にくずおれる演技があった。これは感心した点の一つだ。
音楽面では前回の記憶はあまりないのだが――もっとも、第2幕のアンサンブルがばっさりカットされていたので、ショックを受けた記憶はあるが――、今回は声楽陣の優秀さに強い印象を受けた。
タンホイザー役のスティー・アナセンは、もう何十年も聴いている歌手だ。輝かしい声のヘルデン・テノールというよりも、ちょっと湿った、翳のあるタイプだ。この役には合っていると思うが――以前ミュンヘンで聴いたことがある――、年齢的にどうかと危ぶんでいた。でも、そんなことはなかった。瑞々しさを失っていなかった。本調子ではなかったようだが、生身の人間のこと、それは仕方がない。
エリーザベト役のミーガン・ミラーは、ウィーンでダフネを聴いたことがあるが、今回のほうが精彩があった。ヴェーヌス役のエレナ・ツィトコーワは、いつもながらその個性的な声に惹きつけられた――わたしはファンの一人だ――。領主ヘルマン役のクリスティン・ジグムンドソン、ヴォルフラム役のヨッヘン・クプファー、ともに上出来だ。
合唱の素晴らしさは、皆さんがいうとおりだ。とくに今回は、作品のせいもあって、その均質なソノリティに感銘を受けた。
指揮のコンスタンティン・トリンクスは、わたしの注目する指揮者だ。この人の指揮にはドラマトゥルギーがあると思う。今回もその片鱗が窺えた。だが、どういうわけか、今まで感じられたしなやかさが、今回は欠けていた。音楽のもって行き方が強引に感じられる箇所があった。
(2013.1.30.新国立劇場)