ハロルド・ピンターの「温室」を観た。不条理劇の代表作の一つだが、不条理劇というよりも、今の社会に照らして(それは昔から変わらない、といったほうがよいかもしれないが)、妙にリアルな感じがした。
先に結論をいってしまったが――、今回の演出では、国家という巨大な権力組織が暗雲のように頭上を覆う、というようなカフカ的な状況を感じるよりも、一人の男(名前はギブズ)が嘘とでっちあげで権力の座にすわる過程を描いている、と感じられた。ありもしないことをあったといい、あったことをなかったといいながら、人を出し抜いて権力をつかむ、そういう人間は身近にいくらでもいる。そのことをリアルに描いていると感じられた。
だから、ひじょうにわかりやすかった。シャープな感じがした。不条理劇ということを意識しなかった。演出は深津篤史(ふかつ・しげふみ)さん。1967年生まれ。作品の本質(と考えるもの)にストレートに迫った演出だ。
もう一つ特筆すべきことは、池田ともゆきさんの舞台美術だ。小劇場の平土間の中央に舞台を設け、客席は二分されている。ロビーから入ると手前側の客席と向こう側の客席。舞台は回り舞台になっていて、大きな円盤が回転している。場面転換のために回転するのではない。つねに回転している。その速さが時々変わる。登場人物の心理(ドラマの緩急)を反映しているのだ。
幕切れにはだれでも知っているメロディーが流れてくる。心にしみるアンティークな音だ。古いレコードから流れてくるような音、と思ったら、ハッとした。舞台の円盤はレコードのターンテーブルではなかったのか。レコード針がレコードの溝をたどるように、いつもグルグル回り、同じところを回っているようでいて、少しずつ変化し、やがて結末を迎える――その象徴ではなかったのか。
ギブズを演じたのは高橋一生(たかはし・いっせい)さん。ギブズの上司のルートを演じたのは段田安則(だんた・やすのり)さん。この二人が出ずっぱりだ。高橋さんも段田さんも「巨悪」として演じるよりも、むしろわたしたちと同じ等身大の人間として演じていた。わたしたちの身近にいる人間。心当たりが何人もいる人間。そのほうが恐い――。
戯曲は2幕構成だが、途中休憩なしで上演された。上演台本でのカットはあったようだ。そのためかどうかはわからないが、後半の展開がやや唐突に感じられた。
(2012.6.26.新国立劇場中劇場)
先に結論をいってしまったが――、今回の演出では、国家という巨大な権力組織が暗雲のように頭上を覆う、というようなカフカ的な状況を感じるよりも、一人の男(名前はギブズ)が嘘とでっちあげで権力の座にすわる過程を描いている、と感じられた。ありもしないことをあったといい、あったことをなかったといいながら、人を出し抜いて権力をつかむ、そういう人間は身近にいくらでもいる。そのことをリアルに描いていると感じられた。
だから、ひじょうにわかりやすかった。シャープな感じがした。不条理劇ということを意識しなかった。演出は深津篤史(ふかつ・しげふみ)さん。1967年生まれ。作品の本質(と考えるもの)にストレートに迫った演出だ。
もう一つ特筆すべきことは、池田ともゆきさんの舞台美術だ。小劇場の平土間の中央に舞台を設け、客席は二分されている。ロビーから入ると手前側の客席と向こう側の客席。舞台は回り舞台になっていて、大きな円盤が回転している。場面転換のために回転するのではない。つねに回転している。その速さが時々変わる。登場人物の心理(ドラマの緩急)を反映しているのだ。
幕切れにはだれでも知っているメロディーが流れてくる。心にしみるアンティークな音だ。古いレコードから流れてくるような音、と思ったら、ハッとした。舞台の円盤はレコードのターンテーブルではなかったのか。レコード針がレコードの溝をたどるように、いつもグルグル回り、同じところを回っているようでいて、少しずつ変化し、やがて結末を迎える――その象徴ではなかったのか。
ギブズを演じたのは高橋一生(たかはし・いっせい)さん。ギブズの上司のルートを演じたのは段田安則(だんた・やすのり)さん。この二人が出ずっぱりだ。高橋さんも段田さんも「巨悪」として演じるよりも、むしろわたしたちと同じ等身大の人間として演じていた。わたしたちの身近にいる人間。心当たりが何人もいる人間。そのほうが恐い――。
戯曲は2幕構成だが、途中休憩なしで上演された。上演台本でのカットはあったようだ。そのためかどうかはわからないが、後半の展開がやや唐突に感じられた。
(2012.6.26.新国立劇場中劇場)