Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

温室

2012年06月27日 | 演劇
 ハロルド・ピンターの「温室」を観た。不条理劇の代表作の一つだが、不条理劇というよりも、今の社会に照らして(それは昔から変わらない、といったほうがよいかもしれないが)、妙にリアルな感じがした。

 先に結論をいってしまったが――、今回の演出では、国家という巨大な権力組織が暗雲のように頭上を覆う、というようなカフカ的な状況を感じるよりも、一人の男(名前はギブズ)が嘘とでっちあげで権力の座にすわる過程を描いている、と感じられた。ありもしないことをあったといい、あったことをなかったといいながら、人を出し抜いて権力をつかむ、そういう人間は身近にいくらでもいる。そのことをリアルに描いていると感じられた。

 だから、ひじょうにわかりやすかった。シャープな感じがした。不条理劇ということを意識しなかった。演出は深津篤史(ふかつ・しげふみ)さん。1967年生まれ。作品の本質(と考えるもの)にストレートに迫った演出だ。

 もう一つ特筆すべきことは、池田ともゆきさんの舞台美術だ。小劇場の平土間の中央に舞台を設け、客席は二分されている。ロビーから入ると手前側の客席と向こう側の客席。舞台は回り舞台になっていて、大きな円盤が回転している。場面転換のために回転するのではない。つねに回転している。その速さが時々変わる。登場人物の心理(ドラマの緩急)を反映しているのだ。

 幕切れにはだれでも知っているメロディーが流れてくる。心にしみるアンティークな音だ。古いレコードから流れてくるような音、と思ったら、ハッとした。舞台の円盤はレコードのターンテーブルではなかったのか。レコード針がレコードの溝をたどるように、いつもグルグル回り、同じところを回っているようでいて、少しずつ変化し、やがて結末を迎える――その象徴ではなかったのか。

 ギブズを演じたのは高橋一生(たかはし・いっせい)さん。ギブズの上司のルートを演じたのは段田安則(だんた・やすのり)さん。この二人が出ずっぱりだ。高橋さんも段田さんも「巨悪」として演じるよりも、むしろわたしたちと同じ等身大の人間として演じていた。わたしたちの身近にいる人間。心当たりが何人もいる人間。そのほうが恐い――。

 戯曲は2幕構成だが、途中休憩なしで上演された。上演台本でのカットはあったようだ。そのためかどうかはわからないが、後半の展開がやや唐突に感じられた。
(2012.6.26.新国立劇場中劇場)
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下野竜也/読響

2012年06月25日 | 音楽
 下野竜也指揮読響のユニークなプログラム。今年前半で一番興味をひかれる演奏会だった。

 プログラム前半はコリリアーノの2曲。1曲目は「音楽に寄せて」。シューベルトの歌曲「楽に寄す」An die Musikを引用した曲だ。ノスタルジックな感情に浸った曲。客席に配されたバンダ(ホルン2、ピッコロトランペット2、トロンボーン2)が舞台上のオーケストラと応答する。

 2曲目はヴァイオリン協奏曲「レッド・ヴァイオリン」。演奏時間約35分の大曲だ。第1楽章シャコンヌだけで約18分を要する(プログラム・ノーツより)が、長さを感じさせず、変化に富んでいて面白い。主題は同名の映画(フランソワ・ジラール監督)の「アンナのテーマ」を使用している。映画は観ていないが、一度聴いたらすぐにわかる甘く優しいテーマだ。そのテーマが荒々しい嵐に翻弄される。以下、第2楽章~第4楽章は性格のはっきりした比較的短い音楽が続く。

 ヴァイオリン独奏はララ・セント・ジョン。体を揺らして激しく演奏する。コリリアーノの信頼が篤い人らしい(プログラムの紹介文より)。

 嬉しいことには、コリリアーノ本人がこの演奏会のために来日した。1938年生まれ。現代アメリカきっての売れっ子作曲家だ。演奏会の前にプレトークをした。本人の姿を見て、その声を聞くことは、得がたい経験だ。少し足を引きずっているように見えた。下野さんは今までに交響曲第1番と「ハーメルンの笛吹き幻想曲」を演奏している。そのような積み重ねが今回の来日に結び付いたのだろう。

 プログラム後半はHKグルーバーの「フランケンシュタイン!!」。これはぶっ飛んだ楽しい曲だ。大量のおもちゃの楽器が動員される。楽員が本来の楽器を脇に置いて、おもちゃの楽器を演奏する。その珍妙かつ玄妙な音。ヨーロッパの子どもたちに大人気の曲だそうだ(前掲のプログラム・ノーツより)。英語の歌が付いている。独唱(シャンソニエ)は宮本益光さん。わざわざウィーンのHKグルーバーに会いに行ったそうだ。演奏家の努力はすごい。

 HKグルーバーは2009年1月に指揮者として来日し、都響を振った。プログラムはジョン・ケージ、一柳慧、そしてコリリアーノの「ファンタスマゴリア」(歌劇「ヴェルサイユの幽霊」からの管弦楽組曲)だった。コリリアーノが抜群に面白かった。会場のサントリーホールも湧きに湧いた。
(2012.6.24.横浜みなとみらいホール)
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エロディアード

2012年06月24日 | 音楽
 東京オペラ・プロデュースの公演でマスネの「エロディアード」を観た。日本初演だそうだ。マスネ(1842~1912)の没後100年記念公演。

 エロディアードとはリヒャルト・シュトラウスの「サロメ」におけるヘロディアスのこと。サロメはもちろん、エロデ王(=ヘロデ)や預言者ジャン(=ヨカナーン)も出てくる。要するに「サロメ」の物語だ。原作はオスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」ではなく、フロベールの小説「ヘロディア」。

 事前にフロベールの小説を読んでみた(太田浩一訳、福武書店刊)。「ヘロディア」は「三つの物語」という短編集に収められている。第1作が「純な心」、第2作が「聖ジュリアン伝」、そして第3作が「ヘロディア」。フロベール最晩年の作品だ。

 ひじょうに面白かった。久しぶりに文学の面白さを味わった。驚くべきことは、3作品ともテーマや文体が異なることだった。まったく作風が異なる3作品が並んでいる。ちょうどプッチーニやヒンデミットの3部作のようだ。

 「ヘロディア」はイエスが布教を始めた時代の複雑な社会が、絵巻物のように豪華絢爛な文体で叙事的に描かれている。時代の変わり目に立たされたエロデ王の焦りが前面に出ている。サロメは脇役に過ぎない。このほうが新約聖書の記述に近い。ワイルドの戯曲はサロメを膨らませすぎていると感じられた。

 さて、このような準備をして臨んだ「エロディアード」の公演だが、これはフロベールの原作とは似ても似つかない作品だった。わざわざフロベールの名前を持ち出さなくても、ヨーロッパ人ならだれでも知っているサロメの逸話の自由な翻案と銘打てばよいような作品だった。

 それはそれでよい。オペラではよくあることだ。あとは音楽さえよければ――というわけだ。その音楽はよかった。聴かせどころがいくつかあった。たとえば第1幕最後のサロメとジャンの二重唱や第2幕前半のエロデ王のアリアなど。

 なので、このような珍しいオペラを紹介してくれた東京オペラ・プロデュースに感謝すればそれでよいのだが、いつもその活動を支持し、せっせと足を運んでいる者として、一言いわせてもらうなら、今回は少々低調だった。その理由はいくつかある。わたしなどがいうまでもなく、関係者はよくわかっているだろう。在京では随一のユニークな活動を続けている団体だけに、今後さらなる切磋琢磨をお願いしたい。
(2012.6.23.新国立劇場中劇場)
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ある音楽仲間の遺言

2012年06月21日 | 身辺雑記
 4月の初めに知人のTさんが亡くなりました。癌でした。お通夜には音楽仲間が集まりました。少人数のこじんまりしたお通夜でした。Tさんの遺志でモーツァルトの「グラスハーモニカ、フルート、オーボエ、ヴィオラ、チェロのためのアダージョとロンド」が流れていました。モーツァルトが亡くなる年に書いた曲です。Tさんらしい選曲だなと思いました。

 Tさんとはあるオーケストラの支援のなかで知り合いました。オーケストラは日本フィルです。当時、日本フィルは争議の真っ只中でした。今では想像もつかない苦難の時代でした。けれどもそういう日本フィルを支援しようという人も大勢いました。わたしはまだ大学生でしたが、アルバイトで貯めたお金で定期会員になりました。そのうち支援集会にも参加するようになりました。

 Tさんも定期会員でした。定期会員で組織した「山の会」の会長になりました。山の会は今も続いています。毎月一回、軽いハイキングからアルプス縦走まで実施する山好きの会です。お通夜に集まったのはその会のメンバーです。

 お清めの席は飲み会のようになりました。親戚の方々のひんしゅくを買ったのではないかと思います。時間になったので、退出しようとしたら、喪主のお姉さま(Tさんは独身でした)から「Tの顔を見て行ってほしい」といわれました。棺のなかのTさんは顔色がよくて、生きているようでした。紺の背広を着ていました。今にも起き上りそうでした。

 それから約3か月。今週19日に山の会のミニコンサートがありました。日本フィルの楽員を招いて室内楽を演奏してもらって、その後で懇親会を開く会です。話題はTさんのことになりました。Tさんは遺言で遺産の一部を日本フィルに寄付したそうです。額は「ウン百万円」とのことです。若いころは花屋さんで働いていましたが(Tさんはスミレが大好きでした)、会社と衝突して辞めてしまい、その後は定職に就かなかったTさん。「ウン百万円」はかなりの額ではなかったかと思います。

 Tさんにとっては日本フィルは自分の一部だったのだな、と思いました。口が悪く、ときには日本フィルをこき下ろすこともあったTさんですが(一方、スミレの話になると子どものように純粋になりました)、ほんとうは愛していたのだな、と思いました。

 日本フィルは公益法人改革の対応のために、存廃をかけた必死の募金活動を続けています。現在、約2千8百万円が集まったそうです(ホームページより)。そのなかにはTさんの「ウン百万円」も入っているはずです。天国のTさんに言葉をかけてあげたい気がします。
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大野和士/都響

2012年06月19日 | 音楽
 大野和士指揮の都響。今や大野さんには風格が感じられるようになった。都響の指揮台に立つ大野さんを見ていると、昔「正指揮者」だった頃を思い出す(あれは何年前のことだろう)。今では大きく成長して、別人のようになった。

 1曲目はシェーンベルクの「浄められた夜」。重心の低い、安定した、しかもドラマティックな演奏だ。世紀末的な、神経質な演奏ではまったくない。ヨーロッパの伝統、あるいは風土に深く根を張った演奏だ。指揮棒の先端が震え、しなやかに波打つ。情熱的な、どっぷりヨーロッパに浸かった演奏が生まれる。

 今まで感じたことはなかったが、その指揮ぶりを見ていて、サヴァリッシュを思い出した。大野さんはバイエルン州立歌劇場でサヴァリッシュとパタネーに師事した。パタネーから学んだことも大きかったろうが、サヴァリッシュからも同じくらい大きなものを学んだことが感じられた。

 2曲目はシマノフスキのヴァイオリン協奏曲第1番。ヴァイオリン独奏は庄司紗矢香さん。これは驚異的な名演だった。これほど存在感のある演奏はめったにない。主役はもちろん庄司さんだが、大野さんもパリ・オペラ座で「ロジェ王」を振っているくらいだから、シマノフスキには思い入れがあるのかもしれない。

 シマノフスキ(1882~1937)はバルトーク(1881~1945)と同時代人だ。ともに東欧に生まれ(ポーランドとハンガリー)、活動の場とした。けれどもこの曲を聴いていると、二人の資質のちがいが圧倒的に迫ってきた。シマノフスキは官能的で、エキゾティックなオリエンタリズムを忍び込ませている。一方、バルトークには民俗的な力動感がある。

 3曲目はそのバルトークの「管弦楽のための協奏曲」。演奏は「浄められた夜」と同様、重心の低い、ドラマティックなものだった。第1楽章の最後が決まりそこなった。なにが起きたのだろう。小さな事故だった。

 興味深かったのは、大野さんが振ると、この曲が近代的な明るい音色ではなく、もっとくすんだヨーロッパ的な音色になることだった。大野さんの個性ができあがりつつあることを感じた。今までの日本人指揮者にはなかった個性だ。

 大野さんはリヨン歌劇場で実績を積んでいるが、これから先、どこに行っても、どんなポストに就いてもおかしくない。責任はますます増すだろう。大野さんの音楽家人生を見守りたい。
(2012.6.18.サントリーホール)
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奥日光ハイキング

2012年06月18日 | 身辺雑記
 日曜日に日光に行ってきました。東武日光の駅前から乗ったバスは超満員。乗りきれない人もいました。個人客だけではなく、団体さんが2グループいたからです。もっとも約10分後には次のバスがあったので、みなさんあまり待たないで乗れたと思います。

 中禅寺湖を過ぎて、竜頭の滝の上で下車。高山に登りました。山は一面新緑。緑に染まりそうとはこのことです。ゆるやかな山道を快適に登りました。途中、大人数のグループに追いついてしまいましたが、快く道を譲ってくれました。「ありがとうございます」と声をかけながら、先に行かせてもらいました。

 頂上にはたくさんの人がいました。昔はこの山は穴場でした。ほとんど人と会うことはありませんでした。けれども最近は人が増えました。楽に登れて、眼下には中禅寺湖がのぞめ、下山では中禅寺湖にも小田代ケ原にも出ることができるという好条件。人気がでるのももっともです。

 今回は中禅寺湖に下りました。湖岸沿いに千手ケ浜へ。そこには大勢の人が――。旗をもったツアーリーダーに率いられた団体さんもいました。みなさん今が見ごろのクリンソウがお目当てなのでしょう。おそれをなして退散しました。

 低公害バスで小田代ケ原へ。今年3月に来たときは一面の雪でした。踏み跡をたどって雪歩きを楽しみました。今回は一面の緑。あの雪はどこにいったのだろう――というか、あの雪が溶けていく様子を見てみたいと思いました。

 カッコーが気持ちよく鳴いていました。あの声を聞くと、マーラーの交響曲第1番「巨人」を思い出します。カッコーが鳴く曲はたくさんあるのに、なぜマーラーのあの曲が思い出されるのか――。

 小田代ケ原を抜けて戦場ヶ原へ。今はズミが満開ですね。白い花(ときにはピンクがまざった花も)がびっしりついたズミの木が並んでいます。カメラのシャッターを切っている人が何人もいました。赤沼のほうへ歩くと、ワタスゲの群生地がありました。これも見事でした。白い綿毛が風に揺れていました。

 帰りは東武のスペーシアという特急で。乗車前にビールとお弁当を買い込んで、気持ちよく飲んでいました。すると車内放送があって、地震を感知したため徐行運転をしますとのこと。ビール2缶があっという間になくなって、まだ徐行運転が続いているので、しかたなく(?)車内販売でもう1缶。浅草に着いたころには、かなりいい気分になっていました。
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ローエングリン

2012年06月14日 | 音楽
 新国立劇場の新制作「ローエングリン」を観た。

 ロザリエによる美術・光メディア造形・衣装がまず目を引いた。現実から切り離された、近未来的な、飛んでる舞台だ。今年2月にラモーの「カストールとポリュックス」を観たが(ライン・ドイツ・オペラ)、そのときも同じような舞台だった。ラモーの場合は作品の性格上コミカルな味わいがあった。今回はそうはいかない。全体的に抑制されたトーンだった。

 一方、シュテークマンの演出は影が薄かった。個々の演技は、なるほど、と思わせるところがあるが、総体としてのドラマは希薄だった。幕切れの子役(王子ゴットフリート)の演技も、そこに至るまでのドラマが不在なので、浮いていた。この点は以前の「さまよえるオランダ人」の幕切れの演出と似ていた。

 実は、最初は、おもにドイツで流行の過激な演出の向こうを張った、あえてシンプルな演出かと思った。だがそういう見方は長くは続かなかった。期待は尻すぼみに終わった。

 この舞台は安心・安全のマークが付いた商品のような感じがした。お手頃な値段の(といっても、けっして安くはない)良心的な商品。だがローエングリンの、エルザの、そしてオルトルートの、苦悩や葛藤はなかった。テルラムントの動揺もなかった。みんなこじんまりしていた。日常生活の枠内の人たちだった。

 だからなのかもしれないが、こんなことを考えた――ローエングリンも、エルザも、オルトルートも、自己の存在に違和感をもっていたのではないか、と。ローエングリンは聖杯を守るモンサルヴァート城から下りてきた。エルザはローエングリンを夢見ていた。オルトルートは異教の神々を信じていた。みんなそれぞれこの世においては自己を異質だと思っていた。そのことがこの舞台では生きていなかった。さらにいうなら、普通の人テルラムントはこの3人に振り回された。ハインリヒ国王はこの3人の円環の外にいた。それらのことも生きてこなかった。

 タイトルロールのクラウス・フロリアン・フォークトはすばらしかった。スターは誕生するものだ、と思った。各音域の均質性は驚異的だ。そしてその貴公子のような容姿。カーテンコールでは何人もの女性がオケピットまで駆け寄って拍手を送った。それも当然だ。

 指揮のペーター・シュナイダーには年齢を感じた。全体を貫く気力が欠けていた。全盛期のシュナイダーは、こんなものではなかった。
(2012.6.13.新国立劇場)
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ル・シダネル展

2012年06月10日 | 美術
 先日、友人からメールがきた。「アンリ・ル・シダネル展」に行ってきたとのこと。すばらしかったそうだ。

 友人は若いころ(今から40年以上も前に)大原美術館を訪れて、ル・シダネル(1862~1939)の「夕暮れの小卓」に感動したそうだ。複製画を買ってきて、ボロボロになるまで部屋に貼っていたそうだ。その「夕暮れの小卓」をはじめ、ル・シダネルのまとまった展覧会が開かれているので、ぜひお勧めします、とのことだった。

 わたしも高校の修学旅行で大原美術館を訪れた。友人と同時期だろう。だがこの画家はまったく意識しなかった。その後も何度か訪れているが、記憶に残っていない。念のために手元のカタログを開いてみたら、たしかに載っていた。

 どういう絵かというと――、夕暮れ。運河に面した道端に、小さな丸いテーブルと2脚の椅子が置かれている。テーブルにはコーヒーカップが2客、ミルク入れと砂糖壺、2本のびんが載っている。でも、だれもいない。椅子は空っぽだ。奥にのびる運河に沿って家がある。窓から明かりがもれている。人の気配のぬくもりが感じられる。

 今回、この絵を観て、わたしも感動した。大原美術館で気付かなかったことが恥ずかしい。「不在」が重要なテーマだが、不在による寂しさはない。むしろ人々の語らいの声が画面全体にこだましているようだ。不在であるがゆえに人々の「存在」が感じられる絵だ。

 ひろしま美術館の所蔵品「離れ屋」もすばらしかった。この絵は――、夜。手前に大きなピンクのバラの茂みがある。月明かりに照らされている。奥にもバラがあるが、少し遠くなので色は薄い。突きあたりに離れ屋がある。窓から明かりがもれている。人の気配が温かい。彼方には木々のシルエットが見える。

 すべての物が色を失う「夜」なのに、このピンクのバラの華やぎといったら――。月明かりに照らされたこの世ならぬ美しさ。夜の「明るさ」。

 ル・シダネル作品を一言でいうなら、「逆説」になるのではないか。不在による「存在」の暗示とか、夜の「明るさ」とか。通常、逆説は知的なレトリックだが、ル・シダネルの場合は抒情の表現だ。アイロニーとは無縁の、肯定的な精神だ。穏やかで、だれをも攻撃しない心地よさがある。

 ル・シダネルの作品にどっぷり浸かっているうちに、あっという間に閉館時間の8時になった。
(2012.6.8.損保ジャパン東郷青児美術館)
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相馬看花(そうまかんか)

2012年06月06日 | 映画
 ドキュメンタリー映画「相馬看花(そうまかんか)―第一部 奪われた土地の記憶―」を観た。平日18:55からの上映。観客は10人程度だった。気の毒になるほどガラガラだ。新聞各紙で取り上げられているので、もう少し入っているかと思った。現実は厳しい。

 この映画は福島第一原発の事故で避難所生活を余儀なくされている南相馬市の人々を追った映画だ。苦しいなかにも冗談を言い合い、地縁・血縁で結びついている素朴な人々。それらの人々がいとおしく思える映画だ。

 音楽も、ナレーションも付いていない。淡々と人々のおしゃべりが続く。方言が強いので、よくわからないこともあるが、それでいいようだ。一語一語はわからなくても、そこにこういう人々がいる、そのことを感じてほしい――というコンセプトで作られた映画だ。

 人々はカメラに向かってしゃべっている。けれどもそこには緊張とか、ポーズなどは感じられない。みんないつものとおり普段着でしゃべっている。考えてみると、これはすごいことだ。それだけ信頼があついのだ。

 撮影・編集・監督は松林要樹(まつばやし・ようじゅ)さん。1979年生まれ。まだ30代だ。単独ではこれが二作目。一作目は第二次世界大戦後にタイ・ミャンマー国境付近に残った未帰還兵の戦後を追った「花と兵隊」(2009年)だった。そのときも、未帰還兵の人々がよくここまで心を開くものだと感心するほど、普段着でしゃべっていた。

 これは松林さんの天分だろう。警戒心を解き、本音で付き合える持って生まれたものがあるのだ。けっしてスマートではなく、むしろ泥臭さが感じられる。逆にそのことが信頼感を生むのだろう。

 「花と兵隊」もそうだったが、「相馬看花」はあらかじめ用意された主張に沿ったドキュメンタリーではない。混沌とした現実をそのまま捉えた作品だ。人々の心のひだに入り込む努力をした作品だ。わたしたちにはずっしりした重い現実が残される。

 このドキュメンタリーは昨年4月から7月までの記録だ。それから約1年。最後まで自宅で頑張っていたが、やむをえず避難所に移った粂夫妻は、今ごろどうしているだろう。仮設住宅に入った末永夫妻は元気だろうか。市議会議員の田中京子さんは今もみんなを支えているだろうか――と気になる。みなさん、お元気だろうか。
(2012.6.5.オーディトリウム渋谷)
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サロメ

2012年06月02日 | 演劇
 オスカー・ワイルドの「サロメ」。平野啓一郎の翻訳、宮本亜門の演出による新制作が初日を開けた。初日ゆえの硬さがあったが、舞台の狙いはよくわかった。

 「サロメ」というと、どうしてもリヒャルト・シュトラウスのオペラが頭に浮かぶ。あのオペラはオスカー・ワイルドの戯曲(ドイツ語訳)に直接――オペラ用の台本を作らないで――音楽を付けているので(台詞の細かいカットは無数にあるが。)、登場人物のキャラクターやストーリーの展開は原作のとおりだ。

 だから逆に、演劇を観ていると、この部分ではあの音楽が鳴っていた、という記憶が次々に浮かんで、少なくとも途中までは、舞台に集中できなかった。

 やっと集中できたのは、ヨカナーンの首が切られて、床一面に血が流れた場面からだ。その首を持ったサロメの長台詞に惹きつけられた。

 オペラと比較してもっとも目立った点は、サロメのキャラクターの設定だ。翻訳・演出の両面で、少女と設定されていた。オペラでもどこかでそのような演出を観た気がする。だが、今回のような明確さはなかった。すでにシュトラウスの音楽の枠組みがあるからだろう。

 少女という設定が明確になったのは、多部未華子(たべ・みかこ)の演技のためでもあった。思春期には入っているが、まだ大人の官能性を発揮していない、感性豊かな少女。オペラや絵画(たとえばギュスターヴ・モローの作品)でお馴染みの官能的なサロメとは一線を画すサロメだ。

 少女サロメが惹かれるヨカナーンが、これまたサロメより少し年上の少年(もしくは青年)に見えることも、リアリティがあった。ヨカナーンを演じる成河(ソンハ)の演技も、多部未華子のサロメと響き合っていた。

 一方、サロメに興味をもつ義父ヘロデは、もっといやらしくてもよかった。奥田瑛二は、不安と焦燥感でアルコール漬けになったヘロデを熱演したが、どこか冷めていた。サロメが官能的でない分、ヘロデはもっといやらしいほうがいい。ヘロデがもっといやらしければ、妻ヘロディアス(麻実れい)ももっと生きたはずだ。

 5人のユダヤ人、2人のナザレ人、ローマからの使者など、イエスがガリラヤで布教を始めたこの時代の、複雑に入り乱れた人々が、台詞のない場面でも登場して、よく描き分けられていた。オペラではここまでは難しい。演劇の強みを感じた。
(2012.5.31.新国立劇場中劇場)
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