インキネン/日本フィルは2013年9月の定期でワーグナーの「ワルキューレ」第1幕を演奏した。大方の予想を上回る大成功だった。そのときジークムントを歌ったサイモン・オニールを再び招いて、今度は「ジークフリート」と「神々の黄昏」の各々抜粋を演奏するとあっては、インキネンの首席指揮者就任と相俟って期待がふくらむ。
今回の歌手はサイモン・オニールとリーゼ・リンドストローム。「ジークフリート」と「神々の黄昏」の中からジークフリート(オニール)とブリュンヒルデ(リンドストローム)が歌う場面を中心に構成された。
「ジークフリート」は第3幕の幕開きのオーケストラの部分から始まったが、音のまとまりを欠き、不安がよぎった。その後、ジークフリートが魔の炎を通ってブリュンヒルデを見出し、2人が愛を歌い上げる幕切れまで演奏されたが、前回演奏された「ジークフリート牧歌」と同じ音楽が、今回は少しも高揚しなかった。
サイモン・オニールは、前回同様、輝かしいヘルデン・テノールの声を聴かせ、さすがに世界のトップクラスだと思わせた。一方、リンドストロームは、癖のあるその声に引っかかった。結局、最後までその違和感は拭えなかった。
「神々の黄昏」は序幕のジークフリートとブリュンヒルデとの愛の2重唱から始まって「ジークフリートのラインへの旅」、そして第1幕の場面転換の音楽(間奏曲)、終幕のジークフリートの死~「ジークフリートの葬送行進曲」~ブリュンヒルデの自己犠牲(幕切れ)へと続いた。
ジークフリートの死から幕切れまでは、本来は聴かせどころのはずだが、オーケストラに火が点かず、テンションが上がらないまま終わった。残念だ。どうしたのだろう。せっかくの首席指揮者就任披露なのに‥と思わざるをえなかった。
インキネンはドラマ作りが、前回よりも進化しているかもしれない。スコアの把握は徹底し、表現はシャープになっている。だが、今回はオーケストラを乗せることができなかった。一方、日本フィルにも反省点が多かった。
多くの人が歓迎したインキネン体制は、波乱含みのスタートを切った。でも、本当の意味でのスタートは、2017年1月定期のブルックナーの交響曲第8番だろう。今回の日本フィルは、自分の土俵で相撲をとれなかった感が強いが、1月定期ではその言い分は通用しない。
(2016.9.27.サントリーホール)
今回の歌手はサイモン・オニールとリーゼ・リンドストローム。「ジークフリート」と「神々の黄昏」の中からジークフリート(オニール)とブリュンヒルデ(リンドストローム)が歌う場面を中心に構成された。
「ジークフリート」は第3幕の幕開きのオーケストラの部分から始まったが、音のまとまりを欠き、不安がよぎった。その後、ジークフリートが魔の炎を通ってブリュンヒルデを見出し、2人が愛を歌い上げる幕切れまで演奏されたが、前回演奏された「ジークフリート牧歌」と同じ音楽が、今回は少しも高揚しなかった。
サイモン・オニールは、前回同様、輝かしいヘルデン・テノールの声を聴かせ、さすがに世界のトップクラスだと思わせた。一方、リンドストロームは、癖のあるその声に引っかかった。結局、最後までその違和感は拭えなかった。
「神々の黄昏」は序幕のジークフリートとブリュンヒルデとの愛の2重唱から始まって「ジークフリートのラインへの旅」、そして第1幕の場面転換の音楽(間奏曲)、終幕のジークフリートの死~「ジークフリートの葬送行進曲」~ブリュンヒルデの自己犠牲(幕切れ)へと続いた。
ジークフリートの死から幕切れまでは、本来は聴かせどころのはずだが、オーケストラに火が点かず、テンションが上がらないまま終わった。残念だ。どうしたのだろう。せっかくの首席指揮者就任披露なのに‥と思わざるをえなかった。
インキネンはドラマ作りが、前回よりも進化しているかもしれない。スコアの把握は徹底し、表現はシャープになっている。だが、今回はオーケストラを乗せることができなかった。一方、日本フィルにも反省点が多かった。
多くの人が歓迎したインキネン体制は、波乱含みのスタートを切った。でも、本当の意味でのスタートは、2017年1月定期のブルックナーの交響曲第8番だろう。今回の日本フィルは、自分の土俵で相撲をとれなかった感が強いが、1月定期ではその言い分は通用しない。
(2016.9.27.サントリーホール)