Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

「修禅寺物語」と「コッペリア」

2009年06月30日 | 音楽
 新国立劇場が清水脩のオペラ「修禅寺物語」を上演した。昨年の山田耕作の「黒船」に引き続き、日本の創作オペラの歴史をたどる第2弾。芸術監督の若杉弘さんらしい着眼点だ。若杉さんは体調不良のため今回は指揮することができなかったが、さぞかし残念だったことだろう。

 私は「修禅寺物語」をみるのは初めて。プログラムの解説で片山杜秀さんが書いているように、このオペラがドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」を参考にしていることはよくわかった。既存の戯曲にそのまま作曲している点もそうだが、さらに根本的には「フランス語(引用者注:「修禅寺物語」の場合は日本語)の微妙な響きと抑揚を活かし、語りと歌のちょうど中間を狙っている」点も――。
 結果としての作品は、岡本綺堂の原作の簡潔でリズムがよく緊張感にも事欠かない言葉を、日本語の平べったい抑揚そのままの音楽に変換する試みとなり、日本語による創作オペラの一つのアイディアだと思った。西洋流のメロディーラインに日本語を乗せるときの気恥ずかしさがない反面、正直にいうと、とくに第1場では単調さを感じた。

 演出は歌舞伎の重鎮の坂田藤十郎さん。舞台美術から歌手の動作まで、すべてが歌舞伎をみているように美しかった。頼家の村上敏明さん、夜叉王の黒田博さん、かつらの小濱妙美さん、その他のどの歌手の所作もさまになっていて、日本人のDNAを感じた。
 ただ、これなら歌舞伎をみたほうが良いかと思ったことも事実。

 「修禅寺物語」はマチネー公演だったので、その夜はバレエ「コッペリア」をみた。新国立劇場の中ではしごをするのは初めての経験。
 ローラン・プティの振付はどこをとっても小粋。たとえば第2幕冒頭で村の娘スワニルダ(タマラ・ロホ)とその友人たちが謎の紳士コッペリウス(ルイジ・ボニーノ)の部屋にしのびこむ場面で、スワニルダと友人たちの足がガタガタ震える。こんな小さな場面でも、思わず微笑んでしまう振付。そして、娘たちを追いだしたコッペリウスが、人形を相手にダンスを踊る場面――この振付でもっとも有名な場面だが、私はそのエロティシズムにドキッとした。
 第3幕のディヴェルティスマンは大幅にカットされていた。バレエ好きのかたにはどうだったかわからないが、バレエにもドラマを求める私のような人間には、このカットは納得のいくものだった。

 「コッペリア」をみながら、ここには「修禅寺物語」にはなかった音楽の楽しさと、人生の味わいがあると感じた。
(2009.06.28.新国立劇場中劇場&大劇場)
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ラザレフ&日本フィル

2009年06月22日 | 音楽
 首席指揮者ラザレフ&日本フィルによる「プロコフィエフ交響曲全曲演奏プロジェクト」の第2弾。
(1)チャイコフスキー:組曲第4番「モーツァルティアーナ」
(2)モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番(ヴァイオリン:ニコラ・ベネデッティ)
(3)プロコフィエフ:交響曲第2番

 チャイコフスキーの曲は、モーツァルトのピアノ曲のオーケストラ編曲版だが、その選曲の渋さに感心してしまう。第1曲の原曲はK.574の「小さなジーグ」、第2曲はK.355の「メヌエット」、第3曲はK.618の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」(リストによるピアノ編曲版)、第4曲はK.455の「主題と変奏」。
 ――思い出話になって恐縮だが、私が大学生だったころ、大枚をはたいてギーゼキングの弾いたモーツァルトのピアノ曲全集(輸入盤LP11枚組!)を買った。その中ではじめてK.574の「小さなジーグ」をきいたときの驚きは今でも覚えている。なんだかシェーンベルクのようなモダンな感じがした。
 K.455の「主題と変奏」も印象に残った。主題はグルックのオペラ「メッカの巡礼」の中のアリア。当時は知らなかったが、近年、ガーディナー指揮リヨン歌劇場のCDをきいたときの驚き!話のプロットが「後宮よりの逃走」とそっくりだし、序曲もよく似ている。作曲はモーツァルトのほうが後だ――。
 ラザレフのお陰で、日本フィルにはアンサンブルを整えようとする意識が感じられ、すべての音が同じ方向を向いていた。

 ヴァイオリン協奏曲第3番は、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲の中でも屈指の名作だが、ベネデッティの演奏のツボはつかみかねた。アンコールにイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第5番から第2楽章が演奏されたが、これは面白かった。

 プロコフィエフの交響曲第2番は、意図的にスキャンダルを狙ったふしのある、あざとい作品だが、そんなことを感じさせない名作にきこえた。ラザレフ&日本フィルのよく踏み込んだ、かつ、見通しのよい演奏のゆえだと思う。
 この曲の初演時には、大方の人々は冷淡に受け止めたが、作曲家プーランクは高く評価したと伝えられている。そのプーランクは、後年、次のように語っている(「プーランクは語る」千葉文夫訳、筑摩書房刊)。

 「ストラヴィンスキーはおそるべき革新者でしたが、プロコフィエフは革新者ではなかったですね。でも、だからどうだというのでしょう。シューベルトだって革新者ではなかった……。シューベルトがいなかったとしても音楽の流れは変わりはしない。優れた音楽家であっても革新者ではないというケースがありうるのです……。」

 シューベルトを引き合いに出したこの言葉は、私には核心をついているように感じられるが、皆さんはどうでしょう。
(2009.06.20.サントリーホール)
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オランダの作曲家たち

2009年06月20日 | 音楽
 東京シティ・フィルの6月定期のプログラムは次のようなものだった(指揮は常任指揮者の飯守泰次郎さん)。
(1)ヴァッセナール伯:コンチェルト・アルモニコ 第4番(第2番)
(2)ヨハン・ガブリエル・メーダー:交響曲 作品3-1
(3)ヤコブ・テル・フェルトハウス:レインボウ・コンチェルト(チェロ独奏:マリーン・ヴァン・スターレン)
(4)ベルナルド・ズヴェールス:交響曲第2番 変ホ長調

 見事なまでに知らない作曲家ばかり。ここまで徹底していると、あっけらかんとした印象さえする。事前にWikipediaで検索してみたが、かろうじてのっていたのはヴァッセナール伯だけで、あとの3人はのっていなかった。

 実は、これらの作曲家はオランダの作曲家たちで、この演奏会は「日本オランダ年2008-2009」の一環とのこと――2009年は江戸幕府がオランダと通商条約を結んでから400年、また2008年は日本とオランダの外交関係が樹立してから150年――。

 ヴァッセナール伯(1692-1766)の曲は、通奏低音(チェンバロ)と弦楽器という編成だが、ヴァイオリンが4パート(4人×4パート=16人)に分かれている点が異色。通常の2パートに比べて、精緻かつ複雑なテクスチュアーがきこえる。
 メーダー(1729-1800)は、生まれはドイツのエアフルトとされているが、活動はオランダだったとのこと。この曲は3楽章からなるが、すべての楽章にヴィオラ・ソロが出てくるのが珍しい(ときにはヴィオラ2本の掛け合いになる。また第3楽章にはヴァイオリン・ソロも出てくる)。弦の音色が明るいハイドン風の曲だ。
 フェルトハウス(1951-)の曲は2楽章からなり、第1楽章はゆっくりしたテンポの抒情的な音楽で、バスドラムの深い音が、じわじわとこみあげてくる感情を喚起する。切れ目なく突入する第2楽章は、早いテンポのリズミカルな音楽で、後半部分では音楽が切れ切れになるのが面白い。最後に、一瞬、第1楽章のアルトフルートのテーマを回想して終わる。この曲は独奏者であるロッテルダム・フィル首席チェロ奏者のスターレンによる委嘱作品とのこと。
 ズヴェールス(1854-1924)の曲は4楽章からなるドイツ・ロマン派的な交響曲。ただし第2楽章と第3楽章には夢見るような柔らかさがあって、一概にドイツ的とはいえない。
 アンコールにペーテル・ファン・アンローイという人の「オランダのラプソディ」という曲が演奏された。民俗的で楽しい曲。生没年はわからないが、20世紀前半の人か。

 すべての曲がはじめての曲だったので、演奏会前は緊張したが、実際にはどの曲も楽しめた。演奏は曲によって多少むらがあったものの、精一杯入念な準備をしたものだった。
(2009.06.19.東京オペラ・シティ)
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チェネレントラ

2009年06月16日 | 音楽
 新国立劇場で上演中のロッシーニのオペラ「チェネレントラ」をみた。

 演出・美術・衣装はジャン=ピエール・ポネル(再演出はグリシャ・アサガロフ)。
 第1幕。コーヒー茶碗をもって部屋に入ってきたチェネレントラ(つまりシンデレラ)が、そこにだれかいるのをみて(これは従者に変装した王子ラミーロ)、驚いて茶碗を落としてしまう(これは台本どおり)。すぐにふたりは一目惚れ。チェネレントラがぎこちなく自己紹介をしていると、けたたましくチェネレントラを呼ぶ義理の姉の声。あわてて駆けつけようとするチェネレントラは、また茶碗を落としてしまう――これは台本にはない演出で、私は笑ってしまった。チェネレントラのあわてぶりと、もしかするとラミーロとの出会いによる動揺もあったのでは――そう感じさせる細やかな演出だ。
 その直後の王子の家臣たちの来訪は、全員一列になって、お揃いの赤い上着をつけ、手には赤いバラをもって、コミカルに行進する。この上演でいちばん絵になる場面だが、私はそれをみながら、譜面にかかれたオタマジャクシが視覚化されているように感じた。

 第2幕。王子ラミーロがチェネレントラをみつける場面で、巻き舌のrの音が重なり合う滑稽な六重唱が繰り広げられるが、そこでは扇形に広がった歌手たちが、六重唱の進行とともに、手と手をつないで一塊になる。これは、ドラマとしての意味よりも、王子とチェネレントラが見詰め合っているのをみて驚いた人びとが、「これはどうしたことだ?頭がこんがらがるばかりだ」と口々にいう言葉を視覚化したもの。すぐれた場面づくりの一例だ。
 驚きから我に返った義理の姉のクロリンダが、まず、チェネレントラに悪態をつき、次に義理の父のマニフィコが悪態をつき、さらにもう一人の義理の姉のティーズベが勢い込んで悪態をつこうとする瞬間、王子ラミーロがそれを制する。空振りに終わったティーズベが可笑しくて、私はここでも笑ってしまった。悪態の音楽が割り振られていないティーズベの扱い方として、これはうまいと思った。

 以上、実際の舞台をご覧になっていないかたのために、すこし詳しく描写したが、ポネルの演出(アサガロフの再演出)はこのようなものだった。一言でいえば、舞台の動きが音楽と一致した演出、さらに加えるなら、個々の登場人物の状況を深く理解した演出。

 チェネレントラ役のヴェッセリーナ・カサロヴァは、フィナーレの独唱のスケールの大きさに圧倒された。ラミーロ役のアントニーノ・シラグーザは、高音のきまり方にしびれた(しかもアンコールつき!)。その他の3人の外人歌手も高水準。クロリンダ役の幸田浩子さんとティーズベ役の清水華澄(かすみ)さんも健闘。
 指揮のデイヴィッド・サイラスは、地味ながら、テンポがよかった。東京フィルにも不満はなし。
(2009.06.14.新国立劇場)
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ズロニツェの鐘

2009年06月10日 | 音楽
 若手指揮者の下野竜也さんが、普段はめったに演奏されないドヴォルザークの交響曲第1番「ズロニツェの鐘」をプログラムに組んだ。オーケストラは読売日響。
(1)ウェーバー:歌劇「オイリアンテ」序曲
(2)ウェーバー:クラリネット協奏曲第1番(クラリネット:ザビーネ・マイヤー)
(3)ドヴォルザーク:交響曲第1番「ズロニツェの鐘」
 ズロニツェとは、ドヴォルザークが少年の頃、肉屋の修行にでた町の名前とのこと。

 「オイリアンテ」序曲は、どういうわけかオーケストラが飽和的なひびきで、なんだかよくわからないまま終わった。弦が16型(ヴァイオリンから順に16-14-12-10-8)の大編成だったせいかもしれないが、それだけではないと思う。

 クラリネット協奏曲は、ザビーネ・マイヤーの名人芸に尽きる。とくに第1楽章の暗い不気味な音色は、ウェーバーの本質をついていて慄然とした。オーケストラは編成を12型(12-10-8-6-4)に縮小して、抜けのよい音を取り戻していた。第2楽章のホルン3人のハーモニーはクラリネットと溶け合っていて見事だった。
 アンコールがあって、クラリネット独奏のための才気煥発の面白い曲。ストラヴィンスキーの「3つの小品」の中から3曲目とのことだった。

 ドヴォルザークの交響曲第1番を生できくのははじめてで、今後再びきく機会があるかどうか――。第1楽章は、若い作曲家が最初の交響曲をかくときのヒロイックな高揚が感じられた。緩徐楽章の第2楽章では下野さんがニュアンス豊かな抑揚をつけていた。スケルツォ風の第3楽章は、後年の民族主義的作風の萌芽が感じられた。第4楽章は冗長気味だった。

 この交響曲にまつわる秘話は興味深い。
 若いドヴォルザークは、この交響曲をかいて、ドイツの作曲コンクールに送った。しかし入賞することはできず、スコアも返却されなかった。ドヴォルザークは紛失または破棄されたものと思っていた。ところが、ドヴォルザークと同名の人(ただし作曲家とは何の関係もない人)が、ある日ライプツィッヒの古本屋で偶然みつけて、自分と同じ名前なので買ったが、自宅に放置したままだった。その人の死後、息子がプラハ音楽院の教授に伝えて、調査の結果、ドヴォルザークの失われた交響曲であることが確認された。そのときすでにドヴォルザークは亡くなって19年ほど経っていた。

 演奏会は、プログラムが地味なのか、空席が目立ち、私の両脇の席も空いていた。演奏中、私はふっと、隣にドヴォルザークその人がいるような気がした。私は空想の中で話しかけた。「はじめて実際の音を耳にされて、いかがですか。」
 返事はこうだった。「いやあ、亡霊があらわれたようですなあ。」
 ――自分のほうが亡霊なのに(笑い)。

(2009.06.09.東京芸術劇場)
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ウリッセの帰還

2009年06月08日 | 音楽
 東京二期会が、若手歌手を中心にした二期会ニューウェーブ・オペラ劇場シリーズで、モンテヴェルディの「ウリッセの帰還」を上演した。上演の味噌は、現代ドイツの作曲家ヘンツェの編曲・再構成の版による点。ルネッサンス・オペラがどう変わるか――。

 ヘンツェによるオーケストレーションは、ヴァイオリンを欠いていて、ヴィオラ7人、チェロ8人、コントラバス6人、そしてフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、トロンボーンは各4人(!)、パーカッション7人(!)、さらに(煩雑になって申し訳ないが)ハープ、チェレスタ、マンドリン、ギター、アコーディオン、テノールバンジョー、エレクトリックギター、エレクトリックベースギター、ピアノが各1人、そしてヴィオラ・ダモーレのソロがつく(今回はヴァイオリンで代替)。

 こうして書き出してみると、ものすごい大編成だが、トゥッティで演奏される箇所はほとんどなく、意外なくらいに風通しがよい。異色なのはエレクトリックギターとエレクトリックベースギターだが、これも全体の中にしっとりと溶け込んでいる。マンドリン、アコーディオン、テノールバンジョーなどもしかり。ハープは通奏低音群(?)の主役級の役割だった。

 ヴィオラ・ダモーレは、指揮者の高関健さんのかいた文章によると、「どうしても演奏できない部分」が続出するとのことで、ヴァイオリンで代替されたが、ヴィオラ・ダモーレのくぐもった音色と、ヴァイオリンの輝きのある音色とでは、やはりちがう。私は、途中で、これがヴィオラ・ダモーレだったらなと思うことが何度かあった。

 モンテヴェルディの時代は、オペラは朗誦される劇だったわけで、それをチェンバロなどの通奏低音と少数の弦楽器などが伴奏する程度だったようだが、今回のように大編成のオーケストラで、すべての音がしっかり書き込まれたスコアで演奏されると、多少窮屈というか、想像力によって空白を埋める楽しみが失われる気がした。

 もっとも、私は、モンテヴェルディ受容の多様性の試みとして、その意義を肯定的に受け止めた。
 たとえば第1幕の幕切れなど、ひじょうに表出力のある音楽がきこえた。上演のさいの演奏譜の作成という回路を使った、現代の作曲家によるパラフレーズの試み――それは刺激的なことではないだろうか。

 歌手は、注目すべき人材がいた反面、あまりにも非力で陥没している人もいた。
 演出は、几帳面すぎた(たとえば大食漢イーロのコミカルな自殺の場面など、イーロは小心者なので、実際には自殺しないのでは?)。衣装と照明は、登場人物を色分けする意図はわかるものの、色づかいが多すぎた。
(2009.06.06.北とぴあ さくらホール)
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黒田恭一さん逝去

2009年06月05日 | 音楽
 昨日、音楽評論家の黒田恭一さんの逝去が報じられた。1938年生まれで、71歳だったそうだが、私の中ではいつも若いイメージだった。

 考えてみると、今からもう40年ほど前のことになるが、私が猛烈に音楽をききはじめた頃、音楽雑誌には黒田さんの演奏会評、レコード評が盛んにのっていた。あの頃の黒田さんは、初期の大江健三郎のような翻訳調の文体だった。カラヤンがベルリン・フィルを率いて来日したときのリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」の演奏会評が記憶に残っている――すべての楽器が主役のように自らを主張している演奏、というようなことだったが、尖った翻訳調の文体が強烈だった。

 もっとも、黒田さんはすぐに平明な文体に変わった。その変化は、後年のNHK-FMの人気番組「20世紀の名演奏」における「皆さま、お気持ちさわやかにお過ごしください」の名調子につながった。

 黒田さんは早稲田大学教育学部の出身で、学部はちがうが、私の先輩にあたる。それはよいとして、音楽の専門教育を受けていない音楽評論家ということに、ある種の感慨をおぼえる。関連して、黒田さんよりも一回り上の世代の音楽評論家、志鳥栄八郎さんのことが、昨日からしきりに思い出される。お二人とも、専門教育は受けていないが、自分のききかたをもっていた。

 志鳥さんの思い出をひとつ。志鳥さんは、難病のスモン病を患ったが、目が不自由になってからも、杖をつきながら、都内の千日谷会堂という葬祭場で、月に一回、無料のレコードコンサートを続けていた。当時、お金のなかった私はせっせと通って、レコード会社から毎月出る話題の新譜に心を躍らせた。

 今にして思えば、志鳥さんにしても黒田さんにしても、音楽初心者の私に、音楽を愛すること――音楽をきくことは人生そのものであること――を教えてくれたと思う。別のいいかたをすれば、音楽にたいする一番ベーシックな心構えを。

 その後、音楽評論の進歩は目覚しい。専門教育を受けているかたも多いが、そうでなくても、専門的な知識をバックにした、深い独自の視点をもつ評論が一般的になった。もう黒田さんや志鳥さんのようなタイプは、世に出にくいかもしれない。

 志鳥さんは2001年に亡くなった。そして、黒田さんも。お二人のご冥福を祈ります。お世話になりました。
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上州の山と温泉

2009年06月01日 | 身辺雑記
 週末の関東地方はあいにくの天気でした。私は、雨模様の天気のなか、赤城山に登りに行き、水上温泉に泊まってきました。昨年の11月末に、職場の有志で水上温泉に忘年旅行に出かけたときに、宿の支配人さんと意気投合して、「新緑の頃にまた来ます」と約束してしまったので、約束を果たすためです。

 土曜日、家を出るときは雨、新幹線の車窓風景も雨――これでは気が萎えてしまいますが、ともかく頑張ってバスで赤城山の山頂へ。山頂に着くと、あたり一面は濃い霧につつまれていました。ビジターセンターで一服してから、覚満淵という沼地をこえて、小沼を目指しました。霧のために視界のきかない周囲から、赤紫色やオレンジ色のツツジが幻想的に浮かび上がります。雨に洗われた木々の新緑が目に鮮やかです。雨の日は人がほとんどいないので、山は木々のもの――木々が一斉に語り合っているように感じられます。

 下山して、水上温泉へ。支配人さんと再会を果たした後、温泉でサッパリしました。夕食はもともと調理師だった支配人さんの創作料理「翡翠鍋(ひすいなべ)」。ベースはシャブシャブですが、だし汁はグリーンピースをすりおろしたもので、透明な緑色をしています。和牛をからめて食べると、豆の旨みがして、絶品でした。

 翌朝、眼が覚めると、外は雨。当初の計画では榛名山に登るつもりでしたが、温泉でふやけた身体には、もう雨の中を登る根性は残っていません。まっすぐ帰ろうかと思っていたら、支配人さんが矢木沢ダムに誘ってくれました。「でも、仕事が・・・」と恐縮していると、「今日は休みをとっています」とのこと。お言葉に甘えました。

 新緑の山道を走ること約1時間、矢木沢ダムの手前まで来たところで、突然道端には停車中の車の列。「何かイベントでも?」とあたりを見回す私たちの目に、幅5メートルほどのコンクリート製の放水路から、50~60メートル下の渓流に向かって、ものすごい勢いで水が落下している様子がみえました。停車中の車は、これを見物に来た人たちのものでした。

 整理員のおじさんの話では、「今でだいたい毎秒24トンくらい、もうすぐ40トンまでいく」とのこと。面白がって見ていると、水量はどんどん増していき、最後は水が覆いかぶさってくるような感じがして、怖いくらいでした。

 私「ときどき、こうして、ダムに水がたまると、放水するのですか」
 おじさん「ちがうよ!ゲートの確認!ダムのゲートが開くかどうか、年に一度確認しているの!いざというときにゲートが開かないと大変だろう!」

 何も知らない都会人は困ったものです。
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