Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

半村良「能登怪異譚」

2025年01月06日 | 読書
 能登半島地震から1年たった。現地では倒壊した家屋がそのまま残っていたり、水道がまだ通っていない地域があったりすると報じられている。それらの復旧の遅れはどうしてなのか。そもそも能登半島地震への対応は初動からおかしかった。ヴォランティアに行くなと号令がかかった。また岸田首相(当時)や馳県知事の現地入りが遅かった。その延長線上に今がある。

 半村良の「能登怪異譚」は能登にまつわる怪談を9篇収めた短編集だ。どの話も能登弁で書かれている。間延びしてユーモラスだ。だが内容はゾッとする。たとえば「箪笥」は主人公・市助の子どもが夜になると箪笥の上に座る話だ。なぜ箪笥の上に座るのかは分からない。ともかく箪笥の上で夜を過ごす。朝になると普通の生活に戻る。市助には子どもが8人いる。最初は一番下の子どもがそうなる。だんだん増えて、ついには8人全員がそうなる。妻や祖父や祖母もそうなる。市助は気味が悪くなって家出をする。

 市助の家は古民家だ。電気をつけても暗い。おまけに部屋数が多い。葬式でもなければ3か月も半年も入らない部屋がある。もしわたしがそんな家に泊まり、がらんとした部屋に一人で寝たら、どんな気持ちになるだろう。部屋には古い箪笥がある。箪笥の上は暗い。そこに何かの気配がしないか。「箪笥」はそんな気配から生まれた話かもしれない。

 「箪笥」は一種の寓話かもしれない。市助は一家のあるじだが、市助を除く家族全員の結束が固い。市助は疎外感を味わう。市助は家出をする。そんな話は実際にありそうだ。「箪笥」では市助は最後に家に戻る。だがハッピーエンドだろうか。家に戻ることは、家族に屈服し、家族の仲間に入れてもらうことを意味するかもしれない。市助は一人でいたほうが自由で幸せだったのではないだろうか、という解釈も成り立つ。

 ネタばれは避けるが、「箪笥」は最後にオチがつく。そのオチが怖い。さすがに半村良は小説がうまいと舌を巻く。

 「箪笥」が箪笥の上の暗い空間から生まれた(かもしれない)話だとすれば、「蛞蝓」(なめくじ)は土蔵の中に大量の蛞蝓が発生したことから生まれた話かもしれない(あるいは、夜釣りをしているときに、海に浮かぶクラゲを見て生まれた話かもしれない)。両者は一対をなす。また「雀谷」(すずめだに)と「蟹婆」(かにばあば)は推理小説的な手法で一対をなす。同様に「仁助と甚八」と「夫婦喧嘩」はコミカルな点で対をなす。「夢たまご」と「終の岩屋」は人生の寓意という点で一対だ。

 ただ「縺れ糸」(もつれいと)は対になる作品が見当たらない。その話だけ孤立している。現代への警句が読み取れる話だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モーム生誕150年(2):「雨」・「赤毛」

2024年12月29日 | 読書
 サマセット・モームの「雨」と「赤毛」は南洋の島を舞台にした作品だ。モームは第一次世界大戦中にイギリスの諜報員だったが、神経を使う激務だったのか、健康を害した。静養のために1916年にアメリカに渡り、その足で南洋を旅した。そのときの見聞が反映されている。

 「雨」と「赤毛」はいずれも衝撃的な結末を迎える。短編小説の名手といわれるモームの真骨頂だ。それらの結末には人生の苦さがにじむ。興味深い点は、旧約聖書および新約聖書との関連だ。「雨」も「赤毛」も長年にわたり読み継がれている作品だ。当ブログでは旧約聖書・新約聖書との関連にしぼって書いてみたい。

 「雨」の主要な登場人物は、医師のマクフェイル博士とその妻、伝道師のデイヴィッドソンとその妻、そして売春婦のミス・トムソンの5人だ。南洋の旅行中に疫病発生のため、ある島に閉じ込められる。時あたかも雨季の真最中だ。雨に閉じ込められた5人のあいだに事件が起きる。

 ストーリーの詳細は省くが、伝道師のデイヴィッドソンは厳格すぎるほど厳格な伝道師だ。売春婦のミス・トムソンの放埓な振る舞いが許せない。ミス・トムソンが水夫を相手に開いたパーティーに怒鳴りこむ。そんなデイヴィッドソンが聖書を読む場面がある。ヨハネ福音書の「姦淫の女」の一節だ。

 内容を要約すると、姦淫をはたらいた女(マグダラのマリアと同一視されることがある)が人々に取り囲まれる。モーゼの律法では、姦淫は石打ちの刑に相当する。人々はイエスに問う。「あなたはどうするか」と。イエスはいう。「あなたがたの中で罪のない者が、まず石を投げなさい」と。人々は立ち去る。イエスは女を許す。

 伝道師のデイヴィッドソンはイエスに、ミス・トムソンは姦淫の女になぞらえられる。デイヴィッドソンの導きにより、ミス・トムソンは悔悛の情をしめす。だが最後にどんでん返しが起きる。ミス・トムソンのせいではない。デイヴィッドソンのせいだ。デイヴィッドソンはイエスではなかったのだ。途中に伏線が一か所ある。それは――デイヴィッドソンはネブラスカの山々の夢を見ると、マクフェイル博士(=モーム自身)に告げる。マクフェイル博士はネブラスカの山々を思い出す。あの山々は女の乳房に似ていると。

 「赤毛」は失楽園の南洋版だ。南洋の島で繰り広げられるアダムとイブの物語。それは絵のように美しい。だが楽園追放の事件が起きる。その事件は痛ましい。その後何十年もたって、オチがつく。「雨」の結末と同様に衝撃的だ。わたしたちの実人生にもありそうな話だ。なお「赤毛」の場合は「雨」とは異なり、伏線が周到に張られる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モーム生誕150年(1):「英国諜報員アシェンデン」

2024年12月28日 | 読書
 2024年はサマセット・モーム(1874‐1965)の生誕150年だ。モームの作品は大学受験のときに英文読解で読んだ記憶が災いして、大学に入ってからは見向きもしなかった。それから数十年たち、生誕150年なら読んでみようかと思った。手に取ったのは「英国諜報員アシェンデン」。周知のようにモームは、第一次世界大戦中はイギリスの諜報員(スパイ)だった。その経験が書かれているのかと。

 諜報員の仕事は頭が良くなければ務まらないだろう。加えて、目立つ人物ではまずいだろう。頭が良くて、社会に溶け込み、人から警戒されない人物であることが必要だろう。もっと踏み込んでいえば、人の心をつかむ術にたけていなければならないだろう。そうでなければ、人の信頼を得ることはできない。モームの作品を読むとわかるが、モームは人間観察型の作家だ。安易に感情に流されない。だれかに肩入れすることもない。いつも冷静中立だ。おまけに紳士だ。教養の高さは一級品だ。そういう人物はたしかに諜報員に向いているのかもしれない。

 モームは諜報員の仕事について本作でこう書く。「複雑で巨大な機械の小さなネジにすぎない自分には、全体の動きなど知りようがない。関わることができるのは序盤か終盤、中盤に関われることも多少はあるかもしれないが、自分の行ったことがどういう影響をおよぼしたかを知るチャンスはほとんどない。」(第2章「警察の捜査」。新潮文庫より引用)。なるほど、そうだろうなと思う。

 「英国諜報員アシェンデン」はジェームズ・ボンドの007シリーズとは異なり、派手なアクションや金髪美人は出てこない。その代わりに、味のある人物が多数出てくる。モームは本作でも人間観察型の作家なのだ。

 本作は16章からなる。実質的には16篇の短編小説の連作だ。各々の章は独立しているが、同一人物が2~3の章に連続して出てくる場合もある。その場合はそれらの章がまとまって中編小説のようになる。

 印象深い人物の一例をあげると――第10章「裏切り者」に出てくるグラントリー・ケイパーはしみじみした余韻を残す。ケイパーはイギリス人だが、妻はドイツ人だ。イギリスとドイツは戦争中だ。ケイパーはドイツのスパイだが、イギリスの罠に引っかかり、悲劇的な結末を迎える。妻の嘆きは痛々しい。モームはそんなケイパーを非難しない。

 なお「英国諜報員アシェンデン」以外にアシェンデン(=モームの分身)が出てくる作品がある。「サナトリウム」だ(新潮文庫「ジゴロとジゴレット」に所収)。本作はモームには珍しくハッピーエンドを迎える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

樋田毅「旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録」

2024年10月25日 | 読書
 樋田毅氏の「旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録」(以下「懺悔録」)を読んだ。大江益夫氏は1993年~1999年に旧統一教会(以下「統一教会」)の広報部長を務めた。その前後も統一教会と関連団体の要職を歴任した。その大江氏へのインタビュー本だ。

 インタビュアーの樋田毅氏は元朝日新聞記者。樋田氏はすでに「記者襲撃――赤報隊事件30年目の真実」(岩波書店)、「最後の社主――朝日新聞が封印した「御影の令嬢」へのレクイエム」(講談社)そして「彼は早稲田で死んだ――大学構内リンチ殺人事件の永遠」(文藝春秋社)の著書がある。わたしはすべて読んだ。どれもひじょうに惹かれた。そこで「懺悔録」も読んだ次第だ。

 統一教会の幹部だった人物の回顧録。自身が行い、また見聞きした事柄を率直に語っている。樋田氏とは思想信条が異なるはずだが、それにもかかわらず、二人のあいだに信頼関係が成立していることが窺われる。

 大江氏は広報部長時代に「事実を認め、社会がそれに対してどう思うかも認めるが、同時に信教の自由も認めるようにマスコミに求める」(わたしの言葉による要約だ)という姿勢を基本にしたそうだ。その姿勢が身についているのだろう。本書でも事実を認め、その事実が社会からどう見えるかも理解する。だが、信教の自由も認めてほしい、という姿勢が一貫する。結果、教団の存続を図る。それが大江氏の防衛ラインだろう。

 大江氏が認める事実には興味深い点が多々ある。たとえば統一教会に武装組織があった(今もある?)こと。前記の樋田氏の著作「記者襲撃」でも触れられた点だ。それが裏付けられた格好だ。大江氏の推定では400人ほどいたという。相当な数だ。武装組織(大江氏は「武闘派」と呼ぶ)はソ連(当時)、中国、北朝鮮の日本への武力侵攻に備えたものというが、武装組織である以上、いつ暴走しないともかぎらない。

 また自民党との関係では、自民党と深い関係があったことを前提に、いま解散命令請求が出されていることについて、「自民党は自らに対して解散命令請求を出すべし、と言いたいです。そして自ら解党していただきたい、と思っています。」と憤る。さんざん世話になったくせに、今になって切り捨てるのか、という怒りだ。それは本音だろう。だが一方では、自民党への牽制の意図があるかもしれない。

 余談だが、樋田氏と大江氏のあいだに信頼関係が成立したのは、二人が同時期に早稲田大学の学生だった(学部は違う)ことがあるかもしれない。その時期の早稲田は革マル派が起こした川口大三郎君の殺害事件で大揺れだった。わたしも同時期に早稲田大学の学生だった。わたしたちは同じ時代の空気を吸った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ケストナー没後50年(2):「動物会議」

2024年10月01日 | 読書
 ケストナーの「動物会議」は絵本だ。だが「飛ぶ教室」などの児童文学と同程度の内容がある。ケストナーの力作のひとつだ。絵は児童文学の第一作「エーミールと探偵たち」以来の盟友ヴァルター・トリアーが描いた。トリアーは「動物会議」刊行の2年後に亡くなった。「動物会議」がケストナーとの最後の仕事になった。

 「動物会議」は1949年に刊行された。まだ第二次世界大戦の傷跡が生々しいころだ。世界には難民があふれ、大量の孤児がいた。都市は荒廃していた。そんな時期なのに世界の首脳たちはまた戦争の準備をしている。その状況に憤ったケストナーが書いた作品が「動物会議」だ。

 どんな話か。世界の首脳たちがケープタウンで会議を開く。87回目だ。延々と会議をしている。結論は出ない。そんな状況に怒った動物の代表たちが動物ビルに集まる。代表たちは世界の首脳たちと対峙する。そして要求を突きつける。だが首脳たちは要求を拒否する。拒否することだけは一致する。他のことは一致しないのに。

 代表たちは実力行使に出る。だが人間のほうが利口だ。あっさり覆される。代表たちは弱気になる。でも諦めずに知恵を絞る。もう一度実力行使に出る。だがうまくいかない。代表たちは何をやってもダメかと思う。そのとき名案が浮かぶ。最後の実力行使に出る。今度は首脳たちも参ってしまう。首脳たちは要求をのむ。首脳たちは代表たちと条約を結ぶ。条約は次の5か条からなる(大意)。

 (1)地球上から国境をなくすこと。(2)もう戦争はしないこと。(3)人を殺すための研究はしないこと。(4)役所は縮小すること。(5)教員が一番高い給料をもらうこと(なぜなら教員は子どもを真の大人に育てるという大事な仕事をしているから)。

 以上が「動物会議」のプロットだ。繰り返すが、「動物会議」の刊行は1949年だ。75年前の作品だが、今の世界にも当てはまる。少しも古びていない。ということは、世界は75年前から変わっていないのだろうか。

 「動物会議」はプロットもおもしろいが、ディテールもおもしろい。たとえば代表たちが動物ビルにチェックインする場面。イルカの部屋は部屋全体に水を張ったプールだ。イルカは「水を40立方メートルもへらしてくれ」という。そのくらいのゆとりがないとジャンプできないからだ。キリンは上下2部屋を取ったが、「下の部屋のてんじょうに、大きな穴をあけてほしい」という。そうしないと首が伸ばせないからだ。ネズミは「部屋はいらないから、ネズミ穴がほしい」という。ケストナーは動物たちを一律に描かずに個性豊かに描く。それが「動物会議」に一貫する描き方だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ケストナー没後50年(1):「独裁者の学校」

2024年09月28日 | 読書
 今年はドイツの作家エーリヒ・ケストナー(1899‐1974)の没後50年だ。ケストナーは「エーミールと探偵たち」、「飛ぶ教室」、「二人のロッテ」などの児童文学が有名だ。わたしも大ファンだ。だがケストナーの執筆活動は児童文学にかぎらない。今年2月にはケストナーの戯曲「独裁者の学校」の日本語訳が刊行された(酒寄進一訳、岩波文庫↑)。戯曲は珍しい。興味津々読んでみた。

 題名の「独裁者の学校」とは独裁者の替え玉を養成する学校だ。独裁者はすでに死んでいる。独裁勢力は独裁者の死を隠して、独裁者にそっくりな替え玉を仕立てる。独裁体制は続く。その替え玉も暗殺されることがある。だが困らない。替え玉は10人以上も養成されているからだ。

 独裁勢力の一人はいう。「(引用者注:たとえ独裁者が暗殺されても)大統領(=独裁者)はその都度、若返り、厳しくふるまい、より熱く、冷酷になる。それがわれわれの決めたことだ。世間は大統領の望みを先回りしてやるようでなくては。邪魔をする愚か者には災いあれ、だ!」(34頁)と。

 独裁者は暗殺されても、「その都度、若返り(中略)冷酷になる」とはゾッとするが、独裁体制の本質をついているのだろう。独裁体制とはシステムだ――それがナチス・ドイツを生きたケストナーの見た独裁体制の本質だろう。加えて、後段の「世間は大統領の望みを先回りしてやるようでなくては」というくだりは、少なくとも「世間」を「メディア」に置き換えれば、すでにいまの日本でも起きていることではないだろうか。

 「独裁者の学校」は1956年に刊行された。ケストナーの「まえがき」によれば、構想は20年前に生まれたという。20年前といえばナチスの全盛期だ。ケストナーはナチスの弾圧を受けながら(1933年にナチスが起こした焚書事件では作品を焼かれた)「独裁者の学校」の構想を練った。その豪胆さに驚く。

 だが「独裁者の学校」はシリアスな作品ではなく、コメディだ。凍りつくような場面もなくはないが、全体を通してコミカルだ。でもコミカルなやりとりの中に、上記のような独裁体制の本質をつくセリフがちりばめられている。

 もう一例をあげると、ある娼婦はいう。「裁判官は無実の人を有罪にするし、研究者は世界の没落にご執心。医者は依頼殺人に手を染める始末。なにが正しいかを、悪党が決めるようになってしまって、義を尊ぶ人は良心の呵責にさいなまれている。」(104頁)と。「なにが正しいかを、悪党が決める」とは独裁体制の本質だろう。コメディなので笑って読み飛ばすが(舞台なら、笑って聞き流すだろうが)、後で考えるとゾッとする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅田次郎「帰郷」

2024年08月14日 | 読書
 浅田次郎の「帰郷」には6篇の短編小説が収められている。どれも太平洋戦争にまつわる話だ。一種の戦争文学だが、戦闘場面は「鉄の沈黙」にしか出てこない。しかも「鉄の沈黙」でさえ戦闘場面は最後の一瞬に過ぎない。大半はその前夜の話だ。

 6篇中、戦争中の話は「鉄の沈黙」と「無言歌」の2篇だけだ。「無言歌」は戦争中の話ではあるが、戦闘場面は出てこない。太平洋の底に沈んだ潜水艦の話だ。潜水艦は故障して航行不能になる。乗員は2人。だんだん酸素が乏しくなる。2人は銃後に残した女性の話をする。不思議なくらい穏やかな会話だ。最後の言葉が胸をうつ。

 残りの4篇は戦後の話だ。「夜の遊園地」を例にとって内容に触れると――時は戦後復興が始まったころ。所は東京の後楽園遊園地。主人公はアルバイトの大学生だ。父親は戦死した。母親は主人公を実家に預けて再婚した。主人公は伯父に育てられた。

 夜の後楽園遊園地に親子連れが訪れる。父親と息子だ。息子がジェットコースターに乗りたいとせがむ。だが、父親は乗ろうとしない。頑固に反対する。息子は泣きべそをかく。なぜ父親は反対するのか。どうやら戦争中に飛行機で墜落しかかったことがあるらしい。その記憶がトラウマになっているのだ。

 2つ目の遊戯施設はミラーハウスというもの。鏡とガラスでできた迷宮だ。主人公が中に入る。先に進もうとすると行き止まりになったり、戻ろうとすると向こうから自分が歩いてきたりする。そのとき母親と子どもの姿を見る。2人は互いに求めあっているが、すれちがう。2人は出会えない。主人公は別れた母親を想う。

 3つ目はお化け屋敷だ。親子連れが中に入る。だが、出てこない。心配した主人公が中に入る。すると息子が一人でたたずんでいる。父親は地面にうずくまり、震えながら両手を合わせている。目の前にはちぎれた人間の足にかぶりつく老婆の人形がある。父親は南方戦線の体験がよみがえったのだ。

 閉園の時間になる。主人公は掃除をしながら、明日は久しぶりに母親に電話をしようと思う。自分を捨てた母親へのわだかまりが消える。生きるためには仕方がなかったと、母親を受け入れる気持ちが芽生える――という話だ。-

 浅田次郎はわたしと同い年だ。「夜の遊園地」にはわたしが子供のころに見た風景が描かれている。まるで古いアルバムの写真を見るようだ。わたしはそこに自分を探す。わたしたちの世代は、「自分は何者か。どこから来たのか」と自分探しをするとき、親の戦争体験にぶつかる。「夜の遊園地」をふくむ「帰郷」の6篇は、親の世代の戦争体験をさぐる作品だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドルフマン「死と乙女」

2024年01月11日 | 読書
 チリで軍事クーデターが起きたのは1973年9月11日(「チリの9.11」といわれる)。2023年はクーデター発生後50年だった。チリではクーデター後、民主化を求める人々への弾圧が続いた。チリの作家、アリエル・ドルフマンの「死と乙女」(↑)は弾圧をテーマにした戯曲だ。

 登場人物はわずか3人。40歳前後の女性・パウリナは軍事政権当時、地下組織のメンバーだった。軍事政権の拷問をうけた。民政移管された今でも拷問の記憶がトラウマになっている。40歳過ぎの弁護士・ヘラルドはパウリナの夫だ。パウリナとともに地下組織のメンバーだった。パウリナが口を割らなかったので、逮捕を免れた。今は新政権のもとで、軍事政権が行った弾圧の調査委員会のメンバーになっている。3人目の登場人物は、50歳前後の医師・ロベルトだ。パウリナは拷問のあいだ、目隠しをされていたので、拷問者の顔を見ていないが、ロベルトの声を覚えている。パウリナはロベルトが拷問者のひとりだったと確信する。パウリナはロベルトに詰問する。ロベルトは否認する。

 パウリナはロベルトに復讐するのか。いや、真実を語らせようとする。ロベルトを罰するか、赦すか、それは二の次だ。まず真実を語れ、と。だがロベルトは否認する。ヘラルドは弁護士としてロベルトの人権にも配慮しようとする。ヘラルドの態度は正しいかもしれないが、パウリナの傷は癒されない。

 軍事政権による弾圧はチリだけではなく、カンボジアでも、ミャンマーでも、そして日本でも起きた。日本でも特高警察に拷問された人々がいる。他人事ではない。

 拷問の被害者・パウリナ、拷問の加害者・ロベルト、後日調査するヘラルドの3人は、弾圧をめぐる関係者の3つの典型だ。被害者は加害者に、まず事実を認めろと迫る。加害者は否認する。後日調査する者は、中立性を保とうとする。それは正しい立場だろうが、無力かもしれない。結果、どうなるか。被害者は加害者が平然と暮らす市民社会に生きなければならない。たとえば戦後のドイツがそうだった。強制収容所から生還したユダヤ人は、ナチスだったドイツ人が暮らす社会に住まなければならなかった。日本でもそうだ。特高警察の拷問にあった人々は、特高警察の一員だった人々が素知らぬ顔で暮らす社会を生きなければならなかった。

 題名の「死と乙女」はシューベルトの弦楽四重奏曲の曲名だ。ロベルトは拷問の際にカセットテープで音楽をかけた。その中に「死と乙女」があった。本書を訳した飯島みどり氏は「訳者解題」でイギリスの劇作家、ハロルド・ピンターの言葉を引用する。「拷問者が音楽好きで自分の子供たちには非常にやさしい人間だという事実は、二十世紀の歴史を通じて明白に証明されて来ました。」と。拷問と音楽。あまり考えたくないテーマだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

井伏鱒二「黒い雨」

2024年01月08日 | 読書
 能登半島の大地震や羽田空港の航空機事故の続報が連日入る。胸の痛む毎日だ。志賀原発もじつは危険な状態だったことが分かった。最初は「異常なし」といっていたが‥。

 気を取り直して、2023年に読んだ2冊の本の感想を書いておきたい。まず井伏鱒二の「黒い雨」から。「黒い雨」は、映画は観たが、原作は読んでいなかった。2023年は井伏鱒二(1898‐1993)の没後30年だったので、その機会に読んでみた。映画と原作はだいぶ異なる。映画は原爆の悲劇が抒情的に描かれていた。原作はむしろ散文的だ。原爆という空前絶後の惨事にあった一人の日本人の姿が描かれる。

 原作では閑間重松(しずま・しげまつ)という老人が前面に出る。重松は戦後、同居する姪の矢須子の縁談が持ち上がったので、縁談相手に矢須子は原爆投下当時、広島市内にはいなかった(被爆していない)ことを説明するために、当時の日記を清書する。日記に書かれた原爆投下当時の行動と戦後の日常生活が並行して進む。だが、結論を先にいうようだが、重松が清書する途中で、矢須子は原爆の後遺症を発症する。矢須子は、直接被爆はしていないが、黒い雨に当たっていた。縁談は破談になる。

 重松の日記は「被爆日記」と呼ばれる。原爆投下当時の記述が克明だ。重松は郊外の被服工場に勤めていた。出勤途中で被爆した。あてどなく広島市内をさまよう。次から次へと想像を絶する光景に出会う。まさに地獄絵だ。

 周知のように「被爆日記」には原典がある。ある方の日記だ。わたしは未読だが、その日記も出版されているらしい。井伏鱒二は筆者の許諾を取って「黒い雨」に使った。だからだろう。ディテールが生々しい。井伏鱒二がいくら大作家だからといって、作家の想像力を超えると思われるディテールが続出する。

 それらのディテールを繰り返しても仕方がないので、印象的なエピソードを2点取り上げたい。1点目は軍の頼りなさだ。重松の勤める被服工場は軍の納入業者だ。重松は被爆直後に、工場を再稼働するための石炭が足りないので、軍に相談する。だが軍の担当者は「会議を開いた上で結論を出さんければならん」の一点張りだ。軍にかぎらず役所というものは非常時には頼りにならないものらしい。2点目は悪事の横行だ。被爆直後に軍人数人が被服工場に押しかける。「軍が預けた保管食糧を受け取りにきた」と。軍人たちはトラックで食糧を運び去る。だがそれは詐欺だった。被服工場の担当者はしょげ返る。「一生かかっても軍に弁済します」と。

 役所の頼りなさと悪事の横行は、東日本大震災のときも起きたし、現在の能登半島地震でも起きているようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津村記久子「とにかくうちに帰ります」

2023年10月01日 | 読書
 津村記久子の「水車小屋のネネ」が今年の谷崎潤一郎賞を受賞した。わたしは津村記久子のファンなので喜んだ。「水車小屋のネネ」も読んでいた。とくに第1話と第2話のみずみずしさに感動した。でも、ファンの心理とはおもしろいもので、自分だけの大事な作品がある。わたしの場合、それは「とにかくうちに帰ります」だ。

 「とにかくうちに帰ります」のどこが好きかと自問すると、ちょっと考えてしまう。しばらく考えた末に、たぶん津村記久子の特徴がバランスよく入っているからだろう、という考えに落ち着く。

 津村記久子の特徴とは何か。まず日常生活で感じる小さなイライラが、あるある感いっぱいに書かれる点だ。だれかのマイペースなふるまいにイライラする。その描写がリアルで、かつユーモラスだ。それは津村記久子のどの作品にも共通する。もちろん「とにかくうちに帰ります」にも。

 「とにかくうちに帰ります」のストーリーを大雑把にいうと、大雨が襲来する午後に職場から、あるいは学習塾から帰る人々の話だ。主人公の女性会社員・ハラは、職場の後輩の男性社員・オニキリのマイペースさに普段からイライラしている。ハラはそんなオニキリに帰路立ち寄ったコンビニで出会ってしまう。仕方ないので、ハラはオニキリと一緒に大雨の中を歩く。小さな出来事がいろいろ起き、ハラはイライラするが、やがてオニキリの意外な良さにも気付く。その描写が鮮やかだ。

 津村記久子のもうひとつの特徴に、多くの作品に親との関係がうまくいかない(あるいはネグレクトされている)子どもが出てくる点がある。本作品の場合は学習塾から帰る小学5年生の少年・ミツグがそれだ。両親は離婚し、いまは母親に育てられている。そのミツグが妙に大人っぽい。子どものヴァリエーションのひとつだ。

 ミツグは家路を急ぐ途中で傘が壊れる。コンビニの軒先で雨宿りをしながら、傘を直そうとするが、直らない。そのときハラとは別の会社の男性社員・サカキが通りかかる。ミツグに声をかける。コンビニで傘を買ってやる。二人は一緒に歩き始める。じつはサカキも離婚している。子どもは別れた妻が育てている。明日は子どもに会う日だ。お土産も買ってある。子どもを思って感傷的になるサカキを少年・ミツグが励ます。

 レインコートをめぐって、ミツグはサカキに助けられ、サカキはオニキリに助けられる。小さな助け合いは津村記久子の特徴だ。最後にもう一点。津村記久子の作品には決め台詞が出てくる場合がある。本作品の場合はミツグがそれをいう。「雨ひどくてほんと寒かったけど、人の暖かみを感じる日ではあった」と。妙に大人びた口調が可笑しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津村記久子「この世にたやすい仕事はない」

2023年07月23日 | 読書
 友人と隔月に読書会を開いている。テーマは交代で選ぶ。7月はわたしの番だったので、村田紗耶香の「コンビニ人間」と津村記久子の「とにかくうちに帰ります」を選んだ(二人は同世代だ)。ところが読書会の前に友人と連絡を取ると、友人は勘違いして津村記久子は「この世にたやすい仕事はない」を読んでいるという。わたしはそれを読んだことがなかったので、良い機会だからと、読んでみた。

 そういうわけで、偶然のきっかけから、「この世にたやすい仕事はない」を読んだ。これもおもしろい。芸術選奨文部科学大臣新人賞の受賞作品だが、そのような晴れの舞台がふさわしくないと思えるほど、目線の低い、弱い者・うだつのあがらない者に寄り添う(つまり津村記久子ワールドが展開する)作品だ。

 本作品は5編の短編小説からなる。主人公は大学卒業以来働いていた職場で燃え尽きた36歳独身の女性だ。生活のためにハローワークで仕事を探す。担当者から紹介された短期の仕事を転々とする。その仕事の話だ。

 どんな仕事か。それを書いてもよいのだが、まだ読んでいない方のためには、書かないほうがよいような気がする。まずどんな仕事か知るところから読み始め、少しずつ仕事をする、その過程を主人公と共有したほうがおもしろいのではないか。

 仕事は5回転々とする。どれも変わった仕事だ。上述のように、元の仕事で燃え尽きた主人公は、今はいわば“リハビリ”状態だ。だからというわけでもないだろうが、1つ目の仕事はもっとも動きが少ない。じっとしている仕事だ。2つ目、3つ目と進むうちに少しずつ動きが出てくる。4つ目、5つ目では外の仕事になる(3つ目までは室内の仕事だ)。

 5編全体を通じて、主人公の精神状態は緩やかな上昇カーブを描く。燃え尽き症候群からの回復だろう。だが、5編全体は主人公の再生物語ではない。それぞれの仕事に戸惑い、でもなんとかやっていく主人公の、テンションの低い、戸惑いの物語だ。上述した作者の目線の低さが、読者に安心感を与える。そして私も(俺も)そうだよなと、素直になれる。

 5つの仕事の内容に立ち入らないように気を付けながら、各編に少し触れてみよう。1つ目の仕事には女性作家が出てくる。執筆に集中せず、散漫な生活をしている。それは津村記久子の自画像ではないかと思って読むとおもしろい。3つ目の仕事は津村記久子の筆がもっとも生き生きしている。津村記久子に向いている仕事ではないかと‥。5つ目の仕事では津村記久子は先の展開が読めるような書き方をしている。だが、実際の展開は予想をこえて裾野を広げ、5編全体を着地させる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津村記久子「サキの忘れ物」

2023年07月05日 | 読書
 津村記久子の短編小説集「サキの忘れ物」には9編の作品が収められている。初出の時期も媒体もばらばらだ。テーマと方法も異なる。それでいて全体は確固たる津村記久子ワールドになっている。平明で、目線が低く、小さいもの・弱いものに温かい視線を注ぐ文学世界だ。

 表題作の「サキの忘れ物」は高校を中退した千春が主人公だ。病院に併設された喫茶店でアルバイトをしている。アルバイトの先輩の女性や男性の店長が点描される。ほとんど毎日来店する年配の女性客が、ある日、忘れ物をする。それが題名の「サキの忘れ物」だ。サキとは何だろう。読んでからのお楽しみだ。

 千春は長編小説「水車小屋のネネ」の第1話の主人公・理佐の前身のように見える。18歳の理佐は高校を卒業した後、8歳の妹を連れて、山間のそば屋で働き始める。理佐も千春も人生に問題がある。でも、自分の居場所を見つけて生きる。第2話では理佐の10年後の姿が描かれる。千春も「サキの忘れ物」の末尾で10年後の姿が描かれる。

 「河川敷のガゼル」には不登校と思われる少年が登場する。河川敷に現れたガゼル(ガゼルとは何だろう。知っている人もいるかもしれないが、わたしは知らなかった。スマホで検索した)を一心不乱に見ている。少年は「水車小屋のネネ」の第3話に登場する中学3年生の研司の前身のように見える。研司は第4話では10年後の姿が、そしてエピローグでは20年後の姿が描かれる。「河川敷のガゼル」の少年は中学3年生で終わる。「水車小屋のネネ」の研司に引き継がれるのだろう。

 「サキの忘れ物」に戻ると、登場人物のひとりに千春の高校時代の友人の美結(みゆ)がいる。ちょっと困った人物だ。千春は美結との付き合いに疲れて高校を中退した。その美結が千春のバイト先の喫茶店に現れる。また千春を困らせる。その描写が、あるある感でいっぱいだ。津村記久子はそんな困った人物の描き方がうまい。うまさが全開の作品が「行列」と「喫茶店の周波数」だ。一方、「水車小屋のネネ」には困った人物が出てこない。「水車小屋のネネ」の読後感が児童文学に似ているのはそれも一因だろう。なお、付言すると、「行列」はシュールな作品でもある。「Sさんの再訪」もある意味でシュールだ。

 「ペチュニアフォールを知る二十の名所」と「真夜中をさまようゲームブック」は方法論的なおもしろさがある。「ペチュニアフォール‥」は、どうやったらこういう方法を思いつくのかと驚く(それがどんな方法か、説明するのは野暮だろう)。「真夜中をさまよう‥」はゲームブックという方法で書かれている。第二次世界大戦後のクラシック音楽で、複数の音楽の断片を作曲して、演奏順は演奏者にゆだねる「管理された偶然性」の音楽が現れた。その発想と似ている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津村記久子「水車小屋のネネ」

2023年07月02日 | 読書
 津村記久子は好きな作家だ。最新作の「水車小屋のネネ」も期待して読んだ。期待通りの作品だ。18歳の理佐と8歳の律の姉妹は、母子家庭で育った。最近母親に婚約者ができた。母親は婚約者の事業のために理佐の短大の入学資金を使ってしまう。婚約者はすでに同居している。律につらく当たる。理佐は職安に行く。山間のそば屋を紹介される。求人票には「鳥の世話じゃっかん」と不思議な付記がある。ともかくアパートを安く借りられ、かつ、まかない付きなので、理佐はそこで働くことにする。律にいうと、律もついてくるという。理佐は律を連れて山間のそば屋に行く。

 理佐と律の二人暮らしが始まる。そば屋の経営者の夫婦と近所に住む画家の女性、その他の人々が見守る中で、理佐はそば屋で働き、律は小学校に通う。ある日、母親の婚約者が現れる。二人はぎょっとする。婚約者は二人が心配だから来たわけではなく、事情があったからだ。母親も現れる。理佐が母親と婚約者にいう言葉に、わたしは震えるほど感動した。

 以上が「第1話 1981年」だ。その後10年おきに、「第2話 1991年」、「第3話 2001年」、「第4話 2011年」、「エピローグ 2021年」と続く。第2話では理佐は28歳、律は18歳になっている。聡という青年が現れる。理佐と同い年だ。聡は人生に挫折して、自暴自棄になっている。いろいろな出来事がある中で、理佐と聡は少しずつ距離を縮める。みずみずしい感性が脈打つ。

 「第3話 2001年」では研司という少年が現れる。中学3年生だ。母子家庭だが、母親が無気力になり、研司はほとんどネグレクトされている。そんな研司が律たちに支えられて成長する姿が、第3話以降に描かれる。

 律は第3話で述懐する。「自分はおそらく姉(引用者注:理佐)やあの人たち(同:8歳のころから今までに世話になった多くの人たち)や、これまでに出会ったあらゆる人々の良心でできあがっている」と。このような述懐ができる人は幸せだ。しかもこの述懐は、律で終わらずに、研司に引き継がれる。「自分が元から持っているものはたぶん何もなくて、そうやって出会った人が分けてくれたいい部分で自分はたぶん生きているって」と(第4話)。良心のリレーがこの作品のテーマだ。

 表題のネネは水車小屋で飼われている鳥の名前だ。人間の言葉をしゃべる。オウムでもインコでもなく、ヨウムという種類の鳥だ。人間の3歳児くらいの知能があるらしい。そして50年も生きる。ネネは水車小屋の番人だ。そばの実を挽いて粉にする石臼を見張っている。そばの実が空になりそうだと、「空っぽ!」といって教える。ネネは歌をうたう。ネネはみんなの人気者だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森鴎外「護持院原の敵討」

2023年01月12日 | 読書
 森鴎外の歴史小説の中からもう一作、「護持院原の敵討」(ごじいんがはらのかたきうち)を取り上げたい(岩波文庫では「大塩平八郎」↑の中に入っている)。これも名作なので、あらすじの紹介は不要かもしれないが、未読の方のためにざっと紹介すると、江戸城の大手門(いまでも竹橋付近にある)の向かいの大名屋敷に泥棒が入り、宿直していた山本三右衛門という武士が殺される。犯人は亀蔵という使用人であることがわかる。遺族は敵討ちを願い出て、許しを得る。亀蔵の行方を追う旅に出て、艱難辛苦の末、敵討ちを果たす。

 今なら防犯カメラで亀蔵の足取りがつかめそうだが、江戸時代のことなので、足取りはおろか、写真もないので、亀蔵の顔さえわからない。そこで長男の宇平(19歳)と故人の弟・山本九郎右衛門(45歳)は、亀蔵の顔を知る文吉(42歳)という男を連れて旅に出る。長女のりよ(22歳)も同行を望んだが、どこに行ったらいいのか、あてもなく、また何年かかるかもわからない旅なので、女には無理と退けられた。

 宇平、九郎右衛門、文吉、りよ、それぞれの人物像が鮮明だ。最後には、九郎右衛門、文吉、りよの三人は立派に敵討ちを果たす。一方、宇平は旅の途中で脱落する。そんなダメ男の宇平が興味深い。

 旅の途中で、亀蔵の足取りがつかめずに途方に暮れ、まれに亀蔵らしき人物の情報を得ても、ことごとく空振りに終わるうちに、宇平、九郎衛門、文吉は疲れきる。病気にもなる。資金も尽きる。そのとき宇平は九郎右衛門にいう。「おじさん。わたし共は随分歩くには歩きました。しかし歩いたってこれは見附からないのが当前かも知れません。」(岩波文庫より引用。以下同じ)。九郎右衛門はいう。「神仏の加護があれば敵にはいつか逢われる。」。宇平はいう。「おじさん。あなたは神や仏が本当に助けてくれるものだと思っていますか。」。九郎右衛門は宇平の言葉に「一種の気味悪さを感じた。」と。

 たしかに宇平の言葉にはニヒリズムが漂う。だが、当時はともかく、現代の感覚では、わからないでもない。むしろよくわかる。宇平は旅から脱落するが、その後どうなったか。鴎外はなにも書いていない。身を持ち崩して裏社会に入ったか、それとも乞食坊主にでもなったか……と思う。ところが、史実では、敵討が終わった後に現れて、隠居処分を受けたと注釈にある。なんだかつまらない注釈だ。

 鴎外は最後にこの敵討を賛美する歌を紹介する。そしてこう結ぶ。「幸に大田七左衛門(引用者注:狂歌作者)が死んでから十二年程立っているので、もうパロディを作って屋代(引用者注:歌の作者)を揶揄うものもなかった。」と。敵討礼讃に水を差すような一文だ。鴎外はなぜこの一文を書いたのか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森鴎外「阿部一族」(2)

2023年01月09日 | 読書
(承前)
 「阿部一族」には前回取り上げた林外記(はやし・げき)以外にも興味深い人物が多い。中でも特異な存在感を放つのが柄本又七郎(つかもと・またしちろう)だ。又七郎は阿部邸の隣家に住む武士。阿部家と柄本家は日頃から親しく交わる仲だった。とくに又七郎は阿部家の二男・弥五兵衛と親しかった。二人は槍の腕前を競い合った。

 阿部一族が屋敷に立てこもり、明朝には討手(討伐隊)が攻め込むという前夜、又七郎は女房をひそかに阿部家に行かせ、慰問する。「阿部一族の喜は非常であった。」(岩波文庫より引用)とある。だが、又七郎はこうも考える。少々長いが、引用すると、「阿部一家は自分とは親しい間柄である。それで後日の咎もあろうかとは思いながら、女房を見舞いにまで遣った。しかしいよいよ明朝は上の討手が阿部家へ来る。これは逆賊を征伐せられるお上の軍も同じ事である。御沙汰には火の用心をせい、手出しをするなといってあるが、武士たるものがこの場合に懐手をして見ていられたものでは無い。情は情、義は義である。」(同)と。

 一夜明けて討手が阿部家に攻め込むと、又七郎は庭越しに阿部家に侵入し、弥五兵衛と槍を交えて、「弥五兵衛の胸板をしたたかに衝き抜いた。」(同)。

 又七郎のこの行為をどう考えるか。わたしには、せっかく前夜に見せた勇気ある心配りを台無しにする行為だと思えるが……。また上記の理屈は(少なくとも現代の目で見れば)硬直的なように思えるが。

 又七郎については後日談がある。阿部一族の討伐が終わったとき、又七郎に「第一の功」(同)が与えられる。又七郎は親戚朋友に笑って、こういう。「元亀天正の頃は、城攻野合せが朝夕の飯同様であった。阿部一族討取りなぞは茶の子の茶の子の朝茶の子じゃ」(同)と。これを豪傑というのだろうか。わたしには愚鈍な人物に思える。

 又七郎が特異な存在感を放つのは理由がありそうだ。「阿部一族」は「阿部茶事談」(明和2年(1765年)、谷不泄編)という資料に依拠している。当資料は栖本又七郎(「阿部一族」では柄本又七郎)の証言に基づく。それゆえ又七郎の存在感が肥大化しているのではなかろうか。

 最後に、森鴎外はそもそも殉死をどう考えていたか、という問題に触れたい。「阿部一族」の成立経緯からいって(「阿部一族」は明治天皇の死去にともなう乃木希典の殉死を契機に書かれた)、殉死を否定してはいない。だが、それにしては、殉死をめぐる武家社会の意地の張り合いを事細かに書いている。陸軍の高級官僚だった森鴎外は、あえて尻尾をつかませない書き方をしているような気もする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする