Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

樋田毅「旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録」

2024年10月25日 | 読書
 樋田毅氏の「旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録」(以下「懺悔録」)を読んだ。大江益夫氏は1993年~1999年に旧統一教会(以下「統一教会」)の広報部長を務めた。その前後も統一教会と関連団体の要職を歴任した。その大江氏へのインタビュー本だ。

 インタビュアーの樋田毅氏は元朝日新聞記者。樋田氏はすでに「記者襲撃――赤報隊事件30年目の真実」(岩波書店)、「最後の社主――朝日新聞が封印した「御影の令嬢」へのレクイエム」(講談社)そして「彼は早稲田で死んだ――大学構内リンチ殺人事件の永遠」(文藝春秋社)の著書がある。わたしはすべて読んだ。どれもひじょうに惹かれた。そこで「懺悔録」も読んだ次第だ。

 統一教会の幹部だった人物の回顧録。自身が行い、また見聞きした事柄を率直に語っている。樋田氏とは思想信条が異なるはずだが、それにもかかわらず、二人のあいだに信頼関係が成立していることが窺われる。

 大江氏は広報部長時代に「事実を認め、社会がそれに対してどう思うかも認めるが、同時に信教の自由も認めるようにマスコミに求める」(わたしの言葉による要約だ)という姿勢を基本にしたそうだ。その姿勢が身についているのだろう。本書でも事実を認め、その事実が社会からどう見えるかも理解する。だが、信教の自由も認めてほしい、という姿勢が一貫する。結果、教団の存続を図る。それが大江氏の防衛ラインだろう。

 大江氏が認める事実には興味深い点が多々ある。たとえば統一教会に武装組織があった(今もある?)こと。前記の樋田氏の著作「記者襲撃」でも触れられた点だ。それが裏付けられた格好だ。大江氏の推定では400人ほどいたという。相当な数だ。武装組織(大江氏は「武闘派」と呼ぶ)はソ連(当時)、中国、北朝鮮の日本への武力侵攻に備えたものというが、武装組織である以上、いつ暴走しないともかぎらない。

 また自民党との関係では、自民党と深い関係があったことを前提に、いま解散命令請求が出されていることについて、「自民党は自らに対して解散命令請求を出すべし、と言いたいです。そして自ら解党していただきたい、と思っています。」と憤る。さんざん世話になったくせに、今になって切り捨てるのか、という怒りだ。それは本音だろう。だが一方では、自民党への牽制の意図があるかもしれない。

 余談だが、樋田氏と大江氏のあいだに信頼関係が成立したのは、二人が同時期に早稲田大学の学生だった(学部は違う)ことがあるかもしれない。その時期の早稲田は革マル派が起こした川口大三郎君の殺害事件で大揺れだった。わたしも同時期に早稲田大学の学生だった。わたしたちは同じ時代の空気を吸った。
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ケストナー没後50年(2):「動物会議」

2024年10月01日 | 読書
 ケストナーの「動物会議」は絵本だ。だが「飛ぶ教室」などの児童文学と同程度の内容がある。ケストナーの力作のひとつだ。絵は児童文学の第一作「エーミールと探偵たち」以来の盟友ヴァルター・トリアーが描いた。トリアーは「動物会議」刊行の2年後に亡くなった。「動物会議」がケストナーとの最後の仕事になった。

 「動物会議」は1949年に刊行された。まだ第二次世界大戦の傷跡が生々しいころだ。世界には難民があふれ、大量の孤児がいた。都市は荒廃していた。そんな時期なのに世界の首脳たちはまた戦争の準備をしている。その状況に憤ったケストナーが書いた作品が「動物会議」だ。

 どんな話か。世界の首脳たちがケープタウンで会議を開く。87回目だ。延々と会議をしている。結論は出ない。そんな状況に怒った動物の代表たちが動物ビルに集まる。代表たちは世界の首脳たちと対峙する。そして要求を突きつける。だが首脳たちは要求を拒否する。拒否することだけは一致する。他のことは一致しないのに。

 代表たちは実力行使に出る。だが人間のほうが利口だ。あっさり覆される。代表たちは弱気になる。でも諦めずに知恵を絞る。もう一度実力行使に出る。だがうまくいかない。代表たちは何をやってもダメかと思う。そのとき名案が浮かぶ。最後の実力行使に出る。今度は首脳たちも参ってしまう。首脳たちは要求をのむ。首脳たちは代表たちと条約を結ぶ。条約は次の5か条からなる(大意)。

 (1)地球上から国境をなくすこと。(2)もう戦争はしないこと。(3)人を殺すための研究はしないこと。(4)役所は縮小すること。(5)教員が一番高い給料をもらうこと(なぜなら教員は子どもを真の大人に育てるという大事な仕事をしているから)。

 以上が「動物会議」のプロットだ。繰り返すが、「動物会議」の刊行は1949年だ。75年前の作品だが、今の世界にも当てはまる。少しも古びていない。ということは、世界は75年前から変わっていないのだろうか。

 「動物会議」はプロットもおもしろいが、ディテールもおもしろい。たとえば代表たちが動物ビルにチェックインする場面。イルカの部屋は部屋全体に水を張ったプールだ。イルカは「水を40立方メートルもへらしてくれ」という。そのくらいのゆとりがないとジャンプできないからだ。キリンは上下2部屋を取ったが、「下の部屋のてんじょうに、大きな穴をあけてほしい」という。そうしないと首が伸ばせないからだ。ネズミは「部屋はいらないから、ネズミ穴がほしい」という。ケストナーは動物たちを一律に描かずに個性豊かに描く。それが「動物会議」に一貫する描き方だ。
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ケストナー没後50年(1):「独裁者の学校」

2024年09月28日 | 読書
 今年はドイツの作家エーリヒ・ケストナー(1899‐1974)の没後50年だ。ケストナーは「エーミールと探偵たち」、「飛ぶ教室」、「二人のロッテ」などの児童文学が有名だ。わたしも大ファンだ。だがケストナーの執筆活動は児童文学にかぎらない。今年2月にはケストナーの戯曲「独裁者の学校」の日本語訳が刊行された(酒寄進一訳、岩波文庫↑)。戯曲は珍しい。興味津々読んでみた。

 題名の「独裁者の学校」とは独裁者の替え玉を養成する学校だ。独裁者はすでに死んでいる。独裁勢力は独裁者の死を隠して、独裁者にそっくりな替え玉を仕立てる。独裁体制は続く。その替え玉も暗殺されることがある。だが困らない。替え玉は10人以上も養成されているからだ。

 独裁勢力の一人はいう。「(引用者注:たとえ独裁者が暗殺されても)大統領(=独裁者)はその都度、若返り、厳しくふるまい、より熱く、冷酷になる。それがわれわれの決めたことだ。世間は大統領の望みを先回りしてやるようでなくては。邪魔をする愚か者には災いあれ、だ!」(34頁)と。

 独裁者は暗殺されても、「その都度、若返り(中略)冷酷になる」とはゾッとするが、独裁体制の本質をついているのだろう。独裁体制とはシステムだ――それがナチス・ドイツを生きたケストナーの見た独裁体制の本質だろう。加えて、後段の「世間は大統領の望みを先回りしてやるようでなくては」というくだりは、少なくとも「世間」を「メディア」に置き換えれば、すでにいまの日本でも起きていることではないだろうか。

 「独裁者の学校」は1956年に刊行された。ケストナーの「まえがき」によれば、構想は20年前に生まれたという。20年前といえばナチスの全盛期だ。ケストナーはナチスの弾圧を受けながら(1933年にナチスが起こした焚書事件では作品を焼かれた)「独裁者の学校」の構想を練った。その豪胆さに驚く。

 だが「独裁者の学校」はシリアスな作品ではなく、コメディだ。凍りつくような場面もなくはないが、全体を通してコミカルだ。でもコミカルなやりとりの中に、上記のような独裁体制の本質をつくセリフがちりばめられている。

 もう一例をあげると、ある娼婦はいう。「裁判官は無実の人を有罪にするし、研究者は世界の没落にご執心。医者は依頼殺人に手を染める始末。なにが正しいかを、悪党が決めるようになってしまって、義を尊ぶ人は良心の呵責にさいなまれている。」(104頁)と。「なにが正しいかを、悪党が決める」とは独裁体制の本質だろう。コメディなので笑って読み飛ばすが(舞台なら、笑って聞き流すだろうが)、後で考えるとゾッとする。
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浅田次郎「帰郷」

2024年08月14日 | 読書
 浅田次郎の「帰郷」には6篇の短編小説が収められている。どれも太平洋戦争にまつわる話だ。一種の戦争文学だが、戦闘場面は「鉄の沈黙」にしか出てこない。しかも「鉄の沈黙」でさえ戦闘場面は最後の一瞬に過ぎない。大半はその前夜の話だ。

 6篇中、戦争中の話は「鉄の沈黙」と「無言歌」の2篇だけだ。「無言歌」は戦争中の話ではあるが、戦闘場面は出てこない。太平洋の底に沈んだ潜水艦の話だ。潜水艦は故障して航行不能になる。乗員は2人。だんだん酸素が乏しくなる。2人は銃後に残した女性の話をする。不思議なくらい穏やかな会話だ。最後の言葉が胸をうつ。

 残りの4篇は戦後の話だ。「夜の遊園地」を例にとって内容に触れると――時は戦後復興が始まったころ。所は東京の後楽園遊園地。主人公はアルバイトの大学生だ。父親は戦死した。母親は主人公を実家に預けて再婚した。主人公は伯父に育てられた。

 夜の後楽園遊園地に親子連れが訪れる。父親と息子だ。息子がジェットコースターに乗りたいとせがむ。だが、父親は乗ろうとしない。頑固に反対する。息子は泣きべそをかく。なぜ父親は反対するのか。どうやら戦争中に飛行機で墜落しかかったことがあるらしい。その記憶がトラウマになっているのだ。

 2つ目の遊戯施設はミラーハウスというもの。鏡とガラスでできた迷宮だ。主人公が中に入る。先に進もうとすると行き止まりになったり、戻ろうとすると向こうから自分が歩いてきたりする。そのとき母親と子どもの姿を見る。2人は互いに求めあっているが、すれちがう。2人は出会えない。主人公は別れた母親を想う。

 3つ目はお化け屋敷だ。親子連れが中に入る。だが、出てこない。心配した主人公が中に入る。すると息子が一人でたたずんでいる。父親は地面にうずくまり、震えながら両手を合わせている。目の前にはちぎれた人間の足にかぶりつく老婆の人形がある。父親は南方戦線の体験がよみがえったのだ。

 閉園の時間になる。主人公は掃除をしながら、明日は久しぶりに母親に電話をしようと思う。自分を捨てた母親へのわだかまりが消える。生きるためには仕方がなかったと、母親を受け入れる気持ちが芽生える――という話だ。-

 浅田次郎はわたしと同い年だ。「夜の遊園地」にはわたしが子供のころに見た風景が描かれている。まるで古いアルバムの写真を見るようだ。わたしはそこに自分を探す。わたしたちの世代は、「自分は何者か。どこから来たのか」と自分探しをするとき、親の戦争体験にぶつかる。「夜の遊園地」をふくむ「帰郷」の6篇は、親の世代の戦争体験をさぐる作品だ。
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ドルフマン「死と乙女」

2024年01月11日 | 読書
 チリで軍事クーデターが起きたのは1973年9月11日(「チリの9.11」といわれる)。2023年はクーデター発生後50年だった。チリではクーデター後、民主化を求める人々への弾圧が続いた。チリの作家、アリエル・ドルフマンの「死と乙女」(↑)は弾圧をテーマにした戯曲だ。

 登場人物はわずか3人。40歳前後の女性・パウリナは軍事政権当時、地下組織のメンバーだった。軍事政権の拷問をうけた。民政移管された今でも拷問の記憶がトラウマになっている。40歳過ぎの弁護士・ヘラルドはパウリナの夫だ。パウリナとともに地下組織のメンバーだった。パウリナが口を割らなかったので、逮捕を免れた。今は新政権のもとで、軍事政権が行った弾圧の調査委員会のメンバーになっている。3人目の登場人物は、50歳前後の医師・ロベルトだ。パウリナは拷問のあいだ、目隠しをされていたので、拷問者の顔を見ていないが、ロベルトの声を覚えている。パウリナはロベルトが拷問者のひとりだったと確信する。パウリナはロベルトに詰問する。ロベルトは否認する。

 パウリナはロベルトに復讐するのか。いや、真実を語らせようとする。ロベルトを罰するか、赦すか、それは二の次だ。まず真実を語れ、と。だがロベルトは否認する。ヘラルドは弁護士としてロベルトの人権にも配慮しようとする。ヘラルドの態度は正しいかもしれないが、パウリナの傷は癒されない。

 軍事政権による弾圧はチリだけではなく、カンボジアでも、ミャンマーでも、そして日本でも起きた。日本でも特高警察に拷問された人々がいる。他人事ではない。

 拷問の被害者・パウリナ、拷問の加害者・ロベルト、後日調査するヘラルドの3人は、弾圧をめぐる関係者の3つの典型だ。被害者は加害者に、まず事実を認めろと迫る。加害者は否認する。後日調査する者は、中立性を保とうとする。それは正しい立場だろうが、無力かもしれない。結果、どうなるか。被害者は加害者が平然と暮らす市民社会に生きなければならない。たとえば戦後のドイツがそうだった。強制収容所から生還したユダヤ人は、ナチスだったドイツ人が暮らす社会に住まなければならなかった。日本でもそうだ。特高警察の拷問にあった人々は、特高警察の一員だった人々が素知らぬ顔で暮らす社会を生きなければならなかった。

 題名の「死と乙女」はシューベルトの弦楽四重奏曲の曲名だ。ロベルトは拷問の際にカセットテープで音楽をかけた。その中に「死と乙女」があった。本書を訳した飯島みどり氏は「訳者解題」でイギリスの劇作家、ハロルド・ピンターの言葉を引用する。「拷問者が音楽好きで自分の子供たちには非常にやさしい人間だという事実は、二十世紀の歴史を通じて明白に証明されて来ました。」と。拷問と音楽。あまり考えたくないテーマだ。
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井伏鱒二「黒い雨」

2024年01月08日 | 読書
 能登半島の大地震や羽田空港の航空機事故の続報が連日入る。胸の痛む毎日だ。志賀原発もじつは危険な状態だったことが分かった。最初は「異常なし」といっていたが‥。

 気を取り直して、2023年に読んだ2冊の本の感想を書いておきたい。まず井伏鱒二の「黒い雨」から。「黒い雨」は、映画は観たが、原作は読んでいなかった。2023年は井伏鱒二(1898‐1993)の没後30年だったので、その機会に読んでみた。映画と原作はだいぶ異なる。映画は原爆の悲劇が抒情的に描かれていた。原作はむしろ散文的だ。原爆という空前絶後の惨事にあった一人の日本人の姿が描かれる。

 原作では閑間重松(しずま・しげまつ)という老人が前面に出る。重松は戦後、同居する姪の矢須子の縁談が持ち上がったので、縁談相手に矢須子は原爆投下当時、広島市内にはいなかった(被爆していない)ことを説明するために、当時の日記を清書する。日記に書かれた原爆投下当時の行動と戦後の日常生活が並行して進む。だが、結論を先にいうようだが、重松が清書する途中で、矢須子は原爆の後遺症を発症する。矢須子は、直接被爆はしていないが、黒い雨に当たっていた。縁談は破談になる。

 重松の日記は「被爆日記」と呼ばれる。原爆投下当時の記述が克明だ。重松は郊外の被服工場に勤めていた。出勤途中で被爆した。あてどなく広島市内をさまよう。次から次へと想像を絶する光景に出会う。まさに地獄絵だ。

 周知のように「被爆日記」には原典がある。ある方の日記だ。わたしは未読だが、その日記も出版されているらしい。井伏鱒二は筆者の許諾を取って「黒い雨」に使った。だからだろう。ディテールが生々しい。井伏鱒二がいくら大作家だからといって、作家の想像力を超えると思われるディテールが続出する。

 それらのディテールを繰り返しても仕方がないので、印象的なエピソードを2点取り上げたい。1点目は軍の頼りなさだ。重松の勤める被服工場は軍の納入業者だ。重松は被爆直後に、工場を再稼働するための石炭が足りないので、軍に相談する。だが軍の担当者は「会議を開いた上で結論を出さんければならん」の一点張りだ。軍にかぎらず役所というものは非常時には頼りにならないものらしい。2点目は悪事の横行だ。被爆直後に軍人数人が被服工場に押しかける。「軍が預けた保管食糧を受け取りにきた」と。軍人たちはトラックで食糧を運び去る。だがそれは詐欺だった。被服工場の担当者はしょげ返る。「一生かかっても軍に弁済します」と。

 役所の頼りなさと悪事の横行は、東日本大震災のときも起きたし、現在の能登半島地震でも起きているようだ。
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津村記久子「とにかくうちに帰ります」

2023年10月01日 | 読書
 津村記久子の「水車小屋のネネ」が今年の谷崎潤一郎賞を受賞した。わたしは津村記久子のファンなので喜んだ。「水車小屋のネネ」も読んでいた。とくに第1話と第2話のみずみずしさに感動した。でも、ファンの心理とはおもしろいもので、自分だけの大事な作品がある。わたしの場合、それは「とにかくうちに帰ります」だ。

 「とにかくうちに帰ります」のどこが好きかと自問すると、ちょっと考えてしまう。しばらく考えた末に、たぶん津村記久子の特徴がバランスよく入っているからだろう、という考えに落ち着く。

 津村記久子の特徴とは何か。まず日常生活で感じる小さなイライラが、あるある感いっぱいに書かれる点だ。だれかのマイペースなふるまいにイライラする。その描写がリアルで、かつユーモラスだ。それは津村記久子のどの作品にも共通する。もちろん「とにかくうちに帰ります」にも。

 「とにかくうちに帰ります」のストーリーを大雑把にいうと、大雨が襲来する午後に職場から、あるいは学習塾から帰る人々の話だ。主人公の女性会社員・ハラは、職場の後輩の男性社員・オニキリのマイペースさに普段からイライラしている。ハラはそんなオニキリに帰路立ち寄ったコンビニで出会ってしまう。仕方ないので、ハラはオニキリと一緒に大雨の中を歩く。小さな出来事がいろいろ起き、ハラはイライラするが、やがてオニキリの意外な良さにも気付く。その描写が鮮やかだ。

 津村記久子のもうひとつの特徴に、多くの作品に親との関係がうまくいかない(あるいはネグレクトされている)子どもが出てくる点がある。本作品の場合は学習塾から帰る小学5年生の少年・ミツグがそれだ。両親は離婚し、いまは母親に育てられている。そのミツグが妙に大人っぽい。子どものヴァリエーションのひとつだ。

 ミツグは家路を急ぐ途中で傘が壊れる。コンビニの軒先で雨宿りをしながら、傘を直そうとするが、直らない。そのときハラとは別の会社の男性社員・サカキが通りかかる。ミツグに声をかける。コンビニで傘を買ってやる。二人は一緒に歩き始める。じつはサカキも離婚している。子どもは別れた妻が育てている。明日は子どもに会う日だ。お土産も買ってある。子どもを思って感傷的になるサカキを少年・ミツグが励ます。

 レインコートをめぐって、ミツグはサカキに助けられ、サカキはオニキリに助けられる。小さな助け合いは津村記久子の特徴だ。最後にもう一点。津村記久子の作品には決め台詞が出てくる場合がある。本作品の場合はミツグがそれをいう。「雨ひどくてほんと寒かったけど、人の暖かみを感じる日ではあった」と。妙に大人びた口調が可笑しい。
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津村記久子「この世にたやすい仕事はない」

2023年07月23日 | 読書
 友人と隔月に読書会を開いている。テーマは交代で選ぶ。7月はわたしの番だったので、村田紗耶香の「コンビニ人間」と津村記久子の「とにかくうちに帰ります」を選んだ(二人は同世代だ)。ところが読書会の前に友人と連絡を取ると、友人は勘違いして津村記久子は「この世にたやすい仕事はない」を読んでいるという。わたしはそれを読んだことがなかったので、良い機会だからと、読んでみた。

 そういうわけで、偶然のきっかけから、「この世にたやすい仕事はない」を読んだ。これもおもしろい。芸術選奨文部科学大臣新人賞の受賞作品だが、そのような晴れの舞台がふさわしくないと思えるほど、目線の低い、弱い者・うだつのあがらない者に寄り添う(つまり津村記久子ワールドが展開する)作品だ。

 本作品は5編の短編小説からなる。主人公は大学卒業以来働いていた職場で燃え尽きた36歳独身の女性だ。生活のためにハローワークで仕事を探す。担当者から紹介された短期の仕事を転々とする。その仕事の話だ。

 どんな仕事か。それを書いてもよいのだが、まだ読んでいない方のためには、書かないほうがよいような気がする。まずどんな仕事か知るところから読み始め、少しずつ仕事をする、その過程を主人公と共有したほうがおもしろいのではないか。

 仕事は5回転々とする。どれも変わった仕事だ。上述のように、元の仕事で燃え尽きた主人公は、今はいわば“リハビリ”状態だ。だからというわけでもないだろうが、1つ目の仕事はもっとも動きが少ない。じっとしている仕事だ。2つ目、3つ目と進むうちに少しずつ動きが出てくる。4つ目、5つ目では外の仕事になる(3つ目までは室内の仕事だ)。

 5編全体を通じて、主人公の精神状態は緩やかな上昇カーブを描く。燃え尽き症候群からの回復だろう。だが、5編全体は主人公の再生物語ではない。それぞれの仕事に戸惑い、でもなんとかやっていく主人公の、テンションの低い、戸惑いの物語だ。上述した作者の目線の低さが、読者に安心感を与える。そして私も(俺も)そうだよなと、素直になれる。

 5つの仕事の内容に立ち入らないように気を付けながら、各編に少し触れてみよう。1つ目の仕事には女性作家が出てくる。執筆に集中せず、散漫な生活をしている。それは津村記久子の自画像ではないかと思って読むとおもしろい。3つ目の仕事は津村記久子の筆がもっとも生き生きしている。津村記久子に向いている仕事ではないかと‥。5つ目の仕事では津村記久子は先の展開が読めるような書き方をしている。だが、実際の展開は予想をこえて裾野を広げ、5編全体を着地させる。
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津村記久子「サキの忘れ物」

2023年07月05日 | 読書
 津村記久子の短編小説集「サキの忘れ物」には9編の作品が収められている。初出の時期も媒体もばらばらだ。テーマと方法も異なる。それでいて全体は確固たる津村記久子ワールドになっている。平明で、目線が低く、小さいもの・弱いものに温かい視線を注ぐ文学世界だ。

 表題作の「サキの忘れ物」は高校を中退した千春が主人公だ。病院に併設された喫茶店でアルバイトをしている。アルバイトの先輩の女性や男性の店長が点描される。ほとんど毎日来店する年配の女性客が、ある日、忘れ物をする。それが題名の「サキの忘れ物」だ。サキとは何だろう。読んでからのお楽しみだ。

 千春は長編小説「水車小屋のネネ」の第1話の主人公・理佐の前身のように見える。18歳の理佐は高校を卒業した後、8歳の妹を連れて、山間のそば屋で働き始める。理佐も千春も人生に問題がある。でも、自分の居場所を見つけて生きる。第2話では理佐の10年後の姿が描かれる。千春も「サキの忘れ物」の末尾で10年後の姿が描かれる。

 「河川敷のガゼル」には不登校と思われる少年が登場する。河川敷に現れたガゼル(ガゼルとは何だろう。知っている人もいるかもしれないが、わたしは知らなかった。スマホで検索した)を一心不乱に見ている。少年は「水車小屋のネネ」の第3話に登場する中学3年生の研司の前身のように見える。研司は第4話では10年後の姿が、そしてエピローグでは20年後の姿が描かれる。「河川敷のガゼル」の少年は中学3年生で終わる。「水車小屋のネネ」の研司に引き継がれるのだろう。

 「サキの忘れ物」に戻ると、登場人物のひとりに千春の高校時代の友人の美結(みゆ)がいる。ちょっと困った人物だ。千春は美結との付き合いに疲れて高校を中退した。その美結が千春のバイト先の喫茶店に現れる。また千春を困らせる。その描写が、あるある感でいっぱいだ。津村記久子はそんな困った人物の描き方がうまい。うまさが全開の作品が「行列」と「喫茶店の周波数」だ。一方、「水車小屋のネネ」には困った人物が出てこない。「水車小屋のネネ」の読後感が児童文学に似ているのはそれも一因だろう。なお、付言すると、「行列」はシュールな作品でもある。「Sさんの再訪」もある意味でシュールだ。

 「ペチュニアフォールを知る二十の名所」と「真夜中をさまようゲームブック」は方法論的なおもしろさがある。「ペチュニアフォール‥」は、どうやったらこういう方法を思いつくのかと驚く(それがどんな方法か、説明するのは野暮だろう)。「真夜中をさまよう‥」はゲームブックという方法で書かれている。第二次世界大戦後のクラシック音楽で、複数の音楽の断片を作曲して、演奏順は演奏者にゆだねる「管理された偶然性」の音楽が現れた。その発想と似ている。
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津村記久子「水車小屋のネネ」

2023年07月02日 | 読書
 津村記久子は好きな作家だ。最新作の「水車小屋のネネ」も期待して読んだ。期待通りの作品だ。18歳の理佐と8歳の律の姉妹は、母子家庭で育った。最近母親に婚約者ができた。母親は婚約者の事業のために理佐の短大の入学資金を使ってしまう。婚約者はすでに同居している。律につらく当たる。理佐は職安に行く。山間のそば屋を紹介される。求人票には「鳥の世話じゃっかん」と不思議な付記がある。ともかくアパートを安く借りられ、かつ、まかない付きなので、理佐はそこで働くことにする。律にいうと、律もついてくるという。理佐は律を連れて山間のそば屋に行く。

 理佐と律の二人暮らしが始まる。そば屋の経営者の夫婦と近所に住む画家の女性、その他の人々が見守る中で、理佐はそば屋で働き、律は小学校に通う。ある日、母親の婚約者が現れる。二人はぎょっとする。婚約者は二人が心配だから来たわけではなく、事情があったからだ。母親も現れる。理佐が母親と婚約者にいう言葉に、わたしは震えるほど感動した。

 以上が「第1話 1981年」だ。その後10年おきに、「第2話 1991年」、「第3話 2001年」、「第4話 2011年」、「エピローグ 2021年」と続く。第2話では理佐は28歳、律は18歳になっている。聡という青年が現れる。理佐と同い年だ。聡は人生に挫折して、自暴自棄になっている。いろいろな出来事がある中で、理佐と聡は少しずつ距離を縮める。みずみずしい感性が脈打つ。

 「第3話 2001年」では研司という少年が現れる。中学3年生だ。母子家庭だが、母親が無気力になり、研司はほとんどネグレクトされている。そんな研司が律たちに支えられて成長する姿が、第3話以降に描かれる。

 律は第3話で述懐する。「自分はおそらく姉(引用者注:理佐)やあの人たち(同:8歳のころから今までに世話になった多くの人たち)や、これまでに出会ったあらゆる人々の良心でできあがっている」と。このような述懐ができる人は幸せだ。しかもこの述懐は、律で終わらずに、研司に引き継がれる。「自分が元から持っているものはたぶん何もなくて、そうやって出会った人が分けてくれたいい部分で自分はたぶん生きているって」と(第4話)。良心のリレーがこの作品のテーマだ。

 表題のネネは水車小屋で飼われている鳥の名前だ。人間の言葉をしゃべる。オウムでもインコでもなく、ヨウムという種類の鳥だ。人間の3歳児くらいの知能があるらしい。そして50年も生きる。ネネは水車小屋の番人だ。そばの実を挽いて粉にする石臼を見張っている。そばの実が空になりそうだと、「空っぽ!」といって教える。ネネは歌をうたう。ネネはみんなの人気者だ。
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森鴎外「護持院原の敵討」

2023年01月12日 | 読書
 森鴎外の歴史小説の中からもう一作、「護持院原の敵討」(ごじいんがはらのかたきうち)を取り上げたい(岩波文庫では「大塩平八郎」↑の中に入っている)。これも名作なので、あらすじの紹介は不要かもしれないが、未読の方のためにざっと紹介すると、江戸城の大手門(いまでも竹橋付近にある)の向かいの大名屋敷に泥棒が入り、宿直していた山本三右衛門という武士が殺される。犯人は亀蔵という使用人であることがわかる。遺族は敵討ちを願い出て、許しを得る。亀蔵の行方を追う旅に出て、艱難辛苦の末、敵討ちを果たす。

 今なら防犯カメラで亀蔵の足取りがつかめそうだが、江戸時代のことなので、足取りはおろか、写真もないので、亀蔵の顔さえわからない。そこで長男の宇平(19歳)と故人の弟・山本九郎右衛門(45歳)は、亀蔵の顔を知る文吉(42歳)という男を連れて旅に出る。長女のりよ(22歳)も同行を望んだが、どこに行ったらいいのか、あてもなく、また何年かかるかもわからない旅なので、女には無理と退けられた。

 宇平、九郎右衛門、文吉、りよ、それぞれの人物像が鮮明だ。最後には、九郎右衛門、文吉、りよの三人は立派に敵討ちを果たす。一方、宇平は旅の途中で脱落する。そんなダメ男の宇平が興味深い。

 旅の途中で、亀蔵の足取りがつかめずに途方に暮れ、まれに亀蔵らしき人物の情報を得ても、ことごとく空振りに終わるうちに、宇平、九郎衛門、文吉は疲れきる。病気にもなる。資金も尽きる。そのとき宇平は九郎右衛門にいう。「おじさん。わたし共は随分歩くには歩きました。しかし歩いたってこれは見附からないのが当前かも知れません。」(岩波文庫より引用。以下同じ)。九郎右衛門はいう。「神仏の加護があれば敵にはいつか逢われる。」。宇平はいう。「おじさん。あなたは神や仏が本当に助けてくれるものだと思っていますか。」。九郎右衛門は宇平の言葉に「一種の気味悪さを感じた。」と。

 たしかに宇平の言葉にはニヒリズムが漂う。だが、当時はともかく、現代の感覚では、わからないでもない。むしろよくわかる。宇平は旅から脱落するが、その後どうなったか。鴎外はなにも書いていない。身を持ち崩して裏社会に入ったか、それとも乞食坊主にでもなったか……と思う。ところが、史実では、敵討が終わった後に現れて、隠居処分を受けたと注釈にある。なんだかつまらない注釈だ。

 鴎外は最後にこの敵討を賛美する歌を紹介する。そしてこう結ぶ。「幸に大田七左衛門(引用者注:狂歌作者)が死んでから十二年程立っているので、もうパロディを作って屋代(引用者注:歌の作者)を揶揄うものもなかった。」と。敵討礼讃に水を差すような一文だ。鴎外はなぜこの一文を書いたのか。
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森鴎外「阿部一族」(2)

2023年01月09日 | 読書
(承前)
 「阿部一族」には前回取り上げた林外記(はやし・げき)以外にも興味深い人物が多い。中でも特異な存在感を放つのが柄本又七郎(つかもと・またしちろう)だ。又七郎は阿部邸の隣家に住む武士。阿部家と柄本家は日頃から親しく交わる仲だった。とくに又七郎は阿部家の二男・弥五兵衛と親しかった。二人は槍の腕前を競い合った。

 阿部一族が屋敷に立てこもり、明朝には討手(討伐隊)が攻め込むという前夜、又七郎は女房をひそかに阿部家に行かせ、慰問する。「阿部一族の喜は非常であった。」(岩波文庫より引用)とある。だが、又七郎はこうも考える。少々長いが、引用すると、「阿部一家は自分とは親しい間柄である。それで後日の咎もあろうかとは思いながら、女房を見舞いにまで遣った。しかしいよいよ明朝は上の討手が阿部家へ来る。これは逆賊を征伐せられるお上の軍も同じ事である。御沙汰には火の用心をせい、手出しをするなといってあるが、武士たるものがこの場合に懐手をして見ていられたものでは無い。情は情、義は義である。」(同)と。

 一夜明けて討手が阿部家に攻め込むと、又七郎は庭越しに阿部家に侵入し、弥五兵衛と槍を交えて、「弥五兵衛の胸板をしたたかに衝き抜いた。」(同)。

 又七郎のこの行為をどう考えるか。わたしには、せっかく前夜に見せた勇気ある心配りを台無しにする行為だと思えるが……。また上記の理屈は(少なくとも現代の目で見れば)硬直的なように思えるが。

 又七郎については後日談がある。阿部一族の討伐が終わったとき、又七郎に「第一の功」(同)が与えられる。又七郎は親戚朋友に笑って、こういう。「元亀天正の頃は、城攻野合せが朝夕の飯同様であった。阿部一族討取りなぞは茶の子の茶の子の朝茶の子じゃ」(同)と。これを豪傑というのだろうか。わたしには愚鈍な人物に思える。

 又七郎が特異な存在感を放つのは理由がありそうだ。「阿部一族」は「阿部茶事談」(明和2年(1765年)、谷不泄編)という資料に依拠している。当資料は栖本又七郎(「阿部一族」では柄本又七郎)の証言に基づく。それゆえ又七郎の存在感が肥大化しているのではなかろうか。

 最後に、森鴎外はそもそも殉死をどう考えていたか、という問題に触れたい。「阿部一族」の成立経緯からいって(「阿部一族」は明治天皇の死去にともなう乃木希典の殉死を契機に書かれた)、殉死を否定してはいない。だが、それにしては、殉死をめぐる武家社会の意地の張り合いを事細かに書いている。陸軍の高級官僚だった森鴎外は、あえて尻尾をつかませない書き方をしているような気もする。
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森鴎外「阿部一族」(1)

2023年01月06日 | 読書
 2022年は森鴎外(1862‐1922)の没後100年だった。そこで鴎外の歴史小説をまとめて読んでみた。まず感嘆したのは簡潔明瞭な文体だ。一文たりとも足したり引いたりできない完璧さだ。その点では、「山椒大夫」と「最後の一句」が双璧だと思う。だが、文体だけではなく、現代の視点で見ても、鴎外の歴史小説には興味深い人物が描かれている。それらの人物を何人か拾ってみよう。

 まず「阿部一族」から。名作中の名作なので、ストーリーを紹介するまでもないだろうが、ざっと紹介すると、寛永18年(1641年)に熊本藩主・細川忠利が病死する。家臣18人が殉死する。ところが阿部弥一右衛門には殉死の許しが出なかった(殉死は許しを得てするものらしい。許しを得ない場合は、犬死とされる)。殉死をせずに生き残ることは、武士には耐えられない屈辱のようだ(そのへんの事情は現代社会からは想像が難しい)。弥一右衛門は許しを得ずに切腹する。だが、武士仲間からの蔑視はやまない。故忠利の一周忌の法要が営まれたとき、弥一右衛門の長男は、ある行動に出る。藩主(故忠利の子・光尚)はその行動を反抗ととらえて、阿部一族を滅ぼす。

 興味深いのは、弥一右衛門に殉死の許しが出なかった事情だ。弥一右衛門は病床の忠利に殉死の許しを願い出る。だが、「一体忠利は弥一右衛門の言うことを聴かぬ癖が附いている。これは余程古くからの事で、まだ猪之助といって小姓を勤めていた頃も、猪之助が「御膳を差し上げましょうか」と伺うと、「まだ空腹にはならぬ」という。外の小姓が申し上げると、「好い、出させい」という。忠利はこの男の顔を見ると、反対したくなるのである。」(岩波文庫より引用)。

 現代社会でも(民間会社であろうと官庁であろうと)、長年組織に勤めた人なら、同じような経験をした人も多いのではなかろうか。相手は決定的に強い立場にある(生殺与奪権を握られている場合も多い)。こちらが状況を改善しようとすればするほど、状況はこじれる。そんな厄介な状況が妙にリアルに描かれている。そこには鴎外の経験が投影されているのではないかと……。

 もう一点興味深いのは、林外記(はやし・げき)という人物だ。外記は新藩主・光尚の側近だ。外記は「小才覚があるので、(引用者注:光尚の)若殿様時代のお伽には相応していたが、物の大体を見る事に於ては及ばぬ所があって、とかく苛察に傾きたがる男であった。阿部弥一右衛門は故殿様のお許しを得ずに死んだのだから、真の殉死者と弥一右衛門との間には境界を附けなくてはならぬと考えた。」(同)。その「境界」が問題をこじらせた。現代社会でも、何事によらず、とかく「境界」(区別と言い替えてもよい)をつけたがる人物がいる。それが人間関係を窮屈にする。周りの人々は皆迷惑に思っている。だが、そんな人物にかぎって上司の覚えがめでたい。鴎外の周囲にもいたのだろうか。(続く)
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久生十蘭短篇選

2022年08月09日 | 読書
 久生十蘭(ひさお・じゅうらん)(1902‐1957)には根強いファンがいるようだ。わたしはいままで読んだことがなかったが、先日、あるきっかけから、岩波文庫の「久生十蘭短篇選」を読んだ。

 同書には15篇の短編小説が収められている。一作を除いて、あとは戦後間もないころの作品だ。どの作品にも戦後社会が色濃く反映している。わたしは学生のころ(もう50年も前だ)、野間宏などの第一次戦後派の作品を読んでいた(もうすっかり記憶が薄れているが)。今度、久生十蘭の作品を読んで、戦後社会の実相というか、庶民的な感覚は、久生十蘭の作品のほうがよく反映しているのではないかと思った。

 戦中に書かれた一作をふくめて、15篇すべてがおもしろかったが、あえてベストスリーを選ぶとしたら、どうなるだろうと自問した。お遊びのようなものだが、やってみた。まずベストワンは「母子像」だ。16ページあまりの小品だ。そのなかで凝縮したストーリーが展開する。

 極端に短いので、ストーリーを紹介するまでもないだろう。推理小説にも似た展開だ。ストーリーの背景には、戦争末期のサイパン島での日本人の集団自決、戦後間もないころの戦争孤児、朝鮮戦争の勃発、米兵相手の日本人女性の売春など、戦中・戦後の社会の諸相が織りこまれる。そんな社会の荒波にもまれた少年の悲しい物語だ。

 本作品は1954年に讀賣新聞に発表された。その後、吉田健一が英訳して1955年の「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」主催の第2回世界短篇小説コンクールで第一席となった。久生十蘭は1957年に食道がんで亡くなったので、その2年前の朗報だ。

 「母子像」と同じくらい印象的だったのは「蝶の絵」だ。こちらは46ページあるので、15篇中では長いほうだ。ストーリーは二転三転する。その二転三転のなかで、スマトラ、ニューギニアなどでの日本兵の飢餓、マニラでの情報工作、住民虐殺、そして戦後それらの記憶に苦しむ人物が織りこまれる。本作品には「マリポサMariposa(蝶)」という唄が出てくる。ティト・スキーパTito Schipa(1889‐1965)という歌手(調べてみると、意外なことにオペラ歌手だ)が1922年にうたった唄だ。いまでもYouTubeで聴くことができる。便利な時代になったものだ。

 もう一作は「黄泉から」を選ぶ。敗戦の翌年の1946年(昭和21年)7月13日のお盆の入りの出来事を描いた作品だ。戦後の喧騒に紛れてお盆などは眼中にない人々と、戦争で亡くなった人々を悼む人々とのコントラストを背景とする。作中に「コント」(conte=フランス語で短編小説)という言葉が出てくる。本作品は上質なコントだ。
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川端康成「眠れる美女」

2022年06月13日 | 読書
 川端康成の「眠れる美女」は紛れもない傑作だと思う。三島由紀夫は新潮文庫の解説で「この作品を文句なしに傑作と呼んでいる人は、私の他には、私の知るかぎり一人いる。それはエドワード・サイデンスティッカー氏である」と書いている。解説が書かれたのは1967年11月だ。その後の時代の趨勢により、今では本作品を傑作だと思う人はもっと増えているような気がする。

 なぜそう思うかというと、本作品のグロテスクな幻想性が、今の時代に一層精彩を放つようになっていると感じるからだ。正確にいえば、本作品には執筆当時の時代的な制約を受けた部分と、時代を超越した部分があり、時代を超越した部分が、今でも異彩を放っていると感じるのだ。

 物語の場所は、海辺の一軒家。その家は老人限定の娼家だ。美女が全裸で眠っている。おそらく強い睡眠薬を飲まされているのだろう。叩いても揺すっても起きない。客の老人はその美女と添い寝をする。老人はすでに男性機能を失っている。だから安全だ。そういう老人でないと客になれない。主人公の江口老人はその家に5夜通う。

 5夜の出来事が本作品だ。美女は毎夜異なる。江口老人の欲情と、脳裏に浮かぶ過去の苦い想い出と、そしてその夜に見る悪夢が描かれる。本作品は三層構造だ。

 過去の想い出では、悔恨の情が江口老人を押しつぶす。一方、悪夢は、血の滴る凄惨な夢が多い。どこからそのような夢が訪れるのか。深層心理からだろうが、では、深層心理にはなにがあるのか。老いの実感、死への恐れ、性への渇望、悪への衝動、その他諸々。そこは溶鉱炉のような闇の世界というしかない。

 第一夜の想い出には、若き日の川端康成の実体験が投影されているのだろう。それは清純な想い出だ。ところがその夜に見る夢は、5夜の中でももっともグロテスクだ。その対比をどう考えたらよいのか。第二夜の江口老人の欲情は、5夜の中でももっとも激しい。それは老いにたいする性の反抗のようだ。第三夜には江口老人は過去に犯した悪を思う。第四夜には江口老人は魔界の存在を思う。そこでは善悪の区別が無意味化する。そして第五夜は死が訪れる。もっとも、死は江口老人に訪れるのではない。だが、三島由紀夫が解説で指摘するところによれば、江口老人も無事ではない。

 いうまでもなく、今のジェンダーの視点からは、問題大有りの作品だ。しかし、だからといって、禁忌すべき作品なのかどうか。ジェンダーに真摯に向き合うことと、人間の闇の部分に目を向けることと、両者は両立しないのか。本作品は心の奥底に虚無を抱えた川端康成の、自分も他人も突き放して眺める透徹した視線が交錯する作品だ。
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