Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

秩父事件資料館(井上伝蔵邸)

2014年04月28日 | 読書
 4月20~21日に友人と秩父を旅した。男2人の気楽な旅。温泉に入って、ビールを飲み、ワインを飲むうちに眠くなり、持参した地酒には手がつかなかった。

 翌日は秩父事件資料館(井上伝蔵邸)を訪れた。友人が探してきた所だが、恥ずかしながら、秩父事件といわれても、ピンとこなかった。そういえば秩父困民党というのを聞いたことがあるなと、そんな程度だった。

 そんな状態で訪れた資料館だが、ひじょうに勉強になった。わたしのような無知な者でも、秩父事件とはなにか、また、その中心人物の一人井上伝蔵とはどういう人物だったのかを知ることができた。資料館そのものは復元された建物だが(2004年に秩父事件120年を記念して、神山征二郎監督、緒形直人主演で映画「草の乱」が制作され、そのとき復元された屋敷)、そのなかに佇むと、井上伝蔵が身近に感じられた。

 秩父事件は1884年(明治17年)に起きた。もともと秩父一帯では生糸の生産が盛んだったが、明治15年ごろから深刻な不況に見舞われ、多くの農家が高利の借金に苦しむようになった。細かい経過は省くが、結果的に武装蜂起が起きた。それが秩父事件だ。蜂起に加わった者は8千人とも1万人ともいわれている。

 秩父事件そのものも興味深いが(今話題の富岡製糸場と同時代の出来事だ)、もっと興味をもったのは井上伝蔵の生涯だ。井上伝蔵(1854‐1918)は、秩父事件の中心人物の一人として死刑を宣告されたが、北海道に逃れた。偽名をつかって石狩原野の開拓民となり、そこで生涯をまっとうした。死の直前に妻と長男に自分が秩父事件の井上伝蔵であることを告げ、3日かけてその来し方を語ったそうだ。

 井上伝蔵は俳人でもあった。資料館にはいくつかの句が掲げてあった。そのなかの一つに次の句があった。「思ひ出すこと皆悲し秋の暮」。この句にハッとした。自身の心境をよんだ句だと思った。実際は、妻に先立たれた友人の心境をよんだ句だった。でも、それだけではなく、密かに自身の心境を重ねたものと解釈されている(中嶋幸三著「井上伝蔵~秩父事件と俳句」邑書林)。

 もう一つ興味深い句があった。「山路来て其の日も過ぎて不如帰」。一見なんの変哲もない句だが、中嶋幸三氏の前掲書によると、「其の日」とは「秩父事件を核として渦巻く若き日であろう」とのこと。そうであれば、「山路来て」は自らの来し方の比喩だろう。

 逃亡者の身であるので、素性がばれるような表現はできなかった。なので、これらの句に、精一杯心境を託したのだろう。
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山田和樹/日本フィル

2014年04月26日 | 音楽
 山田和樹指揮日本フィルの‘不死鳥→不滅’プロ。いずれも馴染みのある曲だが、意外性のある組み合わせで新鮮味が出る見本のようなプロだ。

 1曲目はストラヴィンスキーの「火の鳥」全曲。いつもは1919年版や1945年版の組曲で聴く機会が多いわけだが、全曲版のほうが聴きやすい。早い話が、例の「カスチェイ一党の地獄の踊り」(新井鴎子氏のプログラム・ノートの表記による)が始まるとき、組曲版だと、居眠りをしている人たちを起こすように、いきなりバン!と始まるが、全曲版だとそれまでの経過があって、その高まりの末に到達する。そのほうが自然だと思う。昔、なにかの演奏会でこの全曲版を聴いて、大いに納得したことがある。

 全曲版だから、場面から場面への推移の部分が多い。山田和樹のこの演奏で感心したのは、その推移の部分が面白いことだ。少しも退屈しない。なにも考えずに演奏される部分が皆無だ。この辺がこの指揮者の音楽性の現れだと思う。

 大きくいって、前半はロシア的な情緒よりも、フランス音楽的な艶のある表現がまさっていた。とりわけオーボエのソロが魅惑的だった。中間部で客席に配置されたトランペットの信号あたりからドラマが動き出すと、パワフルでダイナミックな表現が前面に出てきた。

 2曲目はニールセンの交響曲第4番「不滅」。ちょっと曲順が逆なような気もするが、そうではなくて、この曲をメインにもってきたところに山田和樹の意気込みが感じられる、と思い直した。これはなにかあると。

 そういう期待に応える演奏だった。テンションが高く、音楽的な内実がぎっしり詰まった演奏。ニールセンが、幾分性急に、思いのたけを詰め込んだこの曲を、角をとってマイルドにすることもなく、また過度にギクシャクすることもなく、ありのままにすべてを再現する演奏だった。

 端的にいって、全曲にわたって頻出する、いささか強引な曲想の転換が、強引さを失わず、しかも説得力をもって演奏された。それによって、曲想が重層的に重なりあう、その襞の部分が聴きとれた、と感じたのだ。それが一番の収穫だった。

 では、100パーセント満足したかというと、必ずしもそうとはいえない。ここまできたのだから、さらに磨きをかけてほしいと思った。もっと鮮烈な演奏であってほしい。最近好調といわれている日本フィルだからこそ、もう一つ上を目指してほしいと思った。
(2014.4.25.サントリーホール)
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ネーメ・ヤルヴィ/N響

2014年04月22日 | 音楽
 ネーメ・ヤルヴィ/N響の北欧プログラム。1曲目はグリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番。あまりにもベタな選曲なので、正直いって、なぜ、と思わないでもなかった。でも、これが名演だった。緊張感のある音は、N響としてもトップクラスだと思った。ほんとうの名指揮者のもとで、しかも楽員が共感したときでないと出ない音。完璧にピッチが合って、けっして崩れない音だった。

 この曲をプログラムに組んだ理由がわかる気がした。たんなる名曲プログラムではなく、音楽をもっと高い次元で考えていることが感じられた。

 2曲目はスヴェンセンの交響曲第2番。グリーグと同時代人で、親交のあったスヴェンセンの代表作だ。その演奏に期待していたが、結果は?だった。グリーグの緊張感のある音にくらべて、ピッチもリズムも緩いのだ。グリーグの演奏で驚いた直後だったので、楽しめなかった。そうなると、この曲の凡庸さというか――凡庸といってはいけないのだが、要するに、性格はいいのだが、陰の部分に欠ける人物のような――、一種の退屈さが気になった。

 もっとも、スヴェンセンの実人生は、この曲から想像されるものとは別物だった。スヴェンセンとその最初の妻との関係は、泥沼だったらしい。スヴェンセンの交響曲は今では2曲しか残されていないが、じつは第3番もあった。だが、夫婦げんかの末に、妻がその草稿をストーヴに投げ込んでしまった。このエピソードは広く知れ渡り、イプセンが「ヘッダ・ガーブレル」で借用した(人妻ヘッダ・ガーブレルが恋人レーヴボルグの研究論文を燃やしてしまう)。

 それはともかく、1曲目と2曲目とのあいだには、グリーグとスヴェンセンの親交以外にも、‘イプセンつながり’が意識されているのかもしれないと想像した。

 3曲目はシベリウスの交響曲第2番。グリーグのような演奏になるのか、スヴェンセンのような演奏になるのか、一抹の不安があった。結果は大正解。グリーグのような緊張感のある音で、しかもオーケストラが豊かに鳴る名演となった。政治情勢の文脈を離れて、純粋に音楽的な演奏だった。

 この曲は、わたしには、渡邉暁雄の演奏がこびりついていて、今まで他のどんな演奏を聴いても、しっくりこなかった。これはもう仕方がないと思っていた。でも、今回の演奏には感動した。渡邉暁雄以外では初めての経験だ。長年の憑き物が落ちる時期が来たように感じた。
(2014.4.19.NHKホール)
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カンブルラン/読響

2014年04月18日 | 音楽
 カンブルラン指揮の読響。1曲目は珍しいシェーンベルクの「弦楽のためのワルツ」。弦楽合奏のための10曲の短いワルツだ。プログラム・ノーツによれば、若き日のシェーンベルクがアマチュア音楽団体のために書いた曲。作品番号が付く前の曲だ。

 これが意外に面白かった。演奏がよかったからだと思う。カンブルランがわざわざこの曲を取り上げた目的意識が明確だったのだろう。もし漠然と演奏したら、こんなに面白く聴けたかどうか。

 ウィンナ・ワルツ風の甘さがまったくない曲だ。ウィンナ・ワルツのように風土に根ざした曲ではなく、頭で作った曲、という感じ。たとえていえば、屋台の灯りのような人工的な光を透かして見る懐かしい映画のような感じだった。

 2曲目はリストのピアノ協奏曲第1番。いつの頃からか、この曲を聴く意味を失ってしまったと、今更のように思った。でも、演奏は面白かった。ソリストのニコライ・デミジェンコは硬質な――結晶のように美しい――音だった。カンブルランの指揮も、この曲にありがちな膨張した音ではなく、引き締まった音だった。この曲でこういう演奏を聴くのは初めてだと思った。

 アンコールが演奏された。音が密集して渦巻くような曲。リストかと思ったが、リストにしては暗いと思った。ロビーの掲示を見たら、メトネルの「おとぎ話」という曲。メトネル(1880‐1951)の名前は知っていたが、曲を聴くのは初めてだった。

 3曲目はマーラーの交響曲第4番。第1楽章の冒頭、フルートと鈴による序奏の後、第1ヴァイオリンが第1主題を提示するが、それが薄く透明な音で、しかも弾むようなアクセントが付けられていた。その快さは、春の微風のなかをツバメがすいすい飛んでいくような感触だった。

 第2楽章が一番面白かった。第1ホルンがオブリガート・ホルンのように鳴り響き、コンサートマスターのソロと拮抗していた。また、両者ともアクセントが所々強調されたり、チェロのスラーが強調されたりと、目まぐるしく変化し続けた。

 第3楽章はわたしのお気に入りだが、こんなに甘美さから遠い演奏は聴いたことがない。少々戸惑った。第4楽章のソプラノ・ソロはローラ・エイキン。エイキンとカンブルランと役者が揃ったのに、曲がマーラーとは、正直、物足りなかった。もっと他の曲がありそうなものだが。今シーズンの読響のプログラムは概して保守化が目立つ。
(2014.4.17.サントリーホール)
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飯守泰次郎/東京シティ・フィル

2014年04月16日 | 音楽
 飯守泰次郎指揮の東京シティ・フィル。1曲目はブラームスの「運命の歌」。オーケストラの前奏が始まると、優しく慰撫するような演奏にハッとした。飯守さんの今の境地だろうか。中間の劇的な部分も充実していた。劇的で激しいのだが、ブラームスらしい懐の深さを保っていた。オーケストラによる後奏も前奏と同じ表現。短いのが残念なくらいだ。合唱は東京シティ・フィル・コーア。

 この曲でこれほどブラームスと深く触れ合った演奏を聴くのは、いつ以来か。けっして前座ではなく、これを演奏するのだという、はっきりした目的意識をもった演奏。我々聴き手にとっては、時間潰しのような消極的な聴き方ではなく、なにかを得ることのできる演奏だった。

 2曲目はブルックナーの交響曲第7番。第1楽章第1主題の前半、天に向かって一音一音登っていくその一音一音が、あたかも階段を踏みしめるように、はっきりと演奏された。そして後半、一転して半音階の動きになる部分では、前半との対比が強調された。さらに注目すべきことは、その主題には一貫して深々とした呼吸感があったことだ。その呼吸感は第2主題、第3主題にも受け継がれ、さらには第2楽章以降にも――この演奏の全体にわたって――脈々と続いた。

 もう一つ感じたことは、金管群の充実だ。最近優秀な人が入ったのだろうか。昔と比べると目を見張るほどだ。木管の優秀な若手のソロも楽しんだ。弦の分厚い音は昔からのもの。飯守さんの鍛錬のたまものだ。こうしてオーケストラは、全体として、終始一貫充実した音で鳴り響いた。

 そう感じたのは、先日、某オーケストラで生煮えのブルックナーの第5番を聴いたことが一因かもしれない。指揮者のやりたいことはわかるのだが――そしてそれは興味深いのだが――、オーケストラに確信が乏しかった。手探りの部分が残った。それは欲求不満につながった。

 今回、東京シティ・フィルの演奏は、確信に満ちていた。飯守さんのやりたいことをすべて心得て、確信をもって演奏していた。飯守さんといえども、このオーケストラでなければ、こういう演奏はできなかったと思う。長年培ってきた関係が、今、実を結んでいるのだ。

 飯守さんは、常任指揮者を退任した2012年から、年一回のペースでブルックナーの演奏を始めている。第4番、第5番ときて今回が第7番。毎回、記念碑的な演奏を成し遂げている。これは画期的だ。
(2014.4.15.東京オペラシティ)
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ポルディ・ペッツォーリ美術館展

2014年04月15日 | 美術
 「ポルディ・ペッツォーリ美術館」展。同美術館はミラノの中心部、ドゥオーモやスカラ座の近くにあるそうだ。ミラノではブレラ美術館に行ったことがあるが、この美術館は知らなかった。

 チラシ↑にもなっている「貴婦人の肖像」(※1)は、初期ルネサンス特有の透明な空気感が好ましい。背景は空だが、実際に見ると、画面の下に行くほど(地平線の近くになるほど)空の青さが淡くなり、上に行くほど濃くなる。これによって奥行きが感じられる。貴婦人の若々しい気品はいうまでもない。ピエロ・デル・ポッライウォーロ(1441頃‐1496)の作だ。

 この作品で思い出すのはベルリン絵画館の「若い婦人の肖像」(※2)だ。対象を真横から捉えた肖像画はこの時代によくあるが、それだけではなく、横顔の、顎から鼻、鼻から眉毛、眉毛から髪の毛までの均衡や、首筋の描き方などに似たものを感じる。こちらはアントニオ・デル・ポッライウォーロの作。上記のピエロの兄だ。

 もう一つ興味深かったのは、ボッティチェッリ(1445‐1510)の「死せるキリストへの哀悼」(※1)だ。キリストが小さく、逆に聖母マリアが大きく描かれている。そのアンバランスが興味深いが、それ以上に密集した構図が面白い。

 この作品で思い出すのはミュンヘンのアルテ・ピナコテークにある「キリスト哀悼」(※3)だ。こちらの構図も面白い。聖母マリアを中心に、向かって右側からは左の方向へ、左側からは右へ、それぞれ力がかかっている。左右の力が聖母マリアに集中する。聖母マリアは左の方向へ倒れようとしている。それを福音書記者の聖ヨハネが支えている。劇的な表現だ。

 では、今回展示の「死せるキリストへの哀悼」はどんな構図だろう。密集している人物たちの頂点にいるアリマタヤのヨセフから、福音書記者聖ヨハネ、聖母マリアへの縦系列と、聖母マリアを中心に、その両脇の2人の女性の横系列がある。つまりこれは十字架の構図だ。キリスト降架のこの図像の、そこには描かれていない十字架の暗示だろうか。

 その他イタリア絵画好きなら「えっ、この画家の作品も!」と思うような作品が来ている。見てのお楽しみだが、わたしはカルロ・クリヴェッリ(1445頃‐1495)の「キリストの血を受け取る聖フランチェスコ」に惹かれた。金色の布がこの画家らしかった。
(2014.4.14.Bunkamuraザ・ミュージアム)

※1「貴婦人の肖像」と「死せるキリストへの哀悼」
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/14_pezzoli/works.html

※2「若い婦人の肖像」
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Antonio_del_Pollaiuolo_-_Profile_Portrait_of_a_Young_Lady_-_Google_Art_Project.jpg

※3「キリスト哀悼」
http://www.pinakothek.de/en/sandro-botticelli/lamentation-christ
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マニラ瑞穂記

2014年04月11日 | 演劇
 演劇「マニラ瑞穂記」。1898年(明治31年)8月(第1幕)と翌1899年(明治32年)3月(第2幕・第3幕)のマニラが舞台だ。当時のフィリピンは独立革命の真っただ中だった。第1幕はスペインの植民地支配にたいする独立軍の戦い(この時点では独立軍はアメリカの支援を期待していた)、第2幕・第3幕はフィリピンの領有権をスペインから2000万ドルで‘買った’アメリカにたいする失望と敗北感が背景だ。

 当時マニラには多くの日本人がいた。この芝居では、領事、軍人、革命家、女衒(ぜげん)、‘からゆきさん’(売春婦)などが登場する。身分も境遇もさまざまな人たちが繰り広げる熱いドラマだ。

 ドラマは第2幕に入って動き出す。あとは一気に引き込まれた。敗北感に陥った革命家たちの離散、からゆきさんと革命家との恋、軍人のからゆきさんに寄せる想い、軍上層部の謀略、軍人と女衒との対決、アメリカによる女衒の捕縛など。

 からゆきさんたちの逞しさが感動的だ。心揺さぶられるものがあった。ドラマの中心は女衒だが――女衒と領事との関係を軸に、軍人や革命家たちが絡む展開――、ドラマの最後には、からゆきさんたちが大きくクローズアップされる。その、逞しく、したたかで、かつ明るい生き様が前面に出てくる。作者の秋元松代がほんとうに共感し、わたしたちに伝えたかったことは、これだと感じられた。

 この芝居は、大づかみにいうと、近代日本の裏面史だ。時も所も特定された、あるピンポイントの記録。肝心な点は、この芝居にはその時その場所の‘熱気’が封じ込められていることだ。その熱気は舞台に渦巻く。

 そしてもう一つ、この芝居にはそれが書かれた時代――1964年(昭和39年)初演――の熱気も刻印されている。わたしはそのことを、プログラムに掲載された早瀬晋三氏のエッセイ「南洋日本人の雄大で哀れな物語」で教えられた。高度成長時代の‘熱気’。人々がぶつかり合いながら、熱く生きていた時代が刻印されている。

 今思うと、そういう二重の熱気に揺さぶられたのだ。熱い生き方、熱い言葉、言葉の実体、実体のある生き方、そういったことに、たしかな手応えを感じたのだ。そこに昨今の軽薄な出来事からは失われたことを感じたのだと思う。

 女衒の千葉哲也、領事の山西惇、軍人の古河耕史、その他演劇研修所の修了生の皆さんの熱演に拍手、拍手、拍手。
(2014.4.10.新国立劇場小劇場)
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ヴォツェック

2014年04月09日 | 音楽
 新国立劇場の「ヴォツェック」。2009年プレミエの舞台の再演だ。初演のときに感心したので、今回も期待して出かけた。期待どおりの結果だった。細かい部分も覚えていた。唯一、あっ、そうだったのかと思ったのは、第2幕第1場。ヴォツェックはマリーの耳飾りを見て、不倫――ヴォツェックはマリーと正式には結婚していないので、不倫という言葉は妥当ではないかもしれない。浮気というべきか――に気付く。でも、素知らぬふりをして、いつものようにマリーに稼ぎを渡す。そのとき、背中を向けて、マリーを見ずに渡す。ひじょうに納得のいく演出だった。

 あとは初演のときの記憶が蘇ってきた。今回主要な歌手が一新したので、どうしてもその比較になるが、今回のほうがこの演出に相応しいのではないかと思った。

 ヴォツェックはゲオルク・ニグル。狂気が進むにつれて、ますます冴えわたっていく点が異色だ。けっして混濁しない。自分の狂気に――きりで穴を穿つように――鋭敏に沈潜していく。そういうヴォツェックを、わたしたち観客は、なすすべもなく見ている。そういう自分の、なんというか、客観性が、妙に気になる。それが演出の意図なのだろう。

 マリーはエレナ・ツィトコーワ。官能に溺れるマリーではなく、覚醒したマリーだ。ヴォツェックと拮抗するマリー。情事などにはなんの意味も見出していない。一言でいうと、クールなマリー。

 マリーの子どもの取り扱いも同様だ。終始舞台に出ていて、ヴォツェックの、そしてマリーの一部始終を見ている。同情するでもなく、怯えるでもなく、クールに見ている。感情の動きは一切ない。そういう描き方だからこそ、幕切れの場面――竹馬にのって遊んでいる場面。ただし、この演出では竹馬は出てこない。もっと衝撃的な演出が用意されている――が活きてくるわけだ。

 初演のときと比べると、オーケストラは――初演のときと同じオーケストラだが――かなり見劣りがした。もったりした演奏だ。やるべきことはやっているのだが――たとえばスケルツォ楽章に相当する第2幕第4場(酒場の場面)では、細かい動きも明瞭に聴こえた――、全体としては鈍重な演奏だった。

 これは指揮者のせいだろう。初演のときのハルトムート・ヘンヒェンは、繊細で鋭角的な演奏だった。今回のギュンター・ノイホルトは音の粒立ちが鈍い。せっかくのベルクの音楽が、ベルクらしく聴こえなかった。
(2014.4.8.新国立劇場)
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「岸田吟香・劉生・麗子」展

2014年04月07日 | 美術
 「岸田吟香・劉生・麗子」展。会期末ぎりぎりで飛び込んだ。半ば諦めていたが、ともかく行けてよかった。同展は今後岡山県立美術館に巡回する。

 岸田劉生展はあちこちでよくやるが、本展はユニークだ。劉生の父「吟香」と娘「麗子」にもスポットを当て、三代続いた‘精神の系譜’を描きだそうとしている。DNAがどう受け継がれたかを辿る試みだ。

 鑑賞者の側からいうと、劉生という興味深い個性が、どこから生まれてきたかを、実感として理解することができる展観だ。劉生の面白さは、第一にその画風の変遷――ポスト印象派からデューラーなどの北方ルネサンス、さらには中国や日本の絵画・浮世絵へ――だが、第二に独自の思索・言葉づかいであり、第三に‘在野精神’だと思う。なかでも独自の言葉づかいと在野精神は、ポンと生まれたものではなく、吟香から受け継いだものなのだということが、よくわかった。

 吟香(1833‐1905)はジャーナリストとして健筆をふるうほか、液体目薬の製造・販売をおこなうなど実業家の面もあり、また盲学校を設立するなど、一つの枠に収まらない明治の‘傑物’だったようだ。そんな吟香の生涯が、膨大な資料を通して、生き生きと紹介されていた。

 次の劉生(1891‐1929)の展示では、やはりその作品が面白かった。麗子像も何点かあった。そのなかでは「麗子坐像」(1919)↓に惹かれた。麗子を初めて描いた「麗子五歳の像」(1918)の翌年の作品だ。ちょっと機嫌の悪い表情がよく捉えられている。パンパンに張った右手の膨らみが微笑ましい。「童女図(麗子立像)」(1923)(↑チラシの作品)も展示されていて、聖女らしさの点ではこのほうが優っているが、今回は「麗子坐像」の子どもらしさに惹かれた。

 これらの麗子像はどこかで見かけたことのある作品だが、初めて見る作品もあった。それは初期の水彩画↓↓だ。1907‐1910の作品。劉生がポスト印象派に倣った作品を描く前の時期だ。瑞々しい抒情が漂っている。「初めはこういう作品を描いていたのか」という発見があった。

 麗子(1914‐1962)の生涯も紹介されていた。晩年――といっても、まだ40代だが――劉生の評伝を書こうと決意し、膨大な量の日記を精読し、「父岸田劉生」を書き上げた直後に急逝。なんとも宿命的な人生だ。そういえば、まだその評伝を読んでいないなと気付かされた。
(2014.4.6.世田谷美術館)

↓「麗子坐像」
http://www.polamuseum.or.jp/collection/006-0550/

↓↓水彩画「落合村ノ新緑」
http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=3776
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ミンチュク/都響

2014年04月04日 | 音楽
 ロベルト・ミンチュク指揮の都響。ミンチュクを初めて聴いたのは2009年のヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ」全曲演奏会だった。あれは画期的な演奏会だった。ミンチュクにも注目した。それ以来気になっていたので、今回の定期が楽しみだった。

 プログラムはひとひねりしたもの。1曲目はウェーベルンの「パッサカリア」。作品番号1だ。めったに生では聴けない曲。点描的な作風に入る前の作品だ。激しい感情と色彩が渦巻く曲。曲そのものにも期待度が高かったが、この曲を初登場のオーケストラでプログラムにのせるミンチュクにも注目した。

 だが、結果はどうだったか。どうも腑に落ちない消化不良の思いが残った。テンポの変化にはメリハリがあったが、オーケストラの音はガサガサし、なんともまとまりが悪かった。

 2曲目はバルトークのヴァイオリン協奏曲第1番。これは名演だった。ヴァイオリン独奏はエステル・ハフナー。ブダペスト(ハンガリー)生まれで、今はグラーツ国立音楽大学とデンマーク王立音楽院で教授を務めているそうだ。張りのある音で、明快な旋律線を描き、十分な存在感があった。

 オーケストラも悪くなかった。1曲目でも感じたことだが、テンポの変化にメリハリがあり、わかりやすかった。そのせいだろうか、抒情的な第1楽章よりも、動きのある第2楽章のほうが、精彩があった。

 余談だが、この曲は若き日のバルトークがシュテフィ・ゲイエルに恋して、彼女のために書いた曲だが、ゲイエルとはどういう人だったのだろうと、Wikipediaで調べてみた。ゲイエルにはバルトークだけではなく、オトマール・シェック(ハインリヒ・フォン・クライスト原作のオペラ「ペンテジレーア」の作曲者)もヴァイオリン協奏曲を捧げていた。またパウル・ザッヒャーが監督するコレギウム・ムジクム・チューリヒでコンサートミストレスを務めたそうだ。当代一流のヴァイオリニストだったのだろう。

 3曲目はブラームスの交響曲第1番。ミンチュクの指揮者としての真価がわかると意気込んで聴き始めたが、結果は???だった。1曲目でも感じたことだが、オーケストラの音がガサガサし、大声でがなり立てるので、途中で気持ちが切れてしまった。

 これはミンチュクのせいだろうか。そうかもしれないが、都響の悪いところが出た面もある。最近評価を高めている都響だが、まだまだ油断は禁物だ。
(2014.4.3.サントリーホール)
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コルンゴルト

2014年04月02日 | 音楽
 今年の東京春祭はマルリス・ペーターゼンのチケットをとっていたが、仕事のために行けなくなった。残念だが、仕方がない。その代わり年度末の3月31日には定時退勤できたので、当日券でコルンゴルトの演奏会に行った。

 コルンゴルトはオペラ「死の都」とヴァイオリン協奏曲、そして交響曲しか知らなかった。そのなかでは、ヴァイオリン協奏曲が好きだった――今でも好きだ――。一方、交響曲は苦手。そして、正直にいって、この3曲で十分だと思っていた。

 そんななかで、コルンゴルト入門といったこの演奏会は、コルンゴルトの未知の領域を知るいい機会だった。「死の都」からのアリアを除いて、他の曲はすべて初めて聴く曲だ。

 以下、一部省略して、自分にとって意味のある曲だけ、書き留めておきたい。1曲目はオペラ「ポリュクラテスの指輪」の冒頭場面。いかにもオペラ・ブッファらしい幕開きだ。本作と次作の「ヴィオランタ」はともに1幕物のオペラで、ブルーノ・ワルターが2本立てで初演した。「ヴィオランタ」は、悲劇だそうだ。コルンゴルトの悲劇とは、ちょっと想像しにくい――根っからの楽天家のように感じられるので――。どんな作品なのだろう。

 演奏はソプラノ天羽明恵、テノール又吉秀樹、ピアノ村田千佳。天羽明恵は、こういう小さいホールで聴くと、その力量がよくわかる。音がグラつかない。又吉秀樹は初めて聴いた。立派な声の持ち主だ。今年9月の東京二期会「イドメネオ」にタイトル・ロールで出演予定(ダブルキャストの一人)。村田千佳のピアノもセンスがよかった。

 3曲目に「まつゆき草」という歌曲が歌われた。いい曲だ。コルンゴルトの一番の美質はこういう歌曲に表れているような気がした。これは10代の作品。7曲目で歌われた「デズデモーナの歌」と「緑なす森の木陰で」は40歳前後の作品だが、これらもいい曲だった。一方、最後に歌われた「ウィーンに捧げるソネット」は、輝きを失った曲。戦後の失意の表れか。

 8曲目に弦楽四重奏曲第3番が演奏された。映画音楽のモチーフを‘純音楽’に転用するコルンゴルトのユニークな手法の一例。今の視点で見ると、ボーダーレスなその手法が現代的で面白い。演奏は札響、都響および神奈川フィルの首席奏者で構成されたストリング・クヮルテットARCO。きっちりした演奏だったが、コルンゴルトらしい‘華’がほしかった。
(2014.3.31.石橋メモリアルホール)
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