ヴァイグレ指揮読響の日曜マチネーコンサート。1曲目はグリンカの「ルスランとリュドミラ」序曲。演奏会のオープニングによく演奏される曲だが、そんなときによく聴くパッと派手に盛り上げる演奏ではなくて(あるいは最短記録を競うような猛スピードの演奏ではなくて)、オペラが始まることを予感させる、いかにも序曲らしい演奏だ。ヴァイグレはやはりオペラ指揮者なのだと。
2曲目はラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」。ピアノ独奏はパヴェル・コレスニコフPavel Kolesnikov。未知のピアニストだ。プロフィールに生年の記載がなかったので、Wikipediaを見ると、1989年にロシアのノヴォシビルスクで生まれたそうだ。現在はロンドン在住とのこと。
ステージマナーもどことなく内向的だが、演奏も派手なヴィルトゥオーゾ・タイプではなく、弱音にじっと耳を澄ませるようなところがある。その音がじつにみずみずしい。激しく打鍵する箇所もあるが、そんなときでも威圧感はなかった。
アンコールが演奏された。孤独を見つめるような曲だ。だれの曲だろう。招聘元(?)のKAJIMOTOのツイッターによると、ルイ・クープランの「ボーアンの手書き譜からの舞曲集」よりサラバンド イ短調とのこと。ショパンのようでもあるが、ショパンではなさそうだし、と思っていた。クープランとは思い当たらなかった。
ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」に戻るが、オーケストラの演奏にも惹かれた。目まぐるしく変わるオーケストラの動きが鮮明に聴こえた。実感的には、各楽員がなんとなく演奏しているのではなく、それぞれの役割を他のパートとの絡みで明確に意識して演奏しているように感じられた。加えてヴァイグレが各変奏曲を数曲ずつのまとまりで把握し、そのまとまりに流れをつけていることが感じられた。
3曲目はリムスキー=コルサコフの「シェエラザード」。豪華絢爛たる絵巻物とかなんとか、そんなショーピースとしての演奏ではなく、筋の通ったドラマを追うような演奏だ。なるほどこれは名曲だと納得した。この曲でそんなことを思った経験はあまりない。ということは、巷間溢れる演奏は安易な演奏なのだろうか。
コンサートマスターは林悠介が務めた。たとえば第4楽章冒頭のヴァイオリン・ソロが暗く曇った音色で、口籠るように演奏され、同楽章の最後のソロが晴れやかな音色で、のびのびと演奏されるなど、(その対比はだれもがやることだが、ヴァイグレのドラマトゥルギーと相俟って)説得力のあるソロを聴かせた。
(2022.9.25.東京芸術劇場)
2曲目はラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」。ピアノ独奏はパヴェル・コレスニコフPavel Kolesnikov。未知のピアニストだ。プロフィールに生年の記載がなかったので、Wikipediaを見ると、1989年にロシアのノヴォシビルスクで生まれたそうだ。現在はロンドン在住とのこと。
ステージマナーもどことなく内向的だが、演奏も派手なヴィルトゥオーゾ・タイプではなく、弱音にじっと耳を澄ませるようなところがある。その音がじつにみずみずしい。激しく打鍵する箇所もあるが、そんなときでも威圧感はなかった。
アンコールが演奏された。孤独を見つめるような曲だ。だれの曲だろう。招聘元(?)のKAJIMOTOのツイッターによると、ルイ・クープランの「ボーアンの手書き譜からの舞曲集」よりサラバンド イ短調とのこと。ショパンのようでもあるが、ショパンではなさそうだし、と思っていた。クープランとは思い当たらなかった。
ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」に戻るが、オーケストラの演奏にも惹かれた。目まぐるしく変わるオーケストラの動きが鮮明に聴こえた。実感的には、各楽員がなんとなく演奏しているのではなく、それぞれの役割を他のパートとの絡みで明確に意識して演奏しているように感じられた。加えてヴァイグレが各変奏曲を数曲ずつのまとまりで把握し、そのまとまりに流れをつけていることが感じられた。
3曲目はリムスキー=コルサコフの「シェエラザード」。豪華絢爛たる絵巻物とかなんとか、そんなショーピースとしての演奏ではなく、筋の通ったドラマを追うような演奏だ。なるほどこれは名曲だと納得した。この曲でそんなことを思った経験はあまりない。ということは、巷間溢れる演奏は安易な演奏なのだろうか。
コンサートマスターは林悠介が務めた。たとえば第4楽章冒頭のヴァイオリン・ソロが暗く曇った音色で、口籠るように演奏され、同楽章の最後のソロが晴れやかな音色で、のびのびと演奏されるなど、(その対比はだれもがやることだが、ヴァイグレのドラマトゥルギーと相俟って)説得力のあるソロを聴かせた。
(2022.9.25.東京芸術劇場)