Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ウンジャン/N響

2018年01月29日 | 音楽
 ピーター・ウンジャンがN響を振るのは2度目だそうが、わたしは前回聴いていないので、今回が初めて。ウンジャンは東京クヮルテットで、原田幸一郎の後任として、第1ヴァイオリン奏者を務めていたが、その後退団し、指揮者に転向した。今はトロント響とロイヤル・スコットランド・ナショナル管で音楽監督を務めている。指揮者としても成功した。

 1曲目はベートーヴェンの「エグモント」序曲。がっしりした骨格を持つ演奏。ウンジャンはこういう演奏をする指揮者なのかと‥。まだ1曲目なので判断はできないが、予想していなかったことに出会ったような気がした。

 オーボエの1番奏者に若い女性が入っていた。艶のある瑞々しい音が際立っていた。だれだろう。帰宅後、皆さんのツィッターを検索したら、東響の首席奏者、荒木奏美さんだったようだ。荒木さんといえば、昨年4月にB→Cコンサートに出演したので(わたしはそのコンサートを聴けなかったが)、名前を記憶している。大変有望。

 2曲目はジョン・アダムズの「アブソリュート・ジェスト」。弦楽四重奏とオーケストラのための作品。随所にベートーヴェンの諸作品のフレーズが浮かんでは消える。たえば「第九」の第2楽章のテーマとか、後期の弦楽四重奏曲のいくつかのテーマとか。

 事前にNMLを覗いてみたら、音源が入っていた。マイケル・ティルソン・トーマス指揮のサンフランシスコ響、弦楽四重奏は今回と同じセント・ローレンス弦楽四重奏団。その面白さに度肝を抜かれた。いかにもジョン・アダムズらしい、明るく、ポップで、乗りのよい曲だった。

 そこで、大いに期待していたが、事前のわたしの印象は違っていたようだ。もっと軽くて、透明な音響を想像したのだが、実演では、とくに弦楽四重奏の演奏が、ぐいぐい喰い込むようにアグレッシヴだった。わたしは印象の修正に手間取った。事前に音源を聴いたことが裏目に出たかもしれない。PAの使用も一因だったか‥。

 3曲目はホルストの組曲「惑星」。ほんとうに久しぶりに聴くような気がした。その効用だろうか、新鮮な気持ちで聴けた。さすがに優秀なN響だけあって、あちこちに、あれっ、こんなところであのパートが、こんなことをやっていたのか、という発見があった。ウンジャンはこの曲をしっかり掌中に収めているようだった。がっしりした骨格を持つ演奏、という印象はこの曲でも変わらなかった。
(2018.1.28.NHKホール)
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クニマスは生きていた!

2018年01月26日 | 身辺雑記
 2006年のことだが、わたしは職場の同僚Mさんのお父様の葬儀に参列するため、秋田県の田沢湖に行った。初めて目にする田沢湖は、新緑がきれいだったが、あいにくの小雨模様のため、気分は沈みがちだった。

 お父様の名前は三浦久兵衛(みうら・きゅうべえ)さん。1921年生まれで、享年84歳だった。その久兵衛さんのことが本になった。「クニマスは生きていた!」(汐文社)。著者の池田まき子さんは児童書作家。本書も児童書だが、大人が読んでも十分におもしろいと思う。

 三浦家は代々、田沢湖の漁師だった。久兵衛さんも、祖父や父のもとで、子どもの頃から漁を学び、将来は漁師になることを当然のことと思っていた。田沢湖には当時、クニマス、イワナ、ウナギ、コイ、サクラマスなど20種類もの魚がすんでいた。中でもクニマスは田沢湖にしかいない固有種だった。

 しかし1936年頃、国力強化を目的に、田沢湖をダム湖にする計画が持ち上がり、その関連で、酸性度の高い玉川の水を田沢湖に導水することになった。玉川の水が導水されれば、田沢湖の魚は全滅する。漁師だけではなく、地域の人々は憤慨したが、戦時体制のもとで「お国のため」と押し切られた。

 1940年に導水が開始されると、田沢湖の酸性度は急激に上がり、クニマスは絶滅した。

 だが、久兵衛さんは諦め切れなかった。戦後、それも1980年代の後半から、一縷の望みをかけて、クニマス探しの旅を始めた。じつは1930年代の前半に、クニマスの人工ふ化事業がおこなわれ、採卵したクニマスの卵を全国の湖に分譲していた。それらの湖のどこかで、今もクニマスが生きているのではないかと‥。

 久兵衛さんの活動は、テレビや新聞で紹介されるようになった。わたしも前述のMさんから聞いた。だが、クニマス発見には至らず、久兵衛さんは2006年に亡くなった。ところが、その4年後の2010年に、クニマスの生存が山梨県の西湖で発見された。そのニュースは、驚きと喜びをもって、全国で報道された。

 クニマスをめぐる以上の経緯(経緯というよりもドラマ)と今後の課題(依然として酸性度の高い田沢湖を元に戻すことは、困難な事業のようだ)を書いたのが本書。クニマス発見は久兵衛さんの生前には間に合わなかったが、本書が出たことで、せめてもの供養になれば、と思う。

 本書を読み終えたとき、2006年に見た小雨にけむる田沢湖が目に浮かんだ。
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飯守泰次郎/東京シティ・フィル

2018年01月21日 | 音楽
 飯守泰次郎が振るブラームスの交響曲は聴いたことがあると、当然のように思っていたが、オヤマダアツシ氏のプログラム・ノートによると、少なくとも東京シティ・フィルの定期では、交響曲は初めてだそうだ。そうだとすると、わたしが聴くのも初めてなのかと、意外な思いがする。

 まず交響曲第2番から。冒頭に低弦が入ってくると、その厚みのある音が懐かしかった。飯守泰次郎が長年、東京シティ・フィルと積み重ねてきた音が、久しぶりに戻ってきたように感じた。飯守泰次郎は2012年3月に常任指揮者を退任した後は、年1回のペースで定期を振り、ブルックナーの交響曲で名演を重ねてきたが、最近は低調気味だった。だが、今回は調子がよさそうだ。

 飯守泰次郎の退任後、東京シティ・フィルは木管の若返りが進み、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットの各首席奏者に優秀な若手が入った。それらの若手奏者が今回も大活躍だった。弦は、現在の常任指揮者の高関健が振ると、張りのある音がするが、飯守泰次郎が振ると、前述のように厚みのある音がした。

 演奏は熱演だった。東京シティ・フィルのいつものテンションの高さに、飯守泰次郎のがっしりした構築性が加わり、真摯な演奏が繰り広げられた。余計なものを削ぎ落した、自らの道を邁進する演奏だった。

 プログラム後半は交響曲第4番。これも名演だった。演奏スタイルは第2番と同様。第4番では、わたしは好きな割に、実演で肩透かしを食らうことがあるが、今回は手応え十分だった。とくに第4楽章パッサカリアは、彫りの深い演奏だった。フルートの首席奏者、竹山愛の、抑揚ラインが美しい、表情豊かなソロが光った。

 余談だが、第4番ではトランペットの1番奏者が代わった。どういう理由かは分からないが、わたしは第2番で1番を吹いた首席奏者の、そっとアクセントを添えるような、控えめな吹き方が好きなので、内心がっかりした。代わった奏者もうまかったが、あの首席奏者が吹いたら、金管セクション全体はどう聴こえたかと、空しく想像した。

 飯守泰次郎は、古巣に帰って、自分の思うような音楽ができたのではないか。新国立劇場でオペラを振っているときより、オーケストラと噛み合っているように思った。

 客席には空席が目立った。どうしてなのか、と気の毒になる。でも、その少ない聴衆は、熱い拍手を送った。
(2018.1.20.東京オペラシティ)
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カンブルラン/読響

2018年01月20日 | 音楽
 読響の定期が行けなくなったので、名曲シリーズに振り替えてもらった。曲目はブラームスのヴァイオリン協奏曲、バッハ(マーラー編曲)の管弦楽組曲(抜粋)とベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。

 ヴァイオリン協奏曲の独奏はイザベル・ファウスト。現代最高峰のヴァイオリン奏者の一人だろう。大きな音で鳴らすとか、強烈な表現を聴かせるとか、そんな個性を売り物にする人ではなく、むしろ淡々と弾くのだが、その存在感が抜きんでている。聴いているうちに、その存在感に引き込まれる。清々しい正統的な演奏。

 第1楽章のカデンツァに入るところで、ティンパニが強打された。すぐにヴァイオリンのカデンツァが始まる。その間もティンパニのロール打ちが弱音で続く。やがて弦楽器も入ってきて、コーダにつながる。終演後、プログラムを読むと、ブゾーニの作だそうだ(通常はヨアヒムの作が使われる)。ふだん馴染みのないカデンツァが使われると、こちらの意識が覚醒され、新鮮な緊張感をもって聴くようになる。

 アンコールが演奏された。シンプルで、あえていえばプリミティヴな曲。しかも短い。呆気に取られているうちに、あっという間に終わった。だれの曲だろうと、見当がつかなかった。帰り際に出口の掲示を見ると、クルターグの「サイン、ゲームとメッセージ」からドロローソとのこと。クルターグか!と納得した。アンコールにクルターグを弾くファウストの感性にあらためて感心。

 休憩後はバッハの管弦楽組曲の抜粋。マーラーの編曲。マーラーがアメリカで活動した晩年の作だそうだ。ストコフスキーのような豪華絢爛のショーピースではなく、まだバッハが一般に馴染みのなかった時代に、バッハ普及のために作られたものか。当時のニューヨークを想像しながら聴いた。

 最後はベートーヴェンの「運命」。きわめて充実した音が鳴る。引き締まった筋肉質の音。テンポは速め。インテンポ。けっして音を引き伸ばすことがない。一気呵成ということでもない。揺るぎのない音の構造。それが目の前を駆け抜ける。

 所々で金管楽器、そしてティンパニが、ある一音にクレッシェンドをかける。まるで閃光を放射するように。それが特徴といえる。音の運動性が増す。カンブルランが捉えるベートーヴェン像の一端か。

 カンブルランは退任まであと1年。別れを惜しむ1年が始まった。
(2018.1.19.サントリーホール)
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大野和士/都響

2018年01月19日 | 音楽
 メシアンの「トゥーランガリラ交響曲」がプログラムに組まれたので、注目していた大野和士/都響の定期。最初にピアノ独奏でトリスタン・ミュライユの小品「告別の鐘と微笑み~オリヴィエ・メシアンの追憶に」が演奏された。メシアンに師事したミュライユの、メシアンの逝去に当たって書いた追悼の曲。

 さすがにスペクトル楽派の雄のミュライユらしく、音の響きの美しい曲。高音のきらきら輝く音の連なりから、低音のじっくり引き伸ばされた音まで、透明な音の構造体に耳を澄ます曲。ピアノ独奏はヤン・ミヒールス。ブリュッセル王立音楽院教授。

 じつはわたしは、演奏会の冒頭にこの曲が置かれているので、演奏会全体がメシアンの追悼に捧げられているのかと思っていた。なので、オーケストラがステージに揃い、ピアニストがこの曲を弾き、拍手をせずに「トゥーランガリラ交響曲」が始まるという展開を予想していた。

 だが、普通にピアニストが出てきて拍手を受け、この曲を弾き、拍手に応えた後、ステージの袖に引っ込み、次にオーケストラとピアニスト、オンドマルトノ奏者(原田節)そして指揮者が出てきて拍手を受け、「トゥーランガリラ交響曲」が始まるという、ごく日常的な演奏会の風景だった。

 「トゥーランガリラ交響曲」は、すっきりした造形が特徴の演奏だった。かつて某日本人指揮者が都響で演奏したときの、頭に血が上ったような演奏とは対照的だった。対照的だったので、余計にそのときの演奏を思い出した。

 わたしは大野和士/都響がサントリー芸術財団のサマーフェスティヴァル2015で演奏したB.A.ツィンマーマンの「ある若き詩人のためのレクイエム」を思い浮かべた。あの超難曲と思われる曲を、驚くほどすっきりと演奏した。わたしがドイツでマティアス・ピンチャー指揮hr交響楽団(旧フランクフルト放送交響楽団)の演奏で聴いたときのカオスのような音響とは対極だった。

 そのときは、こんなにすっきりした演奏でよいのだろうかと、多少不安を覚えたが、今回の「トゥーランガリラ交響曲」を聴いて、あのときの方がアンサンブルの精度が高かったように思った。今回はもったりした感じがあった。なぜだろうと、その原因をいぶかった。

 もう一ついうと、この曲は“性愛”表現と切り離せない面があると思うが、今回の演奏ではそれをまったく感じなかった。そういう経験も珍しかった。
(2018.1.18.東京文化会館)
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広上淳一/N響~山田和樹/日本フィル

2018年01月14日 | 音楽
 広上淳一/N響から山田和樹/日本フィルへと梯子した。ともに今年生誕100年のバーンスタインが中心のプログラム。

 広上淳一/N響の1曲目は、バーンスタインの「スラヴァ!(政治的序曲)」。演奏時間約4分の短い曲だが、途中で政治演説のような録音音声がスピーカーから流れる。外国語なので(何語だろう?)、何を言っているかは分からないが、「政治的序曲」と銘打っている所以だろう。音楽そのものは、明るく、楽しく、バーンスタイン一流のエンタテイメント性が豊かな曲。

 2曲目はバーンスタインの「セレナード」。ヴァイオリン独奏は五嶋龍。冒頭、ヴァイオリンが、肩の力を抜いて、スーッと入ってきた。力まず、素直で、おとなしい演奏。考えてみると、わたしは今までこの曲を、渡辺玲子の独奏で聴くことが多かった。渡辺玲子の演奏はもっと尖っていたと思う。

 3曲目はショスタコーヴィチの交響曲第5番。ていねいな音作りが印象的だ。オーケストラの音が、終始一貫、よくまとまり、ずっしりした手応えがある。広上淳一が京都市響で成功した秘訣を垣間見るような思いがした。プロフィールによると、広上淳一は今年5月に還暦を迎えるそうだ。デビュー当時の“やんちゃ坊主”ぶりが目に焼き付いているので、還暦といわれてもピンとこない。

 大急ぎで渋谷から横浜へ移動。山田和樹/日本フィルの1曲目は、バーンスタインの「キャンディード」序曲。音の明るさと活力とが、指揮者の年齢の差を感じさせる。2曲目は「キャンディード」組曲(ハーモン編曲)。

 3曲目はラヴェルの「高雅で感傷的なワルツ」。聴く前は、バーンスタインに挟まれて、なぜラヴェルの曲か?と思ったが、聴いてみると、少しも違和感がなかった。バーンスタインとラヴェルとは、音の明るさとか、エンタテイメント性(あるいは音楽の人工性)とか、共通するものがあり、相性がよいのかもしれないと、新たな発見だった。

 4曲目はバーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」。ピアノ独奏は小曽根真。これが、N響、日本フィルを通して、この日の白眉だった。ピアノもオーケストラも、音に緊張感があり、はっきり焦点の定まった、スリリングな演奏を展開した。

 小曽根真がアンコールを弾いてくれた。バーンスタインの「オン・ザ・タウン」から「サム・アザー・タイム」。嬉しいサービスだった。
(2018.1.13.NHKホール、横浜みなとみらいホール)
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大野和士/都響

2018年01月11日 | 音楽
 音楽評論家の大久保賢氏のブログに「聴き初め」という言葉があったので、それを拝借すると、わたしの「聴き初め」は大野和士/都響。プログラムが濃厚で、リヒャルト・シュトラウスの組曲「町人貴族」とツェムリンスキーの交響詩「人魚姫」。お屠蘇気分など吹き飛ぶエンジン全開のプログラムだ。

 1曲目の「町人貴族」は、出だしは硬かったが、徐々にこなれてきた。ヴァイオリンの矢部達哉、ヴィオラの店村眞積のソロが、艶のある音色と色気のあるフレージングで、一頭地を抜いていたのはさすが。チェロの古川展生とオーボエの鷹栖美恵子のソロもよかった。ピアノを弾いていたのはだれだろう。とくに第1曲で歯切れのよいリズムが全体を牽引した。

 だが、欲をいえば、全体のアンサンブルがもっと闊達であってほしかった。各パートにソロが割り振られているので、各奏者は、ソロの箇所に来たら、私のソロを聴いてくれ、といわんばかりの演奏をしてほしかった。

 2曲目の「人魚姫」では、緩急、強弱のコントラストが強烈な、ドラマティックな演奏が繰り広げられた。全体のイメージは、スケール感の大きい、物語性の豊かなバラードのようだった。

 その中にあって、第2楽章の終わり方は、まるでオペラの幕切れのようだった。今まで聴いたこの曲の演奏でも、オペラのような終わり方だと感じていたような気がするが、今回ほどそれを鮮明に感じたことはない。オペラ作曲家であるツェムリンスキーの資質と、オペラ指揮者の大野和士の感性とが、この部分で邂逅したような、そんな火花の散る瞬間だった。

 大野和士/都響のコンビは、10月にはツェムリンスキーの「叙情交響曲」をプログラムに組んでいる。そうだとするなら、本年9月からの新国立劇場の演目でも、ツェムリンスキーのオペラが予定されているかもしれない。大野和士ファンのわたしは、そう思いたくなる。期待は空振りになるかもしれないが、よいではないか、今はそう思わせてくれ、といいたくなる。(※)

 勝手な妄想をもう少し続けるなら、ツェムリンスキーのオペラは、最初は「フィレンツェの悲劇」や「こびと‐王女の誕生日」になるかもしれないが、故ゲルト・アルブレヒトが読響の常任指揮者時代に演奏会形式で上演した「夢見るゲルゲ」は、演出付きで上演したら、どんな演出になるかも興味深い。
(2018.1.10.サントリーホール)

(※)驚いたことに、本日(1月11日)、新国立劇場の新シーズンのプログラムが発表され、「フィレンツェの悲劇」が入っていました。ブログはこのままにしておきます。
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瀬戸内の旅(3):竹原町並み保存地区

2018年01月10日 | 身辺雑記
 瀬戸内の旅は、呉1泊、大久野島2泊で実質的には終わったようなものだが、もう1泊、竹原の温泉に予約を入れていた。予定では、大久野島を朝出て、瀬戸内海に面した低山を登り、温泉で汗を流すつもりだった。

 だが、わたしはもう山に登る気力を失った。ウサギのあまりの可愛さに、すっかり参っていた。温泉には、予約をした以上、行かなければならないが、それは昼食後の船に乗れば間に合う。それまでは大久野島にいようと思った。

 午前中は今まで歩いていなかった道を歩いた。ウサギとも戯れた。そんなことをしているうちに、あっという間に時間が過ぎた。昼食をとった後、午後1時頃の船で戻った。戻ってから、登るはずだった山を見上げた。標高300メートル足らずの低山なのに、ずいぶん高く見えた。

 JR呉線で3駅、竹原駅に着いた。宿の迎えの車を頼んでいたが、それが来るまで1時間ほどあるので、竹原町並み保存地区に行ってみた。国民休暇村でもらったパンフレットを頼りに歩き出したが、意外に遠かった。駅から15分ほど。よく知っている道なら、15分という距離は遠くはないと思うが、曲がり角などの見当をつけながら、初めての道を歩くと、その距離は遠く感じた。

 ともかく竹原町並み保存地区に着いた。迎えの車に迷惑をかけるわけにはいかないので、約束の時間までに駅に戻らなければならない。逆算すると、見学時間は30分くらい。わたしは駆け足で見て回った。

 たしかに情緒ある古い家が並んでいる。日本にいくつか残っている古い町並みの一つであることは間違いない。京都とか、金沢とか、岐阜とか、そういう観光地とは違って、竹原の町並みは、今もその多くの家々に住民がいる。それが特徴だ。そのため、少し地味な感じがした。

 約束の時間までに駅に戻り、迎えの車で宿に向かった。山間の温泉地。湯船の中で手足を伸ばしていると、ふと、亡父を想い出した。呉海軍工廠で働いていた亡父は、竹原という地名は知っていたかもしれないが、そこの温泉でくつろぐことなど、思いもよらなかっただろう。それなのに、今こうして、息子が湯船に浸かっている。申し訳ないような気がした。

 翌日は東広島駅まで送ってもらった。山間を縫うように走る車からは、のどかで穏やかな山里が見えた。その風景を眺めているうちに、某チェーンホテルの建物が目に入った。東広島駅に着いた。
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瀬戸内の旅(2):大久野島

2018年01月09日 | 身辺雑記
 翌日は瀬戸内海の小島、大久野島(おおくのしま)に渡った。周囲4.3kmのこの島は、島全体が国民休暇村になっている。この島で2泊した。予約時には、2泊もして何もすることがないのではないか、と懸念したが、そんなことはなかった。

 この島には推定で700羽のウサギがいる。それらのウサギが、どこを歩いていても、駆け寄ってくる。ウサギの楽園。日本版のピーターラビットの世界。わたしはピーターラビットの生まれ故郷、イギリスの湖水地方に行ったことがあるが、山野を歩いていても、ウサギの姿は見かけなかった。この島は、ピーターラビットの世界が現実化した、世界中でも稀な例かもしれない。

 じつは、行くまでは、少しタカをくくっていた。ウサギといったって、そんなに可愛いか、と。だが、足を一歩踏み入れた途端、その可愛さに参ってしまった。もうメロメロ。60歳代半ばの男が、ウサギに癒された。

 この島には別の側面がある。それは戦争遺跡。わたしは迂闊にも、予約した時点ではそれを知らなかったが、この島では、戦争中に毒ガスが作られていた。島全体が毒ガス工場だった。陸軍の機密事項に属し、島は地図から消された。毒ガスは日中戦争で使われたと推定されている。

 島中に関連施設が存在したが、戦後、国民休暇村として生まれ変わる過程で、それらの多くは撤去された。しかし、まだいくつかは残っている。半ば朽ちかけた施設が点在する。それらは、戦争中にあったことを、今に伝えている。

 この島は光(=ウサギ)と影(=戦争遺跡)との両方を持った島だ。島をめぐる遊歩道を歩くと、ウサギが駆け寄ってきて、心がなごむ。また、一方では、残された毒ガス施設に暗澹とする。だが、同時に、過去にあったことを消さないで、今に伝えようとする意思を感じる。

 わたしが滞在した2日間は、国民休暇村は、家族連れで大賑わいだった。小さな子どもたちは、ウサギに大喜び。また、若いカップルも多かった。若いカップルにも、ウサギは大受けだ。そういうカップルの中には、戦争中にあったことに向き合う人もいる。

 この島を守りたい、と思った。今ある戦争遺跡を、将来にむけて残したい、と。たとえばアウシュヴィッツのように、世界遺産に登録されれば安心だが、その道のりは長くて困難かもしれない。反対する人も多いだろう。では、どうすればよいのか。わたしにできることは何だろう、と。
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瀬戸内の旅(1):呉海軍工廠跡

2018年01月08日 | 身辺雑記
 今年の正月は家ですごしたが、その後、瀬戸内の旅に出かけた。まずは呉へ。呉に行ったのは、亡父が戦争中に海軍工廠で働いていたから。それがどこか、確かめたかった。実はもう何十年も前に、広島に行った際に、呉に寄ってみたが、なんの準備もしていなかったので、右も左も分からなかった。亡父が生前、音戸の瀬戸の話をしていたので、それだけ見て帰った。

 海軍工廠があった場所は、今はジャパンマリンユナイテッドの造船所になっている。写真(※)がその場所。写真にはドックに入っている船が写っているが、それは自衛艦「かが」だそうだ(タクシー運転手の話)。その左に倉庫のような建物が見える。実はそのさらに左に(写真には写っていないが)、もっと大きな建物がある。そこが戦艦「大和」を建造したドックだ。

 亡父はそこで働いていた。「大和」を造っているとき、「今度の船はでかいな」と驚いたそうだ。末端の職工だったろうが、「大和」を造ったという話は、幼いわたしに何度も聞かせた話だ。

 亡父は晩年の一時期、俳句を作っていた。100句ほどをノートに清書して、わたしにくれた。生涯の想い出を、思いつくままに、俳句にした、という趣なので、自分史といえるほどのものではないが、わたしには亡父の生涯をうかがう手掛かりだ。

 各句には簡単なコメントが付いている。その中の一つに「峠を越えて呉市に映画を見に行くとき(以下略)」というくだりがある。わたしは「峠?」と疑問に思っていた。どこに住んでいたのか?と。

 今回、その疑問が解けた。海岸沿いの道を走っていたタクシーの運転手が、「戦争中はこのあたりは海軍工廠だったんで、一般人は入れなかったんです」と教えてくれた。そうだとすると、亡父が住んでいたのは、その向こうの山側のあたりだったはずで、そこから海軍工廠を迂回して、市内に出る道を「峠」といっていた可能性がある。

 翌日、大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)で昭和10年代の古地図を見ると、海軍工廠一帯は「海軍用地」として白紙になっていた。軍事機密だったことの生々しい証言。

 わたしは亡父を、生前、「呉に行ってみようか」と誘わなかったことを悔やんだ。自責の念にかられているうちに、亡父の生年が大正6年だったことを思い出した。大正6年=1917年。生きていれば今100歳。平成10年に80歳で亡くなった。今年は没後20年。わたしは亡父に誘われたのか?と思った。

(※)画像のアップロードをやり直しました。すみませんでした。
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佐多稲子「樹影」

2018年01月07日 | 読書
 わたしは昨年11月に長崎県美術館を訪れたとき、池野清(1914‐1960)という画家の遺作2点に感銘を受けた。そして池野清と面識のあった作家の佐多稲子が、それらの遺作に触発されて、短編小説「色のない画」を書き、また後年、長編小説「樹影」を書いたことを知った。わたしはまず「色のない画」を読み、引き続き「樹影」も読んでみた。

 「樹影」は、それらの遺作が生まれるまでのドラマを書いたもの。作中では池野清だけではなく、その愛人(愛人という言葉は、手垢にまみれた言葉なので、本当は使いたくないが、今はとっさに別の言葉が思い浮かばない)も、同等の重さで書かれている。池野清と愛人との、二人それぞれのドラマ。

 佐多稲子は二人と面識があった。一方、池野清の本妻とは面識がなかったようだ。そのためなのかどうなのか、本作では本妻の影が薄い。実生活では池野清の家庭は崩壊していたかもしれないが、それは仄めかされる程度。佐多稲子の不幸な生い立ちと結婚生活とを考えると、不思議な気もするが、むしろ佐多稲子は、明確な意思をもって、池野清とその愛人とに集中したと考えたほうがよいだろう。

 執筆の動機は、池野清の遺作2点にあったと思うが、その愛人の華僑としての人生にも、佐多稲子の想像力は掻き立てられただろう。そして、被爆者という二人の共通項が、本作の構想につながったようだ。

 本作では、ドラマの背景として、長崎への原爆投下の直後の日々、人々が打ちのめされて、立ち直れなかった日々、そして10年あまりたって、被爆の現実を直視するに至る日々が描かれる。本作は、原爆で亡くなった人々、そして後遺症に苦しむ人々に想いを寄せた作品でもある。

 ドラマのディテールは、綿密な取材を踏まえてはいるだろうが、基本的には、佐多稲子の作家的な想像力が産み出したものと考えたほうがよい。だが、そこには、有無をいわせない迫真性があるので、わたしは今後、池野清の遺作2点を見るときは、本作を想い出すだろう。

 池野清をモデルとする画家は、原爆の後遺症と思われる病で壮絶な死をとげる。一方、その愛人をモデルとする華僑の女性は、原爆の後遺症と思われる病で、ひっそりと亡くなる。その対照に小説的なうまさを感じる。

 わたしは佐多稲子を読み始めたばかりなので、断言はできないが、自分のことを書いた作品が多い中にあって、本作は特異な位置を占める作品かもしれない。
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