Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ルサルカ

2011年11月30日 | 音楽
 新国立劇場の「ルサルカ」は2009年のノルウェー国立オペラ・バレエのプロダクションだ。主人公ルサルカをはじめ登場人物の心理描写が細やかなことが印象的。とくに注目したのが第2幕だ。幕開き早々からルサルカと王子との気持ちのすれ違いが描かれ、さらに客人たちの踊りがルサルカを無言のうちに追い詰める。孤立無援のルサルカは痛ましいほどだ。

 全体的にはルサルカの夢想という枠組みで構成されている。序曲が始まると森のなかのルサルカの家が現れる。ルサルカはベッドにいるが眠れない様子だ。横の椅子では父ヴォドニクが居眠りをしている。窓には煌々と月の光が射している。父ヴォドニクは目を覚まして階下に降りて行く。ルサルカはベッドから起き上がり鏡のなかの自分を見つめる。少女ルサルカは大人の恋を夢見る。

 そこから第1幕になる。ルサルカの家は消えて、湖の底の水の精たちの世界になる。水の揺れを描く青い照明が美しい。第1幕と第3幕はこの青の世界だ。第2幕は王子の宮殿なので、赤が中心になるが、父ヴォドニクが現れてルサルカを慰める場面では青い照明が揺れる。

 その他、衣装やメイクをふくめて、この舞台は美しく、しかも現代的だ。反面、ボヘミヤの森のメルヘンではない。わたしは気に入った。何年も前にメトロポリタン歌劇場で観たときには、ボヘミヤの森のメルヘンだったが(オットー・シェンクの演出。ルネ・フレミングが歌った)、それよりもよかった。演出はポール・カラン、美術・衣装はケヴィン・ナイト、照明はデイヴィッド・ジャック。いずれもイギリス人だろう。

 ルサルカはオルガ・グリャコヴァ。今年6月に「蝶々夫人」を歌う予定の歌手がキャンセルしたときに、急きょ来日して急場を救った歌手だ。そのときも美貌の歌手だと思ったが、今回も美しかった。声も立派だ。もっとも、第1幕の「月に寄せる歌」や第3幕冒頭のアリアでは、あまりチェコ語らしく聴こえなかった。

 その点、王子を歌ったペーター・ベルガーは、スロヴァキア人だけあって、チェコ語に問題がない。今回のキャストのなかでは唯一のチェコ系の歌手だ。声も甘美だった。

 指揮はチェコ人のヤロスラフ・キズリング。本作を味わうにはなんの不足もない演奏だが、その上であえていうと、細部の詰めが甘く、ぼってりした演奏だった。これは東京フィルのせいかもしれない。この壁を乗り越えるのは大変だ。
(2011.11.29.新国立劇場)
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カンブルラン/読響

2011年11月26日 | 音楽
 カンブルラン/読響の「海」にちなんだプログラム。選曲、その配列、ともに入念に検討されたものだ。たぶんカンブルランの頭のなかには、とっておきのプログラムがいくつもあって、これもその一つなのだろう。

 1曲目はメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」。ソット・ヴォーチェで始まり、カンブルランらしい引き締まったフォルテや、テンポの追い上げもあるが、基調としてはソット・ヴォーチェで貫かれた演奏。新たなメロディーが入ってくるときの一瞬の間合いの絶妙さ。それがこの演奏の繊細さの象徴だった。

 2曲目はショーソンの「愛と海の詩」。これが当夜の白眉だった。オーケストラはショーソンの流動的な色彩を表現し、メゾ・ソプラノの林美智子がそこにドラマティックな歌唱を織り込んだ。全体的にオーケストラ伴奏付きの歌曲というよりも、オペラの長大な一場面を聴いている感じがした。

 この曲の第1部「水辺の花」と第3部「愛の死」は、ともに明るい愛の喜びで始まり、やがて暗い破局で終わるが、林美智子の歌唱は、愛の喜びの開放感よりも、破局の喪失感のほうに深みがあった。中間の第2部はオーケストラによる短い間奏曲。これも破局を予告する哀切な演奏だった。

 読響のHPに載っているエピソードだが、林さんはこの公演のためにパリに行って、信頼するコレペティートルに見てもらったそうだ。そのときのいきさつが面白い。と同時に、演奏家というものがどれほど勉強家であるかもよくわかった。

 将来この曲を生で聴く機会がいつあるかわからないが、その機会が訪れたときには、きっとこの演奏を思い出して、これを基準に聴くことになるだろうと思った。

 3曲目はワーグナーの歌劇「さまよえるオランダ人」序曲。カンブルランのワーグナーは初めてだ。全体に遅めのテンポをとり、パルスのいくつもの層が重なったような感じがユニークだった。端的にいって、これは情念が渦巻く演奏ではないが、わたしはこういう演奏も面白かった。

 最後はドビュッシーの交響詩「海」。この演奏を聴きながら、カンブルランは、あえていえば、往年の名指揮者アンセルメのタイプではないかと思った。ピッチの厳密さ、リズムの正確さ、色彩の豊かさ、明快なアーティキュレイション、シャープな造形、べたつかないフレージング等々。カンブルランはさらに加えてオペラも振れる強みがある。
(2011.11.25.サントリーホール)
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ブーレーズの全ピアノ作品演奏会

2011年11月24日 | 音楽
 ピアニストの大井浩明さんがPortraits of Composers(略称POC)という物凄いリサイタル・シリーズをやっている。9月がクセナキスの全鍵盤作品演奏会、10月がリゲティの全鍵盤作品演奏会、そして今月がブーレーズの全ピアノ作品演奏会。残念ながらクセナキスとリゲティには行けなかったが、ブーレーズは行くことができた。

 1曲目は「12の徒書(ノタシオン)」(1945)。今ではオーケストラ版のほうが有名かもしれない。日本でも最晩年の若杉弘が都響を振って聴かせてくれた。これはその原曲のピアノ版。ピアノ版では各曲が短くて、アフォリズムの連続のように聴こえた。
 2曲目は「フルートとピアノのためのソナチネ」(1946)。フルートは都響の首席奏者の寺本義明さん。大井さんとは高校・大学の学生オケの先輩になるそうだ。演奏は気迫みなぎるもの。演奏面ではこれが一番面白かった。
 3曲目は「第1ソナタ」(1946)。この曲はそれほど複雑ではないこともあり、クリアーな演奏だった。

 4曲目は「第2ソナタ」(1948)。若き日のポリーニがレパートリーに入れていた曲。わたしもそれでこの曲を知った。ブーレーズの代表作の一つだ。この曲では演奏が進むにつれて、だんだんもたれてきた。力演ではあるが、単調さを感じた。音色的な魅力を感じなかったこともその一因だ。
 休憩をはさんで5曲目は「第3ソナタ」(1956‐1957)。演奏者に細部をゆだねた曲、いわゆる管理された偶然性の曲だ。残念ながらわたしは最後のところで緊張感が途切れてしまった。

 この曲まではブーレーズの難解さが懐かしくもあり、また、時代と取っ組みあっているという意味で、好ましくもあった。ひるがえって、今の現代音楽のわかりやすさを顧みた。

 その点、6曲目の「内挿節(アンシーズ)」(1994/2001)と7曲目の「日めくりの一頁」(2005)は、なんといったらよいか。これはもう第2ソナタ、第3ソナタのころのブーレーズとは別人物だ。

 アンコールにシュトックハウゼンのピアノ曲第14番が演奏された。この曲はブーレーズ60歳を祝ってブーレーズに献呈された曲で、当時シュトックハウゼンが作曲中のオペラ「月曜日」に関連しているとのこと。演奏者の吐く息や声、あるいはピアノの内部奏法も加わり、ブーレーズよりも感覚的で、さらにいえばエンターテイメント性が感じられた。
(2011.11.23.Hakuju Hall)
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ゴヤ展

2011年11月21日 | 美術
 金曜日の夜間開館に「ゴヤ―光と影」展へ。当日は6時からスライド・トークが開かれていたので、皆さんそちらに行っていて、空いた館内をゆっくり観ることができた。途中でスライド・トークに参加した一団に追いつかれたが、その波が過ぎると、またのんびりした館内に戻った。

 6時に着いて閉館の8時まで。普段は2時間あれば、まず一通り観て、気に入った作品のところに戻って、もう一度じっくり観てちょうど2時間というペースだが、今回はまだ3分の2程度しか観ていないときに、閉館15分前のアナウンスが流れた。とてもじゃないが、最後までは観られない。しかも、後でもう一度観ようと思った作品があったのに、それも無理だ。こういう経験は初めて。

 こうなった原因は、版画および版画のための準備素描が沢山出ていて、どれも面白かったからだ。第一版画集「ロス・カプリーチョス」の奇抜さと第二版画集「戦争の惨禍」の生々しさ。ともに200年前の作品であるにもかかわらず、ひじょうに現代的だ。第三版画集「闘牛技」と第四版画集「妄(もう)」は時間がなくて素通りしたが、じっくり観たらどんなに面白いことか。

 その意味では本展は昨年から続いているブリューゲル、デューラー、レンブラントの各版画展の流れのなかにあるという側面をもつ。

 もちろん油彩画も素晴らしい。素晴らしいというのを通り越して、すごいといったほうがよい。例の「着衣のマハ」では白い衣装の光沢に驚いた。画面右上から左下にかけての対角線上に(つまり画面を最大限につかって)、マハ(小粋な女)が横たわり、膝を軽く前に突き出している。衣装の下に隠された肉体にずっしりした重みがあり、手を伸ばせば触れることができるようだ。

 どんな画集にも載っている「日傘」も、やはりすごい。画集ではわからない透明感がある。同様にタピスリー用の原画である「木登りをする少年たち」はもっと気に入った。題材が満ち足りた上流階級の娘(「日傘」)ではなく、貧しい少年たち(「木登りをする少年たち」)なので、共感しやすいのはもちろんのこと、作品のなかの透明な層に奥行きがあった。

 2008年のプラド美術館展にも来た「魔女たちの飛翔」は、空中を飛ぶ3人の魔女が若い男を貪り喰っている恐ろしい絵だと思っていたが、これは若者に空気=知恵を吹き入れている情景だそうだ。
(2011.11.18.国立西洋美術館)
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御喜美江の『道の途中で』

2011年11月18日 | 音楽
 左欄のブックマークに登録しているブログはどれも個性的で、センスがあり、教えられることが多く、しかも楽しいものばかり。そのなかの一つにアコーディオン奏者、御喜美江(みき・みえ)さんの『道の途中で』がある。

 御喜さんは、いうまでもなく、世界的なアコーディオン奏者で、日本国内でも長年にわたって活発な演奏活動を続けている。またドイツのエッセンのフォルクヴァング芸術大学の教授でもある。このようなヴァイタリティあふれる御喜さんが、ご自分で写した写真とともに、日常のあれこれを、肩の力を抜いて、簡潔に綴っているのが『道の途中で』だ。

 その11月16日の記事「You Tube 追加のお知らせ」は、昨年9月に浜離宮朝日ホールで開かれたリサイタル「御喜美江アコーディオン・ワークス2010」の中から3曲がYou Tubeにアップされたお知らせだ。「お時間のあるときにでも覗いて頂けたら嬉しく思います」とのこと。

 で、さっそく覗いてみた。1曲目は高橋悠治の「雪・風・ラジオ」。舞台の左右に2人のアコーディオン奏者が向き合って座り、「雪」、「風」、「ラジオ」の短い詩をまず英語で、次に日本語で読みあげた後、それぞれの詩に触発された短い音楽が演奏される曲だ。「雪」と「風」は寂寥感がただよい、「ラジオ」になると一転して劇的になる。詩の作者はアメリカの女性詩人Diane di Primaで、原題はSHORT POEMS ON THE AFGAN WAR。これはアフガン戦争にたいする反戦詩だ。

 2曲目はcobaの「SARA」。3人のアコーディオン奏者による演奏。ポップス系の曲で、ダンスフロアがあるなら踊りたくなるような、あるいはバーボン・ウィスキーでも飲みながら拍子をとりたくなるような格好よい曲だ。cobaという作曲者は知らなかったが、世界的に活躍する日本人のアコーディオン奏者だ。

 3曲目はスティーヴ・ライヒの「6台のアコーディオン」。これは原曲の「6台のピアノSix Pianos」のアコーディオン版だ。6人のアコーディオン奏者が半円形に座って、向かって左の3人が終始一定のリズム・パターンを繰り返し、右の3人がそこに加わったり、抜け出したり、くさびを打ち込むように鋭い音型を挟んだりする。これが15分くらい続く。

 もしだれか一人でも伸縮したら、総崩れになるだろう――。よくぴたっと合うものだと感心した。しかも指揮者なしで。6人の奏者のストレスはラヴェルの「ボレロ」の小太鼓奏者の比ではない。
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野見山暁治展

2011年11月16日 | 美術
 今90歳の画家、野見山暁治(のみやま・ぎょうじ)が、本年6月に東日本大震災の被災地を訪れ、そこで見た光景をもとに「ある歳月」を描いた。ブリヂストン美術館で開催中の「野見山暁治展」に出品されている。

 野見山暁治は1920年12月生まれ。今もなお旺盛な制作活動を続けている。本展はその軌跡をたどったもの。一人の画家の人生の重みが感じられるとともに、第二次世界大戦から戦後社会、そして東日本大震災までの日本の歩みがその背景に感じられる展覧会だ。

 本展は4章で構成されている。第1章は「不安から覚醒へ―戦前から戦後へかけて」。この章では、東京美術学校を卒業して満州に出征し、病気で帰国した後に敗戦をむかえ、焼跡の郷里、福岡に佇むまでをたどっている。1943年の「妹の像」は出征直前の作品。緊張した力作だ。1946年頃の「焼跡の福岡県庁」は喪失感のただよう暗い作品。画家の心象風景が伝わってくる。

 第2章の「形をつかむ―滞欧時代」は1952年~1964年までのパリ時代をたどっている。黒いギザギザの描線と鮮やかな色彩が、ベルナール・ビュフェ(1928~1999)を想わせるみずみずしい感性を感じさせる。最初の才能の開花の時期だ。1960年の「風景(ライ・レ・ローズ)」は、妻の陽子が29歳で急逝した後、傷心から再生する過程の作品。

 第3章の「自然の本質を突きつめる―90年代まで」は、帰国してからの作風を追っている。ここは3段階から成っている。まず、唐津湾を望むアトリエで制作された、海と空をテーマとする作品を中心とした作品群。次は後年の抽象的な作風の萌芽が感じられる作品群。最後はその抽象的な作風が力強く結実する作品群。

 この最後の段階にふくまれる「ある証言」(1992年)は、本展でもっとも感動した作品だ。キャンバスを2枚並べた横長の作品で、荒涼とした大地の上に、魚のような巨大な口が開き、空にとどろきわたる声でなにかを言っている。それはなんの証言か。

 第4章の「響きあう色彩―新作をめぐって」は2000年代に入ってからの作品群だ。抽象的な作風は自由を獲得し、なにものにもとらわれない即興的な作品群だ。このなかに冒頭の「ある歳月」(2011年)がある。画面下部にはすべてを飲みこむ津波のような白いしぶきがあり、上部には空中に浮遊する失われた魂のような名状しがたい形態がある。
(2011.11.15.ブリヂストン美術館)
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ラザレフ/日本フィル

2011年11月14日 | 音楽
 日本フィルの首席指揮者ラザレフがラフマニノフ・チクルスをスタートさせた。これは今後2年間で交響作品を全曲と主要なピアノと管弦楽のための作品を演奏するもの。11月定期はその第1回だった。

 1曲目はショパンのピアノ協奏曲第1番。この曲ではオーケストラができることは限られているので、興味の対象はピアノになる。ピアノ独奏は岡田博美。冷静で、過度に甘くないピアノだった。注目したのは第2楽章の水際立った音の美しさ。山野雄大氏のプログラム・ノートによれば、ショパンは友人にあてた手紙のなかで「新しい協奏曲のアダージョは、憂いを帯びて静かにロマンティックなものだ。春の美しい月夜のような……」と書いているそうだ。まさに月の雫のような、と形容したくなる音だった。

 2曲目はラフマニノフの交響曲第1番。これは、あらゆる形容は措くとして、ラザレフが全力を尽くした演奏だった。ラザレフというすぐれた指揮者が、もっとも得意とする音楽を、手加減せずに本気で演奏したもの。これは感動的だった。日本フィルもそれを幸せと思わなければならない。オーケストラを甘やかす指揮者は、オーケストラをダメにするからだ。

 定期に先立って11月9日に記者会見が開かれた。ホームページに載った記事によると(ラザレフが語る!本日スタートの新プロジェクト〔新着情報〕)、過去3年にわたるプロコフィエフ・プロジェクトではオーケストラのパワーと音色を磨いた、次のラフマニノフ・プロジェクトでは感情表現を究める、という趣旨のようだ。これは嬉しい方向性だ。自らを解き放った熱い感情の表現は、意外に日本フィルが苦手とするところだ。お祭り騒ぎ的な盛り上がりは得意だが。

 交響曲第1番はまさにその方向性の演奏だった。あれはたしか第2楽章の中間部だったと思うが、ラザレフは指揮台から降りて、チェロと第2ヴァイオリンの前に立ち「もっと感情を込めて!エスプレッシーヴォで!」という指揮をした。熱くなっても、ここまでする指揮者は珍しい。チェロと第2ヴァイオリンもそれに応えた。

 もっとも、終演後、オーケストラには達成感というか、晴れやかな表情は見られず、疲れ切った表情が広がった気がする。そう感じたのがわたしだけならよいが。

 拍手が続くなか、ラザレフはオーケストラに引き揚げようと促したが、コンサートマスターは頑として応じなかった。
(2011.11.12.サントリーホール)
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矢崎彦太郎/東京シティ・フィル

2011年11月12日 | 音楽
 東京シティ・フィルの11月定期は首席客演指揮者の矢崎彦太郎による「フランス音楽の彩と翳」シリーズの18回目。毎回フランス近代の作品を聴かせてくれるので楽しみにしている。今回も興味深いプログラムだ。

 開演前にロビー・コンサートがあった。ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、トランペットの5人編成でバッハのカンタータからのアリア。晴れやかなトランペットの音色が響き渡り、音楽的な愉悦を味わった。

 1曲目はレイナルド・アーンReynaldo Hahnの「ベアトリス・デストゥの舞踏会」。アーンというその名は記憶のどこかにあったが、音楽のイメージはまったくなかった。本作は、木管、金管、打楽器、ハープ2とピアノという編成。弦楽器は入っていない。このような楽器編成から想像される透明感のある曲だ。アルカイックな曲想はラヴェルの「クープランの墓」を思い出させた。

 2曲目はドビュッシーの「ピアノと管弦楽のための幻想曲」。これも珍しい曲だ。昨年7月にカンブルラン指揮の読響が演奏した(ピアノ独奏は児玉桃)。多分この曲を聴いたのはそのときが初めて。今回は2度目。2度目なのでどういう曲かよくわかった。ドビュッシーのイタリア留学中の作品だが、いたるところに、といってよいほど後年の交響詩「海」を彷彿とさせる音型がある。

 ピアノ独奏は菅野潤。わたしは存じ上げない方だったが、パリを拠点に世界中で、さらには日本各地でも活動を続けている演奏家だ。音が美しい。華やかなピアニズムで売るタイプではなく、じっくり音楽をかみしめるタイプだ。アンコールで弾かれたドビュッシーも素直で美しかった。

 休憩をはさんで後半の冒頭にトークがあった。矢崎さんと中央大学教授でプルーストの研究家、斉木眞一氏の対談。今回のプログラムはプルーストがキーワードになっているので、それにちなんだ対談だった。斉木氏いわく、「失われた時を求めて」は最初から読まなくてもよい、むしろパッと開いて、そこに書いてあることを読むだけでよい、と。これに励まされて、長年の宿題に手をつけてみようか、という気になった。

 後半のプログラムはフランクの「交響曲」。緩急の差をつけ、熱い想いがあふれる演奏だった。
 なお東京シティ・フィルは来シーズン、体制が変わる。来シーズンには矢崎さんの出番はないが、いつかまたこのシリーズが復活することを。
(2011.11.11.東京オペラシティ)
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ボージチ/都響

2011年11月11日 | 音楽
 都響の11月定期はベテラン指揮者ヴォルフガング・ボージチWolfgang Bozicの指揮。ボージチは2008年のペーター・コンヴィチュニー演出の「アイーダ」で都響を指揮した。わたしもそのとき聴いて、よい指揮者だと思った。都響のほうでも手応えを感じたのだろう。今回は定期に初招聘。

 舞台に登場した姿が、なんとなく、往年の名指揮者ラファエル・クーベリックに似ていた。もっとも、クーベリックほど重々しくはない。後ろ姿から見た頭髪の具合が似ているので、そう感じたのかもしれない。

 1曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第23番。ピアノ独奏はフレディ・ケンプ。これはピアノもオーケストラも単調だった。各楽章とも「この楽章こそは」と気合を入れて聴き始めたが、集中力がもたなかった。

 アンコールに応えて、「ベートーヴェンの悲愴の、……2号しゃん」(語尾は不明瞭)と。苦笑。もちろん2楽章のことだ。演奏はクリアーだった。

 2曲目はリヒャルト・シュトラウスの家庭交響曲。初めて定期を振らせる指揮者にこの曲をまかせるのは、都響側の信頼が篤いということだ。冒頭、父親=シュトラウス自身を表す三つテーマが、実に生き生きと、弾むようなリズムで演奏されるのを聴いて、この指揮者は根っからのオペラ指揮者だと思った。

 以下、この演奏は今まで聴いたことがないくらい賑やかな演奏だった。あるパートが旋律を奏でていると、別のパートが割って入り、次の主役を奪ってしまう、そういうことの連続だった。旋律の歌い方も、几帳面に拍を刻むのではなく、前へ前へと弾んでいく躍動感があった。

 例の第3部、シュトラウスと妻パウリーネの寝室の場面も、あんなにリアルに、オペラの一場面を観るように演奏されたことは、空前絶後だろう。パウリーネは2度もトゥッティで叫び、ことが終わったシュトラウスはコントラバスのピチカートとともに力尽きる。あの「ばらの騎士」の序奏では、若い貴族のオクタヴィアンと元帥夫人の濡れ場だったが、本作ではシュトラウスとパウリーネ。正直いってそんなもの見たくない、と文句をいいたくなる、それが狙いの音楽だ。

 都響は精一杯の演奏。普段はあまり出会わないタイプの指揮者に懸命についていったが、余裕がなかったのも事実だ。初共演なので仕方ない面もある。本日の二日目はどうなったのだろう。
(2011.11.10.サントリーホール)
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天守物語

2011年11月08日 | 演劇
 泉鏡花の「天守物語」。この作品は何度も舞台化されているし、また映画にもなり、さらにはオペラ(水野修考作曲)にもなっているので、多くのかたにはお馴染みだが、わたしは今回が初めて。もっとも、いつだったか、原作を読んだことはある。そのときは、作品の背景として、金沢文化の存在を強烈に意識した。それ以来わたしのなかには、泉鏡花=金沢という図式が根を下ろしている。

 今回初めてその舞台を観た。白井晃演出の舞台はひじょうに現代的だった。

 現代的と感じた要因は、まずスピード感。おっとりした金沢文化というイメージが覆されるシャープな感覚。これは台詞回しのテンポのよさはもちろんのこと、キーとなる言葉の選択、その印象付けという細かいことから生まれている。

 さらには音楽の効果。琴、三味線などの邦楽器が電気的に処理され、ハープその他の洋楽器と並置されている。担当は三宅純。情報に疎いわたしは知らなかったが、パリを拠点に活動を続けている音楽家。今回の音楽もパリで録音された。

 舞台美術にメタリックな要素があったことも、現代性の一因だ。あわせて、姫路城の天守閣の最上階という設定がリアルに感じられる装置だった。担当は小竹信節。

 では、このような舞台から、わたしはなにを受け止めたか。

 過去に原作を読んだときには気が付かなかったか、あるいは気が付いても忘れていたのか、ともかく、舞台を観ていて、権力にたいする揶揄に気が付いた。下界=人間界の権力者である殿様の理不尽さ。一方、天守閣の最上階=妖怪の世界に住む富姫の純粋さ。その富姫が、殿様の命令を受けてやって来た人間、図書之助(ずしょのすけ)を愛することにより、好戦的な人間界が相対化される。これには意外なリアリティがあった。本作は発表後100年近くたっているが、今も変わらない人間界を映す鏡だ。

 富姫と図書之助は、大勢の討手に追い詰められて、絶体絶命となるが、そこに機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)が現れる。演劇=虚構の解決の仕方としてはそれもありだろうが、もちろんこれは二重の虚構であって、現実には2人は滅ぶしかない。これがわたしにとっての【美×劇】――滅びゆくものに託した美意識――の所以だ。

 富姫の篠井英介(女形)、図書之助の平岡祐太、その他一人ひとりの名前は控えるが、主要な役者さんは皆個性的だった。
(2011.11.7.新国立劇場中劇場)
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パゴダの王子

2011年11月07日 | 音楽
 去年の今ごろだったか、新国立劇場のバレエの予定にブリテンの「パゴダの王子」が入っているのを見て狂喜した。ブリテン好きのわたしには念願のバレエだ。CDでは聴いているものの、実際の舞台に接する機会はなかった。

 せっかくの機会なので、2回分のチケットを確保した。11月1日の長田佳世・芳賀望・川村真樹(順に、さくら姫・王子・皇后エピーヌ)の組と、6日の小野絢子・福岡雄大・湯川麻美子の組。2回観て、このバレエを堪能した。

 作曲家にとってはバレエの音楽はオペラよりも制約が多いにちがいないが、ブリテンは実用的な音楽を提供しつつも、ブリテンらしさを刻印し、新たな創意を盛り込んだ。

 ブリテンらしさでいえば、第2幕のさくら姫の異界への旅に出てくる泡の音楽は、「ピーター・グライムズ」でお馴染みの音型だ。一方、新たな創意は、いうまでもなく、異界に着いたときのガムラン音楽だ。ブリテンの挑戦が見事な成果をあげている。そのほか、第1幕の4人の王の踊りのうちの南の王の音楽が、金管の咆哮と打楽器の轟音から成り、ブリテンのほかの曲では聴けない音楽になっている。これはバレエ音楽という新たなフィールドに出たブリテンの遊びだろう。

 ビントレーの振付はCDの解説に書かれているストーリーとはちがっていた。CDの解説では「ばら姫」と王子の愛を中心に、高慢で意地の悪い姉の「いばら姫」が絡む筋立てだった。これは初演のときのクランコの振付によるのだろう。今回は「さくら姫」(舞台を日本に設定したので名前を変更)と王子が兄妹とされ、また「いばら姫」は継母の「皇后エピーヌ」とされた。全体としては家族の回復がテーマ。第2幕の終盤で子役を使って事の次第が描かれる箇所では、ストーリーテラーとしてのうまさが感じられた。

 ダンサーで一番注目したのは、皇后エピーヌを踊った川村真樹だ。伸びやかな美しさは群を抜いていた。あまりにも美しいので、同役の憎々しさが感じられないほどだった。コミカルな振付の4人の王のなかでは、6日の西の王のトレウバエフが堂に入っていた。狂言回し的な「道化」は全日通して吉本泰久。どちらかというと、6日のほうが自由闊達だった。

 装置・衣装はレイ・スミス。日本の着物をコスチュームにするという挑戦に成功していたが、そのなかに交じると王子の衣装が中国的に見えた。もちろん日本人のスタッフが付いているので、十分な考証をしたのだろうが。
(2011.11.1&6.新国立劇場)
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人生のささやかな節目

2011年11月04日 | 身辺雑記
 上高地から歩いて1時間ほどのところに明神という場所があります。観光客もここまではよく来ます。皆さんはそこから上高地に戻るわけですが、横にそれて2時間ほど山道を登ると、徳本峠(とくごうとうげ)という峠にでます。この峠が好きで、毎年登っています。今年はすでに6月と10月に登りました。そして昨日、もう1回登ってきました。

 11月2日。秋も深まったこの時期に上高地に行く人は少ないだろうと思ったら、松本から乗ったバスは、新島々で満席になりました。上高地に向かって高度を上げていくバスの車窓は、見事な紅葉の連続です。皆さん、この紅葉をよく知っているので、上高地を目指すのでしょう。

 もっとも、上高地そのものは、紅葉が終わっていました。10月に来たときにはまだ青々としていたカラマツですが、今はもう落葉していました。梓川の向こうに聳える穂高連峰は白く冠雪していました。幸いその日はそれほど寒くはなかったので、皆さん元気に散策していました。

 わたしは徳沢を目指して歩き始めました。徳沢は明神からさらに1時間ほど歩いた場所です。昔は牧場があったというその場所は、ハルニレの巨木が点在し、ニリンソウが群生する静かな場所です。昔からここが好きで、徳本峠に登るときも、穂高連峰に登るときも、できるだけ泊まるようにしています。

 徳沢には2軒の宿があります。それぞれにファンがいるのでしょう。わたしはいつも村営ロッジです。今回もそこに泊まりました。宿泊客は8名。夕食が終わったころに、ケーキが出ました。Happy Birthdayと書かれています。そうです、この日はわたしの人生の節目の誕生日でした。皆さんでいただこうとしたら、ハッピーバースデイ・トゥーユーを歌ってくれました。若い職員のかたにお礼をいうと、「皆さんからハッピーバースデイが出てきたので感激しました」といってくれました。

 人生のささやかな節目の日、お陰でよい想い出ができました。

 翌日は明神まで戻って徳本峠に登り、島々谷に下りました。10月のときには鬱蒼としていた樹林が、今はもうすっかり葉を落としていました。わずか1か月のあいだに様変わりです。あの無数の葉が一斉に散るときの様子はどんなものでしょう。想像するだけでも自然の迫力に圧倒される気がしました。

 二股に出て、島々までの林道歩きになると、バスの車窓から見た紅葉の再現となり、見事な紅葉に埋まるようでした。
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グレン・グールド

2011年11月01日 | 映画
 ドキュメンタリー映画「グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独」が公開されている。グールドの生涯を数多くの映像と関係者の証言でたどった作品。2009年のカナダ映画だ。

 グールドというと、コアなファンがいるし、たとえそれほどではないにしても、自分なりの思い入れをもっている人は多い。グールドとはそういう演奏家――聴く人になにか一対一の関係を感じさせる演奏家――だった。

 グールドが最初に入れたLP、あのバッハの「ゴルトベルク変奏曲」は、学生だったわたしの愛聴盤の一つだった。繰り返し、繰り返しこのレコードを聴いた。あれは衝撃的なバッハ演奏だった。それだけではなく、青春の鬱屈した想いをぶつける対象でもあった。これはわたしだけの事情ではなかった。友人のS君はダブダブのコートを着て、長いマフラーを巻き、ハンチング帽をかぶって学校に来た。わたしはS君の専攻のフランスの詩人ランボーの真似かと思った。でも、そうではなかった。あれはグールドだった。

 グールドはわたしの友人の間では神話的な存在だった。

 その後、就職した。グールドからは次第に遠のいた。そして何年たっただろうか、「ゴルトベルク変奏曲」の再録音が出た。大々的に宣伝されたそのLPをわたしも買った。さっそく聴いて、すぐに封印した。わたしの知っているグールドとはちがっていた。相前後して、グールドの訃報が届いた。なぜかそれには驚かなかった。ほぼ同時に、グールドがオーケストラを指揮してワーグナーの「ジークフリート牧歌」を録音したことを知った。これには驚いた。狼狽した、といったほうがよい。できることなら、そんな事実は抹消したかった。

 これがわたしの内なるグールドだ。

 グールドは1982年に亡くなった。50歳だった。グールドはその生涯を、若いころは明るく楽しく、しかしいつのころからか、苦しみに満ちて過ごした。この放物線は、ある意味ではわたしたちのだれにでも共通するものだ。ただグールドにはピアノの天分があった。ピアノ演奏によって放物線の軌跡を残した。

 本作にはグールドが関係した3人の女性が登場する。それぞれが語るグールドの思い出は、コマーシャリズムによってプロデュースされた虚像ではなく、ひどく生々しい実像を見せてくれる。没後30年近くたつ今、わたしたちのグールド理解は一歩深まった。
(2011.10.31.渋谷UPLINK)
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