Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ワイマールの旅

2009年05月28日 | 身辺雑記
 前回のブログで茂木健一郎さんの「音楽の捧げもの」について書きましたが、実は私もワイマールに行ったことがあって、あの本を読んでいる間中、そのときのことを思い出していました。

 ワイマールに着いて、駅から外に出たときの第一印象は、きれいなところだな、というものでした。まっすぐに一本の道が伸びていて、その道がきれいに整えられています。緑が豊か――。その道をたどって街の中心部に行きましたが、どこをみても、ごみごみした感じがしません。歴史のある街なので、学校の社会見学(?)らしき高校生も多く、ここはドイツでも特別な街なのかもしれないと思いました。

 まずは、土地勘をつけるために、ざっと市内を歩き、夜は国民劇場へ。ゲーテの「ファウスト」第一部をやっていて、実はこれをみるのがワイマール訪問の目的でした。ファウストは、中年のさえない学者風の男で、おどおどした物腰。一方、メフィストフェレスは若々しい青年で、敏捷な動作によってファウストを翻弄します。ほとんど何もない舞台で演じられるその芝居に、私はひきこまれました。
 終演後、外に出ると、夜空には満天の星。冷たい風にあたりながら、これは結局、悪魔と闘った男の話なのだと思ったら、熱いものがこみ上げてきました。

 2日目は列車で一時間ほどのアイゼナッハを訪問。ワルトブルク城やバッハ・ハウスなど、見学した場所が茂木さんと同じなので、先日は読んでいて笑ってしまいました。
 その日の夜は何もなし。

 3日目はワイマール市内のゲーテの家やリストの家などを見学し、夜は国民劇場でドレスデンのシュターツカペレ(ドレスデン国立歌劇場管弦楽団)の演奏会をききました。指揮はときどき日本にも来るルーマニアの指揮者のイオン・マリンで、曲目はリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」とブラームスの交響曲第2番。シュトラウスのときもそうでしたが、とくにブラームスではバリバリ鳴らすだけの演奏で、辟易しました。終演後は客席から大ブーイングが出て、痛快でした!

 あの旅行はいつのことだったろうと、当時のメモを引っ張り出してみたら、2002年5月の連休中でした。メモには、2日目の夜について、こんなことが書かれていました。

 「今日の夜は何も予定がないので、部屋でゆっくり過ごしている。きれいな夕方だ。鳥の声がずっときこえている。静けさが部屋をみたす。ゲーテだったら詩にしただろうか。」

 もう、冷や汗ものです(笑い)。
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茂木健一郎「音楽の捧げもの」

2009年05月25日 | 音楽
 茂木健一郎さんのドイツ紀行「音楽の捧げもの~ルターからバッハへ~」(PHP新書)を読んだ。この本は今年のラ・フォル・ジュルネのオフィシャル・ブックになっていて、会場でも販売されていたので、お読みになったかたも多いのではないかと思う。

 これは今年1月の厳寒のドイツの旅行記。初日はミュンヘンを経由してライプツィヒに入り、そのまま車でワイマールへ。2日目はバッハ生誕の地アイゼナッハを訪問(ワイマール泊)、3日目は青年バッハの最初の活動の地アルンシュタットなどを訪問(ワイマール泊)、4日目はバッハ終焉の地ライプツィヒを訪問(ライプツィヒ泊)という旅程だ。

 茂木さんは、バッハの生涯を主軸にして、アイゼナッハではマルティン・ルターの事跡をたどり、ワイマールではゲーテを、ライプツィヒではワーグナーを――という具合に、バッハともども、広くドイツ文化の本質に思いをめぐらせる。深い思索もあるが、その基調には旅の自由さがあり、日常から解放された楽しい気分が、私たちを茂木さんとともに旅をしている気分にしてくれる。

 この本の中心的な部分は、旅を通して、ルターからバッハへの「魂のリレー」に気がついたという点。その部分を引用してみよう。3日目、アルンシュタットのバッハ教会でオルガン演奏をききながら、茂木さんは思いをめぐらす。

>>人類の精神史の中に吹いた清新なる風のようなルター派の信仰。そのような時代の「後押し」があったからこそ、ヨハン・セバスチャン・バッハは、音楽を通して「神の栄光」に向き合うという精神運動に真剣に取り組むことができた。
>>バッハの求道者的な勤勉は、歴史的な「一回性」の下でこそ成り立った。(128頁)

 ビールを飲んだり、買い物をしたり、市内見物をしたりという旅の折々に、このような思索が入ってくる。そして4日目、ワイマールからライプツィヒに向かう鉄道の中で、もう一度この思索に立ち戻る。

>>バッハの音楽は、ルターによる宗教改革なしでは成立しなかった。ルターからバッハへと、「魂のリレー」があった。
>>音楽は、音楽に留まらない。すべてはつながっている。
>>私たちは、自然の中の生態系の豊かさを賞賛することを学んだ。教養の力も、同じこと。脳の中に、豊かな生態系ができる。(156頁)

 茂木さんの言葉は、哲学的というよりも、感性にみちた言葉、別のいい方をするなら、読み手の自由な思索をさそう触媒のようなもの――主人公は、筆者ではなくて、読者――そういう性格の言葉だと思った。
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タトゥー

2009年05月22日 | 演劇
 新国立劇場で現代ドイツの劇作家デーア・ローアーの「タトゥー」を上演中だ。同劇場の「シリーズ・同時代【海外編】」の第3作で、同シリーズはこれで最後になる。

 この芝居は、パン職人の父親、ドッグ・サロンで働いている母親、学生の姉と妹の4人家族の話。この家族には秘密があって、父親が姉のほうの娘に性的虐待をしている。母親と妹はそれを見て見ぬふり。表面的には平穏が保たれている家庭だが、父親を除く3人は幸せではない。ある日、姉に想いをよせる若者が現れる――。

 これからご覧になるかたもいるので、以下の展開は控えるが、家庭内のおぞましい関係がテーマで、最初は私もちょっと引けた。けれども、似たような状況に苦しんでいる人もいるはずで、そういう人には切実な芝居だ。
 話の進展につれて、妹の性的関係の乱れが示唆されるが、それを切実に感じる人もいるだろう。

 作者のローアーは1964年生まれの女性で、だからというと短絡的かもしれないが、女性でなければ表現できない感覚――身体へのこだわり――があり、私はときどき、よい意味で、息詰まるような思いがした。

 一方、演出には疑問を感じた。たとえば今の女学生が「それってヤバクない?」というときの「ヤバク」は、妙に抑揚をそぎ落とした平板なイントネーションをもっていることがあるが、それと似た口調で全篇を統一していた点だ。
 その必然性を見いだせなくて戸惑った私は、念のため、帰宅後、原作を読んでみた(三輪玲子訳「ドイツ現代戯曲選21」論創社刊)。そこで分かったことは、この戯曲は短い言葉の連鎖でできていて、時代背景や社会情勢を消去した人工的な世界をつくっていること。そこに今の日本の一部の口調を持ち込んだことにより、余計なコンテクストを生じてしまったと感じる。

 また原作を読んで感じたことは、父親の圧倒的な支配だが、それが舞台では弱かった。
 原作では母親のみが、心理的な抑圧のため、始終身体を掻いているが、舞台では他の人物まで同じような動作をしていて、私には少々わずらわしかった。

 結局、「シリーズ・同時代【海外編】」はすべてみたが、どれも面白かった。その都度このブログに拙文をのせたが、第一作はホラーもの、第二作は人情もの、第三作は官能もので、それぞれが、エンターテインメント性を確保しながら、真正面から各々のテーマに取り組んでいた。
(2009.05.19.新国立劇場小劇場)
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N響の5月定期(Cプロ)

2009年05月18日 | 音楽
 この数年間、N響の5月定期の指揮者には尾高忠明さんが迎えられている。今年もそうで、プログラムは十八番のエルガーだった。
(1)エルガー:チェロ協奏曲(チェロ独奏:ロバート・コーエン)
(2)エルガー:交響曲第2番

 チェロ協奏曲は、おそらく多くの人がそうだろうが、私も亡きジャクリーヌ・デユ・プレの全身を没入した演奏が強く印象に残っている。それに比べて、この日のイギリスの中堅チェロ奏者ロバート・コーエンは、もっと余裕をもった演奏だった。
 思えばこの曲は、エルガーのオーケストラ作品の最後の大作になったわけで、そのような生涯の中での位置づけや、どことなくうつむき加減の曲想、あるいはオーケストラ書法の薄さなどの点で、ブラームスの晩年のヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲に似たところがある。そう考えたら、デユ・プレの思いつめたような演奏よりも、淡々としたこの演奏のほうが、曲の本質に即しているような気がしてきた。

 交響曲第2番は、霧のいくつもの層が重なり合って流れ、その濃淡を絶えず変化させながら、あるときは霧が晴れて太陽が輝き、またあるときは深い霧があたりを包むというような曲想をもつが、尾高さんはその流動的な曲想をバランスよく表現していた。N響の演奏能力もさすがに優秀だ。
 この曲は、曲の説明では必ず言及されるように、イギリス国王エドワード7世に捧げるつもりでかきはじめられ、作曲途中で国王が崩御されたので、亡き国王の追悼のために捧げられたわけだが、それは事実だとしても、重層的な音の向こうには、一面的には割り切れないもっと個人的な何かがあるように感じられた。

 それから数日たったが、プログラムにのっている藤田茂さんの曲目解説をよんでみた。それによると、この曲のスコアの最後には「ヴェニス‐ティンタジェル」という記載があり、ヴェニスはイタリアのあのヴェニスで、エルガーはそこでアイディアを得たとのことだが、ティンタジェルについては、次のような場所とのことだった。
 「一方のティンタジェルは、秘密の想い人、ワートリー夫人との思い出の場所であり、この曲の甘美さの一端は彼女に負っているのかもしれない。暗号を趣味にしていたエルガー一流の謎かけである。」

 ワートリー夫人がどういう人かは分からないが、愛妻家として知られているエルガーにもそういうことがあったのか、でも、人間だから、あって当然だし、そのほうが理解しやすいと思った。エルガーは立身出世して成功した人生を送った人だが、そういう人にも口にはいえない何かがあり、それが音楽に秘められている――そうかもしれない。
(2009.05.15.NHKホール)
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ルーヴル‐DNPミュージアムラボ

2009年05月15日 | 美術
 国立西洋美術館で「ルーヴル美術館展」がひらかれている。入口にはフェルメールの絵やブリューゲルの絵のデジタル画面があって、私が行ったときには、何人かの人がそこにいた。私も何気なくのぞいてみた。ひとりが画面のどこかに指でふれると、その部分が拡大される。ちょうど拡大鏡でみるようだ。これは面白いと思って、私もやってみた。細部の描き方や絵の具の盛り上がり方など、細かいところがよくわかる。デジタル技術もここまでくるとたいしたものだと、情けないほどアナログ人間の私は感心した。
 会場でもらったチラシによって、この技術は大日本印刷(DNP)がルーヴル美術館と共同で開発しているもので、開発の成果が「ルーヴル‐DNPミュージアムラボ」として都内で公開されていることを知った。それから2か月余りたってしまったが、先日、夜間の時間帯の予約がとれたので(見学は完全予約制)、行ってみた。

 ミュージアムラボとは、ルーヴル美術館の所蔵作品をとりあげて、「マルチメディアを活用したコミュニケーションツールを配した観覧コースを通じて」(こういう言葉を私はよく理解できないので残念だが・・・)、時代背景、画家の人生、作品分析、隠された意味の発見、鑑賞者同士の交流をはかろうとするものだそうだ。

 会場では17世紀のオランダの画家ファン・ホーホストラーテンの「部屋履き」↑がとりあげられていた。私はこの画家を知らなかったが、フェルメールの同時代人で、レンブラントのもとで修行し、その後ウィーンやロンドンの宮廷で活躍した人とのこと。
 会場に入ると、絵の現物が展示されている。第一印象は、穏やかな室内というものだった。でも、じっくりみていると、なんだか落ち着かない。手前の壁に立てかけられた箒、床に脱ぎ捨てられた部屋履き、鍵をさしこんだままのドア、燃えさしの蝋燭、実物では意外にはっきりみえる画中画、こういった細部がいろいろあって、気になりだした。これらの意味はなんだろう。
 実は、その意味は、次のセクションの中の「作品の意味を考える」というコーナーで説明される。要するに、家事を放り出して逢引をしている、ということらしい。
 また「画家の技術を体験する」というコーナーもあって、私たち鑑賞者の視線の動きをトレースしたり、自分自身で遠近法のシミュレーションや光と影のシミュレーションをしたりすることができる。
 そのほかにもいくつかのコーナーやセクションが用意されていた。

 たしかに、これらの仕掛けによって、ある作品をより深く、多面的に理解することができるし、本で読むよりも簡単だ。今はまだ試作の段階だろうが、今後さらに精度を増すと思われるので、私もまた体験してみたい(作品はおよそ6か月ごとに変わり、次は7月18日からとのことです)。
(2009.05.13.DNP五反田ビル)
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系図~若い人たちのための音楽詩

2009年05月12日 | 音楽
 日本フィルの横浜定期で武満徹(たけみつとおる)の「系図~若い人たちのための音楽詩」が演奏された。私は、生できくのは、はじめてかもしれない。指揮は沼尻竜典さん。

 「系図」は、ご存知のかたも多いと思うが、谷川俊太郎さんの詩に武満徹が音楽をつけたもので、詩の朗読のバックに音楽が流れる。ニューヨーク・フィルの創立150周年の委嘱作品で、1992年に作曲され、1995年に同フィルによって初演された。武満徹は翌1996年に亡くなったから、最晩年の作品ということになる。
 武満徹は晩年になるにつれて音が透明になっていったが、この作品ではその最後の時期のシンプルな音がきこえる。冒頭で鳴らされるホルンのテーマにはノスタルジックなひびきがあり、比喩的な表現で申し訳ないが、私たち大人が子供時代にみた原っぱの向こうの夕焼けのような感じがする。

 朗読される詩は、「はだか」という詩集の中の「むかしむかし」、「おじいちゃん」、「おばあちゃん」、「おとうさん」、「おかあさん」、「とおく」の6編で、いずれも子供の繊細な感性が結晶している詩だ。思いがけない場面があって痛々しく感じられるが、今後はじめてきく人のために、具体的にはふれないでおく。

 演奏は沼尻さんの耳のよさを感じさせる透明感があった。語りは蓮佛(れんぶつ)美紗子さん。蓮佛さんは今18歳とのことだが、少女のちょっとムキになったような瞬間があって、その年齢でなければ感じられない心情だと思った。

 帰宅後、詩集「はだか」を読んでみた。そこで分かったことは、詩集には23編の詩が収められていること、詩集は、お父さん、お母さん、姉、弟の4人家族の話になっていて、姉の視点の詩と弟の視点の詩があり、作曲にあたって6編の詩は姉の視点に統一されていること(一部の詩の「ぼく」という語句を「わたし」に変更)などであった。

 詩集の中に「ひとり」という詩があって、心に残ったので、その一節をご紹介します。

  わたしをいじめるあなたはにくくない
  あなたもほかのだれかにいじめられている
  そのほかのだれかもまたもっとほかのだれかに
  わたしたちはみんないじめられている
  めにみえないぶよぶよしたものに
  おとなたちがきづかずにつくっているものに

(2009.05.09.横浜みなとみらいホール)
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ムツェンスク郡のマクベス夫人

2009年05月11日 | 音楽
 新国立劇場がショスタコーヴィチのオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を上演したが、私はその最終日をみた。

 このオペラは19世紀のロシアの田舎町で起こる殺人事件をえがいたもの。その地方では権勢を誇る商家の嫁のカテリーナが、使用人のセルゲイとできてしまい、舅のボリス、夫のジノーヴィを殺して、セルゲイと結婚することになるが、披露宴の最中に夫殺しが発覚し、警察に捕らえられる。シベリアに送られる途中で、セルゲイが若い女囚に手をだし、絶望したカテリーナは女囚を道連れにして川に身を投げる。

 演出はリチャード・ジョーンズで、もともとは2004年にイギリスのロイヤル・オペラのために制作したプロダクションだが、それを今回レンタルしている。
 これは、第1幕から第3幕までの浅薄・狂乱のストーリー展開と第4幕のシリアスな絶望が、ショスタコーヴィチの音楽と共鳴していて、ひじょうに優れた舞台だと思った。
 細部も創意に富んでいる。たとえば第3幕の披露宴の場面では、壁に長いキュウリとその両側に丸いリンゴ(?)2個がぶらさがっていて、この結婚の卑猥さを暗示している。宴たけなわの頃、殺された舅ボリスの亡霊が現れ(これはカテリーナにしかみえない)、シェイクスピアの「マクベス」を思い出させる。警察が踏み込んでくるが、手引きしたのは女中のアクシーニャで、してやったりという顔をする(使用人の恨みの暗示)。
 このような創意工夫は、この場面だけではなく、全篇にわたっていて、数限りない。いずれも台本にはないもので、演出家の豊かな発想によるものだ。

 歌手も、主要な役どころの3人の外国勢はもちろん、脇を固めた日本勢も、皆さん文句のないできだ。煩瑣になるといけないので一人ひとりの名前は控えるが、それぞれが役に求められた歌唱を十分にこなしていた。新国立劇場合唱団もいつもながら文句なし。
 オーケストラは東京交響楽団が担当したが、猛スピードで駆け抜ける部分でも破綻がなく、音が荒れない。第4幕のシリアスな沈潜の音楽では、高度な集中力をきかせた。この日は最終日だったせいか、すっかり音楽を掌中に収めた演奏だった。
 指揮者のミハイル・シンケヴィチは1969年生まれのロシア人で、現在はマリインスキー劇場の音楽監督代理をつとめているとのことだが、このオペラを熟知していて、きかせどころを心得ている。

 この上演は、作品の本質――若き日のショスタコーヴィチの才気煥発な音楽と怖いもの知らずの批判精神――を正当な姿で示すものだった。新国立劇場は昨年もツィンマーマンのオペラ「軍人たち」を海外のプロダクションのレンタルで上演して優れた成果をあげたが、それにつぐ成果だと思った。
(2009.05.10.新国立劇場)
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愛の白夜

2009年05月09日 | 音楽
 1940年にリトアニアのカウナス日本領事館領事代理であった杉原千畝が、外務省の指示に反して大勢のユダヤ人にビザを発給し、おそらく6,000人ほどの命を救ったとされる逸話をオペラにした「愛の白夜」。台本は辻井喬、作曲は一柳慧(いちやなぎとし)で、2006年2月に初演されたが、今回一部改訂して再演された。
 私は初演をみて大いに感動した。そこで今回も期待をこめて出かけたが、結果は――。

 結論を先にいうと、今回は初演のときに感じた異様な熱気がなく、妙に淡々とした演奏だったので、作品のいろいろなことが気になった。

 演奏は、歌手、合唱、オーケストラ、いずれも初演のときと同じメンバーだが、指揮者が外山雄三さんから大友直人さんに変わっている。そのせいなのか、あるいは初演と再演のちがいなのか、いずれにしてもどこかさめたところがあり、安全運転に終始した。

 こうなると、作品のことが気になりだす。まず音楽面ではパワーの乏しさ。日本語のリズム処理はよく考えられていると思うが、音程的な魅力がいまひとつだ。
 個々の場面では、千畝がビザ発給を決断するときの間奏曲は表現主義的で、このオペラの一番のききどころだと思うが、前後の脈絡がなく唐突にきこえる。酒場の場面でのアコーディオンの使用や、夜の公園の場面でのリトアニアの作曲家チョルリョーニスの引用などは成功しているが、前奏曲と若い恋人たちの二重唱に出てくるワルツはすこし安っぽい。

 台本面では、悪の存在をゲシュタポのオットーひとりに負わせて、ほかの人物はすべて善意の存在であるため、ドラマの骨格がひ弱に感じられる。ほんらいは逆のはずで、圧倒的な悪の存在があってこそ、理想家肌の千畝の人間性が生きてくると思うのだが。

 今回の改訂では、初演時の3幕5場の構成から2幕6場の構成に変わっている。初演時の第2幕第2場をふたつに割って、その前後を第1幕と第2幕にした形だ。理由はあるのだろうが(推測するなら、千畝とその妻の愛の二重唱で第1幕を終わりたかったのか)、私には第1幕はあっさり終わってしまって、拍子抜けだった。
 そのほか、音楽的にすっきりしたように感じるが、初演時の記憶がそんなに残っているわけではないので、断言はできない。

 千畝の逸話は世界につながる貴重なものなので、できることなら世界と対話し、共感を広げるオペラを望みたいところだが、「愛の白夜」はその点でどうか。
 残念ながら、このオペラは千畝の苦悩を共有しているとは感じられず、美談のレベルにとどまっている。全体的に甘い情緒が支配し、それが私の共感を薄める。
(2009.05.08.神奈川県民ホール)
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ラ・フォル・ジュルネ

2009年05月05日 | 音楽
 東京のゴールデンウィークのイヴェントとしてすっかり定着した感のあるラ・フォル・ジュルネだが、私は今まで他の予定を優先してきたので、今年がはじめての参加。5月3日に2公演と4日に3公演をきいたが、4日のほうの感想を。

○ラ・レヴーズ
  ラインケン:トリオ・ソナタ集「音楽の園」よりパルティータ第1番&第4番、他
○ラ・ヴェネクシアーナ
  ブクステフーデ:カンタータ「われらがイエスの御体」
○小山実稚恵
  J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲

 ラインケンは、バッハとの関連でその名はききおぼえがあったが、うろ覚えだった。事前に調べてみると、ハンブルクの教会オルガニストで、リューベックの教会オルガニストだったブクステフーデとも親交があったとのこと。
 「音楽の園」は2本のヴァイオリンとヴィオラ・ダ・ガンバ、通奏低音のための室内楽曲集だが、バッハがその一部をチェンバロ・ソナタに編曲していて、若き日のバッハの面影を彷彿とさせる。オリジナルの編成をきくのは今回がはじめてだったが、同じ音型を異なる楽器で繰り返す部分があり、その面白さがよく分かった。
 第1番も第4番も、教会ソナタ(緩―急―緩―急の4部分)に舞曲(アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーク)が続く一風変わった構成だが、これは当時のどういう文脈によるのだろうか・・・どなたかご存知でしたら、教えてください。
 演奏はフランスのラ・レヴーズという団体で、前日にきいた他の団体に比べて、よほどうまかった。

 ブクステフーデの「われらがイエスの御体」は、十字架上に磔になったイエスの足、膝、手、脇腹、胸、心、顔を順にしのぶ特異な曲で、私は今までいくつかの演奏をCDできいてきたが、生できくのははじめて。
 この曲は、バッハとの関連で語る必要などまったくない、真の傑作だと思った。その高貴な音楽性は、揺らぎようもなく自立している。
 演奏はイタリアの団体のラ・ヴェネクシアーナで、これは声楽、器楽ともきわめて高度なプロ集団だ。私は完全に圧倒された。

 ゴルトベルク変奏曲は、小山実稚恵さんなので、ピアノで演奏された。ピリオド楽器をきいた後で、しかも曲が作曲当時の常識からかけ離れた宇宙的規模をもつので、私は2日間の演奏会で身についた時代性をそぎ落とされ、自分がどこにいるのか見失ったように感じた。
 小山さんは暗譜で演奏。プロ根性旺盛だ。
(2009.05.04.東京国際フォーラム ホールB5・ホールC・ホールB7)
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「あんやたん」写真展

2009年05月04日 | 身辺雑記
 この連休は穏やかな天気が続いていますが、皆さん、いかがお過ごしですか。
 私は、とくに予定もなく、毎日のんびり過ごしています。
 昨日は、横浜に行ったついでに、日本新聞博物館に寄って「あんやたん」写真展をみてきました。沖縄タイムスの創刊60周年を記念する事業で、敗戦直後からアメリカ占領時代をへて本土復帰、そして現在にいたる沖縄の歩みを報道写真でたどったものです。
 「あんやたん」とは沖縄の言葉で「あんなだった」という意味だそうです。

 写真展をみながら、戦後の沖縄の歩みは、やはり特別なものだと思いました。もちろん日本のどこも大変だったわけですが、沖縄の場合は戦争末期に地上戦の舞台になったことと、アメリカの占領を経験したことによって、日本の負の部分を一身に引き受けたからです。

 私がはじめて沖縄を訪れたのは1975年3月、復帰後3年目の年でした。まだ学生でしたのでおカネがなく、東京から那覇まではフェリーで2泊だった記憶があります。泊まった民宿で泡盛をご馳走してくれて、酔っ払って突然天井がグルグルまわりはじめ、そのまま意識を失ったことが、今では良い思い出です。

 あれから何度か訪れていますが、私が沖縄のためになにかをしたかといえば、残念ながらとくにありません。昨日は、売店に「1フィート運動」の会(多くの人の募金によって沖縄戦の記録フィルムを買い取り、それを子供たちに伝える会)のDVDがありましたので、半分カンパのつもりで買ってきました。
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