その年の尾高賞受賞作品を演奏するN響のMUSIC TOMORROW。2018年の受賞作品は坂田直樹(1981‐)の「組み合わされた風景」(2016)。今年から審査員に片山杜秀が加わったので、片山ファンのわたしは期待大だ。外山雄三、尾高忠明と合わせて3人体制。
候補作品は19作。審査員3人が選評であげている作品が興味深い。上記の受賞作は3人ともあげているが、その他に(作曲者名だけ記すと)外山雄三が藤倉大と北爪道夫、尾高忠明が岸野末利加、藤倉大と坂東祐太、片山杜秀が岸野末利加、坂東祐太と石島正博。複数の審査員があげた作曲者が3人いる。意外に票は割れないものだ。
坂田直樹の受賞作は、わたしは初めて聴いたが(受賞作に限らず、坂田直樹の名も、その作品も、わたしには初めてだったが)、たいへん思い切ったオーケストラの鳴らし方をする人だ。通常の楽器以外に、ビニール袋、アルミホイル、気泡緩衝材(プチプチ)が使われる。それが話題になる可能性もあるが、その使い方は控えめで、全体の音響の流れの中で必然性がある。
演奏はステファン・アズベリー指揮のN響。大胆で、かつ説得力のある演奏。日本のトップ・オーケストラが、一般にはまだ無名の作曲家の作品を、そのように共感をこめて演奏する時代になった。
当夜は1曲目に鈴木純明(1970‐)の「リューベックのためのインヴェンションⅢ「夏」」(2018)が演奏された。ブクステフーデやバッハの曲がコラージュのように織り込まれたロマンティックな作品だが、わたしには物足りなかった。
2曲目が坂田直樹の受賞作で、3曲目はジェームズ・マクミラン(1959‐)の「オーボエ協奏曲」(2010)。オーボエ独奏はフランソワ・ルルー。曲もいいし、演奏も最高!と叫びたくなった。末永く残るだろう曲の、とびきりの名演。定期演奏会に組み込まれてもおかしくない曲だ。
ルルーのソロ・アンコールがあった。シルヴェストリーニという人の無伴奏オーボエのための6つの練習曲から第3曲「キャピュシーヌ通り」。技巧的な曲だ。
4曲目はコリン・マシューズ(1946‐)の「ターニング・ポイント」(2006)。前半(第1部~第2部)の「すばやい動き」(白石美雪氏のプログラム・ノーツ)に対して、後半(第3部)の「時間の感覚が麻痺しそうな」(同)遅い動きが鮮烈な印象を残した。
(2018.6.26.東京オペラシティ)
候補作品は19作。審査員3人が選評であげている作品が興味深い。上記の受賞作は3人ともあげているが、その他に(作曲者名だけ記すと)外山雄三が藤倉大と北爪道夫、尾高忠明が岸野末利加、藤倉大と坂東祐太、片山杜秀が岸野末利加、坂東祐太と石島正博。複数の審査員があげた作曲者が3人いる。意外に票は割れないものだ。
坂田直樹の受賞作は、わたしは初めて聴いたが(受賞作に限らず、坂田直樹の名も、その作品も、わたしには初めてだったが)、たいへん思い切ったオーケストラの鳴らし方をする人だ。通常の楽器以外に、ビニール袋、アルミホイル、気泡緩衝材(プチプチ)が使われる。それが話題になる可能性もあるが、その使い方は控えめで、全体の音響の流れの中で必然性がある。
演奏はステファン・アズベリー指揮のN響。大胆で、かつ説得力のある演奏。日本のトップ・オーケストラが、一般にはまだ無名の作曲家の作品を、そのように共感をこめて演奏する時代になった。
当夜は1曲目に鈴木純明(1970‐)の「リューベックのためのインヴェンションⅢ「夏」」(2018)が演奏された。ブクステフーデやバッハの曲がコラージュのように織り込まれたロマンティックな作品だが、わたしには物足りなかった。
2曲目が坂田直樹の受賞作で、3曲目はジェームズ・マクミラン(1959‐)の「オーボエ協奏曲」(2010)。オーボエ独奏はフランソワ・ルルー。曲もいいし、演奏も最高!と叫びたくなった。末永く残るだろう曲の、とびきりの名演。定期演奏会に組み込まれてもおかしくない曲だ。
ルルーのソロ・アンコールがあった。シルヴェストリーニという人の無伴奏オーボエのための6つの練習曲から第3曲「キャピュシーヌ通り」。技巧的な曲だ。
4曲目はコリン・マシューズ(1946‐)の「ターニング・ポイント」(2006)。前半(第1部~第2部)の「すばやい動き」(白石美雪氏のプログラム・ノーツ)に対して、後半(第3部)の「時間の感覚が麻痺しそうな」(同)遅い動きが鮮烈な印象を残した。
(2018.6.26.東京オペラシティ)