Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

大野和士/都響

2016年11月29日 | 音楽
 大野和士指揮都響のAプロ。1曲目はベルクの「アルテンベルク歌曲集」。ソプラノ独唱は天羽明恵。全5曲からなるこの作品の、どの曲もミニチュアな中で、演奏は第1曲と第5曲が、聴き応えがあった。風に舞う粉雪のような動きの第1曲と、荘重なパッサカリアの第5曲。ともにオペラ「ヴォツェック」を予告するようだった。

 大野和士のベルクはよさそうだ。「ヴォツェック」と「ルル」を聴いてみたいと思った。それは新国立劇場に行ってからの仕事だろうか。

 2曲目はラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」。ピアノ独奏はピエール=ロラン・エマール。最後のカデンツァでのアルペッジョの繰り返しが、まるで七色に湧き立つ雲のようだった。

 オーケストラもよかった。音色とリズムにセンスがあった。大野和士とエマールには音楽的志向に共通項があるというか、同質の緻密さがあるというか、何かそんな高いレベルでの相互理解を感じた。

 驚いたことに、エマールはアンコールにブーレーズの「12のノタシオン」の第8曲~第12曲を弾いた。これはもうエマールの独壇場だ。聴くほうもじっと息を殺して音に集中する。そういう凝縮力のある音楽=演奏だった。

 3曲目はマーラーの交響曲第4番。透明感のあるハーモニー、しなやかなリズム、そして瑞々しい感性というように、大野和士の前任者(といっても、前任者は首席指揮者、大野和士は音楽監督なので、役割は違うが)のマーラーとは相当異なるマーラーだ。

 わたしは第1楽章がよいと思った。細かく変化するテンポに、大野和士らしいドラマトゥルギーを感じた。とくにホルンのソロが出る終結部のテンポに、日没のような深い余韻を感じた。また第3楽章の冒頭では、弦の透明な音に、彼岸の世界を感じた。わたしは11月23日に山で遭難したので、そのためかもしれないが‥。

 高い山ではなかったが、枯れ葉が積もっていたので、登山道を見失った。元の場所に戻ろうとしているうちに、道に迷った。夜間からは降雪の予報だったので、やむを得ず救助を求めた。ヘリコプターが飛び、レスキュー隊が入って、夜の8時頃だったろうか、無事に救助された。翌朝、白く冠雪した山々や、なおも降り続ける雪を見て、もし救助されずに山にいたら、低体温症になって、一晩もたなかったかもしれないと思った。地元の警察と消防の方々には、いくら感謝してもしきれない。
(2016.11.28.東京文化会館)
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ラザレフ/日本フィル

2016年11月26日 | 音楽
 ラザレフ/日本フィルの定期のプログラムはショスタコーヴィチとグラズノフという‘師弟プログラム’。いうまでもないが、ショスタコーヴィチのレニングラード音楽院の学生時代に、当時院長だったグラズノフは、ショスタコーヴィチを強力に支援した。ショスタコーヴィチもグラズノフを敬愛した。そんな2人のプログラム。筋が通ったプログラムだ。

 1曲目はショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番。1948年のジダーノフ批判と切っても切れない関係にあるこの曲を聴きながら、グラズノフは当時すでに亡くなっていたけれど、もし存命だったら、批判の渦中で苦しむ愛弟子を見て、どんなに胸を痛めたことだろうと想像した。

 ヴァイオリン独奏は郷古廉(ごうこ・すなお)。今年23歳の若者だ。ウィーン私立音楽大学で研鑽中とのこと。ショスタコーヴィチの苦しみとか、体制への抵抗とか、そんな屈折した感情よりも、すっきりとスマートにこの曲を弾ききった。存在感は今一歩だが、それは年齢ゆえに仕方がないのか‥。

 アンコールがあるかな、と思ったが、なかった。ショスタコーヴィチのこの曲は大曲なので、アンコールはなくてもよいのだが、わたしにはこのヴァイオリニストのことをもう少し知りたいという気持ちがあった。

 オーケストラのほうは、ラザレフ/日本フィルが積み重ねてきたショスタコーヴィチの名演(4番、6番、8番、9番、11番、15番など)を想い出させる演奏だった。あの名演の数々は、ラザレフが首席指揮者就任直後に取り組んだプロコフィエフとともに、わたしの一生の財産だ。

 2曲目はグラズノフの交響曲第5番。ラザレフは日本フィルの首席指揮者就任以前に、読響を振っていたが、読響でもこの曲を取り上げて名演を残した。ラザレフの得意な曲なのかもしれない。今回も十分に手の内に入った演奏を繰り広げた。

 ラザレフは今回を皮切りにグラズノフを系統的に演奏する予定だ。グラズノフ・ルネッサンスを呼び起こすような名演を期待したい。第5番もそうだが、グラズノフの交響曲は、バレエ音楽の要素を含んだ特異な交響曲ではないかと思う。そのような(他に類例のない)音楽をじっくり味わいたい。

 終演後のラザレフのパフォーマンスは、桂冠指揮者兼芸術顧問になった今も、以前と変わらなかったのが嬉しい。ラザレフは聴衆とコミュニケーションをとるのがうまい。
(2016.11.25.サントリーホール)
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ジンマン/N響

2016年11月21日 | 音楽
 デーヴィッド・ジンマンのN響への客演は今回で3度目。2009年1月と2013年1月のときの印象が芳しくないのに比べて(もっとも、2009年1月にショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番を弾いたリサ・バティアシュヴィリに驚嘆したことは、今でも忘れられないが)、今回は好調そうに見えた。

 今回はオール・シューマン・プロ。会場に入ると、指揮台に椅子が置いてあるので、衰えているのではないかと心配したが(ジンマンは今年80歳)、舞台の袖から出てくる足取りはしっかりしていた。とりあえず安堵した。

 1曲目は「マンフレッド」序曲。椅子に浅く腰をかけ、指揮棒を振り始めると、その動きは鋭く、敏捷だった。テンポも遅くない。時折立ってオーケストラを鼓舞する。これなら大丈夫だと思った。

 2曲目はピアノ協奏曲。ピアノ独奏はレイフ・オヴェ・アンスネス。スーツを着てネクタイを締めたすらっとした姿は、ピアニストというよりも、ビジネスマンのようだ。写真で見る精悍なイメージとは違っていた。演奏は一音一音がはっきりした輪郭を持ち、無理なく響き渡る。NHKホールの大空間にひけをとらない。

 オーケストラも同様だった。明快に発音されるフレーズ。曖昧さがまったくない。優秀なピアニストと相俟って、正調というか、正統的というか、ともかく折り目正しい、音楽的な聡明さを感じさせる演奏が展開された。

 わたしは正直にいうと、この曲と(あえて言えば)ベートーヴェンの交響曲第7番とは、何十年も聴いてきたからだろうが、今では不感症のようになってしまって、よい演奏だとか、面白い演奏だとか、そう思うことはあっても、(情けないことに)真に感動することが難しくなっているのだが、今回はそんなわたしの感性にも触れた。

 アンコールにシベリウスの「ロマンス」作品24‐9が演奏された。シベリウスというと北欧情緒を連想するが、これはサロン的な音楽のように聴こえた。シベリウスは社交好きだったといわれるので、そういう一面が表われた曲かもしれない。

 3曲目は交響曲第3番「ライン」。ピアノ協奏曲と同様に、すべての音がはっきりと発音され、もごもごと口ごもらない演奏。陰に隠れがちな音も明瞭に聴こえる。リズムがきびきびしていて、テンポもよい。ジンマンという指揮者の優秀さがよく分かるとともに、N響も優秀だと思った。
(2016.11.20.NHKホール)
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大野和士/都響

2016年11月20日 | 音楽
 大野和士が振る都響の11月定期は、A、Bの両シリーズで一つのまとまった世界観を提示するようなプログラムが組まれている(CシリーズはAと同じ)。わたしはBシリーズの会員だが、Aの一回券も買った。まずはBシリーズから。

 1曲目はフォーレの組曲「ペレアスとメリザンド」。第1曲の「前奏曲」がドラマティックなインパクトを伴って演奏され、第2曲「糸を紡ぐ女」と第3曲「シシリエンヌ」はさらっと刷毛でなでるように演奏された。第4曲「メリザンドの死」は、過度に重くならずに、抑制された表現で演奏された。

 2曲目はデュティユー(1916‐2013)のヴァイオリン協奏曲「夢の樹」(1983‐85)。今年生誕100年に当たるデュティユーの曲は、いくつかの重要な演奏があったが、これはその最後を飾るもの。ヴァイオリン独奏は庄司沙矢香。

 ヴァイオリン独奏もオーケストラもきわめて濃密な演奏を繰り広げた。曲の細部を抉るような、あるいはすべてのディテールを解き明かすような、高密度の演奏。わたしなどは、正直言って、途中で少し息を抜きたくなった。第4楽章に入る前のチューニングを模した箇所も、それと意識せぬうちに通過した。

 庄司沙矢香と大野和士と都響との3者の力が拮抗し、せめぎ合い、各々一歩も引かない演奏。今上り坂にある3者がフル回転して集中した演奏。その全体を受け止めるためには聴衆の側も全力を傾けなければならない演奏だった。

 3曲目はシェーンベルクの交響詩「ペレアスとメリザンド」。驚いたことには、演奏時間約42分という長大な、しかも各声部が複雑に錯綜したこの曲を、大野和士は暗譜で指揮した。得意な曲なのだろうか。

 演奏は、デュティユーのヴァイオリン協奏曲にも増して密度の濃い、集中し、熱中し、しかも溺れず、冷静なコントロールを失わない演奏だった。甘い音色や官能性はいま一つだったかもしれないが、大野和士と都響とが一体となって、シェーンベルクが音に込めた情熱に取り組み、それを描き切った演奏だ。

 客席はよく埋まっていた。フォーレはともかく、デュティユーとシェーンベルクでこれだけ埋まるのは、考えてみると、凄いことだ。大野和士と都響とがやろうとしていることが理解され、かつ支持されていることの表れだろう。その好調さが続いているうちに、一種の遊びが加わるとよいと思うのだが。
(2016.11.19.サントリーホール)
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カリエール展

2016年11月16日 | 美術
 カリエール展の会期末が迫ってきた。2006年の「ロダンとカリエール」展には行けなかったので、今回はぜひ見ておきたいと思って出かけた。会期末が迫っている割には、それほど混んではいなかった。

 ウジェーヌ・カリエール(1849‐1906)。セピア色の靄がかかったような独特の画面の画家だ。あの画面はどこから来たのだろう。いつ頃からそういう画面になったのだろう。最初はどんな画風だったのだろう。そんな興味を抱いて行った。

 最初期の作品「自画像」(1872)は、輪郭がはっきりしていて、明るい色調だ。その後、ロンドンに行き、ターナーの作品に触れてから、靄がかかったような画面になったらしい。「羊飼いと羊の群れ」(1877‐1880頃)はその頃の作品。4頭の羊が草を食んでいる。その後ろから1頭の羊がこちらを見ている。巨大なシルエットのような羊飼いが浮かぶ。足元には黒い犬。濃い靄の中から淡い光が射す。

 チラシ↑に使われている「手紙」(1887頃)は、その作風がとりあえずの頂点に達したような完成度の高さを示す。安定した三角形の構図。セピア色のモノトーンながら、姉妹のピンク色の頬と金髪の輝き、妹の額に当たる光と黒い瞳など、華やぎに満ちている。思慮深そうな姉とお茶目な妹との対比。全体から父親の愛情が伝わる。

 後年になってもこのようなモノトーンの中の華やぎは、「ポール・ガリマール夫人の肖像」(1889)のような(おそらく依頼されて描いた)肖像画には見られるが、一方、家族を描いた私的な肖像画にはあまり見られず、むしろモノトーンの画風を極める方向に向かったようだ。

 「ふたつの顔」(1900‐1902頃)と「カリエール夫人とジャン=ルネ」(1902)は家族を描いた肖像画。前者は灰色がかったモノトーン、後者は赤茶色がかったモノトーンから、その濃淡だけで肖像が浮き出る。堂々とした存在感のある肖像だ。

 「ネリーの肖像」(1904頃)は最晩年の作品。灰色のモノトーンから浮き出る娘ネリーの肖像。どこか悲しそうだ。ネリーが悲しいのではなく、それを描いている画家が悲しいのかもしれない。生涯の終わりを予感した画家の別れの悲しみか‥。

 本展開催に協力したヴェロニク・ボネ=ミランは、そのネリーの孫に当たるそうだ。家族という親密な場にいるカリエールに焦点を当てた展覧会だ。
(2016.11.15.損保ジャパン日本興亜美術館)

(※)主な作品の画像(本展のHP)
コメント (2)
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マーク=アンソニー・ターネジ:Hibiki

2016年11月13日 | 音楽
 サントリーホール30周年記念委嘱作、マーク=アンソニー・ターネジ(1960‐)の「Hibiki」が初演された。大野和士指揮都響の演奏。

 1曲目に30年前のサントリーホール開館に当たって芥川也寸志(1925‐1989)に委嘱された曲「オルガンとオーケストラのための響」(1986)が演奏された。祝典的な機会音楽のはずだが、暗い音色が織り込まれている感じがする。作曲者晩年の作品だからだろうか。大野和士/都響の演奏はパワフルだった。

 2曲目は「Hibiki」。全7楽章からなる曲。第1曲「Iwate」はカラフルな電飾が明滅するような音楽。第2曲「Miyagi」は暗く緊張した地響きのようなテクスチュアに激しい打音が何度となく打ち込まれる。

 本作は東日本大震災5年の追悼の想いが込められた曲でもある。最後の第7曲は「Fukushima」。遠い海鳴りのようなオーケストラの音の上に児童合唱のFukushimaの呟きがいつまでも反響する。終わらない苦しみ。

 曲はそのまま消え入る。拍手が起きた。ブラヴォーの声は、最初はわずかに出たような気がするが、長くは続かなかった。わたしは打ちのめされたような気持ちだった。

 曲の最後に再生への希望が見えたらよかったろうか。でも、そんな終わり方は、今なお故郷に帰ることができずに避難生活を送っている福島の人々には、安易に思われるのではないだろうか。そんな希望など演奏会の華やぎの中の傲慢かもしれない。

 第3曲「Hashitte Iru」は宗左近(1919‐2006)の長篇詩「炎える母」(1967)の中の「走っている」をテクストにした曲(英訳)。第二次世界大戦下の東京で、空襲のさなか、母の手を取って逃げる詩人が、手を離した瞬間、母が焔に包まれてしまう‥。単行本で300頁にも及ぶ長篇詩は、詩人の自責の念で埋め尽くされているが、音楽は言葉の繰り返しから生まれるスピード感にしか関心が向いていないようだった。

 第4曲「Kira Kira Hikaru」はマーラーの交響曲第3番の児童合唱を彷彿とさせる曲。第5曲「Suntory Dance」はノリのよいオーケストラ曲。第6曲「On the Water’s Surface」は近松門左衛門の「曾根崎心中」から心中の道行をテクストにした曲(英訳)。この曲では藤村実穂子の深い歌唱に感銘を受けた。
(2016.11.12.サントリーホール)
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柴田南雄生誕100年・没後20年記念演奏会

2016年11月08日 | 音楽
 柴田南雄(1916‐1996)の生誕100年・没後20年の記念演奏会。合唱付の交響曲「ゆく河の流れは絶えずして」をメインに据えたこの演奏会は、日本フィルと東京混声合唱団の両方にポストを持つ山田和樹の企画力と実行力を示すものだ。

 1曲目はオーケストラ曲「ディアフォニア」(1979)。冒頭の第1ヴァイオリンの旋律がシェーンベルク的に聴こえた。濃厚なロマン主義を湛えた「浄夜」や「ペレアスとメリザンド」の時期のシェーンベルク。曲はその後、不確定性の部分と、再びロマン的な部分とを経て、グリッサンドで消え入るように終わった。

 2曲目は合唱と尺八のための「追分節考」(1973)。合唱も尺八も会場内を移動しながら演奏するシアターピース。西欧的な拍節感から完全に解き放たれた音楽。スコアはなく、いくつかの素材を指揮者が適宜選択し、指示を出す。けっして短い曲ではないが、全体を通して安定したハーモニーが確保されている。それが心地よい。

 3曲目は交響曲「ゆく河の流れは絶えずして」(1975)。1曲目の現代的なオーケストラ曲と2曲目のシアターピースとを総合したような音楽。テクストは鴨長明の「方丈記」。演奏時間60~70分(不確定性の部分があるので一定しない)の大曲が瑞々しく演奏された。少しも古びていない。それが感動的だった。

 「方丈記」は、東日本大震災以降、多くの人に読まれているという新聞記事を見かけたことがある。たしかに地震をふくむ災害の体験をリアルに描き、方丈(4畳半程度)に住む清貧の生活を語った本作は、現代の日本人の心に触れるところがある。

 そのためもあってか、「恐れのなかに恐るべかりけるはただ地震(なゐ)なりけり」のくだりと、「広さはわづかに方丈」のくだりが明瞭に聴き取れたときには心が震えた。

 東京混声合唱団と武蔵野音楽大学合唱団の合唱には透明感があった。日本フィルも、前期古典派からロマン派、12音、現代までの多様式の音楽を的確に描き分け、力むことなく、しかもパンチにも欠けない演奏を繰り広げた。総体的にこの曲を演奏するモチベーションの高さが感じられた。

 わたしは昔一度この曲を聴いたことがあるが、ほとんど記憶が薄れていた。その曲が、現代に生きる曲として、劇的に復活した。驚きと喜びと、山田和樹以下関係者の皆さんへの賞賛と、諸々の感情が沸き起こった。
(2016.11.7.サントリーホール)
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ドイツ旅行あれこれ

2016年11月05日 | 身辺雑記
 ミュンヘン~ボン~ベルリンと回った今回の旅行、ミュンヘンではダッハウ強制収容所跡に行きました。ナチスが作った最初の強制収容所の一つ。わたしは以前行ったことがあるので、今回が2度目です。

 小雨が降ったり止んだりの天気。ミュンヘン中央駅からSバーンとバスを乗り継いで着くと、そこは黄葉が美しい晩秋の住宅街でした。以前来たときは真夏でしたので、印象がまったく違います。思わず溜め息がでるような美しい住宅街と、大戦中にそこに隣接した強制収容所でおこなわれた残虐行為とのギャップに、なにをどう考えてよいのか分からない気持ちになりました。

 黄葉はどこに行ってもきれいでした。ベルリンでも広大な公園‘ティアガルテン’の散歩道には黄葉が積もり、まるで山道のようでした。また宮殿‘シャルロッテンブルク’の庭園も黄葉が盛りでした。

 ミュンヘンではナチスにたいする‘白バラ抵抗運動’が起きたミュンヘン大学にも行きました。以前にも何度か行ったことがあるのですが、いずれも週末だったり、休暇中だったりして、中に入ることはできず、大学前の広場‘ショル兄妹広場’と‘フーバー教授広場’に佇むだけで帰ってきました。

 今回は学期中でしたので、学生たちに交じって中に入ることができました。入るとすぐに吹き抜けの階段がありました。その最上階から妹のゾフィー・ショルがビラをまき、大学職員に見つかって捕らえられた場所です。ショル兄妹はその数日後に処刑され、また仲間や、かれらを指導したフーバー教授も処刑されました。

 階段には何人かの学生が腰を下ろして本を読んでいました。また友人と大声で話しながら行き来する学生や、授業に遅れそうなのか、急いで走っていく学生、あるいは教授らしい人と親しげに話している学生など、日本の大学と変わらない風景でした。

 ベルリン・フィルの本拠地‘フィルハーモニー’の前にあるパネル展示が、心身の障害者を殺害した‘T4作戦’を記録したものであることに、今回初めて気付きました。いつもはコンサートの前に慌しく通り過ぎるだけでした。

 邦訳も出ているフランツ・ルツィウス著「灰色のバスがやってきた」で描かれているナチスの障害者安楽死政策(日本も他人事ではありませんね)。その本部がここにありました。今回訪ねたときには、何人かの人がパネルを見ていました。目の前のバス停にも簡単なパネルが貼ってあるので感心しました。
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エレクトラ(ベルリン国立歌劇場)

2016年11月04日 | 音楽
 ダニエル・バレンボイム指揮、亡きパトリス・シェロー演出の「エレクトラ」。ベルリン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座、エクサン・プロヴァンス音楽祭、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場、フィンランド国立歌劇場およびバルセロナ・リセウ歌劇場の共同制作。今回はベルリン国立歌劇場での初演だ。

 エレクトラが激しく動き回る。舞台にはつねに複数の人物がいる。だれか一人になることはない。舞台上の動きが止まることもない。苦悩、焦燥、憎悪、絶望、憧れなどの感情が渦巻く。その大きさに圧倒される。

 オペラの中間点、エレクトラの前にオレストが現れ、自分がオレストであることを告げる場面では、エレクトラとオレストの他に、オレストの養育者、第5の下女(5人の下女の中で唯一エレクトラをかばう下女)など数人がそこにいる。各人再会を喜んで抱き合う。喜びの感情が迸る。

 この場面が(ドラマの面でも、音楽の面でも)このオペラの頂点であることがよく分かった。台本ではエレクトラとオレストの2人だけの場面だが、そこに数人の人々を加えることで、エギストとクリュテムネストラの支配下でじっと息を潜めていた人々がいることが強調された。

 そこから先の展開は、この中間点からの帰結だ。クリュテムネストラを殺害するのはオレストだが、エギストを殺害するのは(オレストではなく)オレストの養育者になっていた。復讐を成就した後、エレクトラは(奇怪な踊りなど踊らずに)放心したように座りこむ。オレストは黙って立ち去る。

 わたしは今まで、このオペラの頂点は最後のエレクトラの踊りにあると思っていたが、むしろ緩やかな放物線を描くドラマ構成として捉えるほうが正解かもしれないと気が付いた。

 声楽陣が豪華だった。表題役はエヴェリン・ヘルリツィウス、クリュテムネストラはヴァルトラウト・マイヤー、クリソテミスはアドリアンヌ・ピエチョンカ、オレストはミヒャエル・フォレ。さらに(配役表を見て我が目を疑ったが)オレストの養育者は往年の名歌手フランツ・マツーラ(1924年生まれ!)、クリュテムネストラの腹心の侍女兼監視の女はチェリル・ステューダー。

 バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリンの演奏は、声楽陣に負けず劣らず、雄弁にドラマを語っていた。絶叫するだけではなく、静寂も叙情もある、起伏に富んだ、入念な演奏だった。
(2016.10.29.ベルリン国立歌劇場)
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フィデリオ(ベルリン国立歌劇場)

2016年11月03日 | 音楽
 ダニエル・バレンボイム指揮、ハリー・クプファー演出の「フィデリオ」。歌手陣の豪華さが目を引く。レオノーレがカミラ・ニールント、ピツァロがファルク・シュトルックマン、ロッコがマッティ・サルミネン。以上のヴェテラン勢に加えて、フロレスタンは今が旬のアンドレアス・シャーガー、マルツェリーナは若手のエヴェリン・ノヴァク。新旧の組み合わせの妙がさすがだ。

 サルミネンは、ヴェテランというよりも、超ヴェテランといったほうがよいが、声はまだ出るし、なんといっても存在感が抜きん出ている。人のよさそうな味のあるロッコが、舞台上のアンサンブルの重りになっていた。

 バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリンは、序曲が始まるやいなや、重くずっしりした音を鳴らし、前日に聴いたベルリン・フィルの、今や明るく、シャープになった音との違いを感じさせた。

 序曲は「レオノーレ序曲第2番」が使われた。ベートーヴェンの若書きかもしれないが、ゴツゴツして尖った音楽が、ベートーヴェンの抑えようもない意気込みを感じさせる。頻繁に現れる全休止はブルックナーの先例か。なお、いうまでもないと思うが、第2幕の場面転換での「レオノーレ序曲第3番」の演奏はなかった。

 クプファーの演出は、端的にいって、ベートーヴェンへの敬意に満ちたもの。舞台上には常にピアノが1台あり、その上にベートーヴェンの彫像が置かれている。先ほど触れた序曲の途中の(ドン・フェルナンドの到来を告げる)トランペットの箇所では、ベートーヴェンの彫像にスポットライトが当たった。

 そして第2幕の後半、ドン・フェルナンドの登場の場面からは、舞台はウィーン楽友協会大ホールに変貌した。登場人物一同でベートーヴェンへの賛歌を歌い上げた。じつにストレートな演出だ。わたしは共感した。

 今更いうまでもないが、ベートーヴェンの音楽はなんと崇高なのだろうと思った。精神の崇高さを感じさせる音楽。そんな音楽を書いた人はベートーヴェン以外にはいない。

 世の不正に苦しむ人は(人間社会が続く以上)今後も絶えないだろう。そういう人に生きる勇気を与える音楽。また、ベートーヴェンが、何度も恋愛し、結局一つも実らなかった実人生と引き換えに、人を愛することを歌い上げた音楽。そんな音楽を書いたベートーヴェンへの賛歌にわたしも加わった。
(2016.10.28.ベルリン国立歌劇場)
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イヴァン・フィッシャー/ベルリン・フィル

2016年11月02日 | 音楽
 ベルリン・フィルの定期。指揮はイヴァン・フィッシャー。フィッシャーはベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の首席指揮者なので、ベルリン市民にはお馴染みの指揮者だろう。

 1曲目はエネスクの「管弦楽組曲第1番」から第1曲「ユニゾンの前奏曲」。コントラバスを除く弦楽合奏とティンパニというとても変わった編成の曲だ。弦がユニゾンで息の長い旋律を弾く。東欧的な香りを放つ。途中からティンパニのロール打ちが加わり、劇的に盛り上がる。

 フィッシャーはなぜこの曲を取り上げたのだろう。前例のないユニークな曲だから、という理由からだろうが、次に演奏されるバルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」の第1楽章との関連が意識されてはいなかったろうか。バルトークがこの曲を知っていた可能性は十分あると思うが、関連はあるのかないのか。

 演奏はベルリン・フィルの弦の底力を発揮したもの。徐々に熱がこもり、厚みを増し、ついには大きな身振りで東欧的な叙情を歌い上げる。わたしは思いがけない深淵が口を開けるような感じがした。

 2曲目はバルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」。イヴァン・フィッシャーにとっては‘お国もの’なので、名演を期待していたが、意外に使命感や切実さは感じなかった。ベルリン・フィルならこの位はできて当然という感じの演奏。

 プログラム後半はモーツァルト・プロ。まずクリスティアーネ・カルクのソプラノ独唱でオペラ「ポントの王、ミトリダーテ」KV87から「愛する人よ、あなたから遠く離れ」。ホルンのオブリガートを伴う曲で、ホルンは若い奏者が吹いた。安定感のある演奏。カルクもホルン奏者とアイコンタクトを取りながら歌っていた。

 もう1曲はコンサート・アリア「哀れな私はどこにいるの!ああ、語っているのは私ではない」KV369。シャープで劇的な歌唱。カルクの実力を示した。なお、余談ながら、アンコールはなかった。日本ならアンコールに1曲位やるのではないだろうか。不満というのではなくて、習慣の違いを感じた。

 最後は交響曲第38番「プラハ」。エネスク、バルトークと組み合わせて東欧プログラムということだろうか。演奏は弦の音が澄んでいてクリアーだったが、この位はベルリン・フィルの日常的なレヴェルかもしれない。フィッシャーの指揮は遠慮がちに感じられた。
(2016.10.27.フィルハーモニー)
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